満足度★
『不本意ラウラ』(村本すみれ)
旧作をダンサーではない人を多く含んだ10人ヴァージョンとして再構成した作品で、ヴォイスやクラッピングを用いた音楽的要素が印象的でしたが、全体として中途半端な感じがありました。
開場時刻を過ぎた頃に1階のアトリウムにパフォーマー達が声を伸ばしながら徐々に現れ、歌いながら3階の中スタジオのステージに移動して始まり、音楽パフォーマンス的なシークエンスの後、1人の男をいじる(あるいはいじめる?)シーンが続き、後半はユニゾンの伸びやかな群舞が長く繰り返される構成でした。
全体的に暗い殺伐とした雰囲気がありつつもコミカルなシーンもあり、シリアスなのかシリアスっぽさをネタにして笑いを取ろうとしているのかが不明瞭な不思議なトーンが感じられました。
ダンサーと共に役者も出演していたのですが、特にダンサーと役者の使い方に差があるわけではなく、かといって同じ動きをすることによって両者の身体性の違いを強調しているようにも感じられず、村本さんがキャスティングに関わっていないとはいえ、このメンバーで何を表現したいのか伝わって来ませんでした。
また音楽や振付が古臭く感じられ、レトロ感を狙っているようにも思えず、魅力を見い出せず残念でした。
満足度★★★
『杏奈(俺)』(神里雄大)
岡崎藝術座の神里雄大さんがダンサーの入手杏奈さんに振付した作品で、入手さんは台詞を言ったり大袈裟に感情を表すようなダンスを踊るわけではないのにも関わらず演劇性が強く感じられ、興味深かったです。
下手に入手さん、上手に神里さんが現れて同じ振付を踊って始まり、曲が終わると神里さんの「杏奈、俺の話を聞いてくれ」という台詞から始まるストーカーの物語が展開しました。
出したゴミ袋を開封したり、一方的に思いを語ったりとストーカーの行動が気持ち悪く、かつ馬鹿馬鹿しさもあっておかしかったです。
入手さんが一昔前のヒット曲に乗せてキレのあるダンスを踊る姿がキュートでした。水を頭から被ったり、下着姿になっても嫌らしさがなく、健康的な雰囲気がありました。
神里さんはあくまで演出家という立場でダンス作品を作ったように思われ、動きにオリジナリティを持たせようとはせずに、入手さんが自分自身の役として踊ることによって、ダンサーと振付の関係が普通とは異なって見えるようにしていると感じました。
満足度★★
『旅居vol.03 』(鳴海康平+阿竹花子)
ダンサーの阿竹花子さんと第七劇場の演出家の鳴海康平さんのダンスユニットが、モモンガ・コンプレックスの作品で発明された、舞台美術として扱われる「舞台美術男子」を用いた作品で、ユーモラスな雰囲気が漂っていました。
この公演の前に行われた公演の客席をそのまま舞台美術として用い、舞台美術男子の面々がウォーミングアップや談笑している所から始まり、阿竹さんが踊り始めると、それを見た舞台美術男子達が相談して色々な美術を試してみるという展開で、舞台美術男子があたふたと試行錯誤している中を阿竹さんは何事もないように淡々と踊っているというギャップが楽しかったです。
後半は舞台美術男子が横一列になって話しながら舞台を左右に往復し続けるのを、阿竹さんが前に立ちはだかって1人ずつ止めていくシークエンスが続いて終わりました。
ダンサーと舞台美術男子の関係性の変化を見せる構成を期待していたのですが、お互い自分の役割を演じ続けていて、最後以外はあまりそのような要素がなかったのが残念でした。
阿竹さんのダンスは流れるような動きが美しかったです。動きのボキャブラリーが少なく、後半になると単調に感じて来て、少し飽きてしまいました。
満足度★★
『井上大輔の果敢なる挑戦 ソロダンス〈百年の身体〉 シリーズ リ・クリエーションズ』
井上大輔さんが継続して作っているソロダンスのシリーズ『百年の身体』の2つのソロバージョンの同時上演と、トリオ作品に再構成したものの2本立てでした。
『井上大輔ソロ編+斎藤栗子ソロ編』
綾小路きみまろさんの漫談の録音が流れる中、井上さんは録音に入っている観客の笑い声に合わせて体を震わせ、次第にダンス的な動きになって行き、途中で斎藤さんが上手から倒れ込んで登場し、その後も静かな展開が続き、後半には同じ振りが作品でした。緊張感のある中に間の抜けた感じのポーズが入り、独特の雰囲気がありました。
斎藤さんの鬼気迫るような存在感が印象的でした。
『トリオ編』
下手手前から上手奥に向かって3本のマイクスタンドが立ててあり、3人のダンサーがお互いに干渉せずにそれぞれの前で踊る作品で、山下残さんの無気力感と斎藤さんの緊張感と武田幹也さんの躍動感の対比が印象的でした。
後半は男性2人がマイクを口にくわえて踊ったり、マイクで床や頭を叩き続けたりし、斉藤さんはマイクを指でなぞったり、エロティックな雰囲気がありました。
人を食った感じが魅力的でした。
両作品とも音楽に合わせてダイナミックに踊るわけでも、感情を表現するように踊るわけでもなく、空間に身体が存在していること自体を意識させられました。