ファジー「ours」 公演情報 ファジー「ours」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    初日をSTスポットにて観劇。
    プロジェクトの中でも前作『theirs』は「男性の背負っている加害性」、今回の『ours』は「女性の背負っている加害性」を一つのテーマとしていますが、私が勝手に思い込んでいたイメージとは全然違う演劇で、そのことに多くの気づきや内省を得ました。

    男女二元論、そして、「男女二元論が生み出してしまう加害性」は私の中にも確かに存在する。その事と向き合う観劇でもあった。俳優さんのリレー書簡からも。一人ひとりの眼差し、答えを一つとせず、いくつもの選択肢や可能性を"みんなで考える"シリーズだと改めて痛感しました。

    男性、女性、そして全ての人が背負っている加害性を考える本プロジェクトにおいて、おそらく私は、一人の女性としてだけでなく、2人の子どもを育児する親としての視点も持ちながら見つめざるをえないと考えていますし、その必要を感じています。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    1作目とほぼ同じ内容ですが、女性が演じると、いわゆる暴力性とか攻撃性とか薄れて、かなりマイルドに感じます。相変わらず平行線のままの会話が続いて、交わりません。作者の意図の理解までは遠いです。3作目まで行くと分かりますかね。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

     レイヤーが成立する為には先ず存在しなければ。時代の表層だけ観てその趨勢に乗っかった論理を用いている気がする。

    ネタバレBOX

     板上はこの小屋としては少し珍しいレイアウトを採っている。劇場入口側にL字を鏡文字にし時計回りに90度回転させて短辺を据え成り行きで長辺になる両部分を客席とし、劇場入口から板上迄は階段で繋ぐ。板長辺の対面に長辺下手から順に中、大、小の順に矩形の枠が据えられている。長辺上手には最も低くサイズは大きい矩形が倒れた状態で据えられている。この矩形各々が、凡そ各登場人物の棲むエリアということになるが、下手から3番目の矩形には黒色系の紗のようなカーテンが三つの面に付けられている。出捌けは客席変形L字のコーナーの対角辺りに1か所。尚天井からは様々なオブジェが吊るされており各矩形の各々の桟や矩形の奥にある壁、壁際に設けられた簡易衛門掛けには衣装等が掛けられていたり、様々なオブジェが貼り付けられていたりするが色調はほぼ暖色系。
     物語が何を意味するのか? 論理的に追うのは可成り難しそうだ。というのも脚本家によれば男女二元論の持つ加害性について三部作を書いたとのことであるが,作家の言う男女二元論が実際何を意味しているのかが、今作では全く触れられておらず、今回演ずるのが総て女性によってである以上例えばジェンダー論で考えるなら女性に対する男性による加害性ということが考えられるものの、実際に演じられる舞台では、女優達は一応自称‟僕“だったり‟私”だったりしつつ幾つかのグループに分かれて同時に台詞を発し、而もその台詞自体若い日本の現代女性が使う類の言葉なので正確な日本語とは程遠いうえ出演者全員が異なる台詞を同時に発音するから観客の殆どは何がどのように語られて居るのか総てを正確に聞き取り判断することが出来ない。最初からそのような混沌を作り出すことが目的であるならそれはそれで興味深いものの或る二元論の間に発生する対立の加害性を問題化しているのであれば、二元論を構成する各々の存在論がアプリオリに示されている必要があるにも関わらず、その点に関して一切表現されていないと感じたのは今作の上演形態そのものが全体の聞き取りを不可能にしているせいなのか或いは三部作の第二部ということで一部で既に表現されているからなのかは不明だが、少なくとも終演後に初めて見た当パンによれば男女二元論の加害性が問題だと捉えているのであろうから、問題の発生する源である♂、♀の存在論は必然的に示されねばならない。これが欠落しているから自らの健康状態を即ち肉体を根拠率に発言する他無いキャラが登場するのである。このキャラは存在論という今作の主張の根拠となり得る共通項を持たせる為に絶対必要な根拠律であるにも関わらずこの視座が欠落している為に総てが瓦解し焦点の定まらぬいい加減な作品なったと思われる。結果このような脚本と演出自体がその主張と矛盾し、結果破壊すべき二元論そのモノに対する論理的批判自体が成立し得ないのではないか? 既に述べたようにそもそも男女二元論とだけ言って実際その二元論を具体的に示している訳でも無く、ハッキリ象徴化している訳でも無いから、個々の主張そのものが、何ら共通項を持たぬ論点に向けて唯わあわあ騒ぎ立てているという形にしかならない。
     作家の言によれば、これらの位相を表現する為に三つのレイヤーを設定しそのレイヤー間の差異と発語される台詞の差異とでそれらを差異化しているというが、その為にはそれら総ての台詞が総ての観客に一旦総て理解されその上で選択されねばなるまい。然し乍ら先に述べたように殆どの観客にそんな芸当ができるとは思えない作りなので言っていることとやっていることとは矛盾する他はあるまい。この点が決定的に問題であると捉えた。
  • 実演鑑賞

