ふすまとぐち 公演情報 ふすまとぐち」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-10件 / 10件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/06/04 (土) 14:00

    ややデフォルメされた家族の閉塞的な状況を滑稽かつ辛辣に描く。ずけずけとものを言う姑のキヨと耐えかねて押し入れに籠ってしまった嫁の桜子を軸に物語話は進む。アクの強い登場人物たちに気持ちを振り回されつつ目が離せない。

    押入れの襖を隔てて通じ合えない家族の関係は、それでも互いを思う気持ちがそれぞれの心の奥に潜んでいる。

    抱えている思いの伝わらなさがおかしくも歯痒くて、「誰も逆らえない」ほど強気なキヨだけれど、悪徳商法や宗教めいたものに引っかかるのは寂しいからなのだろうか、とも思った。

    相手には伝わらないままの思いが、病床のうわ言や某集会での独白で吐露されていくのがやらせないと同時にじんわり温かくて。

    救いがなさそうでいて後味は悪くない作劇がとても好みだった。

    ひとクセもふたクセもある登場人物を演じるキャスト陣のチカラワザは本当に見応えがあった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    テキストと空間の立ち上げ方に巧緻さが光る、ホエイの代表作となり得る一作。

    ネタバレBOX

     姑による嫁に対する「いびり」とその結果の嫁の押し入れへの引きこもりが表出する家庭内の歪みを、時にコミカルに時に不条理に描く。温かい言葉はほとんどなく、互いに対する不寛容だけが込められているが、津軽弁のリズミカルなやりとりによって本来そこにある陰湿さがなくなっている。テキストは「嫁いびり」を通り越して家庭内暴力にまで展開する粘着と苛烈さを、しかしそれらを感じさせずにエンタメとして展開しており、山田百治のバランス感覚に脱帽した。
     そのバランスは俳優の演技にも見て取れる。山田が演じる老婆、中田麦平が演じる小学生男子は、もうほとんど本人であり老婆や小学生に見えるかというと怪しいのだが、それゆえに滑稽さと嫌悪感を抱かせるのに十分な効果がある。特に印象に残ったのは成田沙織の演じる小姑である。嫁や自分の娘に寄り添うように見せながら実は誰よりも自分本位である、その図々しい様を見事に演じ切っていた。
     嫁が引きこもっていた押し入れがやがて姑が寝たきりになるベッドとなる構造は見事であり、また単なる復讐劇にしない結末は観客に思考の余韻を与える。他方で、テーマとなるその押入れの「ふすま」を最後まで見たかったという欲望もなくはない。また、コミカルに振ったためか、いまひとつ感情的に動かされる部分が少なかったのは(恐らく意図的だろうが)やや物足りなさを感じた。とはいえ、テキストと空間の構成、演出の合致は見事であり、本作はホエイの代表作となり得るだろう。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ほぼ全編津軽弁によるドタバタ家庭劇。上演前にプロデューサーによる簡単な津軽弁講座があり、(結局わからない部分は思っていた以上にありつつも)楽しく観劇できました。
    いじわるばあさんを思わせる姑・キヨ(山田百次)と必要な家事以外の時間は押し入れに閉じこもって暮らす嫁・桜子(三上晴佳)の嫁姑戦争を軸にした物語は、過剰な事件も交えつつ、終始ハイテンションな演技で進行します。ですが、実のところこの物語の背景にあるものはむしろ、重苦しく苦い現実ではないでしょうか。

    非正規の仕事しかない長男・トモノリ(中田麦平)しかり、出戻りの娘・幸子(成田沙織)しかり、キヨの支配するこの家から自立すべきだと知ってはいても、すぐにそれを実行できるような状況にはないようで、だからこそなんとなくキヨの支配に従っています。一方、敵対しているはずの嫁姑の関係には、キヨが嫁に悩みを共有する「親族」なる怪しい団体と引き合わせようとしたり、桜子がキヨの嫌う虫をハサミで撃退したり、急病の気配にいち早く気付いたりと、緩やかな絆を伺わせる面もあります。二人は共に孤独を抱えながら「家庭」を支える役目を負う仲間でもあるのです。

