スイングバイ 公演情報 ままごと「スイングバイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ニンゲンの輝ける歴史をシンプルでポジティブに
    めまぐるしく状況が変わるが、理解しやすい演出がなされていた。
    ただ、このポジティブさがちょっとだけ気になった。

    ネタバレBOX

    チケットがタイムカードで、機械にガチャンと通してからの入場だったり、会社のオフィスの体で、注意事項を説明したり、なんていう雰囲気が楽しい。

    楽しく、リラックスした雰囲気で始まるのがとてもいい。
    社歌も楽しかった。むやみにパートが分かれていたりして。

    地上は2010階以上あり、地下は300万階あるという、ACとBCを分けて地上と地下に建っているビルが舞台。
    この設定で、これが何なのかはすぐわかるようになっている。

    ある職場の一日が描かれるのだが、そこに関係する人々の人生の一部でもある。そしてニンゲンの歴史でもある。

    人は仕事をする。その仕事で人と出会い、別れていく。別れは一時的なものであったり、永遠だったりする。
    退社することは、死ぬこと、早退は、自らの命を縮めること。
    仕事=人生(生きること)な世界。もちろん、比喩的なのだが。

    会社員という設定に背中を預けての、世界観を披露しているのだが、どうもポジティブすぎる。
    早退しようとする、痩せた男も出てくるのだが、それは彼のみが抱える問題のように見え、それ以外はポジティブさが溢れているのだ。まるで、何の問題もそこにはないようだ。

    生きることはポジティブであれ、ということが根底にあるのだろうが、仕事をするということは、それだけではないだろうと思う。
    どうも高度成長時代の会社員たちを見ているように思えてならない。

    これって「2010年」の階ではないんじゃないの? という気持ちがどうしても出てきてしまう。
    「働く」ことの不安や障害がないのだろうか。楽天すぎやしないだろうか。
    何も派遣切りやリストラが溢れる現在の労働状況を描けというのではない。

    働くことには、やはり何かの問題がつきまとうのではないだろうか。どんな仕事をしていても、常に順風満帆というわけにはいかないだろう。
    ネガティブと言わないまでも、大変さや苦労は、やっぱりあるんじゃないかと思う。単純に言えば、通勤ラッシュから始まる肉体的苦痛と、上司や部下や同僚との関係などなどなどなどなど。

    軋轢や壁を乗り越えることが人を大きくするのではないのだろうか。
    「仕事」を軸にして、ニンゲンというものの歴史を描くのならば、そうした一面もきちんと織り込むべきではないのだろうか。
    つまり、早退した男は、そうした軌道に乗れずに、自ら敗退してしまった、敗者のように描かれてはいなかっただろうか。

    ここが、2010階ではなく、高度成長期時代の階のように感じてしまった一番のところだ。
    ・・・幕開きの前の音楽は、スーダラ節など、まさにその時代を象徴するようなクレージキャッツの歌だったりしたし。

    大変な仕事をどうやってこなして、どう生きていくのか、あるいは生きてきたのかという視点で、ニンゲンの歴史を見てほしかったと思うのだ。
    それがあってのポジティブさならば、違和感は感じなかった。

    もちろん、この職場の設定が広報誌を作っていて、それは誰も本気で読んでないとという、組織の歯車としての会社員の虚しさはあるが、結局は、どの人も単純にそれは飲み込んでいってしまうのだ(ただ1人は異動していくようだが)。

    歯車というのは、ラストで、書類を手渡しながら、全員がくるくると現れ消えていく様子に集約されていたようにも思える。
    それが「虚しそう」なのではなく「楽しそう」なのだ。

    楽天的とも言える。これは、どうしてなんだろうか? と考えざるを得ない。ひよっとして、作・演出の柴さんが、がっつりの会社員経験がないからたのだろうか(実際はどうなのか知らないが)、だから歯車になったときの「虚しさ」や歯車としての、組織的な動きの連帯感などからくる「楽しさ」というレベルまでに達していないのではないだろうかと思う。

    結局、本当は、作・演出の柴さんが(たぶん)一番楽しんでいるのだはないだろうかと思った。
    シーンごとの、柴さんのチーンベルの合図とともに役者たちが動き、台詞を言う、そんな様を稽古のときのように近くで、柴さんは眺めている。しかも、稽古とは違い観客というプラスアルファの要素(しかもギュウギュウの満席で)まであるのだから。

    私の席からは、柴さんの顔は見えなかったが、間違いなく、幸福に満ちた顔をしていたのではないかと思う。
    実際、この舞台が設定している本当の観客は、演出家である、柴さんだったのではないかと思ってしまったり。

    人の歴史は、地下300万階から連綿と続いているが、新人が上司になり、また新しく新人が入りという繰り返しの中にわれわれは生きている。
    「仕事」という生活を毎日繰り返している。

    そんな繰り返しの中で、確実に、次の世代に手渡していくものがある。
    それは、何なのか、具体的には示していなかったが、先にも書いたように、書類を手渡しながら、登場人物たちが全員でくるくると現れ消えていくときの「書類」、例えば、それは、人間としての「DNA」だったり「智慧」だったり、「二足歩行」というヒット商品だったりするわけだ。

    ここのところには共感できる。

    次世代にそんな「書類」を手渡すときに、相手の動きを反動として、より強く、より早くなっていく。その様がタイトルの「スイングバイ」じゃないかと思った(舞台では早くなっていたようだが、最初からスピードがあったので、明確には表現しきれていなかったようだけど)。
    スイングバイっていうのは、人工衛星が惑星の引力を使って速度を増したりする方法だ(ボイジャーとかが使ってた)。

    ニンゲンの歴史は、そうやって、「スイングバイ」しながら、加速度的に進化続けていくのだ。

    だから全体のトーンがポジティブなのはわかるが、しつこいようだが、それだけでない「カゲ」となる部分(マイナスという意味ではなく)が、ニンゲンにとって有用であることも否めないという視点もほしかったのだ。

    帰りにもタイムカードを押して会場を出るのだが、実際に会社員だったりすると、自分の会社に出社してタイムカードを押すときに、ちょっとこの芝居を思い出したりするのだろうか、なんて思ったり。

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    2010/03/20 07:40

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