瘋癲老人日記 公演情報 劇団印象-indian elephant-「瘋癲老人日記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     男と女の間にある深い暗渠を乗り越えようとする果敢な挑戦が、一老人によって為されるお話、と解釈すると極めて味のある作品として楽しむことができよう。老人を演じた弐吉さんの演技、力演である。

    ネタバレBOX

     無論、谷崎潤一郎原作の著名本が原作である。颯子と一老人との最早不能であるが故の性談義。不能であるが故にアブノーマルであり、それ故本来肉欲でしか無い筈のモノ・コトがメタ性を帯び、好事家からはマゾヒズムという色眼鏡を掛けて眺められる作品になってくるのだろう。然し、寧ろここに描かれているのは、男というもの、と女という存在の本質的な差異ではなかろうか? それは個々の身体性のみならずジェンダーとしてのそれである。肉体や肉欲は寧ろ従で本質は、男というものが、女性の玩具に過ぎない、という生の実質なのではないだろうか? 有体に言ってしまえば、男は幾つになっても甘えん坊で極楽蜻蛉、男の側からみれば、これぞ大往生の奥義。「梁塵秘抄」の編まれた昔から「遊びをせむとや生まれけむ」である。
    更に興味深いのは、老人の妻たる婆さんには名が無く、母性として顕現することが多く、別様の現れでは当に伴侶の名に相応しい長い人生の道ずれ、仲間として現前するのに引き替え、颯子は幾人もの女優によって演じられ、その年齢や男女関係の千変万化によって如何にも目まぐるしい謎として顕現するかのような幻よろしき変容ぶりとによって対比され、女性が男にとって如何様に見られるかをも示して面白い。更に寄る年波に幾度も倒れ、時には生死の境を彷徨いながらも甦り、遂には己の入る墓の手配に颯子を伴って京都を漫遊する際にも哲学の小道脇の法然院を墓所と決め、極めつけは颯子の姿を菩薩像に刻み、墓石として自らの骨を永遠に踏ませ、骨の軋み、傷み、呻きを以て歌にし、これまた己亡き後も、颯子の踏みつける石像の足を通して彼女の精神に何らかの思い出を喚起しようと、できるハズだと望む下りなど妄想というには余りに生々しい葛藤であり、死して尚甘えていたいという男という存在の極楽蜻蛉ぶりを仮借無いまでに描いている。無論、この念は、朱墨を摺り颯子の足型をとり、それで仏足を刻んで自らの骨の上に置くという発想とも同置されていることは今更指摘する必要もあるまい。
     老人を演じた近童 弐吉さんが、単に人生の上澄みに終わらぬ老いを演じていい味を出している。

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    2019/10/05 09:22

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