頭痛肩こり樋口一葉 公演情報 頭痛肩こり樋口一葉」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    8/7、貫地谷さん、若村さん、それからわが熊谷真実ねえさん出演でよかった。真実ねえさんの身の持ち崩し方がよい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    2回目。
    第一幕75分休憩15分第二幕70分。

    樋口夏子(一葉)の明治23年(1890年)の19歳から明治31年(1898年)、没後の2年後までをある年の盂蘭盆会(うらぼんえ)、7月16日のエピソードで綴る。(一度だけ例外がある)。

    若村麻由美さん一世一代の当たり役、成仏出来ず現世を彷徨う幽霊、花蛍(はなぼたる)。彼女を観る為だけに足を運ぶ価値がある。両の袂をヒラヒラ振り回し、志村けんのコントのような絶妙な間でとぼけてみせる。名演。

    またやるならば観るだろう。

    ネタバレBOX

    元宝塚トップスター、香寿たつきさんの歌声が朗々と響き渡る。

    私達の心は穴の空いた容れ物
    私達の心は穴だらけの容れ物

    幕は400字詰め原稿用紙。樋口一葉(夏子)の生命が枡目から滲み出してゆく。自分の心の宇宙を可能な限り言語化して最後の一滴まで絞り出す。
    「私は小説で世の中に取り憑いてやった気がします。」

    幕は張り巡らされた網の目にも見える。因縁の糸の網の目に雁字搦めに縛られていく人々。(今作では女性)。誰を恨んでも誰を憎んでもこの構造とこのシステムの中に取り込まれていくだけ。
    「でも私、小説でその因縁の糸の網に戦さを仕掛けてやったような気がする。」
    虚構で現実に戦を仕掛けるロマンティシズム。

    オープニング、5人の女の子達が「ぼんぼん盆の十六日に 地獄の地獄の蓋があく 地獄の釜の蓋があく」と歌いながらお駄賃をねだりに家々を練り歩く。邦子(瀬戸さおりさん)が一厘ずつあげるのだが、その少女達に扮しているのは貫地谷しほりさん、増子倭文江さん、熊谷真実さん、香寿たつきさん、若村麻由美さん!
    第二幕のオープニングでは、夏子(貫地谷しほりさん)のもとに童に扮した瀬戸さおりさん、増子倭文江さん、熊谷真実さん、香寿たつきさんが訪れる。
    早着替えとメイク直しの凄まじさ、舞台裏ではとんでもないことになっているのだろう。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    樋口一葉を主人公にしているが、登場人物は母親と妹以外は創作であり幽霊まで出て来る。作者の頭に浮かんだ彼女の同時代の女性を描いた『明治女性図鑑』であり、それは別の井上作品「貧乏物語」と同様である。樋口一葉と聞くと「たけくらべ」「にごりえ」と反射的に答える受験知識しかない私でも十分に楽しめた。上手すぎる6人の女優さんによる素晴らしいエンターテインメントである。
    ただし、明治時代の話なので前半40分くらいは話に入れずに困ってしまった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    こまつ座は近年かなり観ているけど、本作は初めて
    4月の「貧乏物語」に続き登場人物は女性6人
    貫地谷しほりの生舞台を初めて観られた
    6年余前の舞台で気に入って以来時々観ている瀬戸さおりも出ていた
    世間体、家名・・・、時代の束縛と苦闘する女性たち
    幽霊の花蛍(若村)が笑いを誘い、八重(熊谷)の変化は目を見張り、ひとり逆行する多喜(増子)も特徴が良く出ていた
    鑛(香寿)は得意の歌を披露
    最後の邦子(瀬戸)が後ろ向きにタンスを背負って消えていくシーンはとても印象的だった
    ただ、「演劇」というよりは「芝居」の要素が強い舞台だったように思う

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    3時間弱のお芝居。
    一幕は長かったけど、休憩明けの二幕から面白くなってきた。手練れの役者さんばかりの印象。歌が綺麗だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    以前から気になっていた作品で、ようやく観ることができた。さすがに井上ひさし氏の傑作。達者な女優陣のもと、見応え十分でありました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    数ある井上ひさし戯曲の中でも、随分前にある知人が「あの」と枕語を付けたニュアンスで本作を紹介していた事が頭に残り、気になっていた演目。そこへ「ちりとてちん」の貫地谷女史が出演とあって自分にしては早い時期に予約した(席は大分埋まっていたが)。
    宇野誠一郎作曲と思しい楽曲が心地よく流れ、歌が折々に歌われる。古い感覚が普遍性に届いていて心に沁みる。
    女性のみの舞台である事に途中ではたと気づいたが、女人芝居にしばしば見受ける息苦しさがなく広がりがある。家長であり仕事人である一葉の風情(社会に開いている)にも拠るだろうが、面々の個性の棲み分け、幽霊の存在も「広がり」に貢献している、
    「女性」の物語である事への気づきと共に胸を締め付けられるのは、後半の事である。男性の井上ひさしが、意図を悟られず周到に(難しいことをやさしく)、テーマを狭めず外堀を埋めてついに獲物をしとめるように核心を突く。達人技には唸るばかりである。

