スイングバイ 公演情報 スイングバイ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
21-35件 / 35件中
  • 楽しかった
    マザースの託児があったので息子を預けて観劇。
    とても楽しかった。
    衣裳も、スーツだが靴はカラフルなスニーカーで、ニューヨーカースタイル。
    細かいピースがちりばめられていて、それが見ているうちに重なり繋がり先に行く、というあたりがタイトルとリンクした。
    スイングバイと言う言葉は川原泉の説明が一番好きなんだが(曰く「惑星の公転の力を借りて推進する力。借りた分だけ公転速度は遅くなるが、それはビルゲイツの財布から10円黙って借りるようなもんだから、借りられた本人は全く気にならない」)、それを念頭に置きながら見ると、ぐっときた。

  • 満足度★★★

    21日
    アイディアは優しく新鮮で、シンプルな物語に見事な深みを与えてくれますが、演出の方法に気を取られるからでしょうか、役者さんのお芝居にはあまり引き込まれませんでした。

  • 満足度★★★★

    これはすごい
    時代と人と仕事が見事に重ね合わさって見えた。

    どんな些細な仕事にも歴史があり、社会を作る欠かせぬ
    一片であり、また誰かに代用がきくことも確か。
    しかし家族だけは代用の効かない唯一の絆。

    一見前衛的な演出にも見えるが、ジレンマをシンプルに
    繊細に紐解いた気がする。お見事!

  • 満足度★★★★

    2度目の観劇!
    やっぱり、オープニングが楽しい!(^0^)
    そうしてリーマンタワーを作って社訓!なんつって体育会系のノリ。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    今回は2度目ということもあって、全体的にゆるりと観た。で、やっぱり芝居の前半はものすっごく楽しい。勢いがあるからだ。社訓やら「わが社」社歌を合唱する場面。幼稚園の運動会みたいだ。

    そんでもって後半。小梁の妻のあの眠たくなるような言い回しが、実際、眠くなる。あのキャラクターは後半の流れを一気にせき止める感覚があってリズムが狂うのだ。しかも流れが遅い。で・・・眠くなる。

    それでも今回、キャストのターンのちょっとしたミスがあって、そこで目ざとく中村(チヒロ)が「ドンマイ!」なんて掛声する。やっぱ運動会のノリ。
    更に宮澤さんのギリギリの近すぎるターンやら、北川の5時男のノリでも楽しむ。

    結局薬局、私的にはコミカル感満載の流れで突っ走って欲しかったのだと感じる。どうだ!リーマンはダサいけれど見方によってはそこそこ楽しいんだぞ!っと、思えるように。笑
  • 満足度★★★★★

    柴幸男さんの才気に一目惚れしました
    今まで、こういう風にしたくてそうできない芝居は数々観た記憶はありますが、こういう風にしたくて、こういう風に見事に具現化できた芝居は、たぶん初めて目にしました。
    まさに、大袈裟に言えば、演劇の果てしない可能性を実証した公演。こんんなに、才能ある演劇人がこの世に存在したんだと、興奮冷めやらない思いで、恍惚感に胸溢るる思いで、帰路につきました。
    それに、柴さんの佇まいがとにかく素敵!!普通な感じが。(笑)
    今まで、せっかく後味良い芝居に感動しても、そのすぐ後に、これ俺様の仕事だぜ的な、したり顔の主宰のアフタートークなどに、げんなりした経験が数多いので、最初、柴さんが舞台に登場された時は、一瞬その嫌な経験がフラッシュバックして、心配になりましたが、良い意味で、存在感のない方で、ほっとしました。客に不快感を与える主宰だと、どうも100%その劇団のファンにはなれないのですが、ままごと、初見にして、大お気に入り劇団になりました。
    今年の☆5つでは足りない舞台3作目。
    この作品の素晴らしさを言葉で伝えるのは、非情に困難です。まさに、奇跡的実験劇の秀作。実際、体感して頂くのが、一番だと思います。

