満足度★★★★★
ソウル市民
投稿が前後してしまったけれど、こちらが一番最初。
1909年、夏。日韓合併を翌年に控えたソウルで文房具店を営む篠崎家の一日を淡々と描いた作品。日本植民地支配下で平凡な日本人一家の下に働く朝鮮人女中は一見、差別もなく自由に幸せそうに働いているかのように錯覚しがちだか、彼女らの名前は日本人名をつけられ、同じ日本人女中と篠崎家の子供達の会話の中から、悪意のない朝鮮人への侮蔑が入り混じって発言される。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★
サンパウロ市民
1939年11月、ブラジル・サンパウロ。移民開始から三十年を経て、成功者も登場し始めた日系移民。その代表格である寺崎家は、サンパウロで文房具店を営んでいる。欧州での大戦勃発による、日本人学校の閉鎖など、遠い戦争の影響はないわけではないが、それでも寺崎家の日常は平穏である。そこにやってくる相撲取りや、写真花嫁と呼ばれる新移民たち。『ソウル市民』四部作の地球の裏側で展開する、もう一つの「植民」の物語。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★
ソウル市民1939・恋愛二重奏
1939年11月、ソウル。日中戦争からすでに二年が経過し、日本国自体は、長期にわたる戦争状態という泥沼にのめり込んでいた。一方、30年代中盤から始まった好景気、軍需景気の影響を受け、満州への中継点としての役割を担う京城は、虚構の繁栄を謳歌する。国家総動員法の制定、欧州での世界大戦勃発、迫り来る軍靴の音に耳を澄ましながら、相変わらず、篠崎家の人々はそういった世相とはかけ離れた生活をし、つかの間の恋愛に興じる。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★
ソウル市民昭和望郷編
1929年10月24日、ソウル。篠崎文房具店にも大衆消費社会の波が押し寄せ、新しい経営感覚が求められていた。この家の長女に求婚したアメリカ帰りの新進企業家は精神を病んで、入退院を繰り返している長男を毛嫌いする。一方、エリートとして総督府に勤めながらも植民地支配への協力に悩む篠崎家の朝鮮人書生。関東大震災以来の重苦しい不景気を打開するため満州への進出を企てる日本国家。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★★
ソウル市民1919
1919年3月1日、ソウル(当時の呼び名は京城)。この街に住む日本人の一家、篠崎家の人々は、今日も平凡な日々を過ごしている。ただ、今日は少しだけ外が騒々しい。噂では、朝鮮人たちが、通りにあふれているという。篠崎家からも少しずつ朝鮮人の雇用者が姿を消していく。三・一独立運動を背景に応接間で唄い、この独立運動を「まさか・・」なんて嘲笑し合う支配者日本人の「滑稽な孤独」を鮮明に表した物語。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★★
五部作制覇
「ソウル市民」
再演を重ねた劇団の看板作品に出演者が安心して身を委ね好演。「同時多発」会話、うまくいっている部分は一方の会話の「間」にもう一方の会話が綺麗に入り込み、美しい。物語の中盤で交わされる家の女中たちと長女の文学談義、朝鮮人への差別意識が露になり、そら恐ろしい。
「ソウル市民1919」
三・一独立運動の高揚感に沸く街角から隔絶された日本人一家を舞台に、大正デモクラシーを下敷として個人の価値観の解放を描く。両者のコントラストがもっとくっきり出れば良かったと個人的には思ったりする。それにしても、「平和ボケ」した篠崎家の描写は愉快。
「ソウル市民・昭和望郷編」
篠崎家を訪れる奇妙な輩と、飛び交うホントかウソか判然としない話の数々。一寸先も不透明な時代を象徴。「日本人」というアイデンティティも俎上に上げる作劇。
「ソウル市民1939・恋愛二重奏」
