班女/弱法師 公演情報 班女/弱法師」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
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  • 満足度★★★★

    初見の劇団でしたが
    三島の作品もさるとこながら、演出が素晴らしかったです! 特に「班女」の観せ方が印象に残りました!

  • 満足度★★★★

    形式美の世界
    三島作品の舞台を観るのは初めて。とにかく圧倒されましたね。

  • 満足度★★★★

    刺激的、ではあった
    我々はお互いに向き合って相手に言葉を投げかけるのが「対話」であると考えているわけだが、この登場人物たちは正面を向き言葉を発する。ただそれがこの三島作品の舞台においては逆により「対話」の成立度が高く各々の感情(情念とでも言おうか。)がダイレクトに伝わってくる。
    どうやら舞台上の仕掛けがあったのか、役者の声がいつになく響いて聞こえたのも手伝っていたが、多分に演出家及び俳優たちがこの美しく、人工的で、装飾的な三島作品を深く理解し観客に伝えるだけの力を備えていたと言うべきだろう。
    私は芸術的な作品は苦手な方であり、本来なら「チェッ、芸術気取りやがって。」と苦々しく思うところだが、この二作品については身体表現も含めて結構すんなりと受け止めることができた。いい刺激をもらった。

  • 満足度★★★

    開演前に始まっていた
    開演15分前。入場すると、すでに俳優の皆さんが、舞台上で蝋人形化していて。そこにもう上演の全てが集約されていたかも。

    じっとしてるのも大変なエネルギーが必要ですよね。
    開演前にエネルギーを消費し尽くしてしまうのではないかと心配でした。あるいは筋肉が固くなっちゃうんじゃないのかなあと。ぼくがそんな心配する必要はまったくないんですけどね。

    奥側の男性が向こう向きだったのが残念でした。お顔が見えなくて。

  • 満足度★★★★

    ひとまず満足
    三島文学は未読ですが、そのdeepな世界に触れてみたいと思い足を運びました。そしてその内容は余分な装飾や動作を削ぎ落とし、代わりに伝えるべき心象表現のみを際立たせるという意図を持って制作されていたようで、今回の観劇の目的と合致してひとまず満足のいくものでした。劇の中にも思った以上に引き込まれましたが、作品が伝えたいことを自分でどれだけ受け止めることができたかは疑問に思ってます。

  • 満足度★★

    退屈を作る才能
    「班女」は客入れから舞台上に4人の俳優が存在している。ト書きが語られることによって役の身体が覚醒する、そんなイメージの幕開き。花子を二人の女優が演じるのは、狂気をあらわすためか。台詞は全体に単調に進むが、実子役の女優が単調な中でも一種独特の集中力を持っていて空間を支配している。この演出家は退屈の作り方がうまい。静かで単調なシーンの連続は退屈するが、ときにその退屈のなかに別の色彩が差し込む。そのとき劇は息を吹き返す。ただ、照明がぼんやりとしていて美しくなかった。

    「弱法師」については言うべきことなし。俊徳役に気品がない。

  • 満足度★★★★★

    無題746(13-172)
    19:30の回(曇)。18:35会場着、受付(いろいろあって、結局、当日券。整理番号券あり)、ロビーで待ち、19:15整理番号券のピンク、オレンジ、なしの順に入場。すでに舞台上には4人、女性は客席に向かって、男性は背を向けて...動きません。「班女」の冒頭シーンが静止画となって目の前にあります。チラシのイラスト通りに座り白い紙片に囲まれた女、スカートの裾を大きな円に広げその中心に座す女、赤いドレスで立ち、右手に扇をもち正面をみ続ける女。その奥に背中を丸め膝を抱えて座っている男。19:30前説(矢野さん、35分~10分~45分、To.90分)、遅れたお客さん待ち(きちんと説明あり)、19:35開演~20:11、20:19~21:12終演。こちらは「untitled(2011/6 SENTIVAL」をみて以来。ですので男がゆっくりと体を傾けながらこちらを向いて...びっクリ、森さん。森さんを初めてみたのは「開座」で、2012/2には万有引力「奴婢訓」に岡庭さん、岩瀬さん、貞森さん、渡辺さんたちと出演、10月には「青果鹿スタジオ」で烏合の衆「『十月の鮹』-蛸は鮹より出てて鮹よりも蛸し-」に出演されたのをみました。

