戒厳令 公演情報 「戒厳令」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 4.2
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    #戒厳令
    #俳優座
    #野々山貴之 さんがJOKERで #清水直子 さんがアダムス・ファミリーのモーティシアに見えた。この二人が素晴らしい。表情や発声、もちろんメイクや衣装も含めて、作り上げたキャラクターで作品のネジを巻く。ただ、逆にその圧倒的な存在感が、悪魔的…宇宙人的な侵略者のイメージを強固にし、ラスト近くまで人間として捉えるのが難しかった。
    1948年に書かれたカミュの戯曲だが、疫病のペストを扱ったこの作品を、covid-19が蔓延する今、上演する狙いは理解できる。しかしながら、冒頭の民衆の喧噪からの発病、吐血と痙攣などの描写が長く、恐怖を煽るような演出は好みではなかった。震災の作品で地響きがするような轟音を使うのと似ていて、どちらも気持ちよく観られず、気持ちが離れていくのはわたしだけだろうか。
    調子を外したBGMは、狂った世界を表すのにフィットしていると感じた。
    単管パイプで組んだ足場、モニターを使った映像、ワイルドに攻めた美術は興味深かった。ただ、ライブカメラの映像を映し出すモニターはタイムラグが大きく、まだ研究の余地は或るはず。

    「何をしているの?」
    「恋よ!」
    真剣に見入る観客の中、一人マスクの下で声を殺して肩をふるわせながら爆笑していた。しばらく笑いが止まらなかった自分と世間とのズレに背中が少し寒くなった。この作品の土俵に恋を乗せた途端、急に陳腐に思えてしまった。まるで愛と恐怖がリングで戦う異種格闘技。革命を、或いは反逆を叫び拳を振り上げ立ち上がる男。それを嘲笑する女。そう、男の語る正義や愛が歯の浮くセリフで陳腐。そのリングに戦争まで持ち出されて困惑。終盤、演説のような語りを順番のように渡しながら語るのを、みんなが黙って聞く構造までも可笑しくて滑稽に思えた。

    どのタイミングで翻訳され、上演する際にどれほど手を加えることが可能なのかは、個々によるのだろうけれど、もう少し整理されたカタチの上演を観てみたい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    作家・思想家カミュの戯曲作品。小説『ペスト』(1947)が仏国民に称賛をもって受け入れられた翌年、本作は著名俳優・演出で上演されるも、評判は振るわなかった由(wiki参照)。ただしその意味は約めて言えば「作品と時代の(ビビッドな)関係」が作用したものと推察され、初演から70年を経た現代、とりわけコロナ禍の日本では中々面白い舞台になった。

    ネタバレBOX

    本作には擬人化された<ペスト>とその秘書が登場するが、小説『ペスト』がそうであったのと同様、<ペスト>はナチス・ドイツの隠喩であった。ヴィシー政権(ナチスの傀儡)時代の記憶も生々しい初演当時、小説では優れたメタファーであった「ペスト」がナチスの制服まで着て舞台上に姿を現わし、これに抵抗する青年が一人彼らを恐れず「抹殺されない」存在となり長い弁舌を振るう場面などは、いささか図式にハマり過ぎていたのではないか。また<ペスト>が差し違えで青年の命を奪い自らは敗北を認め去って行くという、ナチスの敗退をなぞったラストも恐らく当時のパリの観客にとっては興醒めだった・・飽くまで想像だが。
    (これに対し小説「ペスト」は中世のアルジェの町を襲ったペストの惨劇が描かれる。悲惨な現実に直面し、葛藤し闘う主人公を通して、読者は戦後のカオスの状況から事態を「理解」する足掛りを得たかったのではないか。)

    昨年来日本で小説『ペスト』が注目を集めた理由は言うまでもなく新型コロナにより、従って注目点は(ナチスよりは)未知なる伝染病への恐怖だ。『戒厳令』に登場するキャラクター<ペスト>も、今の観客は新型コロナ・ウイルスの隠喩と受け止める。同じ言葉が1948年当時とは異なる意味を含み持つ。だが一方、当時ナチスという存在に人々が(カミュが)見ようとしたものを、我々も別の形として見ているとも言えるかも知れない。

