ガラスの動物園 公演情報 ガラスの動物園」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-17件 / 17件中
  • 満足度★★★

    深津さんの演技が、切なくて切なくて、痛くて、観ていられないほどでした。
    有名な作品でしたが、実際に観たのは初めてです。
    難解なイメージがありましたが、ぜんぜんそんなことはなく、
    普遍的な物語でわかりやすい。

    立石さんの母親の言うことは、いちいちその通り。
    間違っていないのに、子とわかり合えずに対立してしまう悲しさ。

    深津さんの演技が、切なくて切なくて、痛くて、観ていられないほどでした。

    鈴木さんは「あの」ライアーゲームの人ですね。
    そして、背景となり、人々の念となり、渦巻いていたパフォーマンスも、
    また素晴らしかった。
    広いコクーンの舞台を満たすための手段として、だけではなかった。

  • 満足度★★★

    うむ
    空気分解をしてしまい私には物足りない作品だったかな。深津絵里であって深津絵里ではない彼女がステージにいましたね。

  • 満足度★★★★★

    そのろうそくを吹き消してくれ
    テネシー・ウィリアムズの出世作であり、そして最も愛されていると
    いっても過言ではない代表作『ガラスの動物園』。

    それを、数々の演出仕事でも高い評価を得てきた長塚氏が演出を
    手がけると聞いては、思わず興奮してしまいます。

    作者本人が最も思い入れを持っていたと思しき作品を、美しくも
    意外とシンプルに魅せてくれました。原作では、シリアス一辺倒の
    雰囲気を持っていた作品が、時にはユーモラスな顔も見せるなど
    別の魅力も十分に私達に教えてくれたと思います。

    ネタバレBOX

    テネシー・ウィリアムズの作品って、どれも生々しいんですよね。
    台詞も、人物造形も、またそうした人物達がどうなっていくのかも。
    全部、腑に落ち過ぎる感じです。

    『ガラスの動物園』にしても、あぁ、こういう人たちいるよなぁ、と何度
    心の中で感じた事か。

    母親の、口うるさいけど、家族を心配している様子とか、

    娘の、人が怖いあまりに、全身が硬直してしまって、巧く
    話せない様子とか、

    息子の、多分に皮肉っぽいけど、自分の人生は自分で切り拓いてやる!
    という、野心的で熱い部分とか、

    会社の同僚の、いかにもビジネスパーソンな、自己啓発臭が全身から
    匂うけど、そのくせ、自分の枠にとらわれかかっているんじゃないか、と
    いうさまとか、

    自分の周囲、そして自分の中にもひょいと顔を見せてくる要素なので
    感情移入がとんでもない程度で襲ってきました。

    個人的に一番心を動かされたのは、母親が「こんなに頑張って
    きたのに…」と叫んで泣きじゃくるところですね。「貧困」の残酷な
    ところは過剰でも過小でも無いところですよ。同じ程度で、じわじわ
    襲いくるから、どんどん心の養分がやせていくんです。

    そんな中、この一家は危うい均衡の上、十分に健気に、お互いを
    守ってきたと感じる。それが、客席の私達にも十分伝わってくるから
    それが時に悲しい、んです。耐えられないものを感じるんです。

    母親役を演じた白石さんの存在感が一番高かったです。一家を
    仕切ってきた一般庶民の図太さと、あ、母親はどこの国でも母親
    だな、と感じさせられてしまう、子供たちを色んな形で心配してしまう
    性質。自分の母親をふと思い出したりもしました。

    演出は…美しいの一言につきますね。特に、舞台の背後に大きく
    設けられた窓を使っての、光の演出には、目が覚める思いがしました。

    逆に、ダンサーを使った要素は、舞台上の道具等の移動をスムーズに
    した位にしか印象に残る部分が無かったかも。確か『タンゴ』の時も、
    同じような演出がされていた気がするけど(登場人物以外が、舞台の
    上に出てくる)、イマイチ成功してないような気が。健闘はしているのですが。

    最後、暗闇の中で、トムが沈痛な声で、

    「もうろうそくを吹き消してくれ…姉さん」
    「そして…さようなら」

    と、呟く中、静かにろうそくが吹き消されていき、完全な、静かな闇に
    舞台が包まれていく瞬間は、切なく沈痛で、物悲しくもエモーショナルな
    場面で、トムが作者テネシー自身の悔恨と諦念とに最もリンクした、と
    強く感じました。痛みに溢れているけど、一枚の名画を目にしたような
    想いを抱き、それは今この文章を書いていても、時々、胸に飛来して
    私を涙ぐませたりもするのです。
  • 満足度★★★★

