たけくらべ=TK Club 公演情報 たけくらべ=TK Club」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★★

    今更ですが…
    ドガドガプラスのTK Club 観てきました。

    この劇団の作品は、番外公演も含めていままで4本観ただけですが、
    私的には本作が一番気に入りました。

    再演でリベンジ的な意味合いがあるとの事。
    倍返しぐらいはできたんじゃないでしょうか?

  • どこまでも、どこまでも、「男目線」だった



    それは、アングラの駐車場にしか咲くことのできない、可憐な踊子達だった。

    太平洋戦中の、「国家」が蜘蛛の巣のように人間関係を窮屈にした時代性。
    あるいは、敗戦後の、「国家」の網の目から脱した後に込み上がった「騙された」の感情。

    舞台の構成からいえば、前半で後者の感情を扱い、後半で前者の関係性を扱ったということになる。

    何と ややこしいのか。


    普通、先に戦中の話を進めて、それが戦後へつながる方が分かりやすい。
    ところが、この舞台は敗戦日本で営業中のCLUB周辺に出没する故人を掘り下げなければならないため、戦中日本(大陸中国)の話を繰り広げる構成を取った。

    これは、アングラからの、戦中日本からの、反戦メッセージかもしれない。


    エロティシズムを理解する舞台を、多くの観客は待望している。
    現実の状況でいえば、若手劇団はエロティシズムを避け、それをもって「普遍性」だと考えたいようだ。


    歌や踊りのパフォーマンスは、評判のほどエロティックでは なかった。
    過激さ を述べたいわけじゃない。

    私が述べたいことは、肝心の演技の部分で、身体から沸き上がったエロティックな感覚である。
    戦中日本(大陸中国)、あるいは敗戦日本でしか描けない、荒廃した中の「匂い」「駆け引き」は現代の私たちからすれば、気品溢れる姿だった。

    ところが、虫眼鏡で じっくり観察する舞台とも 100m離れた位置に あった。


    テンポの早い、F1のサーキット並み の展開を 一部 見受けたのだ。


    エロティシズムが、高速で現れる。
    それこそ、鉄則のエンターテイメントなのだろう。



  • 満足度★★★★

    満足。
    前半、少しゴチャゴチャした印象で、後半もこの調子だとかなわんなぁと思いましたが、後半を観てすべて納得しました。休憩終わった後は、あっという間でしたね。時間を感じさせませんでした。歌やダンス、ムフフなシーンもあり楽しかったです。

    ネタバレBOX

    「美登利」が可愛かったですね。男性では、キレキレの動きで場の空気を変えてしまう「助六」が素晴らしかったです。
    劇場の端から端までフルに使う演出も面白かったです。前方の席がオススメと案内していましたが、後方に座って広角で観るのもアリだと思いました。
  • 満足度★★★★

    座席は2番目以降に
    一番前に座ると、右横のステージが見えません。
    追っかけらしいオジ様方が一番前に4人ほど陣どっておりましたが
    それを外しても二番目以降がお勧めです。
    一番前なら右端の席しか右横ステージが見えないかも。

    さすがの作品でしたが、
    ちょっと詰め込みすぎの感があり
    役者の力量で押し流した感じでした。

    と、思ったら「唐組」からの客演がいたのですね。どうりで。
    助六は、前半もいいですが、
    後半はシンプルな姿とのギャップがあり、ぐっと魅力的でした。

    助六と赤松あげはの組み合わせがとてもよかったです。

  • 満足度★★★★

    居心地良し!
    多くの芸人を生んだ元フランス座に私のイメージする浅草の空気が流れていました。観劇してて何かとても居心地が良かったです。(他にない感じです)
    フィクションの中に史実を織り込ませ、婉曲的に社会へメッセージを投げかける。
    練り上げられた台詞の中には耽美なものが伺える。
    舞台だけでなく、客席通路をも幾度となく使い、そして何より舞台上手の階段が何とも言えず哀愁を感じる。とても良い芝居で楽しめました。

  • 満足度★★★★★

    アメリカと屈辱
     何ともアイロニーに満ちたシナリオである。だが、正鵠を射ている。この植民地に暮らす人々の屈辱と意地、如何ともし難い現実を尚、我々自身が引き受けて行く為の、昏い決意を、自分も継承しよう。
     本牧TK Clubは、進駐軍相手のクラブ。時は敗戦5年後の1950年、戦前、戦中の庶民の暮らしも決して楽ではなかったが、戦後数年の間は、法に従っていれば、栄養失調で死ぬのは、間違いなかった。従って、生き残った者は、生きる為には何でもやった。進駐軍相手の飲み屋ともなれば、無論、何でも売っていたのである。
     アゲハは、この店のNo.1、付け人のサナギは彼女の妹だが、二人は戦時中、慰問団の看板女優と美少女ダンサーであった。然し、サナギは在る事件を境に人前で声を失う。
     助六役の丸山 正吾がいい。隈取をアレンジした化粧も、その衣装も、敏捷な動きとジャンプ力、身のこなし、男伊達、何れも良い。無論、演技もこなれていて、本牧の助六の貫録、歌舞きぶり充分堪能させて貰った。
     然し、よくこれだけの内容をエンターテインメントに仕立てた。お見事。(追記2013.8.31)

