実演鑑賞
満足度★★★★★
「夏至の侍」(2022)にて筑豊地方の斜陽産業の金魚問屋の女将を演じた音無美紀子が再び客演。桟敷童子は東憲司の言うように毎度似たような話(凡そ三つのパターンを焼き直している)だがオリジナルを生み出しており、売りは完成されたテンポ感と高揚感、舞台装置と屋体崩し的クライマックス、という事になる。この桟敷童子の芝居に音無美紀子が加わり、ナチュラルに真情こぼるる姿がハマる。墨汁が広がるように芝居の隅々まで「リアル」の魔法が掛かるのである。私にはそれが圧巻であったが、今回も全く同じ事が起きていた。
桟敷童子の物語は神的存在や天災や魔物の伝説が民間伝承で伝わっている村落が舞台となり、やがて近代化の波に浸食されて行くといったものが多いが、今回「敵」としての近代は、狩猟を生業とする村に対する鉄道事業(工事で使う発破で獣らがいなくなる)、戦争協力の要請(銃の供出、徴兵)である。近代化は根本的な誤りを抱え、人間を虐げる。そうした被虐の人間が己らの復権を目指す時、伝承が蘇るのである。
今作の伝承は「阿呆の子」と言い、村が飢餓などの危機に瀕した時、生け贄に捧げられるべく育てられた「捨て子」たちがいて、劇中では三人の子という事になっていて時に舞台上に姿を現わす。実際に彼らを目で見たのは幼い頃のおばあ(音無)のみで、まだ子供だった彼らと山の中で話した記憶が劇の終盤に蘇り、そして今「婆」となった彼らと、再び相まみえる。猟で食べて行けず鉄道工事の人夫となった男たちにも(徴兵は免除されると言われたのに)赤紙が届き、不幸な事故も続いて村は荒廃し、強風が吹きすさぶ山の天候をして阿呆の子らが怒りの声を上げている、とする。
もう一人の主人公は、鉄砲問屋をモーゼル銃付きで追われた一人娘。おばあが呼び寄せた娘を、昔妻を亡くした自分の息子の後添えにと考えたが息子はまだ妻を忘れられぬと拒否するも、宿を与えて村に棲み着く事になる。この娘(大手)のキャラが秀逸。後に悲劇のヒロインとなり行く。悪役をやらせれば何と言っても原口。
我らが板垣女史は・・阿呆の子に扮していた。顔をさらすのは終盤の「出会い」の回想場面。一瞬とは言え変幻自在振りに嘆息(先般のこまつ座での客演に続き役の振り幅があって最初気づかず)。
主役の露出が突出した分他の俳優が控えめであったが相変わらず見事なアンサンブルである。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/06/04 (火) 19:00
今公演は4ステージ予約していたが、まずは初日を鑑賞。
やはり桟敷童子の公演はどんなに期待して行ってもそれを軽々と超えてしまう!
今回の作品は、前説の若手がハケた瞬間にのけぞらんばかりのホラー感で心を掴まれ、あとは終演までグイグイと引きずり込まれる一方だ。
客演の音無美紀子の圧倒的な存在感、劇団員では三村晃弘が従来とは全く違う役どころを熱演して舞台の厚みを増し、全ての出演者が主宰・東憲司 が描き出す舞台世界と一体化している。
それにしても大手忍は美しくなったなぁ。最初に登場した時には思わずハッとしてしまった。
「大地揺れ!紅燃ゆる!」というチラシのキャッチコピーは決して大げさな表現ではない。こんなスゴイ舞台が小劇場演劇の料金も高くなっている現在においても4,000円(平日の夜公演。それ以外でも4,500円)で観れるというは驚愕の一言。
今年はまだ80本強の観劇しかできていないが、まぎれもなく現時点での今年最高の作品だ。
(以下、ネタバレBOXにて…)
実演鑑賞
満足度★★★★★
ここの劇団公演の出来・作風(世界観)・スケール感・舞台装置等が素晴らしく高水準なのをつらつらと書くのも野暮なので、一言、いい時間でした。ありがとう~!
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00
いつもながらの手の込んだ手作り舞台美術の中で繰り広げられる濃密なドラマ。
劇中の赤紙が来る場面がちょうど放映中の朝ドラとも重なって強い反戦の意志を感ずる。そして悲劇的な展開ではあるものの僅かな光明が見えるラストに救われる。そう言えば2年前に音無さんが客演した「夏至の侍」もソフトランディングだったっけ。
あと、クライマックスの装置のギミックに「あ、あのパターンね」と思ったが前回観たのは何の時であったか?
