瘋癲老人日記 公演情報 瘋癲老人日記」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-16件 / 16件中
  • 満足度★★★★

    谷崎潤一郎の世界を現代的にアレンジした舞台、グッときましたね。人間死ぬまで枯れないモノですな。

  • 満足度★★★★

    文字を舞台におこすと、人それぞれにいろんな形になりますね⁉︎
    多少、自分のイメージとは違った形でしたが、一人の役を何人かで演じたり
    演劇ならではの演出も含め面白かったです。
    自分が主人公の歳になった時に、果たして同じくらいの欲求を持っているのかな?と、ふと考えてしまいました。

  • 満足度★★★★★

    面白かった。エンタメ度も抜群。ぜひお勧めしたい。

  • 満足度★★★★

    脚に固執する老人の生と性がいやらしくなくコミカルに描かれていて面白かったです。これは谷崎の願望だったのではと思いました。そしていくつもの顔をもつ颯子を5年で演じ分ける手法も面白かったです。

  • 満足度★★★★

    谷崎である。
    谷崎の原作というだけで、そこに特別な思いが存在してしまう。
    谷崎の美的な空間や世界観を具現化することの難しさ。。。
    この作は「鍵」などと共に、老人の生と性に執着するドロドロと滑稽さがある。
    それは、うまく表現していると思う。主役に負うところが大きい。
    足の美しさは・・・難しかったな。

  • 満足度★★★★★

    病的な性癖の老人の話かと思いきや、可愛らしくもあり愛らしい死の恐怖に怯える男の話だった。嫁に対して性的な欲望と母性的な面を求めている姿に思わずニコニコしてしまった。

  • 満足度★★★★

    「瘋癲老人」の印象がが強烈で脳裏に残ってしまい、その夜夢に出てきました。
    芝居は楽しめました。

  • 満足度★★★★★

    「瘋癲老人日記」は<老人の生と性>を主題にした谷崎潤一郎の小説である。チラシ説明によれば、主人公・卯木督介 77歳が息子の嫁の足に異常な執着を見せながら魅かれていくというもの。今まで観てきた劇団印象(いんぞう)の公演イメージとかけ離れていたため、どのように観(魅)せるのか興味津々であった。この劇団は「遊びは国境を越える」という信念の元、”遊び”から生まれたイマジネーションからの創作であるが、原作内容を考えれば、下手をすれば息子の嫁との”火遊び”と勘繰りたくなるような…。

    この公演は、原作の対象というか観点を変え、演劇的手法を十分に発揮し原作とは異なる魅力を秘めた作品になっていた。その意味で劇団印象の、そして構成・演出を担当した鈴木アツト氏の新しい一面を観ることが出来た。
    (上演時間1時間30分)

    ネタバレBOX

    中央に平台があるだけ。後ろは暗幕その前に中央と左右に3枚の白幕。それだけを見ると鯨幕のように思える。しかし主人公の卯木督介はまだ元気で息子の嫁・颯子の足に異常な執着をみせ魅せられていく。タイトルの「瘋癲」は、精神状態が正常でない人という意味だから、督介は颯子に翻弄されることで生きる実感を得、生きる希望を見出しているようだ。一方、颯子は美しく小悪魔的で、男を翻弄することに長けており督介にまとわりついては欲しいものをねだる。まさに瘋癲老人と蠱惑女性の織りなす喜劇。

    公演の面白さは、原作の小説や映画化された映像と一線を画す演劇的と思われる演出手法だと思う。颯子という1人の女性の多角的な面を5人の女性に演じさせることで、1人の女性の内面の違いを鮮明に際立たせ、一方、外見の違いは誰しもが持っている性癖なのではないかと想像させる。もちろん戯曲として原作の面白さを十分引き出し描いている。同時に演劇ならではの健康的なエロチシズムで魅せるダンスなどサービス精神も好い。蒼然となりそうな原作の偏執的部分をクローズアップさせ、人間が持つ性癖的な部分を現代的に描いたように思える。

    人間、死の淵にあっても性欲は疼くのか、死んでもなお自分の骨を踏みしめさせることで女を支配しようとする。もちろん観せる場面は、颯子の足を舐める変態的なところ。この件は、視覚ではなく自分の妄想に浸れる原作、その偏執的描き方が面白いかも...。
    公演でもその見せ場はしっかり観せるが、何故か厭らしさと言うよりは滑稽さを感じてしまう。もはや直接的な欲望ではなく精神的な安息を求めているようだ。それゆえ母や乳母などが登場する。人は死ぬ間際に”人間人生のすべての場面が走馬灯のように目に映る”という話を聞くが、まさしく颯子を通して関わった女性...脚の美しい踊り子、男を支配する悪女、慈愛に満ちた菩薩、記憶の中の母親が次々と現れる。

