読書劇 テロならできるぜ 公演情報 読書劇 テロならできるぜ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    Don't think feel!
    見沢知廉の随筆集(「テロならできるぜ銭湯は怖いよの子供達」)に基づく予定だったが、結果的に彼と母との関係(及び獄中での彼の「ある闘争」)を中心に描くことになったとの由。
    極めて「演劇的な」表現が多く、「語る」のではなく「見せる」ことで「物語でなく思想を伝える」趣き。(=映像化は不可能)
    従って「わかる」のではなく「(何となく)伝わる」感覚。(←個人差があると思う)
    よって、椅子にふんぞり返って「さ、楽しませておくれ」な態度では楽しめず、「読み取ろうとする姿勢」が必要なのではなかろうか?
    喩えて言えば、ただ送り出される番組を眺めていれば良いテレビではなく、書籍を開いて自分で読む読書のように。(もしかしてそんなところが「読書劇」たる所以?)
    そう言えば従来の作品も題材について調べて臨むと、より面白かったし。
    そんなワケで、その演劇的表現だけでも面白いが、演ずる側と観る側との「知恵較べ」(ちょっと違うか)的に観るとグンと面白いのではなかろうか?
    ま、最終的には Don't think feel! であり共鳴できるかどうかが評価の分かれ目かな。

  • 満足度★★★★★

    人間性と権力
    「読書劇」と銘打たれた上演形態に、大方の読者は朗読形式をイメージするだろうが、さに非ず。寧ろ、少し特殊な演出の演劇と考えた方が良かろう。見沢 知廉の作品から抜粋されたフレーズが、BGMの大きな音にかき消され乍ら言い募られる。舞台観客側には一面に張られた紙に知廉の文章が綴られている。時折、人のシルエットが浮かびあがる。和服の女性、知廉と思しき人物等である。ほぼ暗転した空間内に約10分、音響と言い募りに支えられた濃密な時間が流れ、懐中電灯によって照らし出された文字が浮き上がる。10分も終わりに近い頃、血の色で知廉の文章の上に重ねて文字が書かれる。そして紙が破られると下手には、底の部分まで鉄条網で編まれた鳥籠状の独房が現れ、周りには書籍が堆く積まれているのが見える。書籍は上手床の上にも観客席側にも或いは散らばり、或いは積まれてある。上手観客側には小さな机とスタンド。(追記2013.9.10)

    ネタバレBOX

     舞台は千葉刑務所の独房である。1982年スパイ粛清事件を起こした知廉は、12年の実刑判決を受けて千葉刑務所に収監された。通常、仮釈放などで実質拘置期間はかなり短縮されるが、知廉は権力に屈しなかった為、見せしめに12年間収監されていた。そのうちの8年近くを懲罰房で過ごしている。後ろ手に厚手の革手錠をされ、猿轡を噛まされ、糞尿は垂れ流しで。何故、そんなことをされたかと言えば、彼の人間性を奪う為である。
     自分は、このシーンを観ながら2人の人物を思い出していた。1人は、岡本公三もう1人はパレスチナ人女性活動家である。岡本公三はロッド空港乱射事件で持っていた自殺用の手榴弾が不発だった為、イスラエルに捕まり、自白強制剤を注射され、人間性を奪う為の拷問に耐えながら最後まで一番大切だと彼が信じたことは吐かずに通したアラブの英雄。もう一人は、親兄弟をイスラエルによって殺され、活動家となったパレスチナ人女性であるが、彼女は捕まってからレイプ、拷問、矢張り人間性を奪う為のありとあらゆる辱めに耐え、狂気に陥らぬ為に、編み物をして正気を保った。矢張り民衆の英雄である。言っておくが、自分は、ボードレールに倣って、通常言われる英雄とは、大衆的次元に迄、己の精神を下げた人物、としか思っていない。自分が認めるのは、己が人間であることを守るために反抗し続ける人間のみである。知廉も、その意味では英雄と言って良かろう。知廉が人間性を保つに必要なことは、文章を書くことであった。彼は、その為に筆記具とノートを要求し続け、収容期間の3分の2を懲罰房で送ったのである。一方、母の存在も大きい。庇護者としての母の存在は、作家知廉にとっては、アンヴィヴァレンツなものではなかったか? 知廉は、問うている。自分は贄なのか? と。何に対して? 無論、直接的には、権力、体制の贄である。だが、それは、本当か? その有り様を、この作品は賽ノ河原で石を積んでは鬼に崩される幼子を執拗に描くことで表現している。権力が鬼で代置されるなら、その向こうにあるのは、親。つまり、この場合、母その人である。無論、母との関係について彼は気付いていたはずである。故にこそ、アンヴィヴァレンツたらざるを得ないのだ。実際、母の関与は、大変なもので、彼に2日に1通の割で手紙を書き送っている。収監中にその量は段ボール箱3箱にもなった。この積極的な関与は、作家の文章が3人称を獲得する為の条件をワヤにする。つまり、絶対自由、絶対孤独を阻止するのだ。獄中で書かれた小説には、SM趣味が観られるが、それは、謂わばイメジャリーなレベルのもので、ふわふわと漂っているだけだ。サドの文章のような硬質な文章でもなければ徹底した論理に貫かれた文章でもない。そこにあるのは、人間性を守ろうとチャレンジし続ける弱々しい魂のあがきである。1人の青年が漢になる為には、犀の如く独り歩まねばならぬ。知廉には、それが、欠けているのだ。
     小説レベル・ジャンルから言えば、知廉が書いたのは「青春」小説である。最も知られた作品は「天皇ごっこ」であろうか。何より彼は、革命家として生きようとし、行動した。機が熟すことを待つこともできなければ、革命が成就する必然性が、ここにはないことも見透かすことが無かった。気の毒ではあるが、やはり悲痛なロマンチストであったと言うべきだろう。その彼の言葉で印象に残ったのが最初の10分の間に何とか聞き取った「言葉を切らねばならぬ、言葉を切る為には狂わねばならぬ」というフレーズであった。
     ところで、IOC総会で安倍がF1事故汚染水に対する記者質問に応えて「状況はコントロールされている」と述べたとされるが、「情報はコントロールされている」というのが、正しい。その証拠に、管 義偉が、汚染水問題で初関係閣僚会議を開いたのは安倍の答弁後である。こんな嘘がまかり通るほど、この「国」の主権者は判断力を失っており、おめでたい。為政者が腐り切っているのみならず、未だに臣民意識の抜けきらない奴隷の暮らす国。それは、国家というより、当に家畜人の暮らすヤプー“国”そのものだ!
     知廉の名誉の為に一言付け加えておくならば、彼は、この程度のことは、深く理解していたということである。