    物語を現すかのような悪天候
    ご存知のように強風、悪天候となってしまい、座席に空きが目立つ中千秋楽開演。7割程度の着席率だったでしょうか。時間ずらすなど考えて欲しかったが、3時間もかかるこの公演、帰宅時のことを思うと予定通りの開演で良かったとも言えますね。。

    で、内容ですが、前半は少しくどい感じがしましたが、後半は4人の登場人物の特色をうまくミックス、希望と絶望を巧みに操り、良い感じに仕上がってました。

    特に、立石、深津は流石の域に達していますね。

    ネタバレBOX

    最後、蠟燭を3本吹き消すシーンですが、これこそ、ガラス細工のように見えました。
  • 満足度★★★★

    深津絵里の演技に見惚れた
    同年代では日本一の舞台女優かもしれない。この舞台を観て、そう思いました。

    トムとジムを迎えるため部屋を横切り、玄関へと向かう場面。僅かに足を引きずりながらゆっくりと一心に体を前に進めるローラの姿に、心が震えました。

    ネタバレBOX

    序盤の、不自然なほどの臆病さは、おそらく演出による演技指導の結果。これがあるからこそ、後半のジムとの二人きりの場面における花火のような一瞬の幸せがより一層引き立つのです。数多の負荷を物ともせずに舞台上で華を見せる表現力は傑出していると思います。
  • 満足度★★★★

    追憶の・・・
    観たかった立石さんが本当に素晴らしい。
    瑛太は今まで観た舞台の中でも一番良かった。
    最初は違和感を感じる程過度な演技に思えた深津さんは、鈴木さんとの2幕で魅力爆発。
    演出の良さと役者4人の力が余すところ無く発揮されて成立した見事な空間に引き込まれた。

    それにしてもこの作品、観劇途中でほんの少し見知っている作家の背景を思い出し苦しくなる。

    姉のローラの行く先を思うと本当に哀しくなってしまった。

  • 満足度★★★★

    残酷物語
    夫に逃げられた母、足とコミュニケーションに障害を抱える姉、家族を支えるために嫌な仕事を続ける弟(主人公)、あまりに過酷な人生を描いていて、しかも途中で夢見させた上で地獄へ突き落とすような話なので見ててきつかったです。
    深津絵里の過呼吸気味な演技は秀逸でしたし、母役も機嫌にむらがある感じがうまくて最高でした。
    瑛太はあまり台詞がないように感じました。芸達者な役者たちの中では普通かな。まだ舞台役者らしい身振り手振りや大げさな言い回しが足りません。

  • 満足度★★★★

    家族の回顧録みたいな
    全般的に悔いや哀しさ、絶望に覆われ、爽快感はないけど不思議と嫌悪感は湧かず、むしろもう一度見たいと思わされた舞台だった。
    印象派絵画みたいな舞台セットと、清廉という言葉が似合いそうな舞踊。

    ネタバレBOX

    1930年代に生きるアメリカの下層中流家族(父不在)。
    過去まだ幸福だった頃の生活の思い出に浸り、子供を知らず知らずの内に無意識に追い込んで暮らしている母親。そんな母親に支えられて暮らしてきた姉弟。端から見れば「母ちゃん!」って呼びかけられるタイプと思った。

    現実の生き方に適応出来ない内気な娘。
    繊細な内面とコンプレックスがあるが故の孤立。父親の残したレコードで現実逃避する姿に、見ているこちらはその儚さに目を奪われっぱなし。ワンピース姿が似合ってて可愛かった。
    弟の回想が夢と現実の狭間で足掻き、母と姉が大切な人なのに批判的で非情さも在り、しこりのような葛藤に常にジレンマを感じ生きている。
    天秤にかけられない気持ち、抑制された状況とか、発する台詞の一語一語に胸に詰まる物があった。
    古式懐しいアメリカ人、ジムの快活で誠実さの罪。

    白い舞台、正面奥に机、上手下手の両側に三ヶ所の扉。紗幕使い。
    背景と一体になったり、誰かの心の中から溶け出したかのような踊り。
    運命の終わりを告げるかのような、娘の蝋燭を消す場面の鮮烈で静かな幕切れ。
    素敵な舞台でした。
    個人的に、翻訳物の長塚さんの作品は好みと思った。
  • 201203191900
    201203191900@シアターコクーン

