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「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

すばらしかったです。夢現舎さんの舞台はこれで2回目ですが、前回同様圧巻でした。演技をみていて、ほんと、役者さん演劇が好きなんだなーと感じます。最前列で観させていただきましたが、眼の前に線路があるような錯覚に陥ることが何度もありました。ほんと素晴らしい舞台でした。

Ulster American

Ulster American

本多劇場グループ

「劇」小劇場(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/04/19 (金) 14:00

85分。休憩なし。

映画のパロディ

映画のパロディ

コンプソンズ

下北沢 スターダスト(東京都)

2024/04/18 (木) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/04/19 (金) 16:00

80分。休憩なし。

箱の中の4人

箱の中の4人

B.LET’S

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/04/19 (金) 19:00

Aキャスト。85分。休憩なし。

「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 自死というテーマで様々なことを思考させてくれる作品、その行為が成功してしまえば二度と再びこの世には戻ってこれない事象だけに、いくらでも深堀りすることができ、様々に微妙なユーモアを紛れ込ませることもできる処が今作の強みだろう。役者陣の演技もグー。

ネタバレBOX

 頂いたパンフの中には令和4年の我が国の自殺者数他、令和5年の自殺手段、理由、曜日、月、県などが上位3位迄記されていたりする。
 実際に演じられるシーンは圧倒的に鉄道への飛び込み関連が多いのは、それだけ他者への影響力も大きく、賠償請求額も高額になるということがあろう。
 ところで自分の好みでは自殺という言葉より自死を選びたいので、以下の表記では自死を用いさせて頂く。病死、事故死、自死、衰弱死等々死に方は様々だが現在までの処人間も生まれた以上必ず死を免れることは無い。掛かるが故に総ての哲学的思考は死すべき定めを自覚することに原点があると考えられる。その可成り純粋な形が自死の形を採って現れる場合があろう。このようなケースが最も論理的に自死の軌跡を追いやすいケースではないだろうか? 今作では、呆けてしまい醜態を晒すことを恐れて。そのような醜態を晒す前に自ら命を絶つケースである。実際、このようにして亡くなった方がいらした。極めて優秀な研究者であり、ユニークな研究者でもあった方である。業績も大きかった。継承者も育てた上で自死を選んだ背景は、矢張りお歳を召してそれ迄確かであると信じてきた生活の中での認識が、視聴覚の衰えやレスポンスの遅れ等でそれ迄通りにはゆかなくなったという自覚が、自ら築いてきた実績を汚すと考え、矜りを傷つけられたということだと愚生は考えている。無論、今作の別の部分でたくさん描かれているように会社の同僚や上司等から散々いびられ、貶された結果追い詰められて死を選ぶケースも多かろうが、このケースでは様々な要素が入り込む為社会的要因や力関係、時代や生きている場所のその時点での価値観等要素が多い為中々自死という不可逆的で自分自身では自ら認識し他者に伝えることが出来ない自分の死について客観的な視座を持つことは不可能であること、また先に述べたように要素が多すぎて分析せねばならぬことが多岐に及ぶ為焦点が呆けてしまい易いことなどからアプローチしない。このような思考もあって自分は自死という言葉を選び如何なる場合にも自死は個々人の権利であるとも考える次第である。今作を拝見して以上のようなことを考えた。
底ん処をよろしく

底ん処をよろしく

東京ストーリーテラー

シアターKASSAI(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/04/19 (金) 11:00

演劇『底ん処をよろしく』Aチームを観劇。大衆食堂底ん処の皆さんに再びお逢いできました。

「あぁ、自殺生活。」

「あぁ、自殺生活。」

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

淡々としたストーリーの中に吸い込まれる
人は一回しか死ぬない…確かに
理不尽な言葉に傷ついたり、他の人と違う感覚や考えが違う中で傷つき、疲れ、時に消えたいと思う事は誰にもある
生きるのも死ぬのも勇気や行動が必要だよなぁと思いながら鑑賞
自身の老いに脅える気持ちよく分かる
自分が自分でなくなる事を考えたら…消えくなる