    今日の、柴幸男さんとの出会いは、私の長い観劇人生の中でも、きっと生涯忘れられない思い出になりそうです。

    ネタバレBOX

    お客さんが、座り終わった頃を見計らい、タイムカードを押して、出社してくる社員達。もう、そこから、既に、この大人版おままごとが見事に幕を明け、客席の気持ちを、まんまと、舞台に参加させてしまいます。
    手渡される社内報、一緒に歌える、元気な社歌。そういう、お膳立てが、まさにまま事遊びそのものなんです。
    会社に見立てた人生には、だから、戦争や貧困は一切登場しないのは、想定内のことでしょう。だって、これは、おまま事なんだから。
    裸舞台で、セットや小道具は一切ないのにも係わらず、説明的な台詞も前振りもなく、瞬時に、その場面の舞台を客に理解させてしまう、柴さんの手腕に心底舌を巻く驚きをもらいました。
    オペラのように、登場人物が全員舞台上にいるのに、瞬時に、その場面の登場人物だけに照明を当てるかのような、演出の才には、度肝を抜かれました。
    まるで、それだけでも十分美しい緻密な設計図によって、類稀ない職人達の技巧によって、建築が成った、世界遺産的な美術建築を目の当たりにしたような、スゴイ体験でした。
    役者の個性で見せる演劇とは異質の、綿密に計算された、作劇の妙に、感嘆させられっぱなしの90分でした。
    全てに、破綻がなくて、もう見事なまでの職人芸!!
    堪能させて頂きました。

    これと言ったストーリーがないかのように見せて、実は、登場人物の人生模様も、見事に活写されていて、秀逸でした。
    小梁さんと奥さんの会話シーンでは、涙がこぼれました。そこに射す夕日の美しさに、胸がいっぱいになりました。
    最後に、エレベーター係の鬼頭さんと、新人社員の大石のカップルが、実際またタイムカードを押して、実際のエレベーターに乗り込み、退社するシーンが、また何とも言えない余韻で、胸に沁みました。
    これから、ままごとは絶対見逃しません。
  • 満足度★★★★

    入場時から楽しい
    遊びごころが随所にあって楽しい。

    まさしく、ままごと、ごっこ遊び、です。

    難しく考えず、見たままに楽しい雰囲気を
    味わうのが良い気がします。





    ネタバレBOX

    チケットがタイムカードになっていて入場時から楽しめます。
    人類の歴史を会社組織とビルに見立てる発想が面白いです。
    エレベータや夕日を模したライティングも雰囲気があってよかったです。

    開演前に植木等の歌が流れていましたが、
    こういう窮屈な時代だからこそ、
    肩肘張らず、もっとリラックスして会社生活(=人生)を送ろうという
    メッセージかなと感じました。
    だから、敢えて会社生活の暗い部分はあまり見せなかったのかなと。

    社内報の編集や倉庫の整理、掃除のおばちゃんといった、
    地味な仕事にスポットを当てているのも
    華やかな部署や世界だけで会社(=社会?)が成り立っているのではない、
    というメッセージと受け取りました。
    後半の「xxxの仕事をしています」のセリフをリレーしていく場面にも
    通じているのではないかと思いました。

    終盤、バインダーをリレーしていく場面で
    役者がごちゃついていましたが、
    楽しそうな感じは良く伝わりました。
    乱れているという見方もあるでしょうが、
    これはこれでありかなと思います。

  • 満足度★★★

    目から鱗
    良い意味でポカーンとさせられました。
    あぁ、これが噂の柴演出なんだ~。
    わたしが今まで観た中の、どの芝居にも似ていない独特の表現。
    ストーリが無い訳ではないけれど、
    ストーリーを伝えるものではないんだと思いました。。
    柴さんの見せたかったのはテーマではなく表現自体なんでしょうね。

    役者が、動きの所為で台詞の語尾が流れるのが少し気になりました。

    ネタバレBOX

    タイムカードのチケットや、入場時にそれを押すという趣向も
    まさに「ままごと」(ごっこ遊び)のよう。
    今回は観客を巻き込んだ壮大なテーマの会社ごっこですね。

    人類の歴史をビルに見立てていましたが
    もし、戦争のある時代のフロアに行ったらどうなっているんだろう。
    柴さんならどんな風に演出するのかチョット興味があります。
    まあ、ごっこ遊びだから辛いことや悲しいことはスルーなんでしょうね。