  • 満足度★★★★★

    とても好き。
    綿密な演出、美術、照明、音楽、キャスト、ダンサー全てが私の琴線に触れ、ワクワクしながら観ていました。冒頭のトム(瑛太)のシーンからゾクゾクし、心を掴まれました。一幕目と二幕目の終わり、瑛太(トムの独白する場面)が二村周作さんの美術に同化して、絵画のようでした。
    そしてダンサーたちはトムを記憶の奥に引きずり込む細胞(=気配)のようでした。

    ネタバレBOX

    最後のトムの独白シーンで「姉の手が僕の肩に」と言うとき、気配たち(ダンサーたち)が手のひらに乗せていたガラスの動物たちの肩に手を重ねました。そこで涙が出てしまいました。
  • 満足度★★★★★

    「追」「憶」の話
    長塚圭史さんの演出するテネシー・ウィリアムズの自伝的作品「ガラスの動物園」を見てきた。もちろん、ミーハーな僕であるから深津絵里、瑛太という出演者に惹かれての観劇だが、長塚圭史さん演出というのも重要。

    ネタバレBOX

    8人のダンサーによる不気味さの表現が秀逸。花沢健吾「アイアムアヒーロー」的な不気味さを演劇でやったと言う感じ。立石涼子のお母さんが「おかん」だった。この芝居はおかんに支えられている。

    そして何よりも、特筆すべきは、深津絵里と鈴木浩介の息を飲むやりとり。なんだろう、これだけで見る価値がある。

    決して表現形態としてリアル(現実のありのままの模写)というわけじゃない。深津絵里の演じ方はいろんな意味で過剰で、見ててちょっと嫌になる一歩手前だが、その腐りかけのギリギリで最高の風味を醸し出す肉のような芝居は「最適」であるという科学的な言葉を使いたくなるほどに、そこにしかないであろう真実を表現するにふさわしく、また一部もずれることを許さない微妙なラインを攻めている。内実のリアルを担保するために許される演劇的な過剰の狭い狭い許容範囲ギリギリを攻めている。そして、その狭いマトを的確に射抜く深津絵里の芝居の過剰さのおかげで、万人がいれば、ほぼ万人がローラの出会う感情の波を一緒に体感することになる。喜びの鋼がぼろぼろと崩れて行く様を手に取るように見ることになる。

    最近、僕は演劇にはストーリーではなくて、その「波の顕れ」に出会いたくて行っているので、まさに出会ってしまったと言う感じ。

    テネシー・ウィリアムズは、「ガラスの動物園」を「追憶の芝居」と言っている。主人公であり、テネシー・ウィリアムズ自身でもあるトムが、実姉と実母への追憶を後悔と共に語る。

    しかし、その作者の意図を越えて、コクーンの舞台の上にある深津絵里と鈴木浩介の芝居は、生々しかった。演劇的な虚実の向こうに浮かび上がる本当のリアルが、追憶という形式をぶち壊すほどに観客の胸に迫る。

    あるいは「追憶こそリアル」。という演出の意図があるのかもしれない。

    というのも、「追憶」は追憶者(=経験者)による経験の都合の良い情報整理と考えられ、それは大概、「紗幕」の向こうのドラマチックな思い出となるが、今回の芝居はこれが逆転している。つまり「紗幕」の向こうにあり美しく整えられているのは「過去の経験」ではなく、「追憶者本人」の「現実」なのである。すなわち「現実」こそが彼岸にあり、追憶者であるトムは気持ちよく過去を追憶するやもしれないが、「紗幕」のこちら側にいる観客は、過去を忘却するどころか、忘れ去られたはずの「過去の痛み」とともにこちら側に置き去られる。そのように演出されている(ちなみに台本通りなのかもしれないが、現在手元になく確認できない)。

    「追憶」されるべき「過去」が追憶しようもないほどにリアルにそこにある。

    そうだとすると、あのダンサーたちも「そうなのではないか」と思えてくる。

    過去を忘却し美化しようと言う働きを許さぬ妖怪たち。忘れようとしているそばから、彼女たちは「過去」を引っ張り出してくるのである。なぜならば彼女たちはトム自身の「目玉」であるからだ。見た物は見た。忘却を許さないトム自身の無意識=目玉こそがあの8名のダンサーのような気がする。だから彼女たちはやたら大きな目をしていた。「見ているぞ」というわけである。

    というわけで、この長塚圭史版「ガラスの動物園」は忘却しようにも忘却しえないで追いかけてくる記憶たちの話と言っても良い。しかし追憶。ノスタルジーという優しい訳語があるが、字面通り、逃げても逃げても「追」いかけてくる記「憶」ということの略とすれば、長塚圭史版「ガラスの動物園」は、まさに「追」「憶」の話なのである。そのように僕は見た。