    公演は老人・督介を演じた近童弐吉サンの怪演が素晴らしい。ほぼ素舞台であるにも関わらず、俳優陣の演技力によって狂態の世界観を表出している。そして衣装、傘などの小物使いも巧みだ。督介の衣装は和服、颯子は喪服の黒、妖艶な赤い服、看護服の白といった原色で場面印象を際立たせる。同一服による同一人物を演出しながら、颯子という女性、1役5人の女優による連携演技で人間の多面性を浮き上がらせる見事な公演であった。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    シンプルな方形舞台の二面が客席、死期を感じながらも性に執着する老人の狂態をややコミカルに描く休憩無し1時間30分、そのお相手は息子の嫁、足フェチ(脚フェチ?)度よりマゾ度が高かった印象(以下ネタバレにて)。

    ネタバレBOX

    1人の女を5人の女優で演じるのが斬新でした。
  • 満足度★★★★

    谷崎文学の一端をみせていただきとても面白かったです。卯木督介役の役者さん90分熱演でした。二面の舞台。正面から見るのが正解です。観る場所によってはあまり迫力感が伝わらないかもしれません。

  • 満足度★★★★

    見せ方が上手な作品だったなぁ~と感心しきり~

    一歩間違うと嫌悪感の出易い話を
    上手にコミカルに表現していたデス
    主役さんの偏執狂的な部分と笑えるコミカルなとこが
    い~い塩梅であったなぁ(^-^)

    女性陣の演出はユニ~クで
    なかなか楽しかったデス

    あと 足 ・・・・なかなかインパクトのある芝居でありました

  • 満足度★★★★★

     男と女の間にある深い暗渠を乗り越えようとする果敢な挑戦が、一老人によって為されるお話、と解釈すると極めて味のある作品として楽しむことができよう。老人を演じた弐吉さんの演技、力演である。

    ネタバレBOX

     無論、谷崎潤一郎原作の著名本が原作である。颯子と一老人との最早不能であるが故の性談義。不能であるが故にアブノーマルであり、それ故本来肉欲でしか無い筈のモノ・コトがメタ性を帯び、好事家からはマゾヒズムという色眼鏡を掛けて眺められる作品になってくるのだろう。然し、寧ろここに描かれているのは、男というもの、と女という存在の本質的な差異ではなかろうか? それは個々の身体性のみならずジェンダーとしてのそれである。肉体や肉欲は寧ろ従で本質は、男というものが、女性の玩具に過ぎない、という生の実質なのではないだろうか? 有体に言ってしまえば、男は幾つになっても甘えん坊で極楽蜻蛉、男の側からみれば、これぞ大往生の奥義。「梁塵秘抄」の編まれた昔から「遊びをせむとや生まれけむ」である。
    更に興味深いのは、老人の妻たる婆さんには名が無く、母性として顕現することが多く、別様の現れでは当に伴侶の名に相応しい長い人生の道ずれ、仲間として現前するのに引き替え、颯子は幾人もの女優によって演じられ、その年齢や男女関係の千変万化によって如何にも目まぐるしい謎として顕現するかのような幻よろしき変容ぶりとによって対比され、女性が男にとって如何様に見られるかをも示して面白い。更に寄る年波に幾度も倒れ、時には生死の境を彷徨いながらも甦り、遂には己の入る墓の手配に颯子を伴って京都を漫遊する際にも哲学の小道脇の法然院を墓所と決め、極めつけは颯子の姿を菩薩像に刻み、墓石として自らの骨を永遠に踏ませ、骨の軋み、傷み、呻きを以て歌にし、これまた己亡き後も、颯子の踏みつける石像の足を通して彼女の精神に何らかの思い出を喚起しようと、できるハズだと望む下りなど妄想というには余りに生々しい葛藤であり、死して尚甘えていたいという男という存在の極楽蜻蛉ぶりを仮借無いまでに描いている。無論、この念は、朱墨を摺り颯子の足型をとり、それで仏足を刻んで自らの骨の上に置くという発想とも同置されていることは今更指摘する必要もあるまい。
     老人を演じた近童 弐吉さんが、単に人生の上澄みに終わらぬ老いを演じていい味を出している。
  • 会場にはいると客席が二面あって、二面あるということは特に正面というのが設定されてなくてどっから見てもいいんだろうなと思って端に坐ったら、正面を結構意識した演出になっていてちょっぴり裏切られた気分に。これから見に行く人は、正面的な客席のほうに坐ったほうがいいかもしれません。
    ぼくが抱く「瘋癲老人」のイメージと舞台の上の「瘋癲老人」とはちょっと違ったけれども、それは仕方ないんでしょうね。小説に抱くイメージは人それぞれですからね。

