飛龍伝 公演情報 COTA-rs「飛龍伝」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    ぼくには,別役さんに見えないものが見える。
    演劇人で,小説家であった,つかこうへいが,2010.7.に,62歳で亡くなっている。知名度が高いものは,『熱海殺人事件』(戯曲)である。つかは,演出家としての活動が有名である。映画『鎌田行進曲』は,つかによる脚本である。1982.深作欣二監督で一世を風靡した。彼は日本生まれの韓国人であるが,その事実はあまり知られていなかった。つかの作品では,『戦争で死ねなかったお父さんのために』は,熱海とはかなり性格のちがうものだ。

    『統一日報』の記事で,母親と初めて祖国の地を踏んだことが掲載された。朝日新聞にも,同様の内容が出ている。小説『鎌田行進曲』で,直木賞を受賞した頃の話である。熱海は,日本的なギャグの集積といえる。これを,韓国で上演することになる。原作をそのまま出すべきか,否か。『広島に原爆を落とす日』は,旧日本軍が,朝鮮の国王を殺害,妻と子どもを日本に強制移住させる話だ。つかは,非常に強い民族的気概を持った作家だ。

    『戦争で死ねなかったお父さんのために』は,戦後30年経って,召集令状が岡山の許に届く。すべてはっきりしない幻想性。日本人の精神構造をからかったものか。人気のある作品が,作品的に文芸的価値から遠いことが,つかの場合ある。逆に,目だったものでなく文芸的に質の高い作品群が別にあるということになる。熱海などは,人を笑わせようとするギャグがくどい。事実究明もそっちのけ。つかの観客の笑いは,ナンセンスといえるのか,いや,そうではないのか。

    『ロマンス』は,『いつも心に太陽を』として上演された。二人の競泳選手は,幼馴染で,国体で再会するが,片一方はそのことに気づいていない。平易だが,強い印象で書き出し,深い陰影を醸し出す作品である。小説作品が,高度に開花したのは,演劇『鎌田行進曲』の台本を小説化し,直木賞を受賞した時期である。演劇人は,舞台用の明瞭な台詞を第一に考える。そのために,小説,純文学に求められる,言語的な幅の広さが乏しくなる。また,他人と共有できるやさしい言葉で,新しい感覚を出すことを狙った。

    つかは,作品そのものが面白くなければ話にならないと考えた。演出重視の姿勢である。その場合,主題は,いつも明瞭に意識されるとは限らない。つまり,作品のテーマより,まず,演出が第一なのである。これは,小説創作の引きこもり状態より,濃厚な人間関係がある演劇活動を愛した。初期の未熟な作品は,演劇活動をとおして,改作される。見事に昇華された。『初級革命講座 飛龍伝』が典型的な例である。ちなみに,評論という行為一般をとらえると,それは,純文学の世界のしろものであり,大衆文学にあっては,評論はさほど重視されないといえる。

    熱海は,70年代演劇界に衝撃を与えた。笑いの要素を前面に押し出し,新風を吹き込んだ。富山県警から,捜査一課への転任する刑事。取調べは,ひどくでたらめ,でっちあげが起こる。容疑者は,長崎出身だ。つかの作品では,笑いの中に,いつも悲哀があった。つか全体では,熱海以外の作品では,くどいまでのギャグは姿を消していく。熱海と,飛龍が,改変につぐ改変であったのに比べ,『鎌田行進曲』には続編が出たものの,本編における改変はほとんどなく,基本構造は一貫している。『鎌田行進曲』の出来に,つか自身満足していたことによる。

    一般的には,時代に合った新しいものに変えるのが,つか流である。原型を留めないほどの改変もある。飛龍はとくにその傾向が強い。左翼的運動で負傷した人々の悲哀。登場人物のあだ名の複雑性。場面転換の多さ。状況の進捗が見えにくい難解小説的である。神林美智子が,敵方に近付くストーリーが,途中で獲得される。熱海に比べ,飛龍の改変は,時代に合ったものという点では動機不十分である。現代史を作品に盛り込むことは,学生運動に対する共感があったものだろう。機動隊と全共闘委員長の禁断の恋。それしか,つかには,作品をうまく表現できなかったのだ。中卒の機動隊が,実は,社会的弱者でありながら,権力の,体制側の手先として消耗されていくのが,納得いかなかったのだろう。

    在日コリアンとしての,作風を研究すべきか,否か。ある時期あった,つかの毒は何だったのか。つかの演劇では,あったはずの毒がなくなっていく。どぎつさ,猥雑さも薄くなっていく。ただ,つか現象が時代のものであったので,笑いの感覚の変化とともに,消えていったものもある。笑いから少し距離を置いて,弱い立場の人のことを多く考える。つか作品の人物は,なべて饒舌だ。自分の意見をとことん表明する。遠慮して立ち去るようなやわな存在はいない。ののしり,罵倒し,ヒステリックになりながら,言うべきときは,最後まではっきり言うのだ。

    相手の本性を見るには,敬語を使え。突然,相手が敬語を使わなくなる。その時,何かが見える。つかの作品は,人間関係が安定している。運動家の木下は,神林美智子との出会いでは,ため口をきく。同棲し,やがて,神林美智子は,委員長になる。そこで,木下は口調を変える。

    「ぼくには,別役さんに見えないものが見える」とつかは言う。この日本で,在日コリアンはどう生きるべきなのか。外国籍のまま公務員になれる国だって,世界にはある。「私には他の劇作家が見えないことも見えるのだ」。『広島に原爆を落とす日』の主人公は,日本軍に殺害された朝鮮国王の息子である。犬子恨一郎は,天皇を崇拝する。御前会議には召集されなかった。かわりに,真珠湾攻撃を命令される。うまく利用されたのだ。韓国に住みたい。しかし,自分は,うまく住めない。韓国の生活に関心はある。自身のことは,在任とはいわず,韓国人と言っている。

    参考文献:つかこうへい 笑いと毒の彼方へ(元徳喜)

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    2013/08/05 19:38

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