るつぼ 公演情報 るつぼ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-14件 / 14件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    終演後、観客の誰一人として立ち上がれない、皆うちひしがれて席を立てずにいた。こんな芝居は、後にも先にも初めてである。

    『るつぼ』のストーリーは勿論知っている、台本も組まなく読み、英国ではRSCの公演も観た。だがどの上演でも、客が呆然と動けずにいるような事態は起こらなかった。
    主人公ジョンは陥れられ、裁判に負け、最後の自白も撤回し、死刑台へ向かう。それを知っていながら、拳を握りしめ、彼が生き残る選択をすることを願った。妻エリザベスの言葉に、胸をしめつけられた。
    私達観客は、彼ら二人の人生に確かに立ちあった。

    そのように感じられる演劇と、人生で何本、めぐり合えるだろう。
    主演の池内博之も、妻役の栗田桃子も、すべての場面において素晴らしかった。派手な演出も、舞台装置もない。ただ、作品を、登場人物を、きめ細かく誠実に描いた結果であろう。脚本のよさを、ここまで最大限に表出させたアーサー・ミラー作品の公演を、私は知らない。

    一観客として、一人の演技者として、私はこの公演の鮮烈さを、忘れることができない。

  • 満足度★★★★


  • 20121118
    (^・ェ・^)おもしろい

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい
    休憩込みで4時間弱だが、全く長さを感じない濃密な舞台。
    池内博之さんの若いのに貫禄ある演技に引き込まれた。
    物語の展開が読めずワクワクしたり、感情が揺り動かされる場面ありで見ごたえ十分。堪能した。

  • 満足度★★★★★

    素晴らしい物語の求心力
    休憩挟んで3時間45分の長時間を感じさせない、物語の求心力。期待通り、芝居を堪能することができました。
    物語のラスト、プロクターが自らの「名前」にこだわり死を選択するところは、分かりづらいですよね・・・。

  • 満足度★★★★★

    怖いね。
    魔女や悪魔または思想なんて、決して目に見えない物について、何らかの証明をするなんて事は土台無理な事で、嫌疑を懸けられた段階でもうアウトだよね。
    これは、昔の話だからと済まされないのが、映画にもなってたけど現在だと痴漢の嫌疑を懸けられたら、無実を証明する方法なんて無いから怖い!

    ネタバレBOX

    原作を知らなかったので、終盤プロクターがどんな決断をするのか考えながら観てた。そんな中で自分が考えてた最善の決断はこんな感じ!
    プロクター「私は悪魔を見ました。 いや、たった今、悪魔の存在に確証を獲たのです。悪魔はその狡猾な手段で、本人でさえ気が付かぬ内にその人の心に忍び込み、今もその人を自由に操っているのです。」
    「あなた方は、未だ気が付かないのですか。 今、私の目の前にいる貴方! そう、ダンフォース判事! 貴方自身が悪魔の手先であるという事を。」
    「貴方方も、薄々は気が付いていたのでは無いですか? 無実の人、十数人を死に追いやり、より多くの人々に神への裏切りの言葉を口にさせ、今また、絶大だ権力による死と助命の甘い言葉によって、私に神への背徳へと導こうとしています。この様な諸行が、悪魔の仕業と言わずして有り得ましょうか。」
    「ダンフォース判事、今一度今起きている事、そして、自分自身を良く見て下さい。これこそが、正しくこの街で起こっている真実なのです。」
    どうですかね ♪(´ε` )
  • 満足度★★★

    怖い。
    1950年代当時、アメリカの赤狩りなどを批判するために書かれた
    17世紀末に実際に起きたセイラムの魔女裁判の話。

    一人の狡猾な少女が、周囲の少女たちを巻き込んでヒステリー状態
    が起きる様子を、悪魔の仕業と騒ぎ立てるという愚かな行為は、
    大人たちの勝手な利害関係に大きく影響され、どんどん深みにはまっていく…。

    その様子は、客観的にみると実に滑稽であり、そうであるがゆえになおさら恐ろしい…。

    鈴木杏さんは他の少女と並ぶと、ことさら体格が良く大柄に見えて、少女の繊細さよりも
    体格と個性・経験からくる迫力が大きく、少女たちを扇動する様がぎりぎりのオーバーアクト。

    粗暴だったが投獄された後は真実と強い意志に目覚める池内博之、
    妻エリザベスは病弱だったが獄中では静かで凛とした様子を演じた栗田桃子が見事でした。
    裁判官を演じる磯部勉は、まさに厳格な人物、そのもの。

  • 満足度★★★★★

    舞台真横のB席。問題ナシ。
    狂言三昧の裁判は、人の命が掛かっているので笑うに笑えないもどかしさ。人間の愚かさを暴きだす。観ていて長く感じなかった。特に前半はあっという間。発声がはっきりしていて、なんと言っているかよおく聞こえた。

  • 満足度★★★

    少し疲れ気味だったので
    4時間近い芝居であった。週末でしかも少し疲れ気味であり、途中で集中力が切れてしまった。これだけの大作とわかっていれば、体調が万全の調子で見れなかったのが残念である。
    もちろん、中身は奥深く掘り下げ、集団ヒステリーの怖さ、少女からのいわれのない中傷など重量感のある一作であった。
    これはいつの時代でも起こりうることなのでのだろう。
    今のマスコミの正義を装った暴力に睨まれたらたら、逃げるすべはないない。恐ろしいことだ

  • 満足度★★★★

    ひきつけられる時間
    夫婦生活のズレから引き金になったともいえる魔女裁判。うその宣誓をするかしないかが、その人間の生き方を決めるという鮮烈。
    鈴木杏、舞台上の小悪魔な演技とアフタートークのキュートな仕草のギャップが、男萌え。

  • 満足度★★★★

    魔女裁判が リアル!
    あの少女は最後どうなったのだろう?