    三島は未読(予定もなし)、動きとセリフ(声の響き、重なり、ずれ)、息遣い...このところ開座に行っていないのですが、またみたくなりました。

  • 満足度★★★★

    独特のテンポ
    三島の近代能楽集の中の2編
    能を意識した独特のテンポで進行。いわゆる普通の芝居とは違います。
    台詞主体で対話における役者の動きはほとんどありませんので、面白いとか感動したとかとは別の印象になります。
    d-倉庫の音響こんなに良かったかなと)思うくらい役者さんの声は良く聞こえました。大きな動きが少ない分細かな表情や仕草を注意深く観ないといけません。
    イメージ広げて観るには、予め原作読んだほうがいいかも。

  • 満足度★★★★

    d-倉庫は、やっぱりいいですね
    リーディングのようでいて、身体表現でもあり、・・・
    ひな壇から、やや俯瞰気味に贅沢な空間を堪能しました(*゚▽゚*)

  • 満足度★★★★★

    惹きこまれました
    役者さんの迫力も相俟って、台詞が能の様式美を内包して重層的でしかもそれで美しい感じがした。舞台装置も、微妙で面白い。不思議な空間演出である。いつの間にか、惹きこまれました。

  • 満足度★★★★

    三島の特性
     三島は、西洋論理の本質を極めてよく理解していたと考えられる。ローマがキリスト教を国教として採用した後、時の権力者は、その弁証法的な部分を排除し、キリスト教が本来持っていた革命的部分を抜き去った。為政者としては妥当な政治判断であろう。ルネサンスでこの頸木が緩んだ時、再びデュアリズムの箍を填め直したのがデカルトの方法序説だったのではないか? 余りにも有名なCogito Ergo Sumには、弁証法は、入っていない。弁証法的であったのは、寧ろ、その死によって未完に終わった、パンセではないだろうか? 無論、パスカルの未完の大作である。幸か不幸か、その後のヨーロッパの文化・文明はデュアリズムの文脈を基本として発展してきた。無論、弁証法に比べて、遥かに理解され易い二元論は、人口に膾炙しやすいのが、その大きな理由の一つであろう。同時に為政者による拡散も大きな効果を持ったに違いあるまい。それは、キリスト教の父と子への掏り替えという形式を取った。精霊が抜け落ちた、というより精霊を抜いた形での伝播を促した者たちこそ、為政者だったのであり、三島はその様式を受け継いだのだ。天皇制護持を民族アイデンティティーの基礎に据えようとした彼にとってそれは必然であっただろう。無論、個人的に、三島は天皇など何とも思っては居ない。話が逸れた。

    ネタバレBOX

      班女に関して言えば、演出家は、この三島のデュアリズムを弁証法化しようとした。それも、演出家に弁証法の第三項目として考えられている読者、リズールをメタ化しないで用いているのである。いくら何でもこれは無謀というものだろう。シナリオは、あくまで二元論で書かれているのに、舞台上でメタ化しないものを登場させたのでは、観客も意味を取れまい。予め、説明書きなど読んで、他人の意見に従って舞台を観る連中なら兎も角、自分の目で見、自分の頭で考える観客は、敢えて、事前に説明書きなど読まぬのが普通だろう。その上で演ずる側と勝負するのであるが、シナリオの本質的構造を変えて、そのことに関して舞台上でメタ化されなければ分かれ、という方に無理がある。役者の身体は、メタフィジックではなくフィジックなのであり、それをメタ化するのは、演出なりシナリオなり、コロスなりであって、身体そのものではない。その点で“班女”を愉しむことはできなかった。これに引き替え、“弱法師”は、二元論をそのまま活かした演出で、三島の特性もストレートに出ており、何より俊徳役の演技が気に入った。その纏った衣装も工夫の凝らされた良い出来のものだった。

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