満足度★★★
後半盛り上がった
少し理解するのに苦労しました。
(私自身の理解能力の問題かもしれませんが)
ところどころ入り込めて
ところどころ現実に戻ってしまいましたが
後半に入ると内容もまた重くなり
役者さんの役への入り込みもどんどん
増して行き変化してるように感じました!
下ネタやギャグなどが多少浮いてたように
思いましたが個人的には好きでした!
満足度★★★★
時代を思わせる独特の空気
有名な作品であることは知ってましたが、今回初めて見させていただきました。役者さん達の熱い演技、踊り、アクション、とても良かったです。台詞回しやギャグ、下ネタなどは原作どおりの作りなのか、時代を思わせる独特の空気が感じられて面白かったです。
その分、最近の流行を取り入れたギャグ(「今でしょ」「Yes、高須」)には違和感を感じましたが…。もうひとつ、違和感を感じたのは終盤に仲間が次々と倒れていく場面、マシンガンの銃声が使われていましたが、それはちょっと違う印象を与えてしまうのではないか思います。
満足度★★★
1人の女性の生涯が悲しかった
飛龍伝が有名な作品であることは後から知った私。予備知識も無く見たからか、とても難しく思えました。ただ、主人公の志をもって上京してきた天才・美智子の生涯が悲しかったです。
周りの流れに流されトップに祭り上げられた美智子。トップである責任感と頭の良さ、女であることが絡み合って、【イヤだけど、ツライけれど。そうするしかない】といった状況に耐える姿が苦しかったです。
全体の作品としては、人の生涯のダイジェストを見た、という感想です。登場人物が常に一生懸命で、当時はきっとこうだったんだろうな、と考えさせられるお話でした。
満足度★★★
わからなかった。
作品の内容的には、つかさんの脚本ということで面白かったが、それが演出レベルでうまくいっているとは思えなかった。何が中心なのかわからなかった。
満足度★★★★
神林良かった!
初っ端から声がひっくり返ったり、かすれていたりする役者が多かったですが、終わってみれば千秋楽らしいやり切った感が満ち溢れていて好印象を持ちました。
満足度★★★★★
ぼくには,別役さんに見えないものが見える。
演劇人で,小説家であった,つかこうへいが,2010.7.に,62歳で亡くなっている。知名度が高いものは,『熱海殺人事件』(戯曲)である。つかは,演出家としての活動が有名である。映画『鎌田行進曲』は,つかによる脚本である。1982.深作欣二監督で一世を風靡した。彼は日本生まれの韓国人であるが,その事実はあまり知られていなかった。つかの作品では,『戦争で死ねなかったお父さんのために』は,熱海とはかなり性格のちがうものだ。
『統一日報』の記事で,母親と初めて祖国の地を踏んだことが掲載された。朝日新聞にも,同様の内容が出ている。小説『鎌田行進曲』で,直木賞を受賞した頃の話である。熱海は,日本的なギャグの集積といえる。これを,韓国で上演することになる。原作をそのまま出すべきか,否か。『広島に原爆を落とす日』は,旧日本軍が,朝鮮の国王を殺害,妻と子どもを日本に強制移住させる話だ。つかは,非常に強い民族的気概を持った作家だ。
『戦争で死ねなかったお父さんのために』は,戦後30年経って,召集令状が岡山の許に届く。すべてはっきりしない幻想性。日本人の精神構造をからかったものか。人気のある作品が,作品的に文芸的価値から遠いことが,つかの場合ある。逆に,目だったものでなく文芸的に質の高い作品群が別にあるということになる。熱海などは,人を笑わせようとするギャグがくどい。事実究明もそっちのけ。つかの観客の笑いは,ナンセンスといえるのか,いや,そうではないのか。
『ロマンス』は,『いつも心に太陽を』として上演された。二人の競泳選手は,幼馴染で,国体で再会するが,片一方はそのことに気づいていない。平易だが,強い印象で書き出し,深い陰影を醸し出す作品である。小説作品が,高度に開花したのは,演劇『鎌田行進曲』の台本を小説化し,直木賞を受賞した時期である。演劇人は,舞台用の明瞭な台詞を第一に考える。そのために,小説,純文学に求められる,言語的な幅の広さが乏しくなる。また,他人と共有できるやさしい言葉で,新しい感覚を出すことを狙った。
