満足度★★★
男+女=生と死の誕生
舞台には女性器の形のオブジェがある。これは森と崖を繋げるエレベーターのようなものである。ここで男と女が互いの世界へ行き来するのである。
異性の存在を知ってしまったら最後人間は本能に逆らえないので、不老不死と引き換えに快楽を得る。結果、生と死が待つ。
抽象的な舞台であったが、俳優佐藤晃子さん迫真の演技でした。
PS. 男性陣ギャグ多いのに女性陣少ない(ない)ように思えたが、何か意図があるのでしょうか、
満足度★★★★
?の中にも
ストーリーのアウトラインというか、伝えたいニュアンスなどは感じ取れたのですが、ディテールでは「?」の部分が結構ありました。 ただ、男性三人のコンビネーションや女性の名前と衣装など面白く、見応えがありました! 王子小劇場での今回のステージの作り方は初めて観ましたが立体感はうまく使っていましたが、座った場面などは見えにくかったのは残念でした
満足度★★★★★
無題769(13-197)
19:00の回(曇)。18:15受付、18:31開場。会場を横に使った舞台、右側、一段高くなったところからパイプ椅子席(3列、ひな段)。下手に黒く大きな「岩(ようなもの)」、正面(キャットウォーク)には白い枠が嵌め込まれ、壁も白いパネルで覆われ異質な様子、上手、天井からこれも黒いパイプの残骸みたいなものがモビールのようにぶら下がり、青い照明が何かを警戒するかるように床を這っています。
「実験都市」からで4作目になります。ストルガツキー2作、レム1作...。レムは(SF好きには)人気があると思いますが、ストルガツキーを手にしたのは1978年刊行の「収容所惑星(海外SFシリーズ初期のもの、深見弾訳)、「ストーカー(タルコフスキー)」の日本公開は1981年(劇場では未見です)。
本公演を前に「そろそろ登れカタツムリ(1991群像社刊)」を借りましたが、情景をイメージしにくいのと、よくわからない設定から話が始まり難攻、まだ終わっていません。
とはいえ、ひとつの種が永い時の果てに異質なものになってしまった、という設定はSFではお馴染み(ウェルズの「タイムマシン(1895)」にも描かれています)、時間感覚の違いは「竜の卵(R.L.フォワード)」、これらはとまどうことなく観劇できました。
これが三浦さんの「たったひとつの冴えたやりかた」としての表現なのでしょうね、かつてSF作品を読んだ後に感じた爽快感が甦ってきました。※ちなみに「たったひとつ~(J.T,J)」ってみなさん知っていらっしゃるのでしょうか...
終演後、前作「東京0番地」のDVDを購入。
満足度★★★
がんばってSFしていたなぁと感心する
ですが、説明不足なトコもありちょっと残念。
SFらしさは楽しめたけど、万人受けはしないでしょうし。
製作側が期待する少子化対策に一役買うことは難しいのではないかと・・・・。
長いしねー→2時間っす
満足度★★
不条理でした
上演が始まってちょっとしてから、遅れてきた人たちが一斉に入ってきたときは、びっくりしました。でもあのときが正直いちばん面白かったです。
遅れてきたんだから、奥から詰めりゃいいものを、おばさんが真ん中の席にどんと座って。後から入ってきたのっぽの兄ちゃんは、堂々と舞台を横切って行くしで。眼を奪われました。これこそ演劇的だなと。
舞台中央で踏ん張って顔を作ってた女優さんも困ったろうなあ。
最前列に座ったはずなのに、遅れてきた図体の大きな兄さんが前に座って、視界を大きく遮られたときには、不条理も感じることができたし。
これこそ不条理演劇!
(ごめん、茶化して)
ほんとの芝居のほうは、ごめんなさい、まったくわからなかったです。
満足度★★
これは参った
こういった芝居を好む人と好まぬ人とはっきり別れるでしょう。私にはこの芝居の良さがまったく分かりません。これは参ったと思う2時間でした。
満足度★★★★★
黒の舟唄
男は不老不死、進化しないが退化もしない。昨日のような明日を永遠に生きていた。眼下に拡がる森を管理して。森の何たるかを知らず、森の内実を知らずに。
一方、女は独自に進化し単性生殖するようになっていた。森の子を孕み、口から出産するとその生を終えるのであった。森には、女達の他にアメフラシが住んでいた。彼らは、雨を伴って現れ、2進法によって組みたてられた言語を話した。女達の中で、母と呼ばれる者は、不思議な力を持つ杖を持ち、時折、アメフラシ達を内破していた。無論、母は、最長老でもあり、娘達の知らない管理所のこと、男という生き物についての知識も持っておりそれ故にこそ、崖下へ行くことを娘達に禁じていたのだが。