「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」 公演情報 「タクボク~雲は旅のミチヅレ~」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-10件 / 10件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    あやつり人形、初体験でした。演者さんも人形も素晴らしい演技でした!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    結城座のコラボ歴はアングラ時代に遡る(遅くとも)とは誰だったか演劇人の一人(渡辺えり?)が言っていたが詳細は分からない。
    演劇の自己変革という宿命を自らに内蔵する高芸術志向(それを前衛と呼ぶのかな)の創造主体は多様に存在するけれど、糸操り人形という芸能がどう演劇的娯楽性を持ち得るかの課題は常に大きな負荷ではないか。
    今作は久々に名前を見た加藤直氏による石川啄木を題材にした話であったが、とこかしら宮沢賢治の世界を覗いた気にも。ザムザ阿佐ヶ谷は狭さと座席の傾斜で人形(が登場する)劇鑑賞向き。加藤直氏らしい飄々とした、あっさり味の劇(時間も70分とコンパクト)であった(私の舌が鈍いだけかもだが..)。
    会長職となった元座長(十二代結城孫三郎)の両川船遊が、常にドラマの主役啄木を演じる若い十三代目を後見し、座員一同(演者は五六名か)コンスタントに小劇場での公演を重ねている。この集団と、観客との温かい関係性の方に目が行く。歴史の中の「今」を感覚し、思考する大事さを思いながら帰路に着いた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/09/19 (金) 14:00

     前にチラシを貰ってあらすじを読んだ感じだと、詩的に石川啄木の短い人生を描きながらも、どこか自伝的な、伝統的糸操り人形を使った人形劇で、割と真面目で、新劇的演出方法の堅い人形劇だと思って観に行った。
     そうしたら、実際には良い意味で裏切られた。劇は、歌人·小説家の石川啄木の自伝的小説『雲は天才である』をモチーフとしながらも、結城座を模したような糸操り人形一座が都会の只中で大穴に落ちたところから始まり、その不条理さ、不思議さもさることながら、その大穴で糸操り人形一座の座員の1人が啄木の日記を見つけ、その後、日記の話がメインとなって劇が展開していく。
     しかし、劇の中盤で、日記を読んでいた一座の閉まっていた人形がいつの間にか消えて、日記の中に書かれた石川啄木の本名石川一(はじめ)が小学校の代用教員をして、学校の行事としての課外授業と称して森の中に生徒たちを連れて行くと言うことと、人形が消えたことが森を通して時空が歪み、リンクしていくといった、二重、三重構造の展開が、少し複雑で、急な展開だけれども、面白いと感じた。

     また、劇中の登場人物たちが個性豊かで、特に狂言回しで調子の良い猿やウナギ校長、ススケランプ教頭、バレイショ夫人、探偵独眼竜といった登場人形たちは、見た目も含めて印象に残った。
     思っていたより、乾いた、皮肉の聞いた笑いも多くあり、あんまり硬くならずに、気軽に肩の力を抜いて、大いに笑えて、楽しむことができた。

     今回の人形劇は、石川啄木の小学校代用教員時代の生徒たちとの交流や、ウナギ校長、バレイショ夫人、ススケランプ教頭たちを上手く言葉で言い包めるなどコミカルな場面も多かったが、全体としてはどこか宮沢賢治の『風の又三郎』に通じるような、少し不思議で、叙情的で、詩的、優しくも、劇が終わる頃には狐につままれたような気持ちになるといったような劇で、感慨深くなった。
     最近のスピード社会、流行社会とは真反対などこかのどかで、不思議で、時間の流れもどこかゆっくりとしていて、知らぬ間に現実を忘れているような劇で、これこそ人間のなせる技かもしれない、AIには到底到達しづらい次元ではなかろうかと感じた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    人形が生きているようで、見応えがありました!
    ただ残念だったのは、前方の席の方で、人形があまり見えなかったことです。
    操っている演者さんはよく見えたのですが…

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    初の結城座公演。寛永十二(1635)年旗揚げで、今年390年という長い歴史を持つ劇団。国と東京都の無形文化財でもある。公演は、石川啄木の小説「雲は天才である」をオマージュしたオリジナル作品。

    個人的に見所は、物語・操演・演奏の3つで、それぞれが巧く絡み合って面白い味わいを出していた。特にメインの あやつり人形は、繊細で表情豊かな表現をしている。
    (上演時間1時間15分)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、中央に大きな平板 それが八百屋舞台のように傾いている。物語の展開に応じて 平板を動かし 衝立やスクリーン(影絵)として活用。その周りを教室にある木の机と椅子。それらもひっくり反っている。生演奏は紫竹芳之さん、多くの和楽器を場面に応じて演奏し分ける。