「恋愛〜」と謳っているが、その華やぎよりむしろ戦争が市民の日常に深く侵食しつつある様子を丁寧に描写。戦地帰りの婿養子を演じた古屋隆太が心の荒廃を見事に表現。
芝居の出来よりも、かつて日本が隣国を植民地化して支配し、朝鮮民族をあからさまに差別したその有り様を、四作もかけて執拗に描いた平田オリザの胆力に感嘆しました。
満足度★★★★★
『ソウル市民1939 恋愛二重奏』
4部連続上演、最終作。たどり着きました。1939年、日中戦争は泥沼、ノモンハンで日本軍とソ連・モンゴル軍が衝突、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる。そうした状況下のソウル市民の一日。この作品も時代の空気感が本当によく描かれている。滑稽なほどに熱狂的なヒトラー・ユーゲントへの信奉ぶり。快進撃を続けるドイツナチスと「バスに乗り遅れるな」という当時の雰囲気をよく伝えていました。あのバカバカしいまでの熱狂ぶりはまさに当時の雰囲気だと思います(北原白秋がユーゲント賛歌の作詞をするのですから)。哀しい現実です。
満足度★★★★★
『ソウル市民 昭和望郷編』
4連続上演の3作目。連続で観るための手続きに疲れる。
1929年秋、長期不況の中でなんとか切り盛りしていこうとするソウルの一家、私はこの作品が一番好きでした。朝鮮総督府のエリート官僚となった朝鮮人書生の青年とそれに対する日本人家族の対応。ああ、これが当時の善意な人びとの対応だったのだなと改めて感じ入りました。世界恐慌直前、破滅の前の饗宴にかける人びとの哀しい生き方。
満足度★★★★★
『ソウル市民1919』
第2作目、『ソウル市民1919』 前作から10年後の1919年3月1日。1910年に韓国は日本に併合される。三・一独立運動が起きたソウルの一家。緻密な構造でつくられている。人間の滑稽さ哀しさ、堪能しました。
満足度★★★★★
『ソウル市民』
ソウル市民4部作連続上演の日、まず第1作目『ソウル市民』を観る。歴史ということ、人間・社会を深く考察させる作品だと思う。名作です。
満足度★★★★
『ソウル市民1939・恋愛二重奏』
あくまで自分の印象として・・
やりたいことは分かる気がします・・。
戦争の進展とともに繁栄している街。
サンテグジュペリがマドリッドで描いたものに似たものを
描こうとしていたのではないか・・という気もします。
ただ、そうした戦争とは裏腹の喧噪、明るさ、その中での孤独・・を描くには、
ちょっとマジメすぎる印象が拭えない気がしました。
(それは、舞台も、観客も、という意味で・・)
こうしたものこそ、もう少しラフに作り上げて欲しい気がしました。
明るく楽しく元気に!メリハリをつけて絶望や苦悩を描いたりしてくれれば、
もう少し魅力的な舞台になったのではないかなぁ・・などと思って観ていました。
役者の演技が悪かったと言ってるのではないです。
ただ、空気が堅苦しかった(全てをきっちり作りこみすぎると
逆に堅苦しく見えてしまう気が・・)せいか、
疲れて珍しくちょっと寝てしまいました・・(汗
まぁ、こういうのは好みによるものなんですけどね。
満足度★★★★★
「サンパウロ市民」(初心者にはお薦めできない気が・・)
客席の空きにくらべると恐ろしく完成度の高い芝居でした。
室内劇でありながら、そこにうつしだされていたのは、
ドアの向こう側の左翼が潜む街角、
新聞やラジオを通してゆがめられて伝わってくる、戦闘状態の赤く燃える世界、
階層化が進行し、同じ日本人同士でも差別化が進みつつある現実。
あえて会話劇の形をとりながら、ひとつひとつの歴史を直接描かず、
コトバの陰影だけで世相を描ききっている。
ただ、何気ない言葉の端々を拾い上げながら、常に想像をめぐらせないといけないので、
ただなんとなくテレビだけ眺めていればいい状態から
いきなりこの行間の世界に飛び込むのは、
なかなか骨が折れるに違いないと思ったり・・(というか眠くなるのでは?
ちなみに、この作品だけ観ても十分に楽しめるとので、
観る順番をわざわざ最後に回す必要はないと思われます!
時間の空いた方は是非!(別に営業ではありませんがこの日は空席が目立ったので、つい(汗