若い社員の会話が面白かった、ある意味宇宙語で意味わからなかった…もっと知りたかった笑
昨年に続いて良い時間を過ごさせて頂き
穏やかに帰路に向かってます

Ulster American

Ulster American

本多劇場グループ

「劇」小劇場(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

怒涛の会話の応酬。
自分の信念・信条がNO.1で他人の思考には「配慮できるよ」と思っている3人が
本音と建て前を行き来して、他人が折れるのを誘導する。
SNSでのやり取りが目の前で展開されているように感じました。
こうやって、諍いが大きくなっていくんだろうな、と感じられた作品。
演者のお三方、素晴らしかった。

夢の泪

夢の泪

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/29 (月)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★★

観た時間が楽しかった(過去形)に止まらない今もひた寄せる感覚を伝えようとなると「おおおお」とか「ぐうぅ」「んなっ!」と咆哮にしかならないのを、無理やり言語化して結局「良かった!」「楽しかった」「泣いた」等の語彙を引っ張り出すしかなく。
「感動」という心のありようを表現する事は難しいので、やはりその周辺をぶつくさ書きながら「籠める」以外ないようである。

な事はともかく。開幕後まず目が探すのは、他でもない我らが桟敷童子の板垣桃子。。だがこれが中々見つからない。サザンの後部席とは言え、舞台上の雰囲気や声で分かりそうなものが、暫く目が泳ぎ、不穏な想像までした(降板...)。オープニングの歌を皆が賑やかしく歌ってるのにそこに居ない(後から登場組)とは考えにくいので、女優3名を消去法で潰すと一人残るのだが、声質も体の動かし方も当てはまらない。あの桟敷童子での立ち姿、風情から想像できない・・。言いたいのは、演技者としての幅が予想外であった事だ。声は高らかで明るく、体もしなやかで華やかな動き。それにまず驚いた。
一幕は寝落ちしそうな瞬間が何度か訪れた。(周囲にも相当数いたので私の「体調」だけが原因ではなさそうだ。)説明台詞が特に前半に仕込まれるのは博覧強記が戯曲にも滲む井上作品の「通常」で、休憩時間に回復した頭は「この仕込みが後半生きるのが井上戯曲だったな」と気持ちを改め、二幕物の華麗な「逆転」の例を思い出し、休憩後は前傾で舞台を凝視し始めた。読み通りであった。

弁護士夫婦の自宅兼事務所のある建物の「事務所」スペースが一、二幕とも変わらぬ舞台。ここで最初に「争い事」を持ち込んだ二人の歌い手の「同じ歌」の取り合い問題が、後半思わぬ形で決着を見る。そして改めて歌われ、最後には合唱となるその歌が、最初に耳にしたのとは見事に違って聞こえる鮮やかで静かなクライマックスは、忘れられないシーンとなった。既にメロディーも忘れ(譜割りの難しい歌だったが)前後関係も怪しいが、場面を反芻したくなる。
弁護士夫婦の夫(ラサール石井)は、東京裁判で松岡洋右元外相弁護団の補佐を引き受ける事となった妻(秋山)を支え、弁護人を有給で雇うよう当局へ掛け合う等「商才」?を発揮する。妻を公務に取られた弁護士事務所には、妻の父の知人という老齢の弁護士(久保酎吉)が応援に来ており、物の見方や法律上・人生上の助言もする役どころ。夫婦の間の一人娘は一本筋が通り、事務所の手伝いをしながら法律家を目指す。復員した正は抜け殻のようになった自分の中身を埋めるかのように勤勉に事務所の仕事に勤しむ。発語はいつも大声で「であります」口調。その感情を排除したような声が「言葉」として事実を淡々と伝える時、言葉の意味だけが情感を伝えてくる瞬間がある。ギャップ萌えと言えようか。

