琉歌・アンティゴネー 公演情報 琉歌・アンティゴネー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    ギリシア悲劇とは,どういうものだろう?
    ギリシア悲劇とは,どういうものだろう?

    ギリシア悲劇は,神話に題材をとる。これは,現代演劇の作劇とか,世界小説の方法とちがっている。ギリシア悲劇は,伝説に近いものだ。伝説では,筋そのものを変えることはほとんどない。古代ギリシアでは,悲劇と喜劇が対立概念とは必ずしもならない。ギリシア悲劇は,楽しみでみんなが観た時代なのか,祭りの儀式として存在しただけのものなのだろうか。女性観客は存在したのか,出入り禁止だったのだろうか。

    ギリシア悲劇は,劇であって,叙事詩でも抒情詩でもない。すべてが,台詞と歌詞でできている。ギリシア悲劇の特徴で,殺人場面は直接表現されることはなかった。ギリシア悲劇は,ほとんど1500行ほどのものだ。さらに,場所,筋,時間が,原則ひとつである。

    ギリシア悲劇『オイディプス』は,神託を受けて,それを回避しようとする物語である。しかし,主人公は,神託その、ものを回避しようともがく。しかし,結果として,主人公の意図に反して,神託そのものになって,絶望に向かう。おまえは,所詮人間なので,神の意思に逆らっても無駄なのだ。オイディプスは,自分の父が誰で,とにかく真相を追究したかった。真実は,いずれ明らかになる。眼が見えるものには,真実が見えない。見えているときに,見るべきものを何も見ていなかった眼は,闇の中で今後見るべきものを見ることになるのだろうか。

    参考文献:ソフォクレース『オイディプス王』とエウリピデース『バッカイ』(逸見喜一郎)

  • 満足度★★★

    タイトルの「アンティゴネー」とは何か?
    ニライは,聡明で美しい娘で,すでに,恋人のウミンがいた。ニライには,言語障害があるが,素直で心の美しい妹カナイがいたが,実は,ひそかに,姉の恋人に思いを寄せていた。あるとき,ニライは,基地の連中に襲われてしまった。

    ニライの父と,ウミンの父は,町では実力者でかつては,親友でもあったが,基地問題などを背景に,険悪な関係になっていた。このため,ニライと,ウミンは,ぼくたちは,ロミオとジュリエットのようなものだね,と笑っていたこともあった。

    ニライの父は,かつて苦悩の大きさゆえに,自分で自分の目をつぶして,これ以上世の中の醜さを見たくない!と宣言していたが,その時の真意は,十分には明らかにされてこなかった。

    物語の中で次第に明らかにされるのだが,ニライの父は,戦後ニライの祖父と大きな言い争いをしている。祖父は,戦後も教育者を辞めず,校長をやっていた。そのような祖父に,父は,「戦場に子どもを送り出し,自分ばかりがのうのうと生き残って・・・」と呟いてしまう。結果,あるとき,祖父は,首をつってしまったのだ。

    ということは,みな,ニライの父は,親友に裏切られたゆえに,あるいは,些細なことで,実の父親を自殺においやった自責の念で,自暴自棄になったのか?

    いや,問題は,そのような表面的なことではなく,もっとドロドロとした奥深いものが隠されていたのである。ニライの父は,この親友をかつて裏切り,彼の妻と不倫関係にあった時期がある。そこで,できた子どもは,ずっと,その事実を隠して成人してしまったのだ。それが,ウミンなのだ。そう!つまり,ニライ・カナイ姉妹は,ウミンと兄弟であったというのだ。

    昨年10月,両国のシアターXで,琉歌アンティゴネーは,良かった。これは,沖縄基地問題。ここで,ヒロインのカナンは,血のつながった兄を恋してしまう。さらに,基地でアメリカ兵に犯されてしまう。広いとはいえない劇場には,砂浜をイメージした舞台で,沖縄特有のダンスがある度結構なほこりが舞っていた。で,タイトルの「アンティゴネー」とは何か?

    「アンティゴネー」は,ギリシア悲劇で出て来る女性の名前。

    テーバイには,ラーイオス王とイオカステー王女がいたが,神の啓示により子どもを作るとろくなころがない!といわれる。ラーイオス王は,これを無視して,できた子どもをしぶしぶ,かかとに目印で傷をつけ,森で捨てるが,これを情のある羊飼い夫婦が育てる。

    ときが過ぎ,オイディプース(かかとが腫れた)は,森を通り過ぎた乱暴狼藉の老人を殺害してしまう。彼は,オイディプースの愛馬を,道のじゃまだからというだけで引き殺してしまったからだ。しかし,このときオイディプースは,この老人が父親であったことを知らない。さらに,テーバイにもどって,功績を認められ国王の妻と婚姻し,王にのしあがるが,実は,この女は母親であったのだ。

    そして,彼らの間にできた呪われた子どもたちの中に,「アンティゴネー」の名がある。

  • 満足度★★★★★

    ニライカナイ
     物語ではニライは姉、カナイは妹である。無論、沖縄のユートピアであるニライカナイに掛けてある。一方、アンティゴネ-は、ソフォクレスの悲劇、「アンティゴネ-」のことである。つまりオイディプスの娘、クレオンの姪である。今更、芝居好きの前で言う事ではあるまいが、最近では古典を読まないヒトが多いので勘弁して頂く。「オイディプス」も「アンティゴネ-」もギリシア悲劇の傑作中の傑作であるが、この悲劇の因縁を巧みに取り込みながら、蹂躙され続けて来、今また更なる蹂躙に晒される沖縄本島の政治、生活、日常を、分断が、当たり前に行われ、アンチノミーやアンビヴァレンツに苛まれる人々の日々の愛や争闘に描き出して見せた。
     武器を持ち、地位協定に守られた、犯罪者上がりの多い米海兵隊、差別剥き出しの米軍、米国人に媚を売ることしか知らぬ大和政治屋と官僚。植民地軍の扱いに抗議することもせぬ腑抜け自衛軍らによって二重、三重、四重に虐げられた人々の魂の傷。血を流し続ける彼らの魂の真上を今朝も、明朝も米軍ジェット戦闘機、攻撃型ヘリコプター、オスプレイなどがお構いなしに飛んでゆく。日本国土の僅か0.6%の空間に日本全国の基地の75%が存在する、海も山も空も、米軍基地に占領された「監獄」、沖縄。蹂躙され続けた魂の誇りは、血を流し続ける魂は、ニライカナイに辿りつくことができるのか? を鋭く問う秀作である。

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