    ネタバレBOX

    桜子が閉じこもり、時折内側から抵抗の意を示すために「ドンッ」と叩く押し入れは、終盤キヨの療養するベッドとして使われます。この押し入れが、この家族の心臓部なのではないか、逃れたくても逃れられない「家族」を象徴し、つなぐものではないかと想像すると、この劇の空間設計のダイナミズムに驚くと同時に、日本(のとりわけ地方)を覆いつづける生活の不安と、「家族/親族」の呪縛のリアルな重みに思いを馳せずにはいられませんでした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    全編、津軽弁。あえて東京公演とのことで、基本的には津軽弁がわからない人に向けて、どこまでの言葉ならそこで起きていることが伝わるか/伝わらないか、意識的に言葉を整理されていたと思います。さらに事前の津軽弁講座がありがたく、教えてもらった言葉を探しながらせりふを聞きました。おかげで津軽の空気とともに、その場でなにがやりとりされているかも伝わったと思います。津軽弁の音も美しく、東京にいながら東北の土地の音を聞けたことは良い体験でした。

    ネタバレBOX

    冒頭のキヨ(山田百次さん)の爆発的なキャラクターからはじまり、登場人物たちがエネルギーにあふれていて引きつけられました。デフォルメされているとは思いますが、実は、一生懸命しゃべっている人達は実際あのように独自の威力があったりするので、ふと「見たことある……」という瞬間にも出会えるのも笑ってしまいます。
    笑うだけでなく、迷惑をかけあっても離れられない不器用で複雑な思いが交差していく様には、物悲しくも、愛しくもなりました。また、血縁者は離れられないからこそ離れ、非血縁者であるからこそ離れない……「家族」とはなんだろうと考える戯曲構成でした。
    また、俳優個々にパワーがあるため、言葉の端々から想像できる個別の人物背景は、もっと明確であってもよいのかなと思いました。それほど、今、ここ、で起きている生身の発信に力があったと思います。

    居間と押入れの間との間に壁があり(←舞台上にはないですが)一度廊下に出なければいけない、また、闇の向こうにある玄関という舞台美術と照明がよかったです。見えないけれど、そこにある壁。しかし少し手間をかけてくるっとまわれば到達できる空間。しかしその奥にはふすまが閉じている。また、どこか外の世界へと続いている戸口。それらは人物たちの関係性や心理をビジュアル化しているようで、それが田舎の日本家屋と密着していて、「家」に飲み込まれそうでした。

    公演期間中、また公演終了後に、Twitterのスペースでゲストを呼んだトークを企画したのがいいですね。上演時間が2時間ほどあり、アゴラで自由席だったので2列目までは低いイスだということを案内いただけたら腰が幸せでしたが……長くは感じませんでした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★

    鑑賞日2022/06/02 (木) 14:00

    本劇団は『喫茶ティファニー』に続き2回目。津軽弁満載の家族劇で、笑わせる部分もあるものの、全体は嫌な話で、私のテイストではなかった。
    前説で津軽弁講座3分の後、113分。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    山田百次さん凄すぎ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ホエイ独特のわちゃめちゃ芝居。「わちゃめちゃ」の印象は割と毎回だったりする(「珈琲法要」を除く..この作りは少し別種の感がある。「郷愁のロマントピア」はややこちら寄りだった)。
    久々にお目見えの三上晴佳の嫁役、山田百次の姑役、嫁の旦那が中田麦平、その妹(出戻り)の成田沙織、その小学校の娘の井上みなみ、その年下の従弟が中田麦平いった具合。津軽弁を激しく繰り出す名手は山田氏と成田女史、ナチュラルに繰り出す三上女史。外部の人間としては姑を典型的な新興宗教に誘う二人連、また嫁をDV被害者の会的な会に招く二人連に森谷ふみ、赤削千久子のコンビ。秀逸な場面多数であるが、整理のされ方のためだろうか、「わちゃめちゃ」さが前面に出て、典型は姑だが激しい言動の起伏が「ギャグなのか」「演技なのか」と戸惑う。
    オーソドックスに収束する家族の物語であるが対立する二人や嫁と旦那の過去についての言及(仄めかしでもよい)は少なく、約めて言えば観客の想像に投げている部分が大きい。
    素材は光っているが扱い方が・・という印象が残る(割と毎回であるが)。