本論である東京裁判について、正面から言及されるのも二幕に入ってからの事。
妻はこの裁判はきっと「なぜこうなったのか」事実から振り返る機会、きっと良い影響をもたらそうだろうと熱っぽく語る。「歌」問題の調査(それぞれが歌を教わったというそれぞれの夫への聞き取りなど)を任された正が折々に報告する。この二つが主な案件として並行して進むが、これ以外に、弁護士事務所が受けた相談が紹介されるのは一件。
こんな相談だった、と報告する形で語られるのは、闇米の運搬を引き受け報酬を稼いでいたある女性が、上野で一斉摘発に遭った際、リュックサックに刃物を突き刺して穴を開けて中身を確認して回る警官の手にかかった。実はリュックには赤子を入れ、米は脇に抱えていた。赤子はその後死んでしまい、女が抗議しに行った所、文句があるならリュックに米を入れているヤツらに言え、と取り合われない。
この警官らの「返し」が井上の文才を思わせるが、占領下の日本でこれを告発するのは難しいとやむなく帰す。
この話と同様に「断念」を勧められるのが、弁護士夫婦の娘の幼なじみの青年。彼は父が朝鮮人で、地元の暴力グループに家を襲われた。警察はそっちの味方だから当てにできない、耐え忍ぶしかない、と周りはやむなく説得する。
朝鮮出身者は戦前「日本人」とされていたが、終戦で一旦処遇を保留されていた所、改めて「日本人」とされた。この事の意味についても作者は人物に語らせている。実は戦前は「日本人」と言いながら実際には区別していた。だが、今度は真正の「日本人」と規定した、それは「外国人」なら配慮が必要だが日本人なら放っておけば良い、という理屈なのだと。ここで歌われる歌は、日本人も朝鮮人も誰も彼も、「捨てられただけ」という歌詞。「ただ捨てられたのだ」が、日本人が到達すべき一つの認識(達観・諦観?)として作者が立てた(捻り出した)言葉だ。
負けた事を認められない人間が国家に寄り添い、政権に寄り添う。私らは政治によって良いように扱われ、軽んじられ、今も損をさせられ奪われている、つまり「負けている」のだが、これを認めたら権力と対峙する立ち位置に立たねばならなくなる。だから「奪われてなどいない」「政権は自分の味方だし」「反対を言ってるやつはパヨク」とこうなる。長期政権を「過ち=負けを認めない」リーダーが統べていた事も、影響しているだろう。
不敗神話=無謬性の原則に似て、先人の為したこと敷いたレールを、否定すべきでない、戦争でおかした過ちも「ない」として、改善と進歩の契機を一切認めない態度に通じる。20年前と言えば、歴史修正主義が勢いづいた時期だが、井上ひさしはこの時点でナショナリズムと「負けを認めない」態度との通底を見ていたのだな。

この捻り出した言葉に、井上氏の精魂が生々しく乗っている感覚を覚える。この作品も遅筆で苦しんだとの話。苦労の跡をこれほど感じ、そしてその苦労を超えて到達した高みをこれほど感じる作品はなかった。

ネタバレBOX

板垣桃子は藤谷理子と共に(年の差)歌い手コンビで歌の事で対立しながらコンビ愛が徐々に育まれていく役どころ。
オーラスは歴史の事も戦争の事も忘れた10年後の場面、ラサール石井が商才を発揮して四階建てビルを建て、弁護士事務所の二階に開いた店に皆が集い、二人の歌い手の歌と酒に酔う姿は「アッと言う間に忘れ去る日本人」を象徴。
この付録的場面(作者的には思いきり皮肉を込めただろうが)の直前が真のクライマックス。歌の作者の調査の最後の報告を読み上げる正。歌い手の夫それぞれを二箇所の陸軍病院に尋ね、同じ部隊に居た二人の上官が故郷を思って作った同じ歌を教わった事が判明した後の続報である。その上官も横浜の陸軍病院に居る事が分り、訊ねた所、二か月前に亡くなっていた。そこでその人の実家を訪ねて行く途中、丘を登って行った先に、正は「なんとそこに」・・「桜の木が風にそよいでいるではありませんか。(そんな感じの台詞)」と言い、目の前にその情景を浮かべる。軍隊に行き言葉に出来ない体験もしただろうこの青年が、二人の軍人と、その上官との「物語」の最後のシーンに身を置いている姿がそこにある。と、大事な事を、と正が報告を続ける。彼は上官の奥方に会い、歌をめぐる権利問題の決着をつけるべく経緯を話し、回答を待った。奥方は二人が夫の歌を大事にしてくれた事に礼を言い、「好きなだけ歌って下さい。それが主人への供養になります。」との回答を得る。
万事解決、と一同が喜んだ後、二人は申し合わせる事なく「桜の木」が口をついて出る。全員が、微かに声を合せ、小さな、儚い花の命を愛でるように、歌う。
この元歌なのだが、『ひょっこりひょうたん島』の挿入歌でこまつ座常連の宇野誠一郎作曲「心のこり」という歌だとパンフに書かれてあった。Youtubeではヒットしない。どこで聴けるだろうか、いつか聞いて反芻する事ができるだろうか、それが心のこり。
【弐】黒狐

