舞台芸術まつり!2026春

優しい劇団
平均合計点:21.4
丘田ミイ子
河野桃子
曽根千智
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★★

名古屋を拠点に活動する優しい劇団による大恋愛シリーズ第11弾。普段は別の土地で活動する俳優が公演当日の朝に初めて顔を合わせ、稽古、そして本番と“1日限りの演劇”を上演する試みです。
今回は「優しい劇団の浅草演劇祭」から1年を経て「優しい劇団の武蔵野演劇」と題し、一人芝居に大恋愛2本という怒涛のラインナップを3日間吉祥寺シアターで上演。本作『もっと愛してくれよ節』はその最終日に上演されました。

ネタバレBOX

まず、名古屋を拠点に据えつつも地域を横断してこの壮大な企画を立ち上げ、連日大盛況でやり遂げられた気概とエネルギーに拍手を送りたい思いです。

前日に上演された『夕焼け色のダイダラボッチ』は同窓会を巡るお話で、過去を懐かしみながら今を生きる人々の姿が描かれていました。それに対して、『もっと愛してくれよ節』は初の時代劇。キャラクターの名前や役職、流れているムードこそ時代劇のそれなのですが、内容はむしろ未来的、未来への願い、平和への祈りが強く込められた作品であると感じました。
優しい劇団の持ち味である、ペアによる愛の言葉の応酬、愛が積もり、愛が重なり、それによって世界は変わるのではないかという願い、未来をよくしたいという祈り…。

チラシに描かれているように、本作は「花火」がモチーフとなっており、冒頭からキャスト陣が口々に「たまやー」と叫びます。それに対し、綺麗な星があるのに花火なんていらない!と言う者が現れ、いや、花火は消えてほしくない!という者が現れ、いつの世も人は自分の信じる愛や正義に向かって突き進むわけで…。そんな愛らしくも偏屈なキャラクターたちが、今この瞬間に舞い上がる花火の如く熱烈に生きる姿を、文字通り見上げていました。

物語のラスト、時を越え、国を越え、星まで越えて、軌跡が一つの愛へと帰結していく。その音を、始まり同様に俳優らの生声に託していたこと。それらに私は平和への強い祈り、反戦への思いを感じ取りました。1日で出会い、別れる俳優への手紙でもある台本、その手紙に全力で応答する俳優たち。そして、それらによって紡がれた風景の集積が、やがて舞台と客席を越境して、人々を同じ場所へ、同じ歌へ、同じ空の下へと誘っていく。そんな時間や空間が1日で叶えられるということ。そのこともまた、演劇という営みにおける一つの希望であると私は思います。

河野桃子

満足度★★★★

「優しい劇団の武蔵野演劇祭2026」最終日の『もっと愛してくれよ節』。優しい劇団の大恋愛シリーズはいずれもですが、俳優の身体だけで舞台上にあるこの企画の魅力が強く発揮されていました。

ネタバレBOX

舞台奥に閉まるシャッターや、2階席と地続きのバルコニーなどを俳優が使用し、吉祥寺シアターの縦に高い空間を、がらんと空洞にすることなく上に伸ばしていました。黒い空間に人が、下から、上へ、行き来し、空を見上げる。そこに打ち上げられる花火は高く、その先には真っ暗な宇宙が広がっていて、きらりと星が光る……そんな、劇場が宇宙に繋がっているような感覚。とくに新しい吉祥寺シアターの使い方ではないのに、人間の身体で宇宙を作りだすカタルシスをうんだ劇場での表現に、驚きながらも心地よく吸い込まれました。

総勢20名の登場人物はいずれも力強く見ごたえがあり、俳優皆さんの力量の高さを実感しました。
基本的には誰もが優しい劇団の演技スタイルを用いているため、出会ったばかりとはいえバラバラ感はなく、役者の「個を出そう」という力に引っ張られすぎることなく、作品としてまとまっていて充実感があります。一方で、数日~数か月かけて擦り合わせた作品ではないにも関わらず、俳優それぞれの個性がそこまで出ているわけではありません。それが大恋愛シリーズの特徴とも言えますが、続けた先にどう発展してくのだろう…という疑問もよぎりました。
けれどその変わらなさが「優しい劇団的」であり、今回の「演劇祭」という設定と合っているのかもしれません。またCoRich舞台芸術まつり!応募文の「将来のビジョン」にある〝名古屋旅行の目的になる〟という目標にも合致していると思いました。
1日で異なる地域の俳優が集まり作る創作方法・上演形態は、作り手にとって希望を打ち出せています。出会うこと、向き合うこと、立ち会うことで生まれる本シリーズの魅力を思えば、客席には演劇関係者(俳優)が多いように感じられたことも納得です。