    作品の冒頭、地球に接近する彗星を見やる町の人々。彼ら各々が吐く言葉の中に不吉の予兆がある。やがて血を吐いて倒れて死ぬ者がそこここで現われ、人々を恐怖させる。町を統べる総督は「動揺する勿れ」を言い続けるが、ペストと名乗る者が秘書と現れると彼らに漂う「死」のオーラの前に跪き、町を明け渡す。その時から始まるのは町の幽閉、そして人を人間性から遠ざける非人間的管理だ。
    舞台では「管理下」に置かれた町の者らがマスクに顔をうずめて沈黙する姿があるが、理不尽な管理・規制に置かれた人々への視線は、新型コロナ下での無根拠な(とは認識されない日本の現状はともかく)規制に翻弄される人々への眼差しに重なり、日本の現在地を示す。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2021/09/09 (木) 14:00

    130分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ペストとコロナとナチスとデスノートを合わせたような舞台である。最初はメタファーが多くて、何を指しているのか錯綜した。しかしペスト(ナチス)と青年(レジスタンス)の対決のクライマックスはすごい緊迫感で圧倒された。

    ペストを名乗る新支配者と、その女性秘書が住民登録する場面は、市民の「私生活」に介入し思想と素行で選別をする怖さがある。青年が助けを求めた婚約者の父は「犯罪も法律になれば、もう犯罪ではない」と「悪法も法だ」と、権力者の作る秩序に従順に従う、普通の人々の生態を写す。そして、青年とペストの対決。見応え充分の芝居だった。

    ペスト役の野々山貴之がすばらしかった。白塗りで終始民衆を小馬鹿にし、バットマンのジョーカーのような、ちょっと別世界の存在感。女性秘書の清水直子が支配の虚しさを示し、青年医師の志村史人が正義の苦しさで迫力があった。志村は「インク」の編集長役に続く主演、ぜんぜん違う役柄を好演していた。保守的民衆の代表の加藤佳男は自然体に宿る貫禄があった。

    工事現場の足場のような2台の可動階段と2階廊下のセット。液晶画面を4台おいただけで、映像で場面を示すストイックな美術。上下の位置関係と、狭いアトリエを走り回る動きで、熱気と緊張感のある舞台を作った演出が素晴らしかった。志村はシャツが汗でびっしょりになるほどの熱演だった。

    ネタバレBOX

    青年が怒りにかられて恐怖を忘れたとき、ペストは治る。女性秘書から「恐怖を克服して、反抗するものが一人でも現れたら、彼らは打つ手がない」と教えられ、人々を導いて革命へ。立ち上がる民衆、権力との戦いを描くカミュはさすが左翼作家だ。

    ペストの示した取引の場面は、いかにも「アンガージュマン」のサルトルと並ぶ実存主義作家らしい。その試練を乗り越え、青年は我が身を犠牲に、人々の自由を勝ち取る。

    しかし、ペストは去り際に語る、「時がたって、すべての犠牲は無駄だったと思うとき、私の支配は完成するのだ」と。これはカミュの恐ろしい予言だ。若い日に理想に燃えた人々が、年を取って「あれは若気の至りさ」と、現状に満足するとき、体制は延命する。それが今の日本だ。酔っ払いのナダが「無駄死にさ」というのに、反論する人が数人いたとしても。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2021/09/06 (月) 14:00