    ネタバレBOX

    すべてが演出どおりに進行していくこのスキの無さは素晴らしいし、出演しているみなさんも素晴らしいと思うのですが、このアドリブなどすこしも入る余地の無いギューっとした感じに、逆に息苦しさを感じないこともなく。
    ぼくとしては、老人に確信的なマゾっけが足りないような気がしました。
    それから基本的に老人のひとり芝居で、その他の出演者は盛りたて役、添え物でしかない感があって、それが残念だったかなと。
    日付が変わるたびに、老人の感情がリセットされてましたが、それでいいんですか? リセットされるたびに、なんとなくガッカリする気持ちに。え?さっきまでの感情の昂ぶりはなんだったの?っていう感じ。
    白に横ジマのパンツで水着を連想させるというのが面白かったです。颯子チーム、看護婦チームなどのチームとしてのパフォーマンスも面白かった。
  • 満足度★★★★

    先般高円寺で二十年振りに拝んだ近藤弐吉の特権的肉体に再び見えた。
    演出・鈴木アツト氏の名は幾度か目にしたが(あるいはリーディング企画か何かの演出を観たかも知れぬ)主宰ユニットは初めて。恐々会場に入り、開演を待つ。結果的には初感触の舞台であった。

    原作者谷崎潤一郎自身が三度結婚をし、最初の妻をめぐっては友人に売り渡す話を付けるだの、作品のイメージに違わず「色」の気のある人物だったようで、『鍵』や本作など晩年の作は老齢となった作家自身がかなり投影されているにも違いないが、老人エロ小説でありながら売りはエロでなく赤裸々な一人の老人の性の苦悶と苦悶から滲み出す快楽である。
    私の関心は究極に滑稽で痛切な人間模様をどう舞台に乗せたか、な訳だが、この題材で浮ぶのは三浦大輔の超写実的演出、または朗読にお芝居要素を添える程度の演出か。。本作はいずれでもなく、原文を尊重した作りでありながら(近藤氏をオファーした理由が判る)俳優の肉体が主役の舞台であった。

    ネタバレBOX

    日記の記者である老人卯木督介と、その息子浄吉の嫁である颯子(さつこ)の隠微な関係に、婆さん(督介の妻か家政婦か不明)、甥の春久が若干絡むという話。日記であるからして飽くまで督介の主観で話は進むが、息子の浄吉は今は仕事に執心らしく、よく家を留守にする。暇と精力を持て余した颯子は老人の目線に気づいてか、自らの関心からか督介の情欲をくすぐるアピールをし、やがて手玉に取る。心臓病みのある老人は己の情欲と病みとの狭間で苦悶する。

    舞台では女優5人がコロスとなり颯子を入れ替わり立ち替わり演じる。若い俳優が演じる老人の分身が時折登場して、会話もする。俳優が掛け持ちするのは息子浄吉と甥の春吉だが、春吉は当て馬的役回りであるからか、面を付け動きのみ、声は背後から女優が出していた。婆さん役は一人が受け持つ。
    「瘋癲老人日記」の舞台化が過去あったのか不勉強で知らないが、要所を巧く押さえて構成した一つの在り方に思えた。
    その分だけ惜しいと思う部分もあったが、また後日。

    難癖を仄めかして放置はアンフェアなので早く書き込まねばと思いつつ。。一部だけ記す。老人の分身、と言ってもジキルとハイドといった役割分担というより颯子と同じく役を演じる一人、頻度は少ないので補助的の範囲。彼は日記の朗読で冒頭、また時折登場し、春吉と浄吉もやるが、彼を仕切り役とするのかコロスに徹させるのか、という辺りが気になってしまった。若い俳優にさはしては鋭敏さを見せる所があり元気で良いが位置取りがややぼんやりしていた。老人の分身というだけで結構重要な役なので、他の役との質の違いを出してほしくもあった。五人颯子の登場のさせ方は中々秀逸だったが、個性バラバラな中に一つ何か役柄上の共通性があると、ぐいっと来たかな、と。
  • 満足度★★★★

    5人の颯子。そもそも、颯子はどういうつもりなのかしら?で、原作のこれって、谷崎の実話(私小説)っていう説もあるよね。

  • 満足度★★★★★

    劇団印象はこれが初めて。大好きな谷崎潤一郎晩年の傑作の舞台化だから楽しみにしていたが、観ている間、自分の顔がずっとニコニコしているのに途中で気が付いた。ヤバい奴じゃないかと思われそうだけど、そのまま最後まで。とても楽しかった。この劇場は客席が2面なので、別の面からも観たくなる。

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