舞台芸術まつり!2026春

パスプア

パスプア(北海道)

作品タイトル「何処へ行くギルガメシュ

平均合計点:21.6
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

この演劇が何の誰の話であったかを説明をしようとすると、途端に迷路に入り込んでしまう。しかし、この体感こそが本作のメッセージだったのかもしれない。慣れない北海道の街を「こっちじゃない」「あっちも違う」と時間をかけて移動しながら、私はそんな実感に辿り着きました。

ネタバレBOX

ギルガメシュという人物を主軸にいくつものモチーフやストーリーがコラージュされ、場所、時代、時空さえも「移動」しながら進む物語。地下鉄の路線のように入り組み、まるで行く手を阻むように現れる不条理に次ぐ不条理、ナンセンスオブナンセンス。配達の仕事をしているにも関わらず、客に料理を届けるのを渋るギルガメシュをはじめ、滅茶苦茶な昔話を展開する落語家、電柱相手に路上ラップバトルをする男など、次から次へとヘンテコな人物が現れます。しかしながら、それらが何らかの大きなものや流れに対する「抵抗」や「格闘」であることはそこはかとなく浮かび上がってきて…。そして、最終的にはギルガメシュが抱える家庭や社会からの抑圧や搾取、消費といった問題につながっていく。

呆気に取られながらも、私は日に日に本作に「カウンターの物語」としての手触りを感じるようになりました。劇中で具体的な家庭問題が詳らかにされるわけでも、特定の社会問題が語られるわけでもありません。しかし、登場人物たちは確実に何かに異を唱えていた。それは、この混沌とした現代を生きる人々の姿そのものなのかもしれません。「何処にも行けない」と思っていた人が一歩を踏み出す話にも思えるし、そうしてやがて「何処へでも行ける」ということに気づくまでの話にも思える。そして、「何処へ行く」と問われているのはギルガメシュだけではない。おそらく、観客にも等しく向けられた言葉であるのだと感じました。

一方で、やはり展開が混沌としすぎていて、咀嚼するまで時間がかかり、そういった実感に辿り着くまでにだいぶ苦労したというのも素直な感触でした。同時に、意味がわからなくても見入ってしまう、というのもまた俳優の身体性が導く演劇の魅力でもあるのだと思います。なかでも、身体の部位を執拗に口にしながら、ダンスに満たないダンス的動きが繰り返されるシーンは、心の在処をたしかめるようでもあり、奇妙ながらに何か切実なものを感じました。また、500円を前払いし、終演後に追加料金を決めて支払える「ワンコイン観劇プロジェクト」も興味深いものでした。

河野桃子

満足度★★★★

札幌の住宅街にあるカタリナスタジオで上演。
「移動」をテーマにし、世界最古の文学と言われる『ギルガメシュ叙事詩』の要素を取り入れているそう。「ギル(ギルガメシュ)」と名乗るひとりの女性(ともか)が家を出てからの様子と並行し、いくつもの要素が、多様な手法で表現されます。

ネタバレBOX

会話劇として結婚の許しを得るまで一歩も動かない男をめぐる物語や、咄家が桃太郎をベースにした語り、ラップバトル、リズム体操のような絡み合い、台詞による独白など、様々な表現がパッチワークのように細切れに展開されます。一つひとつの表現も勢いがあるので、刺激的なスピード感は心地よいほどです。
それらを表現する俳優たちには圧倒されました。台詞の歯切れの良さや、動き続ける身体など、そのパフォーマンスを見ているだけでも興奮しました。

対面舞台であることは、距離を認識し、空間全体としての平行感もあって面白かったです。シンプルかつビビッドな美術と照明はともに空間を変化させ、疾走感をうんでいました。一方で、客席からは向かい席に対して垂直感覚も強く、また作品の構成が短いシーンを組んでいくものだったのでそれと合わせると客席で受け取る情報量が多くてすこし雑多な印象にもなりました。かといって一面の方がいいかというとそうとも言い切れないので、くの字型やハの字型などだとどういう印象だったのかが気になります。

「移動」をテーマにしているため、どのエピソードにも様々な「距離」が登場します。食卓を囲む家族や、上演地である札幌の地理などの身近なもの。そして、どこを目指すともわからないギルの旅路や、パレスチナやメキシコなどをイメージさせる要素、鬼が島と桃太郎といったファンタジー内での移動や、月を目指す疾走といった、私たちの今いる場所(札幌)から遠い場所まで。近くのものと、遠くのものは、上演の間中その距離を行き来します。
様々な「移動」の感覚を投げかけられる心地よい刺激と同時に、今この時に現実で起きている問題・課題を、あと一歩で作品の材料にしかけている危うさも感じました。おそらく作品を通して「移動することが良いこと」「移動しないことが窮屈なこと」という価値づけが、明言されないまま生まれていた構成だったからではないでしょうか。
もし「移動すること」と「移動しないこと」がもっとフラットであれば、または、明確に「移動は良いだ/悪いものだ」という評価や主張があれば、もっと力強く作品を受け止められたように思います。