    ネタバレBOX

    山田氏が故郷青森で作ったユニットが劇団野の上で一度東京公演を(東京の俳優で)やったのは観た。野の上の旗揚げ公演がこの「ふすまとぐち」だとか。完全に地元人向けに書かれた戯曲という事になるが、今回はこれを書き換え無しに上演した訳である。
    なお津軽弁の名手と書いた成田女史は野々上東京公演に出演したが野々上のメンバーに非ず(津軽から連れて来た女優かと勘違いした)。

    先日観た水族館劇場で火噴き男をやって石油の匂いを漂わせていたが、この舞台でも同じ事(ライターの火に殺虫剤を吹き付ける)をやっていたが、押し入れの中でやられる側の三上女史が素早く裏から抜け出す音がしたから、中々な冒険を((劇場的にも)やっていたのではないか?
    ただ、「扱い」の問題で、ドラスティックな場面としてグイッと立たない。(残酷さを極めるなら、ぶわっと一発やって反応を待ち、さらに続けてぶわわわわっとやる、というのが良い。)ただこのシーンは、場面変って嫁の顔に包帯の(何故か)ホッとする姿に着地する。ここまでの事をやる姑の正当化は難しいが、ゆえに過去をぼやかしているのかも。・・で、その事がある時、姑の脳溢血らしい大いびきを聴いて「寝てるだけでしょ」と放っている周囲に対して「救急車呼べ!」と嫁が叫ぶという、裏面の過去への想像を掻き立てられる場面に結実する。
    のだが、その後が惜しい訳である。嫁が誘われたDV被害者の会的な会の集まりで「新入り」として証言を行なうのが、この劇では初めて嫁が「自身を語る」場面となる。ここで作者は最終的に、会が望まない証言(DV加害者を敵と見做すに足る、すなわち会の紐帯を深める証言)になって行き、彼女を誘った二人(司会)が動揺する中、嫁が出て行ってしまう場面をいわばクライマックスとしているのだが、証言の前段が劇中に起こった姑のいびりの言語化が長く続くところで、先の姑の急変時の態度はどうなったのか?と疑問が湧き、色褪せてしまう。劇を閉じるに相応しい三上女史の熱演が、「そんな姑なのになぜ私の目には涙があふれてくるのか・・判らない」という台詞と共に再び「知らざる過去」へと観客を引き戻すものの、証言の終盤に漸くである。ここは工夫が欲しく思った。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    滅多に東京では見られない地方方言に(津軽弁)による現代風俗劇。料理の塩味が濃すぎると嫁姑の争いの種になったり、新宗教まがいの商法が地縁血縁関係の濃い農村のガス抜きになっていて盛んだとか、現在の地方らしさはあるのだが、ドラマとしての嫁姑、家族親戚の子どもたちまで巻き込んでの人間関係は格別目新しいところはない。それは、この「見てきた」(深沢さんのネタバレ)ですでに指摘されてしいるとおりである。方言が分かりにくいから、細かいニュアンスがなくてもわかる筋立てにしたとしたら本末転倒のような気がする。しかしこの舞台が、他の追従を許さないということでは、ほとんど観客にはわからない津軽弁で押し通したところである。それなのに、ドラマのつくりが安易になっていたり、方言がコメディリリーフのようになっていたりして、基本的なリアリズムから離れてしまったのはいかがなものだろう。方言と言う土着的な言葉に対しては戦後(昭和20年代)、木下順二や秋元松代が日本の劇の基本構造を作るものとしてかなり苦労して実績も挙げているし実例もある。今一度、現代の眼で言葉を見直すことは良い着眼点とは思うが平田オリザ的便宜主義ではあまり奥がないようにも思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    行き止まりの家庭に集う人々の末路

