HOMO 公演情報 HOMO」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
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  • スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」から着想を得たというダンス作品。異なる種が交わり新たな種が誕生。生命爆発。約1時間経過したあたりの群舞に引き込まれた。上手奥の床で黒いコートを被って仰向けに寝る男性は死体?死神?などと想像。

    ネタバレBOX

    左右にスライドして稼働する、床から天井まで届く細長い真っ赤なパネル以外には、大がかりな装置はなし。150cm~250cmぐらいの高さの針金製っぽく見えるオブジェが、10~20個ぐらいほど舞台奥側にばらばらと並んでいた。揺れるオブジェをさまざまに見立てられた。
  • 満足度★★★★

    「身体」と一口にいっても、一種の容器や形状として、器官の組み合わせとして、動きの源泉として、空間との関係……と探索すべき視点はさまざまです。「言葉」も同様で、音、声、意味、それらの関係など、分析し、考え始めればきりがないテーマです。

    『HOMO』は、こうした、身体や言葉、とりわけ、それを扱う個や集団のコミュニケーションをめぐる複雑さ、無限に、果敢に分け入りながら、「人類とは何か」を探るダンス・スペクタクルでした。

    大枠としては、最後の数人になってしまった「HOMO(人類)」と、彼らを看取る「LEGO(新人類)」のドラマに、コロスとしての「CANT(旧人類)」の存在が挟まれるという構成なのですが、特に序盤はそうした構図を読み取りつつ、舞台を追うこと自体がスリリングで、刺激的な体験となりました。舞台に並べられた、あの樹木のようで血脈や系図のようでもあるオブジェ、赤い布を垂らした場面のアングラ的な始原の風景とSFチックなLEGOの存在感のコントラストも印象に残っています。

    何かを分析し、まとめ直す=図式をつくるということは、ノイズを取り除いたり、枝葉を切ったりすることでもあります。展開にしても踊りにしても、見えてくるほどに、もっともっと破綻や裂け目、混乱をを求めたいと感じる部分がありました。が、そのことこそが、ここで取り組まれているテーマの深さであり、また、前作から続く「人とは何か」の探索の可能性を示しているのだとも思っています。

  • 満足度★★

    まず「人類」というテーマ設定に魅力を感じました。大きいなあ、と。最近、荒川修作のドキュメンタリーを観たのですが、「死なない」とか言ってて良いなと思った感覚に近い好感を持ちました。

    ネタバレBOX

    しかし実際に作品を観てみると、「人類」を描くにはあまりに洗練された身体しか登場しなかったように思いました。どうしてもHOMOの動きに違和感を覚えてしまいました。同期・直線的な身振りをするLEGOは、身振りと身体がフィットしているように見え違和感はありません。しかし、バラバラ・破線的な身振りをするHOMOは、「洗練された身体が、洗練されていない身体を演じている」ようにしか見えませんでした。日常から離れた身振りをすることに特化された身体の、スムーズできれいな身のこなしが、伝えたいイメージを伝達する上で障害になっているように思えます。つまり、ずっと「ダンサーの身体」が邪魔をしたままのように見えました。

    個人的にこの作品の中で最も魅力を感じたのは舞台美術です。ダンサーが不意に美術に触れた時の、細い針金の揺れは、意味はよくわからなかったですが、単に面白かったです。「ダンサーの身体」にある種拘束されているように見えるダンサーの周りで、ぐらぐらと揺れる美術はとても自由に見えました。

    また人類の描き方は少々ステレオタイプすぎるのではないかと思いました。デウスでもルーデンスでもファベルでもなんでもいいのですが、上演からOrganworksの人類観をもっと知りたかったです。物販で購入したアイデアノートを見るとわかる部分もあるというか、歴史を辿るようなプロットや意味をなさない発話によるコミュニケーションが登場した理由はなんとなく理解できるのですが、上演単体で考えると情報の整理がしきれていないように思います。

    過剰に上司にゴマをするように手を頻繁に揉み込む浜田純平さんの動きが面白かったです。紫モヒカンにサングラスというちょっといかつい格好なのに、その動きからは虫とか鳥的な印象を受けました。何かに見えるような演技するのではなく、このように何かを観客の内面に想起させる身振りを全面的に採用して作品を組み立てると、また違った作品になるのではないでしょうか。

    <参考>
    岡田利規『コンセプション』:https://amzn.to/2xujYh7
    (「何かを観客の内面に想起させる身振り」について語られていました)
    『死なない子供、荒川修作』:http://www.shinanai-kodomo.com/
    『死なない子供、荒川修作』視聴ページ:https://bit.ly/2yklkeI
    (2020年6月末日まで無料公開中)
  • 満足度★★★★

    人類を問い直すためのダンス作品。規則的な動きを繰り返す人類と、変則的なうねりをつくる人類が交錯していくことで作品は進んでいきます。

    人類が別の人類に出会ったとき、お互いの差を受け入れたり拒絶したりすることで生存の可否が決まっていく。これは生物的な普遍性でもあり、現代社会においては多様性や外交的課題にも繋がってくると思います。

    果たして私たちはこれからも生存できるのか、より成熟した社会をつくっていけるのか。その答えはこれからの自分たち次第なのだけれど、このコロナ禍でさっそく生存戦略を迫られている中での上演となりました。動きの美しさに魅了され、物語のロジックを解く快感を得つつも、作品と現実を何度も行き来してしまう不思議な体験でした。