    ちなみに、鈴木浩介演じるジム・オコーナーだが、彼も病んでいる。「J・エドガー」に描かれるアメリカの中心にある病・・・「健全であれかしという病」に犯されている。話し方教室に行き快活な話し方を学ぶと言うことがいかに病んでいるか。と言う意味で、このような4人芝居を作り出したテネシー・ウィリアムズ恐るべしと思うのである。

    S席9000円払っても惜しくは無い。4月3日まで渋谷シアター・コクーンにて。
  • 満足度★★★

    追憶のかたちが立ち上がる感覚
    薄汚れたまだら模様の灰色の壁で三方囲まれた箱形の舞台装置と、壁と同色の衣装のダンサーたちの存在で、冒頭のトムの口上から、脳内の記憶が立ち上がっていくような錯覚を見事に見せてくれました。アマンダ役の立石さんが元気よく威勢よく演じるので、かえって過剰な愛と愚かさ存在のかなしさが、透明感を伴って立ち現れたように思います。

  • 満足度★★★★

    斬新かつ説得力のある演出
    様々な演出で上演されている名作を独特な表現で演出し、斬新さがありつつも演出家の自己満足に陥らない、戯曲の魅力をしっかりと伝える説得力が感じられる総合的にレベルの高い舞台でした。

    上手、下手の壁に3つずつドアがあり、舞台奥の壁に大きな窓がある、遠近法を強調した、ムラのある白い舞台美術の中、3人家族と1人の来訪者の物語が、あるときはリアルに、あるときは演劇的な非リアルな表現を伴って描かれ、戯曲の回想劇的な形式が意識された演出になっていたと思います。

    4人の役者達はオーバーに見えるラインをあえて少しだけ越えたような感じの演技で、逆に海外戯曲における文化の違いや固有名称から生じる不自然さが打ち消されていると思いました。
    演技の仕方によっては静かで悲痛なトーンが終始漂うにもなる作品ですが、立石凉子さんのおばさんっぷりや、鈴木浩介さんの快活な青年っぷりが楽しく、笑える場面が所々にあり、それによって一層寂涼感が際立っていました。

    以前に単独公演で観たときに全身タイツのような衣装と視線の強さが印象的だったプロジェクト大山のダンサー達が、この作品においてもそれらの要素を上手く用いていて、ストレートプレイにダンスを持ち込んだときにありがちな、取って付けたような違和感がなく、作品世界に溶け込んでいました。
    ただ踊るだけではなく、黒子的な役割も担っていて、衣装がセットに溶け込むような柄で、死角を用いた出捌けの場所も効果的で、まるで舞台美術が命を持って動きだしたかのように見えて、美しかったです。

    音楽や照明も目立ち過ぎることなく雰囲気を盛り上げていて素晴らしかったです。

  • 満足度★★★★★

    追憶の物語。儚げな悲しさ。
    初日に観覧しましたが役者陣の演技も良くて、暗いお話ですがとても見やすかった。そして舞台美術のセンスも良くてニヤけてしまった。
    そして何より演出が面白い!! ダンサーの使い方が絶妙!
    プロジェクト大山のダンサー達が舞台風景に段々溶けている様に見えてきて不思議な錯覚に陥ります。役者陣の演技を邪魔せずに存在感を保ちつつ、お芝居の不可欠なピースになっているのが驚きでした。

    役者・舞台美術・照明・ダンサー・演出どれを取っても完成度の高いお芝居で、大満足でした。

    物語の方はトム(瑛太)に感情移入しすぎて、アマンダにイライラしました(笑)

    ネタバレBOX

    月曜夜9時になると瑛太出せ(p`Д´)ノ!というツイートを沢山見かけますが、その甲斐あってか、演技が素晴らしい仕上がりになっておりました(笑)
  • 満足度★★★★★

    美しかった
    舞台美術、演出がとても美しいと感じました。
    暗い物語だからと覚悟していきましたが、とても綺麗で、後味も悪くなく帰路につきました。
    初舞台と思われる瑛太くんですが、とても素晴らしく、今後も舞台出演が楽しみです。

  • 満足度★★★★★

    観ること出来て良かった
    演出によってこんなにも違って…。いや、違わないのかも!動く絵画(絵本)を読むように世界に引きずり込まれました。興奮冷めやらぬ、というか…。これって観た人にしかわからないよぉ!!

  • 満足度★★

    うーん
    深津絵里、期待外れ。
    瑛太なかなか良い。
    黒子使った演出、気持ち悪い。

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