    ネタバレBOX

    歴史的背景
     一方、アメリカは、次の魔手を朝鮮半島に延ばしていた。早くも1945年9月8日には仁川に上陸。翌9日には、総督府から権限の委譲を受け、9月11日からは米軍による軍政が敷かれている。一方、8月8日に参戦したソ連軍は、8月9日には豆満江を超えていた。この時点で、既に、朝鮮戦争は準備されていたと見ることが出来よう。
     この年1950年と言えば、6月25日には、北朝鮮軍が、韓国軍が南部に集結した隙をついて38度線を南下、朝鮮戦争が始まっていた。背景には、大日本帝国が、朝鮮半島を支配した後、8.15宗主国敗戦で一応、大日本帝国の植民支配からは解放されたものの、半島の全領域を統括し得るような勢力が、存在せず、ソ連の南進がある中、朝鮮建国準備委員会の新メンバーの多くが、8月16日に釈放された政治犯であり共産主義者が多かった為に左傾化が著しく、当初、目指した左右合作路線が画餅に帰したことにもよる。結果、実質的に誰も統一するだけの力量を持つ者・グループが存在しなかったことは、半島統一よりは、互いの抗争を呼び、益々、昏迷の度を深めていった。無論、日本に原爆を落とした主要な原因の一つであるソ連への警戒があって、アメリカは、中国、ソ連の動向を睨み、台湾、朝鮮半島を含む東アジアに於ける自国の権益の為に、虎視眈々と反撃のチャンスを狙っていたのである。
     また、裕仁が米と結んだ秘密協定のせいで沖縄は施政権をアメリカに奪われ、完全に米軍占領下に置かれた為、沖縄の人々は基本的人権も守られなかった。朝鮮戦争時には、この沖縄に置かれた米軍基地と本土にもまだたくさんあった米軍基地から、アメリカの前線部隊が出撃して行ったのである。
    日本の為政者
     ところで、日本の為政者の身の振り様は、「見事」であった。昨日迄、天皇万歳を叫び、天皇の名の下に命を捧げていたはずの者達が、今日は、アメリカの犬となり、731部隊が人体実験を繰り返して集めた軍事用殲滅兵器資料や、広島・長崎へ投下された原爆の被害状況、人体への影響評価、爆発地点からの距離と被害の関係などに関する詳細な資料、関東軍の隠匿物資情報などと引き換えに命を救われ、時期を見て国家の枢要な部署、経済界、各々の専門分野(放射線医療を含む)などへの復帰を勝ち得ていたのである。そして、裕仁自身は、一切の戦争責任を免れ、のうのうと生涯を全うしたのであった。東京裁判は、裕仁に罪を被せない為に行われた、という見解さえ存在しており、これは正しいだろう。
     一言で言えば、日本民衆のアメリカに対する関係は、二重の意味で屈辱そのものである。
     この為政者共の狡さ、汚さ、下司ぶり、非人間性を2人の人物が表象している。1人は、ノモンハン生き残りの関東軍将校、1人は、医者、便利屋も務めるインテリ。2人は、1枚のコインの裏表である。将校は、慰問団と軍の連絡・世話掛かりのショウタ(これも「たけくらべ」の田中の正太をベースにしている)をコルトガバメント(45口径のアメリカ軍用拳銃、当然governmentの持つ意味が内包されている。アメリカとは、銃による「正義」の国なのであるから)の試射用に殺害、平然としている。(この殺害現場に居合わせたサナギ「たけくらべ」の美登里は人前での声を失った)彼の論理は、こうだ。自分というものは、既に、国家=天皇に捧げられた者であってみれば、個々の実存としては存在せず、只、捧げられた人身御供としてのみ存在する。従って、それが死のうが生きようが、親眷は悲しむ必要など無い。散ることは、花弁が落ちるようなものであり、花弁1枚1枚に名など無い。あるのは、花弁を散らす、桜の木である、と。何と都合の良い詭弁であるか!! 
     劇中、ノモンハンで弟を亡くしたアゲハは、弟の死にざまを訊ねたいが為に、この将校と寝る。而も、彼女は、慰問団、座長の花川 助六の女なのだ。上記の将校の言い訳は、彼女の質問に応えた将校の科白の一部を自分が翻案したものである。