    糸あやつり人形の一座(=結城座)が旅公演をしている。そして都会の中の袋小路に迷い込み、踵を返そうとしたが行き止まり、そこに大きな穴が空いていた。ゆっくりと穴を降りてみる。そこ(底)は廃校になった教室のよう。その雰囲気はザムザ阿佐谷にピッタリ。そしてタイトルにも原作(小説)にもある「雲」は、旅する劇団を象徴しているよう。中央の平板の上に一冊のノート。イシカワ ハジメ(石川啄木の本名)の日記らしい。石川啄木は20歳の頃、代用教員をしたことがあった。そして何故か平板の上に青空がある。彼の日記とすれば、その心情と当時の時代閉塞を描いているよう。

    ハジメ先生(結城孫三郎サン)は、児童達(安藤光サン)に自作の歌を歌わせた。それを非難・叱責するウナギ校長(小貫泰明サン)、その妻 バレイショ夫人(大浦恵実サン)、ススケランプ教頭(結城育子サン)。擁護するマドンナ先生(湯本アキ サン)。歌は児童達が自然に親しみ、想像力を養うため。一方 その自由さを嫌う校長やその妻、教頭らは怒る。また ハジメ先生は、児童達を連れて森(課外授業)へ行ったが、これも校長達は怒り後を追った。
    一方、劇団員がバッグに入れた「八百屋お七の人形」がなくなっている。団員達は人形探しを探偵 独眼竜(両川船遊サン)に依頼。そして森の中へ。森は特別な香を発し、この匂いを嗅ぐと眠り込んでしまう。団員達は森から脱出し、ハジメ先生や児童達も森から抜け出したが、追ってきた校長達は眠り込んでしまい…。

    「雲」は、「自然」「自由」「発想」も表し、ハジメ先生そのもの。一方、<学校>校長や教頭は旧態依然とした体制で、物語はその対立構図そのもの。啄木と重なるハジメ先生、ラディカルな民主主義と人間味溢れる姿、それを受け止める児童達の自由さが伝わる。しかも それを<江戸糸あやつり人形>で、結城座独自の構造を持つ操作盤「手板」で操演する。人形を動かしながら台詞も言う。

    ちなみに、「八百屋お七の人形」が無くなったことに関連付け、その操演の素晴らしさを 浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」の「火の見櫓の段」を操って観(魅)せた。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    タクボクのこころあたたまる物語でした

    ネタバレBOX

    人形の微妙な動き、よくとおるセリフが印象的でした。とても軽快に感じました。しかし後方の席は見えにくい場面があったので残念です。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしかったです。途中 人形浄瑠璃のようなものがありましたが、あれはすごかったです。あれだけ通して観たかったほどです^^ 全体をとおした感想としては、『プリンプリン物語』や『ひょっこりひょうたん島』を観て育った私世代にはめちゃくちゃ楽しめました。あと、劇伴が和楽器による生演奏でこれまた最高でした。尺八の音すごいですね。あんなに倍音と重低音が出ると思いませんでした。ほとんどヘビメタサウンドですね^^ 最高の舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     江戸糸操り人形劇団、結城座旗揚げ390周年記念公演の第二弾は「雲は天才である」も書いた石川啄木が代用教員を務めた頃の話として紡がれた。(追記9.21)