    休憩中にチラシを手に取り「答え合せ」をすると、増子倭文江に、若村麻由美の名。そして音楽監修に国広和毅の名が目に止まる。今回、宇野誠一郎の楽曲を(間違いないと思うのだが)新音源に誂え直している。中音域のストリングスが、あの「白い巨塔」(70年代の方)のオープニング曲の音色そのもの(シンセか本物か判別困難なアレ)で耳に心地よく、今回は「古さ」にある良さを再生する国広氏の仕事であった。芝居への貢献に徹する仕事振りには毎度舌を巻く。

    ネタバレBOX

    歴史人物を描いた本作だが「創作」部分も秀逸だ。
    一葉の周辺に時折化けて出る女がいる(若村)。これが違和感なく一風景に収まるのはこの日が旧盆で、芝居の冒頭には子供たち(演じるは本作出演の女優たち)が提灯を下げて「今年の盆の、、」と一しきり歌う。
    場面変われば大方が明治○○年七月十六日とある。終わってみればこの芝居は死者を迎える「お盆」にまつわるお話になっており、死者と生者が出会う風習を背景画にして生と死を(つまり生を)考える内容になっている。
    それはともかく、一葉にしか姿が見えないその女は、怨みを抱えて死んだらしい事は分かるが何を恨んで死んだかは覚えていないという。よくある話の範疇。樋口家の居間に出入りする女たちとの場面にもいつしか混じり、幽霊女がかつて身を沈めた廓時代に親しんだ芸者遊びの歌の一節も口から出たりする。ところが場面変り、一葉はその歌の遊びを好んだ芸者が一年前、ある男の身受けが成就せず死んだ、それがあなただと告げる。男は周囲を説き伏せて大きな借金をし、廓へ急いだが急ぐあまり五百両を入れた包みを落としてしまう。取って返すと辻曲りで一人の婆が懐手をして震えていた、だが問い詰めても婆は頑なに知らぬと突っぱね、絶望した男は身投げ、女も後を追った(だったか、もしくは絶望した男が詫びを入れに女の元へ行き、その足で二人してドボン)。そして決定的な証拠として、その婆は程なく大きな店を出した。
    ここでは、力なく浮遊していた女がやおら「風格」に満ち満ちて怪談めき、敵の元へと消えるという転換がある。喜劇のアイテムだった幽霊が、悲劇(のヒロイン)性を帯びるのである。芝居のジャンルが違えば喝采が起きる瞬間だろう。作者はこの女に「花蛍」という名(源氏名だが)を与えている。

    だがこの怨み晴しの顛末は意外な方向へ転がる。即ち彼女が化けて出た婆は、床を頭でこすって当時は息子が不慮の事で借金を背負わされ、つい目がくらんだ・・と事分けをする。これに「言いそうな話だ」と突っ込むのが一葉の方で、女の方は婆に同情する。そして婆の息子をだましたやつの元へ、怨み晴しに向かう。ところがそこにもやむ方なき理由があり、別の元凶が現われる。こうして己の恨みの源を探し歩いているという疲れ気味の女を一葉は労う。
    この幽霊女の「怨み晴らし」話はさらに続き、ある時一葉こそ元凶と息巻いて飛び込んでくる。以前一葉がある宴席で粗相をした小間使いをこっぴどく叱った事でその小間使いは別の者に当たり、その者は別の後輩に当たり・・巡り巡って自分は思い人と添い遂げられなかったのだ、と言う。一葉は「なぜ自分がそうしたか」を説明する(女は「またか」とうな垂れるが、これまでそうして来たように女は「事情」に耳を貸す)。実は一葉はその日、他の者が新調した着物を着ていた中で自分だけ古着を着て参席したが、女中は汁物をそれに零した。一葉はそれに怒ったのではなく、それを見て皮肉を言って笑った席を設けた会長さんだかに対して抗議していたのだ、という(こうした女の衣裳に絡めて貧乏や苦労話を挿入する所が作者の芸当の一つでもある)。幽霊女は会長の元へ飛ぶ。
    だがその後再び現われた時、怨みの因果はやんごとなき身分にまで遡及し、ついに皇后陛下まで辿り着いた事を女は告げる。ある会合である貴族に口を利かないというつれない態度を見せたのが、皇后の「落ち度」なのであったが、皇后は世の中に山積する事々を考えて物憂くなり、ついそういう態度をとってしまった、という。
    女は自分の恨みの源が社会全体に及んだと見極め、復讐を諦めた、と語るのである。