それらが観客にとっても希望になるかは強く断言できません。が、ひとつ作品として大きな発展の希望を感じたのは、1年前の同シリーズと比べて尾﨑優人さんの脚本の言葉が洗練されていたことと、劇団メンバーたちの佇まいが座組のなかで安定感を見せたことでした。
とくに、複数のペアが愛を交わす設定のなかで、ストレートな表現ではなく、「きっとそれは愛なのだ」と感じられる一人語りに自然と引き込まれはっとする場面がいくつかありました。

この大恋愛シリーズにしかできない貴重な試みのほか、優しい劇団としてほかにどういう企画をどういうバランスで打ち出していくかで、団体の今後が大きく変わるだろうなとわくわくしています。

曽根千智

満足度★★★

唯一無二のグルーヴ感

ネタバレBOX

当日稽古して上演まで行う「大恋愛シリーズ」の本作。江戸を舞台に、花火を楽しみに待つ様々な人々の愛をめぐる物語を描いた群像劇。まず客席を含めた公演全体でのグルーヴ感は他の団体とは一線を画す独自のもので、それについていくために高い集中力で本番に取り組む俳優たちの力量も高い。もう一度観たいと思える俳優に必ず出会えるもこの企画の醍醐味であると思う。もはや職人芸となった音響照明のDIYの技術も相まって、この素舞台でここまでの架空の作品空間を立ち上げることができるのかという感動はある。一方で、「大恋愛シリーズ」を成り立たせるための独自の美学が存在する点、それがどの作品にも適用されるために全ての質感が似通ってくる点は少し物足りなく思う。具体的に言うと発語や動きの大きさなどのチューニングが挙げられる。俳優には高い集中力が要求される一方で、基本的に台詞はダイアローグであることと、シーンごとの互いに干渉しない構成ゆえに、その日の上演に応答して演技が揺らぐ余地がなく、演技体としての負荷はそこまで高くないのではないだろうか。以前、観劇した際には緊張からか出演俳優がかなり大胆に台詞を飛ばした箇所があり、それをカバーしようと奮闘する周囲の様子が見え、上演という場に居合わせる臨場感としてはそちらの方が見応えがあったような気がする。作品としてのクオリティが一定高いことが逆説的に、なぜこの形態で上演する必要があるのかという点を浮き彫りにしている気がした。無論、このように当日に俳優が集まって作品を作り、それを居合わせた客席と共に目撃するのだという企画趣旨は唯一無二であり、ここからこのアイディアをどのように進化させていくのかに期待したいと感じている。

深沢祐一

満足度★★★

「演劇の生産構造への反旗」

 名古屋を中心に活動する劇団が、東京の吉祥寺シアターで過去作品と新作を一挙に上演する企画である。私が観たどの回も満場の客席で溢れかえっており、劇団の晴れ舞台に多くが喝采を送っていた。

 初日の「北極星のがなりマイク」は、主催で作・演出の尾﨑優人が十数役を演じる一人芝居の再演、続く二日目は出演者の顔合わせと稽古、そして本番を一日で敢行する「大恋愛シリーズ」のVolume10「夕焼け色のダイダラボッチ」であった。

