存在証明 公演情報 存在証明」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    “数学物”には惹かれるものがある。先般ラビット番長が将棋物でAI(書いた当時は人工頭脳あるいはコンピュータと呼称していたか)との対決を織り込んで人情劇にしていたが、将棋やチェスはまだ「勝負」がある。数学は(純粋数学、という言葉があるらしい・・本作ではこの語句が重要ワードに)純粋に「数に関する法則」をただ見出そうとする営みで、結果その理論が実用に資するとしてもそれは二の次、法則性という「美」を彼らは追い求めて行く。前世紀前半(戦前)と1970年代現在を舞台に長田育恵女史は数理に一定程度踏み込んで作劇をした。
    素数が現れる現れ方に法則性がある、との予想(数学の世界ではある定理の存在を一定の根拠を示して提示し=「予想」、それを何世紀にもわたって「証明」しようとする数学者のドラマがある)を証明しようとした数学者の生きた時代と、その子の世代のドラマは前者が主に男性が、後者は主に女性が担うが、その対照にも含意がある。
    ドイツの暗号を解読したチューリングも登場するに及び、総花的な感もあって(他の方が述べていたように)「詰め込み過ぎ」と言われれば確かに。ではあるが、数理に踏み込んでドラマを描いた意味で長田女史の記念すべき仕事と言えるのではないか。(過去フェルマーの定理を題材にしたちょっとしたお話をユニークポイントが上演し、近年ではチューリングを扱った海外作品もあったが「人間・チューリング」を「暴く」といった趣き。「数」に捕われた者たちの棲む、ある種異界に踏み込んでの作劇は私は超難関に思えていたので感服しきりである。)

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/11/11 (火) 19:00

    数学の話題を使って、謎解きの要素など、いろいろな側面のある作品。俳優座の底力を観た気がする。63分(12分休み)86分。
     1977年イギリスの精神病院でアン(保亜美)が数学者リトルウッドの娘だと明らかにするシーンから、1907年のケンブリッジ大でのハーディ(志村史人)とリトルウッド(野々山貴之)が未解決問題「リーマン予想」の解決に協力して取り組むシーンに飛び、時間軸を行き来しつつ壮大な物語が展開される。戦争と科学の問題や、女性の地位や、性的マイノリティの差別、細かいところでは殺人事件の謎解き、そしてもちろんリーマン予想のほかチューリングマシンとかエニグマ解決とかの数学の話題も出て、数学者の協力を軸に描いていて、さまざまな要素を描く大作だが、それだけにテーマが絞りきれていない感じが惜しい。トラムの舞台を縦横無尽に使う美術や、デリケートな照明などは素晴らしく、俳優座の底力を感じる。アン役の保の佇まいがいい。「数」を「数字」と言ったり、「漸近展開」を「ざんきんてんかい」と読ませるなどのミスがあるのは気になる。エンディングはやや冗長だが、これは長田の癖だと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    数学者や物理学者を主人公にした演劇作品はいくつもあるが、これは日本人作家がイギリス人数学者の世界やその関係者を物語にして書いているので意外な印象。ゼータ関数の話はかなり難しいが聞き流せばよく、素数が何かさえ知っていれば硬派なストーリーの理解はそれほど難しくない。本筋から派生する患者ベリルに絡む話など謎解きの要素もあって楽しめる。この手の作品は時として哲学的・抽象的になりすぎることがあるが、これはそうではなく、十分芝居として楽しめる。タイトルの「証明」という言葉はこの作品全体を象徴していると感じられ、時に論理的、時に詩的な表現になる。舞台装置・背景そして演出がなかなか良く、名優揃いの劇団の実力が遺憾なく発揮され重厚な作品になっていると思う。特にハーディ教授の志村氏が秀逸。

  • 実演鑑賞

     上演時間は約2時間45分(途中休憩10分含)。

     リーマン予想が発表された1859年から50年後の1909年から
    1977年頃を舞台に、二つの時代を往来交錯させる(この手の
    演出にかけてはこの演出者はなかなかの演出巧者)構成で、
    ミステリーも含め多様な要素を詰め込み過ぎ散漫気味ではあるものの、
    ハーディ/リトルウッドを含め直接的間接的に彼らに関わる当時の
    大英帝国人たちの姿や社会を活写している物語。

     演出者も含めサイエンスに理解のある、『インコグニート』の
    かつての出演者が全員参加しており、演技面は万全の態勢。

     演出面では、場面に応じて3方向の寄木細工様の側面壁から立体ピースを
    出し入れするようにセットを舞台上にピタッと出し入れする趣向は、
    アイデアの着想や発想のひらめきを連想させ、物語との相性抜群で好印象
    (俳優座スタジオとは違い、舞台裏というか舞台袖のスペースがある程度
    とれるトラムという空間、装置の精緻な設計製作そして場面ごとに手早く
    きちっとセッティングする裏方さんの高いスキルがすべて揃ったからこそ
    できる芸当)。

     『アルカディア』、『インコグニート』、『ブレイキング・ザ・コード』、
    『プルーフ』、『フォトグラフ51』、『アルキメデスの大戦』、
    『ズベズダー荒野より宙へ‐』、『東京原子核クラブ』などの作品の
    いいとこ取りをしつつ巧みな作劇構成力でまとめ上げてきたという感あり。
     well-definedでない、多義的な題名は何の存在(意義)証明かを明示していないので、
    場面場面でその何のかを意識して観続けると山の頂に至る道筋が見えてくる
    かもしれない(『ブレイキング・ザ・コード』での“ザ・コード”に相当する部分)。
     ただ、ミステリー部分は、prime number(s)に絡めた暗号解読に強引に
    結び付けようとする意図が目立ち過ぎ比較的早い段階でおおよその謎が
    みえてしまい、緻密さやエレガンスさとは程遠い、既視感のある仕掛けに
    なってしまっている(このあたりは、最近久々の新作が出たダン・ブラウン
    などはなかなかの名手)。
     盛り込み過ぎて話題が次々と移り発散してゆく中その回収に追われながら
    到達点の、数学的証明とは何かを含むハーディとリトルウッドとの対話の場面に
    収束させなければならないため、物語がドラマドラマし過ぎたものになり
    かえって人工感が際立ってしまっている。また、海外戯曲でよくみられる
    専門性にぐっと踏み込むことで生まれてくる深みや説得力という点でも脆弱。