    この結末自体は読める。だが、井上ひさしが幽霊女を通して「やさしく」伝えた「難しいこと」を考える。この社会の全ての事象は(相互関与の可能性を排他的に証明できる場合を除いて)繋がっているということ。敷衍すれば、あらゆる犯罪も貧困も社会問題も社会的影響下で生じるという意味で全ての成員に責任がある、と言える。責任と言えば刑事責任の事を言い、法的拘束力のない「道義的責任」「社会的責任」「政治的責任」は問う必要がなく考える必要もない、という狭隘な社会観(というより倫理観と言うべきだが機能しない言語はやがて墓場行きと予測される)が、「繋がり」の社会観に対置されるが、急速に廃れ顧慮されなくなりつつある社会観でもある。日本の衰退の原因は他人が作った既存の「法律」を絶対視する、という態度に示されている。現状を不変と仮定し、そこでベターなポジションを得ようとするマインドが浸透した。実際にその固定した構造の中で息も絶え絶えの日々を送る者は、やがては法の埒外に救いを求める以外ないと気付くだろう。そこに悲劇がある。撃たれた安倍晋三は国の最高責任者としてどういう社会ビジョンを示そうとしたか。政治的責任など一顧だにせず「刑事訴追」がない事だけを己の政治生命維持の根拠とし、数々の疑惑を逃れるばかりか恣意的な検事総長人事を誘導した(法的責任はあっても起訴さえされなければ良い、という倫理的後退もお構いなしな態度)。
    全ては繋がっている、そこに自分もコミットしている、という社会観なくして社会を改善する意識など生じない。安倍氏は変革を促す政治家ではなく、諦めさせる政治家だった。殺害されて当然、とは思わないが、何かを思わずにはおれない。(井上ひさしの風貌を思い浮かべると、このくらいの事は言いそうだな、と思ってしまうが、氏の存在はこういう社会の変化自体許さなかったのではないか。。)
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/08/10 (水) 13:00

    座席1階

    こまつ座旗揚げ公演で井上ひさしが書き上げた作品。以前から見たいと思っていたが、今回の再演でようやくチャンスが巡ってきた。
    父や兄を失い、若くして戸主となって母や妹たちを赤貧の中で支えた作家・樋口一葉の物語。今年は生誕150年だ。一葉は生前、自分に戒名をつけていたというが、井上ひさしの着想は「生きながら死んでいる。だからこそ世の中がよく見えた」というところから始まったという。死者の魂が戻ってくる毎年のお盆を繰り返しながら物語は進む。舞台にどの場面でも仏壇があり、お盆の会話劇が舞台を盛り上げた。

    まず、花蛍という幽霊を演じた若村麻由美がすばらしい。この幽霊、自分を身請けして夫婦になるためのお金をネコババした老女を呪って出るのだが、実はその老女にも事情があり、その事情を作った「悪党」にもまた事情ありということで、世の中、人と人とのつながりの連鎖でできているということを舞台を通して提示する。一葉役は貫地谷しほり。彼女らしいメリハリのついた演技で、ピシッと筋が通った一葉の生き方を見せてくれた。

    女性6人による舞台だが、それぞれが個性があっていい。男性の身勝手なふるまいにたてつくこともせず耐え忍んだ明治の女性たち。「女が地獄に落ちるには三日もあれば十分さ」という熊谷真実のセリフは強烈。そんな社会を筆の力で変えたいと歯を食いしばる一葉の姿は印象的だ。

    劇中歌もいい曲だった。死者が還ってくる「お盆」らしく抑え気味の舞台セットと演出も奏功している。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    再演のたびに見てきたが、今回は6年ぶり。劇場がよいにハマってからは初めてなので、作劇の特徴にいろいろ考えさせられた。

    ネタバレBOX

    ・一葉の評伝劇をはみ出すところが極めて大きい。他のひさしの評伝劇とは相当異色。花螢の幽霊が舞台回しで、一番目立つし、芝居の軸になっっている。また、稲葉廣、八重の二人の架空のキャラクターが大きい。八重は商売女になった後、「にごりえ」のおりきが被っている。
    ・前半の4場まではかなり急ぎ足。見せ場は後半の5場、6場にある。とくに5場が、上記の三人の女性の見せ場になる。八重が娼婦になって現れ、稲葉と八重は妻と娼婦として、夫をめぐって対立する。花蛍が、恨みの元は夏子にあった、と迫り、さらに恨みの連鎖を追いかけていく。
    ・6場になって、花蛍の恨みの元は皇后まで行く。そこで一葉=夏子がすくと立って「私は小説で、因果の塊の世の中へ戰を仕掛けてやった気がするわ」と。この一言が素晴らしい。この一言で、それまでの一様とは無関係な話の全てが一葉文学へのオマージュに一変する。
    ・最後、おくにを残してみんな幽霊になるが、そうなると表情が明るくなる。死が明るい解放となる。母のタキさえ「世間体なんて気にしちゃダメよ」と言って、客席を笑わせる。
    ・音楽が多いし、素晴らしい。「ボンボン盆の16日に」の童歌は通奏低音。江戸時代を懐かしんでタキと稲葉コウが歌う「こんな社会に誰がした」は、唐突だが、ユニーク。そして6場から何度も流れる「私たちの心は穴の開いた入れ物」の美しいメロディー。この

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