ネタバレBOX

 さて三日目の大恋愛シリーズVolume11「もっと愛してくれよ節」は、まず幕開きで暗闇のなか出演者一同で花火があがる様をオノマトペで表現していたところに意表を突かれた。劇団初の時代劇という触れ込みで花火を「偽物の星」と嫌う江戸幕府天文方(永島敬三)や花火が消える様を嘆く花火師(千賀百子)、すべてを手に入れたはずなのに郷里の母に渡された傘を大事にする悪代官(黒澤多生)に愛のために盗みを働く義賊の鼠小僧(佐藤新太)まで、さまざまな登場人物が「愛」について怒涛の台詞を交わしていく。現代で言うところの自己承認欲求の発露を外題に込め、さまざまな登場人物が歌い上げながらやがて花火があがる様子を見守るのだが、当然ながら帰結まではなかなかに飛躍が多い。悪代官の「傘」と「かあさん」の言葉遊びにピュアネスを感じる場面など趣向は尽きないのだが、Volume10同様にペアで展開する構成やシャッター、劇場通路の利用など目新しい演出はなかった。

 この企画を通して感じたことは、「大恋愛シリーズ」の可能性と課題である。普段は別の場所で仕事をしている俳優たちが集い、数時間かけて稽古し、スマートフォンの音楽をBluetoothスピーカーで流し工事用ハロゲンランプを照明にして本番を打てば、作品として成立するということをこの企画は証明している。力のある俳優と最低限のスタッフワークが揃えば、ごく短期間であっても芝居ができるということは、多くの演劇人、演劇ファンにとっての希望のように映る。長期にわたる分業体制の演劇の生産構造に対する反旗であり、加速するばかりの現代社会に見合った活動ともいえよう。

 他方で俳優の芝居が大仰な身振り手振りと大声という類型化したものになりがちであり、演じる姿が一人芝居での尾﨑のそれを模倣しているように見えてきてしまった。作劇もまた登場人物のペアの小話を広げた群像劇という形式に陥りがちであり、ドラマを堪能する暇を与えない言葉の羅列の先に作者のピュアネスと演劇愛を感じる、というパターン化したものになっていた。この劇団の活動に賛辞を送る観客が少なくないことは心強く思う一方で、作品の成熟を目にすることが叶えばという思いもした。

松岡大貴

満足度★★★

誰もが誰かの道の上

ネタバレBOX

幕開けは出演者による花火の炸裂音、やがて立ち現れるアンサンブル。印象的な幕開けです。
星を追う天文方(永島敬三さん)や花火師(千賀百子さん)、あるいは義賊(佐藤新太さん)といった、夢や欲望や孤独を抱えた登場人物たちが現れます。主に愛について語るために。いや、叫ぶために。

出演者たちは、短期間の稽古とは思えないタフな身体性を示し、迫力のある舞台となっていました。
1日限りの稽古と公演というシチュエーションのため、その祝祭感や、会場との一体感は今回も感じられて面白く観ることが出来ました。
予算や体制など、さまざまな困難のある舞台創作の現場において、数時間の稽古と1日限りの公演という趣向はポータブルで、企画としての継続性も見込める点も興味深く感じています。
まさに俳優のための企画といった風情で、歌舞伎界にはその名も“俳優祭”(こちらは音響照明バッチリ仕込むのですが)というイベントがありますが、こちらもパロディあり、言葉遊びあり、遊び心に満ち溢れた企画でして、そのお祭り感を連想するものでした。

少し小難しい話をしますと、前述の歌舞伎の例から比較すると、参加される俳優さんが必ずしも同じ演技方法や技術を持っていないのは当然かと思いますので、その統一のためにかなり早口で捲し立てたり、大きな所作になったりと、かえって俳優の個々の演技を見るというより、様式の中に統一された表現を見るように感じる部分がありました。
定まった形や、様式的な所作を見せるのはそれはそれで面白いですが、もし長期の稽古に頼らず新たな表現を模索できるとしたら、この企画の意義はより高まるのではと感じました。良い悪いは別として、日本の舞台芸術において俳優やスタッフを育てて来たのはその現場、稽古場でした。非効率かもしれない小さな劇団や舞踊団、それぞれの座組が時間をかけて培ってきた表現方法の道すがらに我々はいます。創造環境を守るという視点は、より軽量にすることと、より手厚くすることが対立するわけではなく、選択肢を増やすことだと思います。
もしこの作品、シリーズを、団体の表現だけではなく舞台芸術の、俳優の創造環境や表現の場を守るために取り組んでいらっしゃるのであれば、ぜひ一緒に考えていけると幸いです。注目しています。

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