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い、お薦め。
昔、捨て子・孤児等が寺に集められ、民衆のために死んでゆけと教えられ、人柱・生贄として育てられた子供たちがいた。民間信仰のようなことから材を得て、地続きの今に警鐘を鳴らすような公演。愛情も学問もなく、ただ人身御供のためだけに生かされた童の存在ー「阿呆丸」と呼ばれた。物語では名前が付けられたのか否か、数えるだけの、ひい・ふう・みい という三婆にその役を担わせる。
本当にそんな伝承・風習があったのか。時代の流れ 大きな渦の中に、その存在は形を変えて浮き上がってくる。時代は昭和初期、物語は昭和12年から始まり日中戦争へ。上演前には、HP説明にあるような「明治政府は…生贄・人柱を殺人罪として禁止 時は流れ 昭和の時代、戦争の足音が近づく頃」と書かれた立板。勿論、生贄・人柱は戦時における出征を示唆している。時代に翻弄されるのは、当時に限ったことではなく、「阿呆丸」は決してあってはならないこと と思う。
公演では、主役で阿呆村の女頭目を演じた 音無美紀子さんの存在感が凄い。彼女を中心とした役者陣の熱演が、公演を支えているといっても過言ではないだろう。物語の世界観が緊張・緊迫をもって語られる。桟敷童子らしい舞台美術・装置がラストを印象付ける。そう言えば 「獣唄2021-改訂版」(主演:村井國夫サン)の時と似ているような…。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定
実演鑑賞
満足度★★★★★
このような世界観をこれほどの迫力をもって描ける作家は他にいないといってよく、何度観ても飽きない。よく発想が尽きないものだ。演劇が始まると観る者は2時間その別世界へ連れて行かれる。少々の入場料を払っただけでそんな体験をさせてくれるとは誠にありがたい。だいたいどの作品でも次の世代への継承というテーマが含められているのも感銘を受ける。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2024/06/06 (木) 14:00
座席1階
客演の音無美紀子のための舞台であるといっても過言でない。それほど全編にわたって圧巻の演技、存在感だった。彼女の求心力に触発されたかのように、脇を固める劇団員たちが輝いていった。
今回は、日本の民俗伝承、逸話に出てきそうな生け贄・人柱伝説がテーマ。地域の平穏のために、親亡き子や障害を持つ子らを生け贄として育てるという伝説で、サジキドウジはこれに「阿呆丸」という名を冠して物語にした。戦争の足音が近づいている昭和初期が舞台だ。
音無はこの「阿呆村」の女頭目の役。山の神様から動物の命をいただいて生計を立てている九州の山村で、女頭目の息子、その孫という家族、狩猟をなりわいとする村の男たち、隣町からやってくる火薬問屋の娘など、村を舞台にした人間関係が、山深き地に計画された戦争物資の輸送のための鉄道建設をきっかけに大きく変化していく。
舞台が進んでいくと、「生け贄」は古き時代の民俗伝承などではなく、まさにお国のために命をささげる戦争のことだと分かってくる。直接それに言及するような場面があるわけではないが、メタファーとして物語を支えている。ここがサジキドウジのすごいところだ。
もう一つ、いつも注目の舞台美術。今回は派手な演出ではないものの、十分に客席を満足させる出来栄えだ。そのテーマカラーは赤。舞台が真っ赤に染まる中で、役者たちの絶叫に客席の目はくぎ付けになる。
今作も、ファンとしては見逃せない仕上がりだ。サジキドウジの世界観に没入できる秀作と言ってよい。
実演鑑賞
満足度★★★
九州の山奥にある阿呆村。そこでは捨て子や孤児、罪人の遺児等を古来より寺で養う風習があった。そして自然災害や疫病、飢饉・干ばつでの祈祷、建造物建立の安全の祈願の折りに阿呆丸と呼ばれたその子供達を各地に連れて行く。人柱や生贄、人身御供として天に捧げた。明治になって刑法が整備され、この風習は禁止される。解放された阿呆丸達は死に場所を探して山奥を彷徨っているという。この設定だけで凄まじく面白い。
昭和12年、日中戦争の激化から軍国主義に滑り落ちていく時代。村人は鉄道工事に駆り出され、山は切り崩されていく。代々猟師の一族である、音無美紀子さん、その息子である鉄砲衆頭・三村晃弘氏、孫である加村啓(ひろ)氏の物語。子を産んですぐ亡くなった妻を今も愛し続けている三村氏。そんな息子の嫁として隣村から大手忍さんを貰ってくる音無さん。勝手なことをされて怒る三村氏だったが・・・。
MVPは女頭目・音無美紀子さん。文句なしの素晴らしい存在感。
ヒロインの大手忍さんも魅力的、永遠の少女性。もう少しガタイがガッチリしていた方が作品的には合ったかも知れないが。
もう一人の主人公、加村啓氏も印象的。劇団Q+の『マミーブルー』も覚えてる。寺山修司系の森田剛っぼい感じ。アングラ・イケメン。
神社のおみくじのように赤い紐が無数に木々に縛り付けられている舞台美術。
ドイツのモーゼル(マウザー)銃、Gew(ゲヴェーア)98のフォルムが作品の文鎮と構える。
桟敷童子フォークロアのアーキタイプを見せつけるかのような作品世界。常連客はいろんな既視感にとらわれる筈。
好きか嫌いかと聞かれたら、大好き。
是非観に行って頂きたい。