つかは,作品そのものが面白くなければ話にならないと考えた。演出重視の姿勢である。その場合,主題は,いつも明瞭に意識されるとは限らない。つまり,作品のテーマより,まず,演出が第一なのである。これは,小説創作の引きこもり状態より,濃厚な人間関係がある演劇活動を愛した。初期の未熟な作品は,演劇活動をとおして,改作される。見事に昇華された。『初級革命講座 飛龍伝』が典型的な例である。ちなみに,評論という行為一般をとらえると,それは,純文学の世界のしろものであり,大衆文学にあっては,評論はさほど重視されないといえる。
熱海は,70年代演劇界に衝撃を与えた。笑いの要素を前面に押し出し,新風を吹き込んだ。富山県警から,捜査一課への転任する刑事。取調べは,ひどくでたらめ,でっちあげが起こる。容疑者は,長崎出身だ。つかの作品では,笑いの中に,いつも悲哀があった。つか全体では,熱海以外の作品では,くどいまでのギャグは姿を消していく。熱海と,飛龍が,改変につぐ改変であったのに比べ,『鎌田行進曲』には続編が出たものの,本編における改変はほとんどなく,基本構造は一貫している。『鎌田行進曲』の出来に,つか自身満足していたことによる。
一般的には,時代に合った新しいものに変えるのが,つか流である。原型を留めないほどの改変もある。飛龍はとくにその傾向が強い。左翼的運動で負傷した人々の悲哀。登場人物のあだ名の複雑性。場面転換の多さ。状況の進捗が見えにくい難解小説的である。神林美智子が,敵方に近付くストーリーが,途中で獲得される。熱海に比べ,飛龍の改変は,時代に合ったものという点では動機不十分である。現代史を作品に盛り込むことは,学生運動に対する共感があったものだろう。機動隊と全共闘委員長の禁断の恋。それしか,つかには,作品をうまく表現できなかったのだ。中卒の機動隊が,実は,社会的弱者でありながら,権力の,体制側の手先として消耗されていくのが,納得いかなかったのだろう。
在日コリアンとしての,作風を研究すべきか,否か。ある時期あった,つかの毒は何だったのか。つかの演劇では,あったはずの毒がなくなっていく。どぎつさ,猥雑さも薄くなっていく。ただ,つか現象が時代のものであったので,笑いの感覚の変化とともに,消えていったものもある。笑いから少し距離を置いて,弱い立場の人のことを多く考える。つか作品の人物は,なべて饒舌だ。自分の意見をとことん表明する。遠慮して立ち去るようなやわな存在はいない。ののしり,罵倒し,ヒステリックになりながら,言うべきときは,最後まではっきり言うのだ。
相手の本性を見るには,敬語を使え。突然,相手が敬語を使わなくなる。その時,何かが見える。つかの作品は,人間関係が安定している。運動家の木下は,神林美智子との出会いでは,ため口をきく。同棲し,やがて,神林美智子は,委員長になる。そこで,木下は口調を変える。
「ぼくには,別役さんに見えないものが見える」とつかは言う。この日本で,在日コリアンはどう生きるべきなのか。外国籍のまま公務員になれる国だって,世界にはある。「私には他の劇作家が見えないことも見えるのだ」。『広島に原爆を落とす日』の主人公は,日本軍に殺害された朝鮮国王の息子である。犬子恨一郎は,天皇を崇拝する。御前会議には召集されなかった。かわりに,真珠湾攻撃を命令される。うまく利用されたのだ。韓国に住みたい。しかし,自分は,うまく住めない。韓国の生活に関心はある。自身のことは,在任とはいわず,韓国人と言っている。
参考文献:つかこうへい 笑いと毒の彼方へ(元徳喜)
満足度★★★
初演版が気になる