【弐】黒狐

激富/GEKITONG

in→dependent theatre 2nd(大阪府)

2024/02/22 (木) ~ 2024/02/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

1月とは別物!
始まる前に、1月の時にそんなにスモーク?使ってました?とか(笑)


ひのけん鉄吉オンステージ!
あそこは鉄吉役の役者さんの技量が試される場なのでしょうか?(笑)
最初の笑かし方が卑怯!
出てきてひたすら、客席に向かってひたすらニコニコニコニコと笑って、こっちもつられた!(笑)
なぜか、設けられた給水タイムでステージ上でも客席でもみんなで飲み物を飲むし(笑)
ああいう、誰も傷つけない一体感はとてもいいですね(笑)
あの景色は素敵!
朝光が、『やっぱり変なヤツじゃねーかー』ってなセリフで今回に限っては、本当に変な人に変なヤツって言ったら刺されるよ!って思ったのは、私だけでしょうか?(笑)
毎回ちょいちょい違うことしたり、その為に音用意されていたり、今回の黒狐どうした?っていうぐらいおもしろいし、でもただの変なヤツじゃないしで、本当にどうした?黒狐!(笑)
去年のあすくるで、日ノ西賢一さんを初めて見た時は2役されてて、最初同じ人だとわからなかったくらいには引き出しが多い方なのか、やっぱり凄い人なんだなと思いました。


烏のセリフが増えた事により、宗左衛門というキャラクターに深みが増す訳ですよ!
人でなし宗左衛門。(まあ鬼なので、確かに、『人で、なし』。)
でも彼は純粋で真っ直ぐな子です。


猫屋敷に関しては、最初の登場シーンで熊田健大朗さんの猫屋敷(再演・稲妻の方)みたい懐かしいーって思ったら、今回無茶振りされるのは猫屋敷の方っていう、前野修一さんおいしいし、あのボーリングのフォームは忘れない笑


朝光の双子の兄の朝光様(兄光)も衣装が微妙に再演、1月、2月と変えてたの良き!
(黄緑→赤→黄だったかな?)


今回の朝光と鉄吉の最後でさらりと出てくる鉄吉と椿さんの関係について、ヲタク・考察好きファンなら喰いつくのでは?
アフターイベントにて、ひのけんさんは話してしまっていましたが、聞かなくても自分の中で楽しめる要素でした。
(ちなみに、『全てを受け入れて前へ進め』は1月の中井善朗さんの方がなんか好き)


今までの黒狐が平面なら、やっと立体化されたような奥行きのある芝居•舞台でした。


あれ?主役どこに行ったんだろ?

ネタバレBOX

前説に清典さん出てきた!
その時のお衣装も素敵!

鉄吉と椿さんは兄妹設定かと思いきや、幼馴染み設定だったそうです。
身内グルグル物ではありませんでした(笑)
1月後の清典さんのツイキャスでの烏の話やアフターイベントでの小久保びんさんの烏、烏に肉付けした場合、もっと話長くなりそうだなというのと、私としては烏は雑魚のままでいてほしいとか思っていたり(笑)

あと私、この公演の前に契約切られてますので。
嫌がらせしては1人ずつ退団していってますけど、お客様をいたぶって楽しいんですね。
悪趣味。
自分達で、自分達の芝居を潰して何が楽しいんですか?
演劇を考察してみよう!