     ところで、ノモンハンについては、現在でも、日ソ痛み分け、とのまやかしが大手を振って通っているが、実際は、日本の損失は、兵の死者数に於いてもソ連の4倍近く、武器、航空機、車両の損失も遥かに大きい。第二次ノモンハン事件終了後の国境再画定では、ソ連側の主張がほぼ通り、日本は、戦う前よりその領土を減らしているのが実情である。また、ノモンハンで生き残った将校の多くは、戦闘終了後、殺されたり、自殺に追い込まれたりして命を断たれている。逆に生き残った将校でありながら、関東軍将校として着任しているこの男の人品を疑うべきことを彼のコインの裏側が暴露しているのである。詰る所、軍は敵との戦いの尖兵として機能するのではなく、情報を操作する際、自国民の正論を押さえ込む為に機能するのである。この辺りの意図的勘違いで戦う前から勝敗は決していたのだと考えた方が合理的である。そして、日本に欠けている最大のものこそ、この合理性なのである。
    アメリカという国
     清教徒がメイフラワー号で辿りついた年、彼らは病み衰え、食糧不足などから散々な状態にあった。それを救ったのが、ネイティブ・アメリカンである。その命の恩人達を、野蛮人を教化するなどという思い上がりから、騙し、戮し尽くして上陸した大西洋沿岸から太平洋迄を席巻しただけでは飽き足らず、更には、ハワイを領土とし、スペインとの戦争ではフィリピンを植民地化した上、更に東アジアに目を向け、日本とぶつかって、これも植民地化、朝鮮戦争では韓国に加勢して4.3事件、朝鮮戦争を遂行し、あまつさえ、ベトナムでは300万人以上の婦女子、子供を含む人民を虐殺、エージェントオレンジによる災禍を未だに残している。その間も後も中南米へ恣意的に進軍、或いは工作を繰り返し、多くの罪なき人々を拷問の末、死に追いやるような組織を設立、後押しし続ける。更には、中東へも盛んにチョッカイを出しては、石油資源などを調達、襲われたエリアは、DU被害で今後、数百億年は、放射性核種の影響を受けると言われるが、そんな先まで、地球自体が存在しない。無論、アメリカが齎したDU被害についての責任は言い逃れている。また、ユーラシア大陸の西には、イスラエルという兄弟テロ国家を経済・政治的に支援、軍事戦略的には、寧ろ、イスラエルがアメリカを引っ張っている側面があるにせよ、パレスチナ問題で結束しがちなイスラム諸国を分断統治しているのみならず、東側には日本という名の植民地を抱えて好き放題をしている。
    8月14日
     敗戦記念日、前日、旧盆中、先祖が帰ってくると考えられている。その為、サンスクリットの音訳である盂蘭盆(倒懸)が地獄で逆さ吊りにされている死者への供養と考えられているのである。盂蘭盆会は、先祖の魂が帰ってくる際の迎えの祭りと位置付けられる。さて、その日、あの時と同じような猛烈な雷雨の中を、本牧の助六と名を変えてはいるが、紛れもない花川 助六が帰ってくる。本牧の夜、TK Clubは、満州の慰問団訪問地に重なるのだ。
     サナギが言葉を失った事件の顛末とは、若い兵士達に誘われて出掛けたものの夕方までに帰るつもりが話に夢中になって帰宅が遅れた際、上に挙げたコルトガバメントの試し撃ちで弟のように可愛がっていたショウタが、虫けら以下の殺され方をしたのだ。その論理もまた、預けた命である以上、何処でどうなっても悲しむべきものではない、というものであった。助六も彼らを助けようと奮闘するものの、丸腰。凶弾を浴びて倒れた。だが、助六の奮闘の所為もあって、日本の為政者の本質とアメリカの関係が明らかにされてゆく。現在も続く、日本の為政者の米専用御用聞きぶりと無能は、既にとうの昔から変わらぬものとして脈々と息づいてきたことが証明されるのである。
     進駐軍の横流しした物資も今日が最後。というのも、横流ししていた連中は、将校迄が日系アメリカ人であり、明日、朝鮮戦争に派遣されるからである。黄色人種同士を戦わせようという白人支配の多民族国家、アメリカの差別の実態を表してもいよう。
     
  • 満足度★★★★

    戦争と平和
    役者さんが舞台を飛び降りて場内を駆ける。大勢いる役者さんの動きや配置がよく考えられていて見ごたえがありました。
    デコラティヴかつ饒舌なセリフが心地よいリズムを産み出し、物語を押し進める。
    本劇団の面目躍如たる歌と踊りも楽しい。
    テンポがよく、躍動感がありとても楽しい舞台でした。

    さて、物語では登場人物たちは戦争の悲劇を背負って描かれる。
    どの人物もただただみんな懸命に生きている。

    少女たちの魂魄が灯し火となって降りてくるシーンが印象的。

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