もしも の「闘争」ー狭すぎる三者
「安保闘争とは何だったのか」、国民が抱き続ける疑問に“つか こうへい”という角棒を振りかざし、そして回答すべく演じ切った。
何より指摘しなければならないなはのは、1960年の安保闘争の裏に位置する青春色の人間関係と、二つの 重大なテーマを扱った点である。
チェルノブイリ、福島県で起きた、原子力発電所の溶融事故に他ならない。
1960年の国会周辺で全共闘の委員長として既存のレジームを変えるべく奮闘する椿 (正 かんば)美智子がおり、被災後のチェルノブイリの地を踏む物理研究者としての椿 美智子が いる。
当然、福島第一原発への決死隊を指揮する彼女もいた。
「安保闘争」の名物•ヘルメットと角棒をまとい、日本の明日を変えるべく戦かわんとする青春劇が最も順当な構成であった に違いない。
今作は、そうした昭和の一ページではなく、1980年代のチェルノブイリ原発事故、2011年の福島第一原発事故 等々に重ね合わせ、まるで現在に繋がっているかのような構成なのだ。
一言でいえば、今も続く「安保闘争」ー「椿 美智子」だろう。
旧「北区つかこうへい劇団」は解散後、有志メンバーが集まり、現在は「北区AKTステージ」として上演を繰り返す。
彼の看板は消滅してしまった。
が しかし、「安保闘争」の流れと同様で、「椿美智子」という “つかこうへい”は 今そこにいる演出家なのだ。
例えば、タップだとか、ダンスだとか、殺陣だとか、鋼鉄のテーマ性の中の 狂った登場人物は、“つかこうへい”だった。
上演したのは 旧「北区つかこうへい劇団」を後継する団体ではないが、今そこにいたのは紛れもなく“つかこうへい”であった。
翻弄される女がいるなかで、性に開放的だった1960年頃の時代を感じた。
終盤にかけ現れたのは、絶対的な三者である。
子供を産んだ母親•美智子と、運動へ身を捧げる美智子の交わりは圧倒的だった。
狭すぎる人間関係、一人が見せる様々な顔が私を引き込ませていた。