    東京デスロックみたいだなあ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    第一印象は何を伝えたいのか といったテーマや世界観の暈け 解り難さが手強い。かと言って見巧者向けとも違うような。自分の感性が問われるような感じがする。なお トリガーアラートは、それほど気にならなかった。

    説明では、男女二元論が生み出している「加害性」について考える1年間のプロジェクトで、リクリエーションを重ねながら三つの上演作品を発表する。本「OURS」は その二作目、女性(役者は全員女優)も背負っている加害性を表面化し加害性を生み出している社会構造を描くとある。にもかかわらず、劇中で「僕は」「俺は」等 性別に関係なく自分を表していると説明。男女は対立する存在なのか、それを意識させるものが分からないため、肝心の加害性が浮き彫りにならない。現代的に言えばジェンダー論を紐解く内容だろうか。

    受付でネタバレに係る紙が用意されているが、読むのは 観劇前でも後でも関係ないように思える。それは 物語をどのように観せ伝えるかに苦慮した末のヒントのようなもの。二つのレイヤーを錯綜させ、物語を敢えて曖昧にさせているように思えた。つまり登場する人物に担わせた役割ー個性の ぶつかり合い と 何をしているのかといった作業を見せている。その二つのレイヤーは、スクラップ&ビルドといったことを連想させる。

    何より 戸惑うのが舞台美術。タイトルにあるファジーという浮遊感あるものだが、同時に<死>といった重みを感じる。劇団の特徴として、異なる視点を持つ人間同士の対立や堂々巡りのフラストレーションをうず高く積み上げることで、ストレスフルだが、ワンダフルな作品を生み出すとあるが…う~ん。
    (上演時間1時間20分)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、白く塗った平板で大きさが異なる立方体を作り それを4つ置く。周りの壁もオフホワイトで、そこにカラフルな紗幕のような飾り。天井にはミラーボール、ふわふわボールの束、床には おもちゃ や衣装掛け等 雑多であるが、全体的に浮遊感ある空間を演出している。かと思えば、幾本かのコーンバー、上演前から工事現場を思わす破砕音。登場するのは5人、デザインは違うが全員が黒色彩の衣装・靴で統一している。壁際の演技を見ていると鯨幕(死)を連想してしまう。人物の背景・関係性や場所等の設定や世界観を敢えて明確にしていない。それによって 誰もが持つ「加害性」を一般化して描こうとしているようだ。客席はL字型。

    複数レイヤーの表現、その同時進行的に発する台詞は、物語の多面性の表れか。舞台は 集中してどう観せるかが重要だが、 現実には、同時多発的に物事は進行している。受付時に貰ったネタバレには、登場する人物が担った役割が記されている。しかし それを意識して観ても 物語の展開や世界観は、容易には理解できないのでは?担わされた役割は、「わかりにくさ」「怒り」「曖昧さ」「苛立ち」「無邪気」ということらしいが…。

    終盤になって、音響等も含め「家の解体」の作業、そこの作業員の様子といったことが おぼろげながら分かってくる。立方体は部屋を表し、平板の留め具を外し 解体していく。そう言えば劇中で「休憩にしますか」といった言葉があり、役者が素に戻ったような雰囲気がある。そして家を思わせる家族の諸々の光景ー食事場面等 伏線が鏤められていたことに気付く。それでも宇宙云々といった台詞が飛び出し、混乱・混沌とした世界を持ち込む手ごわさ。

    家の解体は 家族の崩壊、もっと言えば自分自身も壊れ 感情のコントロールが出来なくなっていることを表している。深読みすれば 5人に担わせた役割は、実は1人の人間が持っている多面的なこと。そして追い詰められた心は現実逃避するかのように空想の世界へ、それが宇宙の話に繋がるのでは と勝手に解釈。
    ラストシーン、逆さにした椅子の脚の中にクマのぬいぐるみが閉じ込められている。それは自分(心)を自縄自縛していること、同時に社会の閉塞感と不寛容さを表しているかのよう。それでも家の解体に待ったをかけることで、救いと希望(再生・再構築)が…。
    次回公演も楽しみにしております。

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