    役者の運動量がハンパ無いです。組体操まで登場するとは驚き!
  • 満足度

    がっかりした
    残念ながらがっかりした。随所に準備不足を感じた。

    ネタバレBOX

     まず、空間の使い方。会社に見立てたアイデアはとても面白いと思う。でも、エレベーター、オフィス、屋上についてはセリフの説明で初めてわかった。アイデアを思い付いた時点で創作をやめてしまった印象である。せっかくのアイデアを見せる工夫もしてほしい。
     次に、脚本。これも、あと一生を会社に例えた発想は、岸田戯曲賞をとった柴氏だけあって面白い。でも、全体に浅い。会社、人生もいわゆる巷にある「情報」をもとつぎはぎした印象だ。社会経験がどうだということはくだらないが、分かっていないことを分かったように錯覚したような驕りがあったのではないか。
     次に、役者。稽古不足である。飛んで回るところも何となくやっているからバラバラである。セリフも上ずっていた。いかにもギャグを言いますという部分も見苦しい。
     最後に、演出家の柴氏。素で、ペンをカチャカチャ音をたてて駄目だしをメモするのは止めてほしい。演出の一部だとしたら勘違いである。

     次回に期待する。
  • 満足度★★★★

    おもしろいのは確か
    私的にはかなりのヒット作。
    ★4つか、★5つかで迷う。
    昨年のアワードで第一位になった旗揚げ公演は観てないのだけど今作も着想は似てるのでしょうね。

    開演前に配られるあれで、そして進行の過程で、そこに書かれた方をリスペクトしてるのだなと分かる。

    突っ込みどころにはあえて突っ込まず、見せてくれたところをそのまま楽しむのが良いのかな。

    わたしは大好き。DVDに残しにくい構成だよね。それに、きっと残さないよね。

    今作の演出・濃密さは、アゴラ劇場ならではで、これ以上大きな劇場になると希薄になってしまう気がするけど、どなたかも書かれていたように次回作品は、動員・集客数も考えて、池袋・東京芸術劇場あたりがいいかも。

  • 満足度★★★★

    ニンゲンの輝ける歴史をシンプルでポジティブに
    めまぐるしく状況が変わるが、理解しやすい演出がなされていた。
    ただ、このポジティブさがちょっとだけ気になった。

    ネタバレBOX

    チケットがタイムカードで、機械にガチャンと通してからの入場だったり、会社のオフィスの体で、注意事項を説明したり、なんていう雰囲気が楽しい。

    楽しく、リラックスした雰囲気で始まるのがとてもいい。
    社歌も楽しかった。むやみにパートが分かれていたりして。

    地上は2010階以上あり、地下は300万階あるという、ACとBCを分けて地上と地下に建っているビルが舞台。
    この設定で、これが何なのかはすぐわかるようになっている。

    ある職場の一日が描かれるのだが、そこに関係する人々の人生の一部でもある。そしてニンゲンの歴史でもある。

    人は仕事をする。その仕事で人と出会い、別れていく。別れは一時的なものであったり、永遠だったりする。
    退社することは、死ぬこと、早退は、自らの命を縮めること。
    仕事=人生(生きること)な世界。もちろん、比喩的なのだが。

    会社員という設定に背中を預けての、世界観を披露しているのだが、どうもポジティブすぎる。
    早退しようとする、痩せた男も出てくるのだが、それは彼のみが抱える問題のように見え、それ以外はポジティブさが溢れているのだ。まるで、何の問題もそこにはないようだ。

    生きることはポジティブであれ、ということが根底にあるのだろうが、仕事をするということは、それだけではないだろうと思う。
    どうも高度成長時代の会社員たちを見ているように思えてならない。

    これって「2010年」の階ではないんじゃないの? という気持ちがどうしても出てきてしまう。
    「働く」ことの不安や障害がないのだろうか。楽天すぎやしないだろうか。
    何も派遣切りやリストラが溢れる現在の労働状況を描けというのではない。

    働くことには、やはり何かの問題がつきまとうのではないだろうか。どんな仕事をしていても、常に順風満帆というわけにはいかないだろう。
    ネガティブと言わないまでも、大変さや苦労は、やっぱりあるんじゃないかと思う。単純に言えば、通勤ラッシュから始まる肉体的苦痛と、上司や部下や同僚との関係などなどなどなどなど。

    軋轢や壁を乗り越えることが人を大きくするのではないのだろうか。
    「仕事」を軸にして、ニンゲンというものの歴史を描くのならば、そうした一面もきちんと織り込むべきではないのだろうか。
    つまり、早退した男は、そうした軌道に乗れずに、自ら敗退してしまった、敗者のように描かれてはいなかっただろうか。

    ここが、2010階ではなく、高度成長期時代の階のように感じてしまった一番のところだ。
    ・・・幕開きの前の音楽は、スーダラ節など、まさにその時代を象徴するようなクレージキャッツの歌だったりしたし。