     全編津軽弁の激しい応酬が会場を沸かせる家庭劇である。

    ネタバレBOX

     小山内家に嫁いできた桜子(三上晴佳)は姑のキヨ(山田百次)の激しいイビりに耐えかね、必要最低限の家事をする以外は押入れに引きこもって生活している。夫のトモノリ(中田麦平)との仲は冷え切っており、トモノリはこの現状に向き合おうとはしていない。数少ない相談相手である義姉の幸子(成田沙織)は悪い人ではないが、桜子の愚痴をそのままキヨに伝えるような無神経ぶりで状況は悪化の一途をたどる。キヨは押入れから桜子を引き出すためにきな臭い「早起きの会」の千久子(赤刎千久子)と沢目(森谷ふみ)を家に呼ぶが、桜子は頑なに応じようとはしない。桜子はキヨのいないところでは押入れから出てきて、最近家中を徘徊している害虫を駆除したり、幸子の娘小幸(井上みなみ)が親戚の幸太郎(中田麦平・二役)にセクハラされようとしたところを助けたりなど家族に対する情はある。しかしその伝え方があまり上手とはいえないようだ。そしてある出来事がキヨの逆鱗に触れ、嫁姑の対立は解決しようのないほどに深刻化してしまう。

     本作の魅力は俳優たちのエネルギッシュな芝居である。キヨを演じた山田百次は怪演であり、一度見たら忘れない押し出しの強さにグイグイ惹きつけられた。孫の小幸を使って食事の味付けが悪いと桜子に難癖をつけたり、桜子が閉めようとした襖戸に腕をはさみ「骨折した」と叫んだりなど、小憎たらしさが光る老婆ぶりであった。対する桜子を演じた三上晴佳は押入れに籠もり続けている頑固さと、いざというときは家族を守ろとうする健気さを感じた。特に終盤、体調が急変し変わり果てた姿のキヨが病院のベッドでうわ言を漏らす様子を見て、桜子が「憎たらしいけど涙がでた。どうしていいかわからない」と嗚咽を漏らした姿が忘れがたい。ほかに頼りがいのないトモノリとわがままな幸太郎を演じ分けた中田麦平の器用さに唸った。ちいさい劇場のためもう少し台詞の音量を絞っていいようには感じたが、出演者が皆イキイキとしていた様子は印象的であった。

     他方で、登場人物たちの描き方が一面的であり、単純な加害者・被害者図式の物語に感じられてしまった点は残念であった。劇中で湧いた数々の疑問ーーなぜキヨは暴君になってしまったのか、トモノリと桜子の溝が深まったのはなぜか、幸子が離婚して実家に戻ってきた理由はなんなのかーーに思いを馳せたものの、明快な答えが見つからないまま消化不良の状態で劇場を後にすることになってしまった。過剰なまでに感情をむき出しにする激しいやりとりの合間に、肚の底に秘めている本音をチラリとでも見せるような場面を入れることで、より多面的に「家族」を描くことができたのではないだろうか。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    期待して観ても面白い
    誰もが持ちうる日常の辛さや、おかしみを、津軽弁の軽やかなリズムに乗せて凄いパワーで見せつけられる(いい意味で)!
    1時間50分があっという間

    後、プロデューサーさんをはじめ受付やその周りの方々の対応が、さりげなくもとても良いなぁと思いました

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