つか自身が原発問題を書き加えたか、別の問題を書き換えたのかは、最初の版を見ていないのでなんとも言えないが、効果的な改変には見えず、あの全共闘という今のところどこにも置き換えられない時代はそのままにしておいてほしかった。変更が常であったらしいので、しかたないか。初演版が見たくなる。前半のコミカルな感じに比べると後半の女が強くなっていくところが面白い。主役の男性2人の滑舌が悪い。
満足度★★★★
『飛龍伝』は,60年代安保反対闘争で死んでいった樺山美智子の話である。
『飛龍伝』は,60年代安保反対闘争で死んでいった樺山美智子の話である。
元徳喜という人が,つかこうへいのことを書いた本を出した。つかこうへい 笑いと毒の彼方へ(彩流社)。いくつかのことで,非常に参考になった。たとえば,つかは,映画化されるとき,新たにつか自身が映画用台本,いわゆるシナリオを書いて提供した。ずばぬけて出来が良いのは,『蒲田行進曲』だ。演劇の台本を小説化し,直木賞をもらっている。1982年。で,すぐに,映画化されている。どうも,倉岡銀四郎には,モデルがいたようだ。李銀四という韓国人である。
『飛龍伝』では,当時機動隊に中卒の人間が多かったことに注目し,作品に社会的弱者が苦悩する姿を描いた。作者の複雑な心理を反映している作品には,弱い立場のひとたちに共感を持っていたという事実がある。そして,彼は,韓国人としての強い意識があった。彼の作品では,悪人らしい悪人は登場しない。改作を繰り返すことが多かった。『熱海殺人事件』という作品で,大衆受けしたものの,実は,彼自身その後シリアスなものに見るべきものがあった。
『飛龍伝』は,60年代安保反対闘争で死んでいった樺山美智子の話である。彼女は,境遇が複雑で,インテリになってはいるが,思想的には反体制的である。一平と,桂木は,幼馴染である。この二人は,気が付くと,全共闘と機動隊の首脳部に配置される。桂木は,一計を案じて,自らの恋人美智子を一平に潜入させてスパイ活動を強いる。やがて,美智子は,子どもをはらみ女性としての喜びを得るが,最終決戦で,夫である一平になぐり殺されることになる。
一平に近づき,一平は,美しいインテリ女にのぼせあがる。いつ離れていくのか不安で仕方ない。しかし,一平が,美智子に思う気持ちは非常に純粋なものがあって,ウソがない。そのために,美智子がスパイで潜入して来た事実との間で苦悩し,出来てしまった子どもに対しても責任がとれない。結局,自らの手で,愛妻を殺し遺児を育てるはめになる。人は,人を好きになるとき多少屈折した状態に陥るものなのかもしれない。実際,時間がたってみれば,破局するとしても,ひたむきになっている姿は美しいと感じる。自分もまた,人を好きになるときは,かけひきはしないで,真正面でぶつかりたいものだと思った。
満足度★★★
そういえば・・・・
私にとっては、全共闘は世代的にはひと昔のことであるが、学生時にこの関係の遺稿集、日記を読んでいたなと懐かしく思った。
奥浩平「青春の墓標」 高野悦子「二十歳の原点」「二十歳の原点序章」「二十歳の原点ノート」
やっと飛龍伝観劇に至ったが、内容やや期待外れ。
もっと硬派な芝居と思っていたが、重い問題扱うわりには、バリケードの向こう側を下ネタ中心に面白可笑しく描きすぎ。
(確かに男女の区別のない世界ではあったことは否めないが・・・・)
原潜寄港の問題はあったが、原発問題は別物なので学生運動に徹してほしかった。
芝居は、エネルギッシュで良かったと思うが、気になった点を挙げておく。
主人公男性2人の声聞き取りにくい。とくに一平の声。
アンサンブルの同志が死んでいくときの声「ー死亡」しか聞き取れない。
台詞の噛みに関しては、常日頃取るに足らないと思っているが、大事な場面での噛み多すぎる。
満足度★★★★★
新しい飛龍伝
チェルノブイリやスリーマイル、福島等がストーリーに加わり、日本史から安保闘争当時だけを切り取ったのではなく、震災後に原発に関連して怪しい政治家、学者、官僚などが多数登場して混迷を極める現代とあの頃を繋げて新しい「飛龍伝」になっていたところが良かった。
満足度★★★★
意気込みが感じられるお芝居でした
最初っから、勢いのあるお芝居でした!