    ネタバレBOX


     物語冒頭、人形劇上演の為に人形を詰めたバッグを提げ、小道具等をポケット一杯に詰め込んだ団員一同が興行する街、劇場を求めて彷徨い歩く模様が描かれる。とある街で彼らはぽっかり口を開けた穴を見付けた。何やら興味を惹かれ中に入ると階段が付いており底迄降りることができた。底に降り立ち中を歩いていると1冊のノートが落ちていた。拾い上げて読んでみると石川一(はじめ)と書いてあり団員の一人が啄木のことではないか? とあたりを付けた。どうやらここは啄木が代用教員として児童たちに教えた学校のようだ。啄木が雲に拘ったようにこの穴の底に青空が現れたり壁面に現れたりして其処を様々な形の雲が過ってゆく。子供たちが歌っている歌は児童たちが自由に闊達に自然と戯れ、その想像力を広げると同時に自然の持つ多様性や豊かさ、推移や時に厳しさから様々なことを学べるよう詩人・啄木が願いを歌詞にした作品であったが、頭の固い校長やその奥さん、校長にべったりの教頭らは猛反対“正式な許可も無しに校歌を歌わせるとはけしからん”と難癖を付けてきた。こんな状況にもへこたれず、一先生は、児童たちを森に連れて行き課外授業を行った。これも“とんでもない”として校長たちは授業を潰す為に森に入って行った。
     丁度、同じ頃劇団員がバッグに入れた人形が紛失していることに気付いた。八百屋お七の人形である。大切なヒロインの人形が何者かに盗まれたと判断した劇団員たちは人形捜索に当たると同時に失せ物、失踪者等の困りごとを解決する、と銘打つ探偵に操作を依頼。探偵も森に入り、犯人を特定した。
     ところで森には橘が群生する場所があり、この橘の群生は得も言われぬ芳香を発していたが、人がこの匂いを嗅ぐと睡魔に襲われ眠り込んでしまうと伝えられ八百屋お七の人形を何者かに奪われそれを探しに来ていた劇団員たちは息を止めて森から脱出、一先生や児童たちも校長らの追跡から逃れていたが、深追いした校長らは芳香に絡め捕られ眠り込んでしまった。眠りから覚めた校長たちの言動はその後どうなったか? 盗まれたお七の人形は? 人形を盗んだ犯人と犯人を突き止めた探偵の決着は? それらは観てのお愉しみだ。
  • 実演鑑賞

    面白かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    石川啄木の未完の小説、『雲は天才である』をモチーフにおきあんご氏作、加藤直氏演出の『笑うタクボク〜雲は天才である〜』を2012年に上演。2020年、加藤直氏が書き下ろして『明日またタクボク〜雲と劇場〜』を。そして更に今回、加藤直氏が書き足し新作として上演。

    結城座の面々が町から町へと劇場に向かって旅をしている。都会の雑踏、袋小路に嵌り、踵を返そうとしたがよく見ると行き止まりには大きな穴が空いていた。思わずその穴を降りてみる。そこは古い廃校の教室のよう。落ちている一冊のノート。石川一(石川啄木の本名)の日記のようだ。母校岩手の尋常高等小学校(現在の小中一貫校)の代用教員を20歳から一年間務めた頃。何故か青空が地下に落ちている。

    可動式のスクリーンに投映される映像を見事に活用。下手花道で生演奏は紫竹芳之氏。尺八、能管、篠笛···。茸の傘のような楽器、ハンドパンの音色が強烈。

    ハジメ先生(結城孫三郎氏)が生徒達(安藤光さん)に自作の歌を歌わせたことで揉めている。擁護するマドンナ先生(湯本アキさん)。叱責する校長(小貫泰明氏)、その妻(大浦恵実さん)、教頭(結城育子さん)。

    結城座の人形遣いの面々は声優のような声色が武器。人形のスムーズな動きと声とで観客を作品内にいざなっていく。人形遣いの世界と人形の世界が多重構造に連なり、この謎めいた劇空間を観客は解き明かしていかないといけない。

    大浦恵実さんが戦後日本女優の佇まいで印象的。
    超満員に詰め掛けた観客、ギチギチの客席。熱気が凄い。作品はとても面白い。
    風に吹かれた雲のように次々に形を変えては飄々と時代を越えてゆく旗揚げ390周年を迎えた劇団。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    浄瑠璃『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)』の「櫓のお七」の前半を両川船遊氏が操る場面に大拍手が巻き起こる。

    地下にあったのは石川一の日記ではなく、台本にするべき。どんな作品か演ってみよう、と学校のシーンに繋げた方がスムーズ。

    結城孫三郎氏演ずるボクは人形を遣っていないと自己同一性が保てない。猿の人形に自分を託し、八百屋お七の人形をかどわかす。その上で敢えて探偵独眼竜(両川船遊氏)にお七捜索の依頼。

    深い森に迷い込むハジメ先生達一行とお七人形を捜す結城座の面々。甘い匂いに誘われて夢見心地になってしまうが惑わされてはいけない。深い森の迷宮で独眼竜は犯人を突き止める。この森の描写は人間の無意識のようだ。意識に引っ張られ過ぎても無意識に引っ張られ過ぎてもいけない。

    「人生は長い暗いトンネルだ、処々に都会という骸骨の林があるっきり。それにまぎれ込んで出路を忘れちゃいけないぞ。そして、脚の下にはヒタヒタと、永劫の悲痛が流れている、恐らく人生の始めよりも以前から流れているんだな。それに行く先を阻まれたからといって、そのまま帰って来ては駄目だ、暗い穴が一層暗くなるばかりだ。死か然らずんば前進、唯この二つのほかに路が無い。」
    (『雲は天才である』より)。

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