瘋癲老人日記 公演情報 劇団印象-indian elephant-「瘋癲老人日記」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    先般高円寺で二十年振りに拝んだ近藤弐吉の特権的肉体に再び見えた。
    演出・鈴木アツト氏の名は幾度か目にしたが(あるいはリーディング企画か何かの演出を観たかも知れぬ)主宰ユニットは初めて。恐々会場に入り、開演を待つ。結果的には初感触の舞台であった。

    原作者谷崎潤一郎自身が三度結婚をし、最初の妻をめぐっては友人に売り渡す話を付けるだの、作品のイメージに違わず「色」の気のある人物だったようで、『鍵』や本作など晩年の作は老齢となった作家自身がかなり投影されているにも違いないが、老人エロ小説でありながら売りはエロでなく赤裸々な一人の老人の性の苦悶と苦悶から滲み出す快楽である。
    私の関心は究極に滑稽で痛切な人間模様をどう舞台に乗せたか、な訳だが、この題材で浮ぶのは三浦大輔の超写実的演出、または朗読にお芝居要素を添える程度の演出か。。本作はいずれでもなく、原文を尊重した作りでありながら(近藤氏をオファーした理由が判る)俳優の肉体が主役の舞台であった。

    ネタバレBOX

    日記の記者である老人卯木督介と、その息子浄吉の嫁である颯子(さつこ)の隠微な関係に、婆さん(督介の妻か家政婦か不明)、甥の春久が若干絡むという話。日記であるからして飽くまで督介の主観で話は進むが、息子の浄吉は今は仕事に執心らしく、よく家を留守にする。暇と精力を持て余した颯子は老人の目線に気づいてか、自らの関心からか督介の情欲をくすぐるアピールをし、やがて手玉に取る。心臓病みのある老人は己の情欲と病みとの狭間で苦悶する。

    舞台では女優5人がコロスとなり颯子を入れ替わり立ち替わり演じる。若い俳優が演じる老人の分身が時折登場して、会話もする。俳優が掛け持ちするのは息子浄吉と甥の春吉だが、春吉は当て馬的役回りであるからか、面を付け動きのみ、声は背後から女優が出していた。婆さん役は一人が受け持つ。
    「瘋癲老人日記」の舞台化が過去あったのか不勉強で知らないが、要所を巧く押さえて構成した一つの在り方に思えた。
    その分だけ惜しいと思う部分もあったが、また後日。

    難癖を仄めかして放置はアンフェアなので早く書き込まねばと思いつつ。。一部だけ記す。老人の分身、と言ってもジキルとハイドといった役割分担というより颯子と同じく役を演じる一人、頻度は少ないので補助的の範囲。彼は日記の朗読で冒頭、また時折登場し、春吉と浄吉もやるが、彼を仕切り役とするのかコロスに徹させるのか、という辺りが気になってしまった。若い俳優にさはしては鋭敏さを見せる所があり元気で良いが位置取りがややぼんやりしていた。老人の分身というだけで結構重要な役なので、他の役との質の違いを出してほしくもあった。五人颯子の登場のさせ方は中々秀逸だったが、個性バラバラな中に一つ何か役柄上の共通性があると、ぐいっと来たかな、と。

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    2019/10/04 23:48

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