初っぱなに役者全員が舞台上で「演じさせて頂きます」って名乗ったのは、初めてでしたが、役者さん達の意気込みが、伝わって来るようでした。
歌あり、ダンスあり、殺陣あり、盛りだくさんの演出なのだけど、あくまで個人的な意見ですが、私的には、ダンスは、要らないんじゃないかな~と思いました。
あの、闘争シーンの叫び声やアクション、床を伝わる地響き・・・自分達の思想を信じて、ひたすら前へと突き進む迫力をそのまま真っ直ぐに表現する方が、より強く思いを伝えてくれそうだし・・・。
友情、男女の愛憎、裏切り、葛藤・・・。
予想通り、随所にちょっとお下品な要素もあるが、特に後半は、ずっしり重たくて、とてもとても辛い内容で、かなり辛かったです。
長台詞も多く、その上、台詞量も膨大なお芝居でしたが、声を枯らしながら、汗だくになって、必死で食らい付いている役者陣の熱演に、かなり揺さぶられました。
今回限りの旗揚げ解散公演、良いカンパニーでした。
超有名な作品ですが、今まで観たことがありませんでした。
初めての【飛龍伝】このカンパニーで、良かったです。
ありがとうございました!
満足度★★★
時代性を感じさせる舞台でした
安保闘争を”つかこうへい氏”が描いた作品なんですね。
まったくの予備知識無しで観劇しまして、そーゆー時代があったんだな・・・。
という印象でありました。
日本がアメリカさん達と戦争していた事を知らない子供がいる!
とかニュースになったの思い出したりしました。
(ジェネレーションギャップを考えさせられる作品でもありました)
ちょっと特殊な方向性持った芝居といえるのかなぁ、とか思ったりしました。
いろいろ盛り込んでいたのは良いのですが、
集団の台詞や叫び声に近い台詞などは聞き取りにくかったりしたので。
最近のTVや動画のようにキメ台詞を映像投影するとか、
考えて欲しかったかな。
また世代考えるなら、
ナレーションや道化の進行役入れて物語背景や状況説明を
丁寧にやるなども考えてくれていたら嬉しく思ったなぁ。
(2時間ぐらい)
もしも の「闘争」ー狭すぎる三者
「安保闘争とは何だったのか」、国民が抱き続ける疑問に“つか こうへい”という角棒を振りかざし、そして回答すべく演じ切った。
何より指摘しなければならないなはのは、1960年の安保闘争の裏に位置する青春色の人間関係と、二つの 重大なテーマを扱った点である。
チェルノブイリ、福島県で起きた、原子力発電所の溶融事故に他ならない。
1960年の国会周辺で全共闘の委員長として既存のレジームを変えるべく奮闘する椿 (正 かんば)美智子がおり、被災後のチェルノブイリの地を踏む物理研究者としての椿 美智子が いる。
当然、福島第一原発への決死隊を指揮する彼女もいた。
「安保闘争」の名物•ヘルメットと角棒をまとい、日本の明日を変えるべく戦かわんとする青春劇が最も順当な構成であった に違いない。
今作は、そうした昭和の一ページではなく、1980年代のチェルノブイリ原発事故、2011年の福島第一原発事故 等々に重ね合わせ、まるで現在に繋がっているかのような構成なのだ。
一言でいえば、今も続く「安保闘争」ー「椿 美智子」だろう。
旧「北区つかこうへい劇団」は解散後、有志メンバーが集まり、現在は「北区AKTステージ」として上演を繰り返す。