    大変な仕事をどうやってこなして、どう生きていくのか、あるいは生きてきたのかという視点で、ニンゲンの歴史を見てほしかったと思うのだ。
    それがあってのポジティブさならば、違和感は感じなかった。

    もちろん、この職場の設定が広報誌を作っていて、それは誰も本気で読んでないとという、組織の歯車としての会社員の虚しさはあるが、結局は、どの人も単純にそれは飲み込んでいってしまうのだ(ただ1人は異動していくようだが)。

    歯車というのは、ラストで、書類を手渡しながら、全員がくるくると現れ消えていく様子に集約されていたようにも思える。
    それが「虚しそう」なのではなく「楽しそう」なのだ。

    楽天的とも言える。これは、どうしてなんだろうか? と考えざるを得ない。ひよっとして、作・演出の柴さんが、がっつりの会社員経験がないからたのだろうか(実際はどうなのか知らないが)、だから歯車になったときの「虚しさ」や歯車としての、組織的な動きの連帯感などからくる「楽しさ」というレベルまでに達していないのではないだろうかと思う。

    結局、本当は、作・演出の柴さんが(たぶん)一番楽しんでいるのだはないだろうかと思った。
    シーンごとの、柴さんのチーンベルの合図とともに役者たちが動き、台詞を言う、そんな様を稽古のときのように近くで、柴さんは眺めている。しかも、稽古とは違い観客というプラスアルファの要素(しかもギュウギュウの満席で)まであるのだから。

    私の席からは、柴さんの顔は見えなかったが、間違いなく、幸福に満ちた顔をしていたのではないかと思う。
    実際、この舞台が設定している本当の観客は、演出家である、柴さんだったのではないかと思ってしまったり。

    人の歴史は、地下300万階から連綿と続いているが、新人が上司になり、また新しく新人が入りという繰り返しの中にわれわれは生きている。
    「仕事」という生活を毎日繰り返している。

    そんな繰り返しの中で、確実に、次の世代に手渡していくものがある。
    それは、何なのか、具体的には示していなかったが、先にも書いたように、書類を手渡しながら、登場人物たちが全員でくるくると現れ消えていくときの「書類」、例えば、それは、人間としての「DNA」だったり「智慧」だったり、「二足歩行」というヒット商品だったりするわけだ。

    ここのところには共感できる。

    次世代にそんな「書類」を手渡すときに、相手の動きを反動として、より強く、より早くなっていく。その様がタイトルの「スイングバイ」じゃないかと思った(舞台では早くなっていたようだが、最初からスピードがあったので、明確には表現しきれていなかったようだけど)。
    スイングバイっていうのは、人工衛星が惑星の引力を使って速度を増したりする方法だ(ボイジャーとかが使ってた)。

    ニンゲンの歴史は、そうやって、「スイングバイ」しながら、加速度的に進化続けていくのだ。

    だから全体のトーンがポジティブなのはわかるが、しつこいようだが、それだけでない「カゲ」となる部分(マイナスという意味ではなく)が、ニンゲンにとって有用であることも否めないという視点もほしかったのだ。

    帰りにもタイムカードを押して会場を出るのだが、実際に会社員だったりすると、自分の会社に出社してタイムカードを押すときに、ちょっとこの芝居を思い出したりするのだろうか、なんて思ったり。
  • 201003191930
    観劇

  • 満足度★★

    無邪気さと無自覚と
     20世紀アメリカの作家ソーントン・ワイルダーの戯曲には、人類の歴史を、とっても身近なちいさな社会(町とか、家庭とか)にまで圧縮して、重ねて描く作品がいくつもある。その代表作が “Our Town” (わが町)なので、「わが社」の歴史と人類史とを重ねて描く今作は、前作『わが星』と同じくワイルダーを下敷きにしている。

     ワイルダーは本当に面白い。でも僕には、柴幸男作品にちょっと疑問があるのです。

    ネタバレBOX

     人類の誕生とともに創業された「わが社」のビルは、毎日1フロアずつ歴史を積み重ねていく。今日は、2010年、3月○×階。そんな「今、ここ」で、僕らは、いつもとなんにも変わらない、一日を働いてすごす「社員」という人類の生活を見せられる。

     出会いもあれば、別れもある。結婚して、子供が生まれて、出世する人もいる。ほとんど人に顧みられない仕事を、延々つづける人がいる。なにもかもが嫌になって、働くのをやめる人がいる。そして、退社という名の「死」を迎える人もいる。柴幸男の演劇は、ワイルダーの劇作よろしく、小さな「わが社」という社会の中に、人間の営みや人類の歴史を圧縮する。