    後方の座席だったため、セリフが聞き取れない部分があり、さらにガサゴソと観劇にふさわしくない音がしたりして、残念。

    前に乗り出して見ていた人がいて終わってから口論があったり、観客のマナーがもっと向上してほしい。

  • 満足度★★★★

    今に通じすぎて胸に刺さる、でも、娯楽長編。
    緻密に組み立てられた法廷劇の見事な茶番っぷりに笑って戦慄して。A.ミラー作の米国古典なのに、こんなにも(震災以降の)今日性があること感心し、悲しくもなる。休憩込みの3時間45分、ずっとハラハラどきどきで時間感じず。公立劇場の仕事に感謝。
    浅野雅博さん演じる牧師が後半に言うことは、浦沢直樹さんが漫画「MONSTER」「20世紀少年」で描いてることと同じだよね、などと上演中に考え続けることができた。演劇が与えてくれたとても幸福な時間だった。

    ネタバレBOX

    プロクターが十戒の内の1つだけ忘れて言えなかった時、妻に「姦淫」と指摘されるのは、可哀そうで滑稽で、笑ってしまう。アーサー・ミラー意地悪(笑)。
  • 満足度★★★★

    嘘か誠か
    説明文の通り、魔女裁判をベースにしている。
    一人の多感期の女子の言動から巻き起こる、煽動に乗せられ次第に高揚する人間感情の脆さや怖さ、権力を持つ者により人生と生死を左右されるごく一部の市民。その権威や虚偽から巻き込まれる様は、つい最近の話題とオーバーラップするような狂乱具合。
    気をしっかり持たないと芝居の威力に巻き込まれそうになる3時間オーバーの舞台。
    配役全員がもちろん素晴らしい、メアリー役の女優さんが特に印象に残った。自分も一緒に地団駄踏みたくなった。

    ネタバレBOX

    アビゲイル達、少女の集団が悪霊におびえ周囲を混乱させ、「それ」を思わせる様はヒステリー症状が起こったかの様で、周囲を巻き込む恐怖の勢いは薄ら寒かったし、憤怒も起こしそうだった。
    でも、アビゲイルが絶叫して周囲を煽るような言動をしている時、彼女の中ではあれは事実だと思って正論を述べているつもりなんだろうな。にしてもアビゲイル達が現代にいたら「えー、マジでー、わけわかんなーい、ウケるー」とか使いそうで、なんか見ていてムカついた。 それほどハマって見てたって事です。
  • 満足度★★★★★

    初日、非常に良い!!
    アメリカがまだ植民地時代の魔女裁判の話ですが、つい最近起こった日本の出来事のようで、正に今日的でした。休憩を入れての3時間45分は緊張感が途切れることがありませんでした。

    ネタバレBOX

    大の大人がガキに騙される愚かさ、騙されたことに気づいても今度は正すことができない愚かさ、人間社会は時として愚かで、人間の思考や行動様式が全く進歩していないことには虚しさを覚えます。

    既に10人が処刑されていることがあって、法の平等という名の下に今更変更できないとするダンフォース判事の対応は、自分に責任が及ぶことのないようにしながら、かと言って良心の呵責もあって、悪魔と取引をしたことを告白すれば死罪は免れる、どうか告白して下さいと取り繕うものでした。

    自分の非を認めないのは日本の検察や役人の現状と同じです。告白すれば死罪は免れるは、認めれば少年院送りは免れるという遠隔操作メール事件の取り調べと同じです。

    狂気が蔓延しているときには、転んでいい、嘘をついてもいい、生きていることが大事というヘイル牧師の言葉は人間の生き方に安寧を与える言葉でした。

    プロクターは家族の生活を支えるために生きたいという気持ちが強く署名までしたのに、結局は告白文を破棄して処刑されました。彼の行動は、真っ正直な生き方を選択したというよりも恥をかくことを避けたという印象でした。

    例えばですが、武士道の芝居を海外でやるときには恐らく武士道の精神について日本では分かり切っていることについても丁寧に触れると思います。同じように、署名のある告白文を教会の壁に貼るということが彼らの社会ではどのような重要な意味を持つことなのかの説明があれば良かったのにと思いました。

    プロクターの行動故にこうして愚かな事件が告発された訳ですが、良心の呵責に苛まれていたのか、開き直っていたのか、ダンフォース判事のその後が気になりました。

    プロクターの妻の静かで信念のあるたたずまい、ダンフォース判事の低音の響きが素敵でした。

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