舞台芸術まつり!2026春

劇団しようよ

劇団しようよ(東京都)

作品タイトル「ネザー(Su)ポット

平均合計点:22.6
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

まず言及したいのは舞台美術の再現力の高さでした。

ネタバレBOX

劇場に入るやいなや、そこには緻密に設計された電車の車内空間が広がっていて、思わず歓声が漏れてしまいました。その車内を通らねば客席に辿り着けない造りになっていて、さらにキャスト陣は役としてすでに電車の座席に座っていたりもするため、ドキドキしながら車内を通り抜けました。「物語の世界を経由して客席に着く」という流れが、作品への没入感を手伝う導入として大きな効果を発揮していました。

内容としては、その車内空間で起きる出来事をリフレインして描いたワンシチュエーションもの。ディズニーランドに向かう二人組、泥酔している若い女性、ベビーカーを伴う母親、あまりうまくいっていなさそうなカップルなど、それぞれ属性や背景が異なる人物が乗り合わせていて、リフレインの度に焦点が当てられる乗客や出来事が変わることによって、乗客たちの心の内や社会の暗部が徐々に露わになってくる様子が興味深かったです。

基本的には日常会話が語られているのですが、時折挟まれる独白によって人物造形が具になったり、また角度を変えて同じ場面を繰り返し描くことで、1ターン前には気づかなかった表情や動きを発見できる面白みがありました。なかでも、終始肩身の狭そうな表情をしている母親の、疲弊し切った心が発露するシーンでは、身に覚えのある痛みに胸が詰まる思いがしました。育児中に抱えるストレスや社会からの孤立。「何か手伝いましょうか?」と思わず声をかけたくなるけれど、「乗客」でなく「観客」である私にはそれが許されない。その状況が、奇しくも『では、「乗客」の時は果たしてそれができるのか』という問いとして迫るような思いにもなり、他者に手を伸ばすことの必要と難しさを逡巡しました。
一方で、全ての乗客にスポットが当たるわけではなく、ポイントに絞られているため、テーマが偏り、その一方でメッセージは散漫としてしまっているような感触も受けました。多くが語られないことによって想像力を駆り立てられた節もあるのですが、もう少し一人ひとりを相対的ではなく、絶対的な存在として見てみたかったという心残りがありました。しかしながら、舞台美術こそ素晴らしい虚構であるものの、ここで描かれていたことはほぼ私たちが生きる上で経験する日常でもありました。「帰りの電車での風景が行きと比べて違って見える」という点が、本作が導いた最も大きな体験だったような気がしています。

河野桃子

満足度★★★★

開演前、当日パンフレットの作家の文で「ほっておいてほしい。うれしいけれど、私の苦しみを今私が清算しようとしているだけだから」という言葉がありました。そのことに共感したのも束の間、その後の客席で「演劇におけるほっておくことの難しさ」を痛感することになります。

ネタバレBOX

舞台は、始発の地下鉄車内とホーム。酔っ払って飲み物を投げたり、カバンの中身を落としたり、ハンバーガーを食べたり……そんな行為も基本的には交わらないのですが、時々様子を伺ったり、距離をとったり、落とし物を拾ってうまく渡せなかったりする。それぞれがそれぞれの判断でそれぞれにとって適度な距離をとる日常が繰り広げられます。

けれども観客は見るもの関わるものを選択することはできず、すべてを目撃します。目撃せざるをえません。ここは劇場だから、退場しない限り、目をそらしても音は聞こえてくるし、同じスピードで刻まれ続ける時間を過ごしきるしかない。現実だと好きにほっておくことができるのに。

そんな環境のうえで観客に何を見せるか、何を見せないかは脚本と演出が提示します。同じ朝の時間(シチュエーション)を何度も繰り返し、その繰り返しにあたっては台詞が抽出され、動きが変わります。なにを観客に提示するかという作り手の選択により、焦点があたる言葉や人物が選ばれる。「もうすこしあそこが見たいな」「もっとこの人物を知りたいな」と思ってしまう。その構造は、私には「ほっておきたい人」と「ほっておきたくない人」がいるんだな、そして演劇ではそれを選ぶことができないんだなと気づかせました。
さらに観客は、「見られること」も問われます。車内に配置された客席に座った2名(私の観劇時)は私たちに見られると同時に、彼らだけは私たち観客を見ることができます。
見ること、見られること、見なければいけないこと……「見る」についての不自由さに強くさらされたことで、あらためて「他者」や「自分」を問い直すビビッドな体験でした。

「見る/見られる」「認知/自覚」を観客に問いかける仕掛けが随所に施されているなど、演劇の影響について意欲的でもありました。とくに入場後のインパクト。観客も、後の俳優と同じく、改札を通って電車に乗り込み客席につきます。その美術は好奇心を刺激し、劇場の広さに対して電車の閉塞感を感じさせる照明は目線を引き込み、空間を充実させていました。

曽根千智

満足度★★★★

車両丸ごと、安全地帯から観察する眼差し

ネタバレBOX

電車一車両分を丸ごと舞台面にあげたループする車内群像劇。ストレスフルな始発電車の中を疑似体験する。鑑賞体験としては、演劇を観ているというよりもインスタレーションの鑑賞に近く、その空間の圧力と緊張関係からか、80分と思えないほど密度が濃い。