     現在、我々の身の回りでサイバーセキュリティの一つとして利用される
    RSA(公開鍵暗号方式での暗号化アルゴリズムの代表)などは、莫大な桁数の
    数字を素因数分解することは現実的にスーパーコンピューターでも解読が困難
    (劇中の双子の姉妹は別としても)という素数の特性を利用しており、
    素数と暗号解読、暗号化技術、コンピューターとの結びつきの代表として、
    劇構成的にも、バタフライ効果などよりこのあたりを物語にうまく組込むか
    触れた方が、現代とのつながりという意味でも、数学(の有用性)が身近にある
    ことがより親近感をもって観客に伝わったのではないだろうか。

    ネタバレBOX

     数学者の登場人物は、ハーディ、リトルウッドのほかに二人。

     ハーディ、リトルウッドの教え子ということや現代の暗号化技術が
    素数の性質を利用していること、また、コンピューター、AIへの萌芽につながる
    物語展開ということもあり、リーマン予想とは直接関係ないにもかかわらず、
    アラン・チューリングが登場する。また、二つの大戦をはさんでいることや
    作者の個人的な思い入れが相当強いのか、特に終盤、例えば、純粋数学と
    応用数学の相違に言及するところなど重要場面での出番が多くなる。
     さらに、数学における証明とは何かを観客側に示す役割も込めて、
    インドの天才数学者ラマヌジャンも登場させている。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ミステリー好きなら堪らない傑作。海外戯曲だと思っていたが長田育恵さんのオリジナルとは!眞鍋卓嗣氏の演出も冴え渡る。(場面転換のタイミングが決まる)。そして杉山至氏の舞台美術がMVP。背景は直方体で組まれた無機質な壁面。これが収納家具のように引き出されると、忽ち別のセットに早替り。いろんな美術が様々な場所に仕込まれている。トランスフォーマーのような見事さ。黒板にチョークで数式を書き付ける音が響き渡る。

    素数について前知識があった方が楽しめる。今作に入りにくい人はそこで躓いていると思う。素数とは自然に存在する数字。その他の数字は素数の合成数である。例えば2、3、5、7は素数であるが4、6、8、9は合成数。4(2×2)、6(2×3)、8(2×2×2)、9(3×3)。素数とはそれ自体で独立しているオリジナルな存在。ドイツの数学者ベルンハルト・リーマンが1859年に立てた仮説「リーマン予想」。素数の出現に規則性があることを予想した。(166年前の仮説が未だに解明されず、証明できた者には100万ドルの賞金が付けられている。更に現在、素数の分布は量子力学における量子カオスのランダムな数値と類似していることが判明。この解明は物理学にまで波及することに)。

    主人公は保(たもつ)亜美さん。1977年、精神病院で働く炊事婦。院長(河内浩氏)と理事長(安藤みどりさん)に呼び出され、ある患者(椎名慧都さん)から話を聴き出すことを頼まれる。彼女が選ばれた理由は、父親が高名な数学者ジョン・エデンサー・リトルウッドだった為。

    1911年、ケンブリッジ大学のフェロー(研究員)である数学者、ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(志村史人氏)。人付き合いが悪く頑迷偏屈な男。ある夜、真逆のクリケット選手でもあるスポーツ万能で快活なフェロー、ジョン・エデンサー・リトルウッド(野々山貴之氏)と出会う。クリケットの熱狂的ファンであったハーディはリトルウッドに興味を持つ。二人は共通の課題である「リーマン予想」について夜通し語り合う。この二人だったら世紀の難問も解ける気がした。

    二つの年代が同時進行する面白さ。素数の謎を解き明かし、この世界の摂理を我が物とせよ。

    雰囲気はショーン・コネリー主演の『薔薇の名前』なんかを思い出した。『イミテーション・ゲーム』というベネディクト・カンバーバッチがアラン・チューリングを演じた作品も思い返していたら、ズバリ、アラン・チューリングも登場する。 

    志村史人氏は姜尚中(カン・サンジュン)っぽくカッコイイ。 インテリの色気。
    野々山貴之氏は市川猿之助っぽい。

    こういうのが観たかった!観ているだけで頭が良くなるような錯覚。数学で世界を宇宙の真理を解き明かし、人間の知性の辿り着ける最果てまで行こう。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    同性愛が秘められたもう一つのテーマ。性行為がなくても好きな奴と一緒に何かをすることは幸せ。

    映画にもなった超天才数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(山田貢央氏)の登場。独学で数学を極め、余りの天才ぶりに未だに理解不能とされている。「何でこんな事が分かったのか?」と訊かれても「夢の中でナーマギリ女神が教えてくれたのです。」ある種の共感覚(通常は感じられない感覚を生まれつき持ち合わせている知覚現象)とも言われている。

    「コンピュータの父」と呼ばれる天才数学者アラン・チューリング(森山智寛氏)。同性愛者だった彼の偽装婚約者ジョーン・クラーク(清水直子さん)。

    椎名慧都さんの答える素数は全部本当なのか?暗記したのか?だとしたらそれも狂気。

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