     「すずと、小鳥と、それからわたし、/みんなちがって、みんないい。」口当たりよいリズムにあわせて、人の全てを肯定する。ちょっと、じーんときてしまう。

     でも、ワイルダーのものと違って(金子みすゞとも違って)、この人類史には、戦争も、憎しみもない。苦しみがあんまりなさそうだ。どこか、そういう人類の負の側面を、「あえて描かない」ようなところがある。悪いことには、あえてそうしていることに、作者の自覚がないみたい。よしんば自覚があるにしろ(劇団名「ままごと」だし)、表面的には全く無邪気にうつるそれは、観客の目も、そういう部分から、無意識に目をそらさせる、危険な世界だ。今の世界を、「そのままでいいよ」と言って肯定してくれる、甘くて幼いユートピア。ノスタルジックな絵空事にしか見えなかった。

     「わが社」のタイムカードの形のチケットを、レコーダーに通してから、僕らは舞台に案内される。舞台に入るとパンフレットを「社内報です」と社員姿のスタッフから受け取る。劇場を、今日は「わが社」とみなすルールは、観客席を舞台と接続させようという試みだろう。

     でも、柴幸男のやり方は、観客の側に、舞台のルールに従わせるやり方。彼らの無邪気なままごと遊びに付き合わされる僕には、それは無自覚なだけ、よけいに傲慢と見える。そしてルールは、その外側を、内側から切り離してしまう。今回、舞台で演出家を演じた柴は、舞台上で、役者たちのかけあいを見て大笑いしていた。稽古場のような空気。よほど楽しいのだろう。観客の側を、つまりは、演劇の世界という小さい社会の外側を、みているようには思えなかった。そんな姿勢が、「今」を如実に表している、といえないことも、ないけれど。
  • 満足度★★★★

    蟻の大群!
    ここでのリーマンが働くビルは普通のビルではない。おそらく高さという概念もない。それでも空虚すら感じるその壮大なビルは天空のもっと上のオゾン層までも届いている感覚のある高さだ。だから300万階のビルの窓からは雲が下に見え、雨は降らない。笑

    要するにアニメ的な描写の世界。

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    オープニングが楽しい。そして同じような風景で幕を下げるのは、昨日と同じような仕事をして、今日と同じような仕事をするであろう明日のリーマンの習性のようだった。

    キャストはリーマンらしくない。リーマンらしかったのは板倉チヒロといしおくらいだ。まあ、トーゼンと言えば当然だ。彼らは現実にリーマンなんてやったことないだろうから・・。これらのリーマンが働く企業の本社はは300万年の歴史を持ち60億の支店を抱え、これまた30万階の巨大な超高層ビルだ。つまりは地球規模の企業だが、エレベーターの階が2010年3月16階とか2018年3月17階などと表示してあって、過去にも未来にも行けるドコデモドアー!!みたいな状況だ。

    そんなビルの中で働くリーマンはまるで蟻のような存在に見える。社内広報課やら食品流通部やら総務やらで社員は働き、何処の会社でもある似たような人間関係を構築している。新入社員はあまりにも広すぎるビルの中で右往左往し、あたふたとしてしまう。気づくと何も仕事をしていなかったように思え、はたまた、本当に仕事をしない窓際族も居る。会社を不満に思う中堅ドコロの社員は退職し、それでも会社が困ることはない。かつての同士は今日と同じように何も変わることなく明日も働く。同じ道筋を決して逸れない蟻のように・・。

    物語が反転する度にキャストらも反転する。この区切りは会社で働く人間の感情にも思えて可笑しくもあった。ただ、この反転が舞台上で最後までずっと続く。だから、少々飽きる。序盤は引き込まれて終盤に飽きるパターンだ。

    これらは自らの意思で動いてないリーマンが軌道を逸れないように頑張っているようで哀れにも思えるが、ちょっと考え方を変えれば楽なのだとも思う。言われた事をそこそこコナシ、必要以上に成績を上げることはしない。テキトーに働けば良いだけだ。これが長く勤めるコツだ!なんつってリーマンを見下げてしまう事もあるが、実はワタクシもレッキとしたリーマンなのだった。

    まあ、蟻も大群になれば世界を滅ぼす機動力になるのかもしれない。
    頑張ろう!リーマン!世界は我々が動かしてるーーー!!!