曽根千智

満足度★★★★

移動という人間の宿命をどう受け止めるのか

ネタバレBOX

ギルガメシュの旅路を辿る移動をめぐる複数の物語。移動の自由、移動の経済格差、交渉のために移動できない人々、移動を迫ることの暴力性など、シーンごとに様々な形に変形・拡張した移動という営みが立ち現れてくる。ギルガメシュ叙事詩原作でも、ギルガメシュは不死の命を探して旅をするが、結局循環的に旅自体が目的となっている場合、その旅はどのような様相を呈する可能性があるのかという思考実験に見えた。
擬音語を口に出しながら食卓を囲む家族、唐突に始まるラップバトル、体の部位を指し示しながら同じ人間であることを確かめあうようなダンスシーン、噺家の漫談、ギルガメシュが現代の暮らしに不器用に接して戸惑う様子。それら全てがどこか不条理で浮遊感があり、生活の手触りから遠く離されている。それでも俳優の身体は厳然として舞台上にあり、飛べはしないので手の届く範囲、足の届く範囲という制限がある。身体は生きている以上、移動するのか否か、移動するならどこへという問いから決して逃れられない。
全体の構成や各シーンの繋がりに関して、一度の観劇では全てを理解することはできなかったが、印象深いシーンが数多くあり勢いと見応えがあった。制作面では鑑賞後に値段を決めることのできるチケットを販売するなど、なるべく観劇のハードルを下げるとともに評価をシビアに受け止めようとする劇団の姿勢が見えた。

深沢祐一

満足度★★★

「複雑怪奇な世界をコミカルに描く」

ネタバレBOX

「みんなはじーっと動かないでお金失って、私は動き続けてお金もらっちゃって。どっちが人生の成功に近づいてるかって話ですよね」

 実家を出奔しフードデリバリーとして働くギルガメシュ(ともか)は、配達先の住人(田中杏奈)が注文した料理の入った袋の先を指で固く結び、こう言いながら頑なに手渡そうとしない。よい暮らしを満喫しているのであろう住人へのささやかで悪意のある抵抗は、彼女が辿ってきた流転の日々を象徴するかのようである。

 十字架に似た線画の意匠をあしらったマントが目立つギルガメシュは、高貴な出であるかのような言葉遣いだが、やることなすことずぼらばかりである。彼女のエピソードを軸にほかの登場人物の出来事が挿話として紡がれていく。ガールフレンド(田中杏奈・二役)の父(町田誠也)に結婚の許しを得ようとするものの、断られ続けて家で延々正拳突きを続けているヒロキ(小倉佑介)に、「桃太郎」の改ざん版を物語る噺家(中禰颯十)など、オチがあるわけでもない不条理な人物描写が続いていく。袋小路になりかかるとギルガメシュの彷徨となり、じょじょに彼女が家を出た理由が詳らかになっていく。

 本作のなかには階級格差や男女差別、くらしやケアといった現代のさまざまな問題が織り込まれているが、それらを声高に主張するというよりは、登場人物たちの行動にさりげなく感じさせる作りになっている。一貫した筋がないようで当初は混乱したが、観続けているうちにギルガメシュの物語に繋がっていく。しかしそれよりも本作の主役は、これらの登場人物たちが暮らす奇妙な作品世界そのものである、と私は思う。ギルガメシュを演じたともか以外はほかの出演者が数役を兼ねるという配役や、やや記号化された舞台設定が、どこの誰にも起こり得る物語という趣を醸し出していた。

 作者の強固な世界観に負けじと俳優たちも皆力演・怪演が目立った。小倉佑介の演じたヒロキがガールフレンドとの結婚を申し出るくだりや、反目し合う兄妹という設定の中禰颯十とともかによるラップ合戦、ともかと田中杏奈が体の部位を触り合い「あたま」「ひざ」などとその部分を奇妙な声で発話するところなど、印象深い場面が多い。これもまた吹き寄せやボードヴィルのような感覚で観ることができた。

 長旅を終えたギルガメシュは、偶然出会った男(宮下諒平)といい仲になりかけるところで物語は帰結する。企み深いとはいえ手数の多い本作は、どうしても散漫な印象が残ったところが否定できない。1時間半かけて果たしていまなにを観たのかとポカンとした心地にもなったが、他ではなかなか出合えない作品であることも事実である。

松岡大貴

満足度★★★

コラージュは、物語のままなのか

ネタバレBOX

家を飛び出し、マント姿で配達員として街を巡る主人公。その不遜な振る舞いと迷走のプロセスを主軸に、一風変わった群像劇が展開していく。
婚姻の許しを求めて拳を突き出す男や、旧地権者を名乗る侵入者など、突飛な一幕がモザイク状に配置される。だが、それら滑稽な顛末の底流には、格差や性差、ケアといった現代の歪みが静かに潜む。一人のヒロインを取り巻く他5人が目まぐるしく配役を変える。北国の地名が記号として機能する仕掛けは、観る者へ当事者性を呼び起こさせる仕掛けか、それともチャリか。

曰くナンセンスコラージュ演劇と標榜している本作は、一貫した物語を追うことは困難だ。コラージュと言われるとハンス=ティース・レーマンを連想するのは安直かもしれないが、確かに場面はバラバラに感じるが、その素材はそれほど異質なものではなく、そのリアルさがかえってこの作品の様式が求めるものと合っているのかは判断の難しいところであった。あえてコラージュという言葉をヒントに捜索すると、その提示された断片は観客自身が合成(想像/創造)するのだから、もっと異質な知覚があっても良いのではないか。意味は先延ばしで構わない。もっと並列で、有機的で、ドラマ構造から抜け出す断片で埋め尽くすというやり方もあるのかもしれない。

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