    座席1階

    迫力のある舞台だった。「罵りあい」のような激しいセリフの洪水。そして、様々な角度から現代社会を照らすような複雑なメタファー。基礎の出来た実力のある俳優たちだからこそできる、強烈で見ごたえのある2時間である。
    平和な街に入ってきて独裁を遂げていく男と女性秘書。ペストをばらまいて市民を恐怖に陥れるのだが、秘書がデスノートを持っていて、狙いを定めた人物を消していくというのは舞台で見る物語の設定とすればよかったと思う。当然、今の時期だからコロナ禍をオーバーラップさせてみるわけだが、このデスノートの存在が、現実と適度な距離感を出して、「これは現実ではないのだ」というような安堵感を観る者に与える。そうでなければ、自宅療養者がバタバタ倒れている現実をストレートにぶつけられるようで、息苦しくなったかもしれない。
    愛とは、正義とは、人生とは。そして、生とは、死とは。舞台からは次々に「考えてみろ!」と矢が飛んでくる。市民を代表するように戦うディエゴが、こうした矢が飛ぶ中で苦悩し続けるわけだが、特に独裁者と対決する最後の方のシーンは秀逸だ。
    倒れる婚約者のヴィクトリアが美しい。ロミオとジュリエットのラストシーンを連想させるようでもある。
    前作の「インク」も面白かったが、今回はその上を行ったと思う。原作をうまくアレンジした脚本の勝利だと思う。さらに、4つの大型モニターを使い、工事現場の階段のようなセットで立体的に役者を動かした演出もよかった。けいこ場の小さな空間で思い切り役者たちを駆け回らせたが、小さな空間だからこそ一人一人の役者の演技に同時に目が行く感じで、それこそ舞台から目が離せなかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2021/09/05 (日)

    価格5,000円

    5日14時開演回(130分)を拝見。

    かって欧州社会で猛威を振るったペスト禍を、支配者「ペスト」と、ヒトの死を司る「デスノート」持参の「秘書」とに擬人化し、彼らによって支配されたスペインの港町の人々の沈黙と葛藤を描いた作品。
    原作は”ナチスドイツとその協力者に対するレジスタンス”の比喩として書かれたものらしいが、私たちは当然、現代のコロナ禍の世情をオーバラップさせて観る訳であり、権利の抑制や人間性の全否定といった様々な統制のやり方に、上演中、色々と考えさせられた130分だった。

    ネタバレBOX

    【配役】
    ペスト…野々山貴之さん
    秘書…清水直子さん
    ナダ(ペストの協力者)…八柳豪さん
    ヴィクトリア…若井なおみさん
    ディエゴ(医学生、ヴィクトリアの恋人)…志村史人さん
    ディエゴの同僚、街の女…椎名慧都(しいな・けいと)さん
    カサド判事…加藤佳男さん
    →「判事」でなく、カトリックの厳格な「司祭」だと、ずーっと誤解してました(恥)
    カサドの妻、街の女…坪井木の実さん
    カサドの娘、街の女…後藤佑里奈さん
    漁師(本作の狂言回し)…塩山誠司さん
    逃げ出した総督、船頭、街の男…森永友基
    言いなりな市長…田中孝宗さん
    街の女…山本順子さん
    街の男…辻井亮人さん
    衛兵、街の男、他…辻井亮人さん
    衛兵、街の男、他…山田定世さん
    (映像)カサドの息子…手塚悠翔さん
    (声)高宮千鶴さん、小島楓太さん
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    圧制者が人々の自由を奪い圧制者に忠実な奴隷にしてしまおうとする恐怖政治は今でも現実に日本の周囲でも起こっており、それを想起させるカミュの戯曲だが、よく観てみると、デスノートみたいなものが出てくるし奇想天外なところがある。そういえば、カミュには「ペスト」という小説もあるが、本作のペストは悪魔のような圧制者。
    主人公とペストによる大衆の醜さに関する舌戦は今ひとつ噛み合っていないように感じた。
    建設現場の足場みたいなものを組んだ高低のある舞台や4つのディスプレイはシンプルだが効果的に活かされており、実力ある俳優たちのプロらしい演技でベタになりそうな場面や所作でもしっかり水準を保ち鑑賞に堪え得るものになっているのはすばらしい。

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