戒厳令 公演情報 劇団俳優座「戒厳令」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    作家・思想家カミュの戯曲作品。小説『ペスト』(1947)が仏国民に称賛をもって受け入れられた翌年、本作は著名俳優・演出で上演されるも、評判は振るわなかった由(wiki参照)。ただしその意味は約めて言えば「作品と時代の(ビビッドな)関係」が作用したものと推察され、初演から70年を経た現代、とりわけコロナ禍の日本では中々面白い舞台になった。

    ネタバレBOX

    本作には擬人化された<ペスト>とその秘書が登場するが、小説『ペスト』がそうであったのと同様、<ペスト>はナチス・ドイツの隠喩であった。ヴィシー政権(ナチスの傀儡)時代の記憶も生々しい初演当時、小説では優れたメタファーであった「ペスト」がナチスの制服まで着て舞台上に姿を現わし、これに抵抗する青年が一人彼らを恐れず「抹殺されない」存在となり長い弁舌を振るう場面などは、いささか図式にハマり過ぎていたのではないか。また<ペスト>が差し違えで青年の命を奪い自らは敗北を認め去って行くという、ナチスの敗退をなぞったラストも恐らく当時のパリの観客にとっては興醒めだった・・飽くまで想像だが。
    (これに対し小説「ペスト」は中世のアルジェの町を襲ったペストの惨劇が描かれる。悲惨な現実に直面し、葛藤し闘う主人公を通して、読者は戦後のカオスの状況から事態を「理解」する足掛りを得たかったのではないか。)

    昨年来日本で小説『ペスト』が注目を集めた理由は言うまでもなく新型コロナにより、従って注目点は(ナチスよりは)未知なる伝染病への恐怖だ。『戒厳令』に登場するキャラクター<ペスト>も、今の観客は新型コロナ・ウイルスの隠喩と受け止める。同じ言葉が1948年当時とは異なる意味を含み持つ。だが一方、当時ナチスという存在に人々が(カミュが)見ようとしたものを、我々も別の形として見ているとも言えるかも知れない。

    作品の冒頭、地球に接近する彗星を見やる町の人々。彼ら各々が吐く言葉の中に不吉の予兆がある。やがて血を吐いて倒れて死ぬ者がそこここで現われ、人々を恐怖させる。町を統べる総督は「動揺する勿れ」を言い続けるが、ペストと名乗る者が秘書と現れると彼らに漂う「死」のオーラの前に跪き、町を明け渡す。その時から始まるのは町の幽閉、そして人を人間性から遠ざける非人間的管理だ。
    舞台では「管理下」に置かれた町の者らがマスクに顔をうずめて沈黙する姿があるが、理不尽な管理・規制に置かれた人々への視線は、新型コロナ下での無根拠な(とは認識されない日本の現状はともかく)規制に翻弄される人々への眼差しに重なり、日本の現在地を示す。

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    2021/09/17 08:56

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