  • えすえふ。
    柴作品はSF。Sukoshi Fushigi。その線引き具合が絶妙。あとちょっと踏み込んだらきっと何やってるか分からなくなっちゃうけど適度。演劇を見慣れない方は『こういうのもあるんだなー』くらいの気持ちで観れば良いし、畏まって観る必要がないのは次第に分かるはず。子どもが玩具で本来以外の用途での遊び方を見付ける様に、演劇で遊んでるんだなというのが伝わって来る。
    物語はあらすじにある通り。ドラマや漫画で見た覚えがありそうな部分があって、でもそれは安易に選んだのではなく観る側から遠くなりすぎない様にあえての印象。共感というよりは再確認と顧み。
    冒頭からしばらくは個人的にあんまり面白くなかったのが、途中からノリ始めました。始まった瞬間から面白かったらそれは好みだからだろうし、もしくは目当ての出演者を追うとか何かしらの観る為のスタンスが出来ているから。折原さんとか野津さんとか森谷さんとか事前に気に掛けていた役者はいたんだけど、冒頭のあれこれは個人を観る部分じゃなかったからこの演目自体を値踏みする目線になってたんだろうなぁ。それで面白く感じたって事は、ちゃんと面白かったんだと思います。
    劇場を出てビルがあったらいいなと思えて、演目的にはルデコでもアサヒアートスクエアでもやれそう。とはいえそれに合わせるにしても次にやるなら規模的に池袋の芸術劇場とかになるのかなと妄想。

    ネタバレBOX

    「わが星」から「わが社」。世代を越えた人の移り変わりを見せる点では「あゆみ」に似ているのかも。締めの「階を重ねる」は「回を重ねる」でもあり、客も一部だった訳で。客入れの時点でその趣旨は伝わってきたし、ちゃんと回収して終わってるのが良かった。
    スイングバイ部分が長かった様な。動きがちょっと雑に見えた気もするし、とはいえ世代や仕事の引き継ぎを見せるにはあのくらいの時間が必要だった気もする。本人は目まぐるしく必死にしてるけど傍目から見たら大した仕事に見えないっていう意味ではとても理に適っているものの、そこまで読み取らせるには足りてない。多分まだベストじゃない。
    冒頭の矢倉は会社だったし社会だったんだと後から思い返す。そして別団体なんだけどふと岡崎藝術座の見方が分かった気が。この矢倉で、ふと。
    駒場東大前駅に着いたら『結局あの細い人は飛び降りたのかな?』と話し合う声が。あの早退は好きに捉えればいいんじゃないかなと思った。個人的には自殺を見ちゃったら娘さんが同じ会社に務めるかは微妙な気がする。でも会社だし社会だったからなー。見ちゃっても抱えて過ごしていかなきゃならないのかもな。
    柴さんも出演クレジット明記があっていい気がしたけど、あれはゲームの親の位置なんだろうな。出演者にあれをやらせたら語り部になっちゃってそれ以外させられなくなるし。世にも奇妙な物語のタモリみたいな。いや、タモリはたまにカメオやってるけど。…取り留めがなくなったのでこの辺りで。
  • 満足度★★★★★

    柴幸男ワールド全開!
     前回の「わが星」で星の誕生から滅亡までをちょっとコミカルな5人家族で表現した柴幸男が今度は「スイングバイ」で人類の歴史を超高層ビルに見立て、悠久の営みを会社での仕事に置き換え、独特のリズム感で表現した。

     初日ゆえの堅さもあってか、完成度ではまだ「わが星」に及ばないものの、岸田戯曲賞受賞というプレッシャーに負けず、自由奔放に演出している様子が伺えてうれしかった。端々に独特の感性と感受性が感じられ、今、時代と共にある劇作家の代表である。見逃してはいけない作家だ。

    「わが星」で完成させた柴流のリズム演劇が、今回も見事に機能し、オープニングとエンディングの会社の風景はまるでスポーツ中継を観るかのようなわくわく感でいっぱいだった。

     役者では部長を演じた菅原直樹が独特の魅力があった。新人サラリーマンを演じたいしおと、その恋人でエレベーターガールを演じた菊池明香がさわやかだった。

    ネタバレBOX

     場面転換で役者達が一斉にくるりと宙を舞う。これがスイングバイだと思った。回転しながら加速度を生む運動。このスイングバイで芝居全体にリズムを作り、そのリズムの中で物語にきらめきを持たせる。

     柴幸男はまるで化学者のように、新たな実験を次から次へと始めた。我々は錬金術師の産み出す化学変化をただ、楽しめばいいのである。

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