彼の看板は消滅してしまった。
が しかし、「安保闘争」の流れと同様で、「椿美智子」という “つかこうへい”は 今そこにいる演出家なのだ。
例えば、タップだとか、ダンスだとか、殺陣だとか、鋼鉄のテーマ性の中の 狂った登場人物は、“つかこうへい”だった。
上演したのは 旧「北区つかこうへい劇団」を後継する団体ではないが、今そこにいたのは紛れもなく“つかこうへい”であった。
翻弄される女がいるなかで、性に開放的だった1960年頃の時代を感じた。
終盤にかけ現れたのは、絶対的な三者である。
子供を産んだ母親•美智子と、運動へ身を捧げる美智子の交わりは圧倒的だった。
狭すぎる人間関係、一人が見せる様々な顔が私を引き込ませていた。
満足度★★★
うーん、、
正直、よく分かりませんでした。。 スイマセン。。 政治的なところはおいといて、人間の(日本人の?)醜さと愚かさオンパレードという感じはしましたが。笑。 自分の感情を社会正義でカモフラージュするところとか、言動不一致なところとか、権威主義的なところとか。 それが世の中の実相ということなのかもしれませんが。。 あと、こういうタイプの人達が綺麗事言いながら既得権益を守って年金を持ち逃げすると思うとなかなか感慨深いものがあります。笑。 役者の方々の演技は素晴らしかったです!
満足度★★★
時代ですね
飛龍伝は原作戯曲を読んだだけ,芝居で観るのは初めてである。もちろん,学生運動なんて経験してないし,しらけ世代と云われ,ノンポリを気取ることもしていない自分としては,小説などで読んだだけの世界観。福島のこととかを盛り込んではいるものの,基本的にあ~そーいう時代だったんだと,ちょっと自分の想像力を超えた心情もあり,戸惑い半分というところか。開演前から流れていた歌謡曲も,知らない曲もちらほら。ただ,曲からもそういう時代を強く感じた。
満足度★★★★
ラストプリンセス
これまで多くの飛龍伝をみてきた。
本作は、つかこうへいが最後に手がけたバージョンであり、病床から指示を出したりしながら上演に至ったと記憶している。黒木メイサが琉球王国のラストプリンセスを演じたわけだが、おそらくこのバージョンを再演したのは今回が初めてとなるだろう。戯曲はトレンドシェア版の飛龍伝に併録されている。
つかこうへいは晩年異様なまでに原発に固執し、熱海殺人事件の犯人大山金太郎まで原発作業員に仕立てている。飛龍伝でも本作で初めて原発に関わる部分を入れたわけだが、まだ実験段階としか言えず、作品の一部としてきちんと消化しきれていないように思われる。
しかし実際に大地震により福島原発が大変な事態となったのはつかこうへい死去後のことであり、今に至っても何ら解決していないことから、つかこうへいの原発への異様な拘りは、人類に対するある意味黙示録であったと言えよう。
さて、今回縁があって、COTA-rsによる本作を久々に観ることができた。個人的には桂木という役はあまり好きではないのだが、今回の桂木はとても良い演技をしていた。山崎一平もまた良く、満足いくものとなっていた。
台詞を大勢で唱えるという手法が随所に観られたが、これには賛否両論があるだろう。私的には台詞が聞き取りにくい箇所もありあまり賛成できない。
できることなら、次の機会には、90年代バージョン、殺戮の秋などで再演されたらいかがかと思う。