企画は良かったはずなのに
例の正座してのプレゼンテーションで何もかもが崩れてしまった。彼以外の誰もが「そんなことないよ、演劇の力で日本を変えることは可能だよ」と思ってるはず(と思いたい)なのに、彼に言葉を撤回させて土下座させるだけの「力を持った演劇」をどの劇団も提供できていなかった。彼自身にも、「そこまで言って何故役者として演じたのか」との思いを届けるだけの役者としての力が無かった。企画は良かったはずなのに。その企画で被災地にチケット代が寄付されるからチケットを予約したのに。お金はともかく、人一人、時間を割いて足を運ぶということの意味も考えなければ、創る側にとって演劇をする意味は本当に無いと思います。
満足度★★★★★
現在
明日というのは 不確かな 言葉だと、感じました。
今は よくわかりませんけれども。
なんか 引っかかるものを感じましたし。
今、やる という事で、 観に行くきっかけになったのも あります。
傷ついた心は どうしても もとに 戻らないけれども、
美しいもの とか を見て 美しいと 思う心とか、
笑顔とか は、誰にも 奪えない と 思うので。
きっと、演劇にも そんな 何だかの力が あると 思いました。
満足度★★★★
様々な視座から浮かび上がるもの
4団体の5作品、
団体・作品ごとに
大震災に対する視座がそれぞれにあって、
終わってみれば、
点ではなく面・空間で浮かんでくるものを感じました。
どの劇団にも、既存の感覚や考え方に捉われない
意思と切っ先をもった表現が編み込まれていて
舞台に引き寄せられました。
満足度★★
じゃぁやるなよ
開幕冒頭で、荒川チョモランマ(たぶん)の役者さんが、被災地に行って感じたこととして、「演劇は意味がない」「(被災地の支援のためという)演劇は、被災地から見るとギャグでしかない」ということを語っていた。
なるほど、そういうモノを被災地で感じとってしまったのか、と思った。
満足度★★★
日本の問題か
昨年も同じテーマでいろいろな団体が演じてきたものを、3.11にフォーカスして演じられた。
思出横丁の作品は生々しく、四次元ボックスは婉曲的に、荒川チョモランマは情景的に、けったマシーンは哲学的に演じられていた。
3.11は衝撃的な事実だ。それを芝居で果たして表現できるのかを問うた試み。答えは...どうなのであろうか
満足度★★
本当に日本の問題を考えたのか
昨年の3.11の震災は一度の災害としては津波に加えて原発事故という甚大なダブルパンチで世界の歴史に類を見ない様な物であることはよくわかるが、これを『日本の問題』というテーマにしてしまう問題のすり替えがこの日本で起こっている。
今まで募金をしたことのない人や、組織力も人脈もない人間や組織までこぞって東北に乗り込んで『支援』という自己満足に浸っているのではないかと思わされるとがある。
今の日本の問題は、震災を隠れ蓑にして今まで日常的に存在している身の回りの問題を棚上げする格好のネタとなっている様に感じられる。
日本の問題は意識すれば見える問題も見ないふりをする民族性にあるのではないか。本当に日本の問題とは自分の問題であるはずなのに。
私たちは本当に日本の問題を考えているのだろうかと、今回の観劇でしみじみ思った。