電車内での人間観察の面白さを(吐瀉物やマクドナルドの匂いの被害に遭わない)安全な位置から堪能する構図に斬新さを覚えた。現代の人間界では不可能な視点である。ビートの強い音楽で強制的にシーン移行する際に、これまで電車内の1人の乗客であったのに、急に早足に持ち場へ急ぐ俳優に戻るのが、フィクションとリアリティの境界の作り方があべこべで、ハッとさせられた。まるで乗客が俳優という役柄を演じているように見えるのだ。それほどまでに、我々は普段から自然に車内で見る/見られるの構図の中に自らを置き、演じたり演じられたりする様子を積極的に見出している。
そのような鑑賞体験の特異性を持ちながら、話の展開はループしているがゆえに予想がつき、かつ極めてシンボリックかつ意味深に提示されるので観客としては鑑賞負荷が高いように思えた。何か言おうとしていることはわかるが、何が言いたいのかはぼかされており、その空隙にドラマトゥルギー上の意図を感じなかったためである。
チラシデザイン、舞台美術、音楽の作り込みは特筆に値する。あの劇場内に予想し得なかった空間を見事に立ち上げていた。

深沢祐一

満足度★★★

「電車内を観察する演劇」

 劇場に入ると客席と平行に組まれた電車内を模した舞台美術にまず驚く。そこでは出演者が目を閉じたり、スマートフォンを見たりと思い思いの格好で席に着いている。観客である己が作品に参加しているかのような感覚になる本作は、いわば「観察する演劇」であった。

ネタバレBOX

 最高気温が30度以上に達しようとする日の始発の地下鉄に、ぼそぼそと乗客が集いはじめる。ホームのベンチでサンドイッチを頬張るなおこ(信國ひろみ)は、友人の友人であるみほりん(福原瑞穂)に誘われ車内に座り、彼女のディズニーうんちくを戸惑いながら聞いている。金髪の青年リュウト(杉田一起)は、酩酊している朝帰りのニナ(花純)にあからさまに不機嫌な態度を示す。ベビーカーを押して入ってきたさなえ(池田きくの)の顔は暗く、我が子の泣き声が周囲に迷惑でないかとオドオドしている。自宅に帰る愛梨(小林瑠衣)と見送りに来たケイタ(沼田亮平)のカップルには、やや不穏な空気が流れている。車内で朝マックを食べ始め白眼視された高木(公社流体力学)は、ニナが生真面目そうな羽田(穂積宏和)の眼の前で戻す様子を見てしまい、思わずホームに走りつられて戻す。そこで発車ベルが鳴ると奥にいた木村(田中サキロウ)が手に持ったライトを上に挙げる。するとそこで時間が止まり、出演者たちは一度舞台奥へ消えていく。

 以降同じ場面が繰り返し上演されるのだが、一巡目とはややニュアンスが異なる。二巡目では、一巡目で愛梨が話題に挙げていたもり子(山本祐太)という人物に焦点があたる。そして発車ベルの音とともに木村の合図で時間が止まり三巡目、ここではさなえの心の内が吐露される。この繰り返しを木村と、一巡目から車内にいる人物たちを終始不安そうに見つめ、ときに撮影している田中さん(筒井詩菜)が共に過ごしている。最後まで観続けるとこの二人の正体が観客に明かされることになる。

 同じ場面を繰り返しながらそこで展開される人間模様をつぶさに見せる本作は、刺激的な試みに満ちていて興味が尽きない。公共空間で居合わせた他人の来し方に思いを馳せる、という誰しも口には出さないが日常的にやってしまう行為を舞台上に出現させた光景を私は初めて見た。焦点を当てる人物が限られてしまうのは残念だったが、もり子やさなえ以外の人物の内的独白も聞いてみたかった。

 圧巻の舞台美術はもとより控えめな照明変化や、タイムループの合間に挟まるユーロビートなどメリハリが効いたスタッフワークが、俳優の芝居を浮き立たせていた。

松岡大貴

満足度★★★

リアルを、SFが、覗き見

ネタバレBOX

始発の地下鉄。そこで偶然に乗り合わせた乗客たちが織りなす、言葉にできない不協和音や日常の断片が差し出されます。約20分間の短いシチュエーションを反復させながら、周回ごとに異なる人物に焦点が当たる構成は、現実の解体か、パラレルワールドか。

朝の電車内を覗き見するような感覚は、その舞台美術の魅力も併せて、飽きることなく観ることができました。リフレインの度に異なるシーンや、異なる登場人物の独白がなされるため、もしや全ての登場人物が語るまでリフレインがつ続くのかと身構えましたが、2名程度の独白で終わり、もっと他の登場人物の内面も覗きたいような、いや、そうすると何時間の作品になるのだろうと、不思議な感覚になりました。

セットはもちろん音響や照明も素敵で、MVをみているような面白さもありました。「舞台上の地下鉄車両に居合わせた乗客として観劇できる」特殊なチケットも販売されており、実際観劇中はその席に座っている人たちが本当の観客かそういう役なのか分からず、この作品ならではの取り組みと感じました。

演出面は面白かった分、戯曲の構成が、登場人物への焦点の当て方やその造形、場面の数、リフレインとはいえ進行していく物語の軸はもう少し舞台上に明示して良いのではとも思いました。限定的な台詞、割とリアルな演技や演出であったからこそ少し気になる部分でした。

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