  • 満足度★★★★

    絶滅する人類の三日間、を踊った。
    客席と地続きのステージは薄暗く、人の気配が漂い、緊張感に包まれる開場時。そして“人類”という大きなテーマ。一歩足を踏み入れた時から作品にかける思いが伝わるほど、劇場内には静かな熱量が漂っており、それはダンス公演だからこそかもしれないと感じた。それはつまり、この場が身体表現の空間であることを実感することでもあった。

    演劇のように配役(カテゴリー分け)が当日パンフレットに書かれており、詩が綴られている。読み飛ばしてから観はじめたらもったいないとも思える情報が、さりげなく手渡されていた。

    ネタバレBOX

    踊り、というよりも、動く、傾く、重なる、蠢く、という印象。身体表現というよりも、身体の集合体をつくっているよう。表情の筋肉ひとつひとつ、喉の奥から落ちてくる声。それは一人の人のものではなく、複数名が重なり合い、「ヒト(HOMO)」となっていく。また、美術はDNAのようにも見える。空間全体も作品を通しても、詩的というのがいいのか、文学的というのがいいのか、もはや考古学的というのがいいのか。「2001年宇宙の旅」のような壮大さは、時として人類の歴史と同じく観るものを呆然とさせてしまう瞬間がある。プラネタリウムにいるような感覚に近いかもしれない。そのあまりの大きさに、興奮する人もいれば、力が抜けていく人もいるだろうし、余裕の有無によってはもしかしたら窮屈さや落ち着かなささえ感じるかもしれない。ただ、目を凝らせばそこには、生々しさと無機質さの同居がある。

    この公演により、カンパニー主宰である平原慎太郎さんの作品に合うダンサーの特性が際立ち、広がったのではないだろうか。とくに出番も多かった渡辺はるかさんは、人類と新人類にかかる橋のように、新鮮さとのびやかさがあった。これから、このカンパニーが伸びていく未来の枝葉を見ているような瞬間もあった。作品としては完成度を追求しているのだろうけれど、カンパニーとしていろんな可能性がありそうだと感じられるのは、プロデュース公演とは違う面白さだった。

    人類(ホモ・サピエンス)の旅を描いた「HOMO」。あえて抜いたのだろうが「サピエンス」とはラテン語で『賢い』。では、賢くない人とはなんだろう……言葉による物語とはちがう、身体と空間による物語を堪能した。
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2020/03/08 (日)

    「振付の拮抗と調和で描く人類の新時代」

     漆黒の舞台面から金属性のワイヤーでできた突起状の物体が生えている。男たちが無言で先端を撫で感触を確かめている様子はさながら未知の物体に触る動物を見ているかのようである。少し経つと客席から向かってやや上手側に建つ赤い柱のあたりにいる男(東海林靖志)がその場に横たわる。こうして「2020年人類の旅」なる『HOMO』は静かに幕を開ける。

    ネタバレBOX


     この作品には三組のダンサー群が登場する。人類最後の生き残りであるHOMO(柴一平、薬師寺綾、渡辺はるか)、一つの人格を複数人で共有する未来の人類LEGO(町田妙子、佐藤琢哉、小松睦、池上たっくん、村井玲美)、歌声でコミュニケーションをとる旧人類CANT(平原慎太郎、高橋真帆、浜田純平、大西彩瑛)。この三組の踊り分けと調和が本作第一の見どころである。

     ぜんまいじかけの人形のような角々した動きのHOMOは、エッジが効いた動きが新鮮だが見ているうちに滑稽にも物悲しくも見えてくる。白い衣装が印象的なLEGOは手足をよく伸ばしエレガントな群舞で魅了する。特に女性ダンサーのフリルが黒一面の舞台に美しく旋回して鮮やかである。そしてCANTは下半身の動作とうめき声で相互理解を図る。ダンサーたちは体を密着させたりオランウータンのような鳴き声を上げたりしていて思わず笑みがこぼれる。付言するとこのダンサーのカテゴリの詳細は、会場で販売されていたプロダクション・ノートで鑑賞後に知った。しかし舞台を観ただけで如上の分類はある程度理解することができた。

     三組のダンサー群は序盤から中盤にかけてはそれぞれが見せ場をこなす。たとえ舞台上に並んでいたとしてもHOMOやCANTがいる横をLEGOは空気のように通過するだけといった具合で干渉し合わない。彼・彼女らはやがてすこしずつ絡んでいく。この絡み方が面白い。異なる振付や身体の差異があるダンサー同士があるときは拮抗し、またあるときは調和して舞台上にイメージを創り出していく。それは鋭角的でありながら滑らかさが感じられた。きわめつけはハイライトの群舞。しだいに三組の振付の差異は無くなり舞台上に所狭しとダンサーたちが交錯してひとつのうねりのようなものが立ち上がっていく。

     音楽(熊地勇太)は近未来的でありながら土臭い粗暴さをのぞかせる。ビート音やノイズが中心だが時折息遣いや鈴虫の声に似た音色が挟み込まれ、人工的なもののなかに天然由来が入り込むゾクゾクした感触が心地よかった。 

     ラストにHOMOの女性ダンサーがなにかを見つけようと光の指す方向で体を向けるところにLEGOの女性ダンサーが絡み、包み込むようにして体を預ける。そうするとそれまで絶望的な表情であったHOMOの表情がすこし和らいだようにも見えた。作・演出・振付の平原慎太郎が参照したというスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』は、旧人類のメッセージをもとに行動した人類が新人類へと進化するまでを、雄弁な説明を入れず視覚的・音楽的に描いた。本作のラストを人類に対する新人類からの前向きなメッセージととるべきか、はたまた終息の予兆ととるべきか。私はまだ考えあぐねている。

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