  • 満足度★★★★

    今回も
    前回観せていただいて、今回で2作目。
    表現方法が独特で、見応えのある舞台。
    台詞回しも心地よく響きます。
    まさかのハードロックには度肝をぬかされました。
    出演するのではなく、観ていたい舞台でした。

  • 満足度★★★★

    演劇というよりはアートパフォーマンス
    今回はちょっとやりすぎの感ありでしたが、よかったです。
    素晴らしかった。
    自分が中二病だったころを思い出した。
    あのころはまだ学生運動の気運があって
    (同年代の人はなかったというけど)
    小学生のころからフォークファンだった私は
    中学の頃にはすっかり、学生運動気分の子供だった。
    当然、反体制で学校には反抗した。

    別にヤンキーなわけでも髪を染めるわけでも、
    カバンや靴をつぶすわけでもないが
    規則は破るためにあるんです!とか言ったりしていた。

    そのことを観ていて思い出した。というよりも、
    あれが本当の自分だったと思い出した。

    終わって向かいのベローチェにはいるとこわだかに笑う奥さんがたがいて
    この人たちとは一生わかりあえないと思った。


    ネタバレBOX

    後半のリセット主義の部分はいらないのかも、いまどきすぎて全体のテイストに合わなかった。

    それと、後半の後ろで書く赤い文字は、文章じゃないほうがよかった。
    それがしつこく感じた。

    さだまさしかー。って思いましたが、
    防人の歌なら仕方ないか。

    前回も、中島みゆきだけ
    現代っぽかったですが、年代的には
    選曲はとても理解できます。
    しかしここはぐっとこらえて、さだまさしではなく
    別のフォークにしてほしかった。

    ちなみに高木さんが偶然にも友人の知り合いということが判明したが
    会うことはないだろうと思う。
  • 満足度★★★

    勢いはすごい。
    個人的には、
    視界を少しも遮られない最前列での観劇が良いかと。

    特殊な劇団なので、一概に『お薦め』にぽちっとは出来ない・・・かな。

    ネタバレBOX

    開演前に緞帳があり、
    暗転時にスタッフさんが取り外したのは気配でわかったんだけど、
    緞帳がなくなっても、もう1枚、そこに幕がある感じがして、
    目が慣れてきたら・・・やはり!
    『読書劇』ってまさか、このまま声と光と影だけでお芝居するの!?
    って一瞬思ってしまった^^;

    インパクトのすごさは相変わらず。
    緞帳が開いた後の緞帳に赤字が書かれるシーンもぞくっとしたし、
    見沢さん役の鶴見さんが入ってる檻(カゴ?)は、有刺鉄線で出来ていたけど、
    鶴見さんが座っている下まで張り巡らされ、相変わらずの細やかさだなぁ、と。
    お母さん(あべあゆみさん)が、舞台上で唯一の、普通の人代表という感じで、
    普通なのに舞台上では異色、観ていて不思議な感じでした。

    ただ、ラストの鶴見さんが本にうずもれていくところは、欲を言えば、
    もっともっとうずもれてほしかったかなぁ。

    前回の『二十歳の原点』よりも、内容はわかりやすかったけれど、
    観た目の美しさ、という意味では、『二十歳の原点』のほうが上に感じました。
  • 満足度★★★★★

    無題814(13-253)
    19:30の回(曇)。19:00受付、開場。入って右が客席、ベンチシートに座椅子4列。最前列、その目の前、全面に白い布、BGMにしわがれた歌声のフォークソング、足元に透明のビニールシート。上手にテーブル(これは前回みた「二十歳の原点」でも使っていたような気がします)、卓上ライト、飴、ガン(銃)、「テロならできるぜ銭湯は怖いよの子供達」。19:30開演、強烈なオープニング~21:01終演。濃厚な舞台、散らばった舞台、ヘヴィ(メタル)なBGM、あまりに異色。
    喫煙シーンあり。

    ネタバレBOX

    劇中、「Child in Time」が流れる、スタジオバージョン、DP第二期。

    囚われている有刺鉄線、鳥かごのようであり、釣鐘のようでもあり。

    さらに赤い糸が巻かれるのは何かを象徴しているようにみえる。

    子は賽の河原で石を積む、親はいつまでも想う。

    書籍(知?)を積み上げると何が出来上がるのだろうか。

    オープニングの2枚目の「幕」に真っ赤な文字が重なり、地の底から照らされているような灯りに浮かび上がる翳、文字を追う灯り、翳がうごめく。



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