実演鑑賞
#戒厳令
#俳優座
#野々山貴之 さんがJOKERで #清水直子 さんがアダムス・ファミリーのモーティシアに見えた。この二人が素晴らしい。表情や発声、もちろんメイクや衣装も含めて、作り上げたキャラクターで作品のネジを巻く。ただ、逆にその圧倒的な存在感が、悪魔的…宇宙人的な侵略者のイメージを強固にし、ラスト近くまで人間として捉えるのが難しかった。
1948年に書かれたカミュの戯曲だが、疫病のペストを扱ったこの作品を、covid-19が蔓延する今、上演する狙いは理解できる。しかしながら、冒頭の民衆の喧噪からの発病、吐血と痙攣などの描写が長く、恐怖を煽るような演出は好みではなかった。震災の作品で地響きがするような轟音を使うのと似ていて、どちらも気持ちよく観られず、気持ちが離れていくのはわたしだけだろうか。
調子を外したBGMは、狂った世界を表すのにフィットしていると感じた。
単管パイプで組んだ足場、モニターを使った映像、ワイルドに攻めた美術は興味深かった。ただ、ライブカメラの映像を映し出すモニターはタイムラグが大きく、まだ研究の余地は或るはず。
「何をしているの?」
「恋よ!」
真剣に見入る観客の中、一人マスクの下で声を殺して肩をふるわせながら爆笑していた。しばらく笑いが止まらなかった自分と世間とのズレに背中が少し寒くなった。この作品の土俵に恋を乗せた途端、急に陳腐に思えてしまった。まるで愛と恐怖がリングで戦う異種格闘技。革命を、或いは反逆を叫び拳を振り上げ立ち上がる男。それを嘲笑する女。そう、男の語る正義や愛が歯の浮くセリフで陳腐。そのリングに戦争まで持ち出されて困惑。終盤、演説のような語りを順番のように渡しながら語るのを、みんなが黙って聞く構造までも可笑しくて滑稽に思えた。
どのタイミングで翻訳され、上演する際にどれほど手を加えることが可能なのかは、個々によるのだろうけれど、もう少し整理されたカタチの上演を観てみたい。