演劇を考察してみよう!

無限のネコ定理

王子小劇場(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/04/18 (木) 18:00

初見のユニット。演劇を続けることの苦しさと楽しさ、ということか。(前説3分)75分(16分休み)74分。
 とある学生上がりの男4人と女1人の劇団。辞めるという劇団員が出るが、…の物語。いくつかの「演劇は○○に勝てない」というタイトルで章立てするのだが、演劇を続けることへの若い世代の感触を綴っていると思う。苦しさもあるが、楽しさもある、という感じかと。劇団が演劇の芝居をすると自己肯定的になるという傾向があるのだが、ややそれは見られるものの嫌な感じではない。ただし長い。思いの丈をひたすら綴ったということだろうか。桐朋の卒業生の劇団だそうだが、登場人物全てが若い。「メタ演劇」という評もあったが、メタとは思わない。

さるすべり

さるすべり

オフィス3〇〇

紀伊國屋ホール(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

異色作。2022年に前哨戦をやっていたのか。殆ど書き上げたばかりのをやったかの空気感だった。(大幅に書き直して、とあるのでそれはそうだったかも。)
昨年の「ガラスの動物園」で見事なアンサンブルを俳優との間で形作った生演奏の川本悠自(b)と鈴木崇朗(バンドネオン)が付くというので、全幅の信をおいてチケット購入。千秋楽であった。
ヘルメットを被ってトンカンやってるイベント準備の中、二人が入って来る(トンカンやってるのは演奏者二人と踊り手(松井夢)だったらしい)。渡辺が客席語りをしながら、高畑女史に過去の話題作の演技を再現させたりのサービスの時間。そこから、渡辺えり節全開な支離滅スレスレ(否ほぼ支離滅か)の展開へ。ピースを後付けで力技で繋いでいた。華麗な台詞回しと展開があるかと思えば、弾けないもどかしい場面も。「死ぬまでにやりたい事やる」宣言を「した公演」を含めて三つ目を数えたが、まだまだ随分続きそうな勢いでもあり、通常ペースで見守る事にするか・・。

ネタバレBOX

導入はコロナ禍の「コロナ」を思い出せず、「何で私たちは4年間も自粛してるんだけ」と思い出そうとするやり取りから。「八月の鯨」をモチーフに、老いた二人の姉妹がどうにかこうにか生きてる風景だ。駄弁りが芝居の基調でちょっと笑える会話や風情に客席からはドヨと笑い声が起きる。八月の鯨のベティ・デイビスとリリアン・ギッシュを舞台で演じたいと思っている二人の稽古風景でもあり、即ちもっと老いた渡辺と高畑の未来予想図、といった趣きもある。だから二人が八月の鯨を抜けて、別の物語を生きる場面も点々とある。
「これはアングラなんだから」と序盤で渡辺が高畑に言う。戸惑う新人に宣告するニュアンスは、アングラ組から新劇組への宣告というより、「際物」から「普通」、「貧乏家庭」から「恵まれた家庭」への妬み半分の宣告にも聞こえる。カテゴリーにこだわるつもりはないが、小劇場演劇(遊眠社や第三舞台、劇団3○○(元2○○)、第三エロチカといったあたり・・見れば三の付くのが多いな)は確かに、アングラの延長と言って差し支えなさそうであり、「アングラ」と自称するのに何ら不自然はない。
物語らしきものはある。途中「種明かし」的に伏線を回収する体で、二人の共通の知人らしい「みつお」に言及される。「忘れようとしてた」から話題にもしなかったが、思い出した、と。二人の弟である彼は窓からさるすべりに飛び移ったり、平らになった枝にひもをかけてブランコを揺らしたりした思い出。ところが実は「みつお」は高畑の息子であり、高校時代に出会って感化された大学生との間に出来たが逃げられ、一人で生んだ。そして「みつお」は高畑の夫でもあった・・。そんな相の変化が断りもなく起きるので、台詞から人物関係図を完成させようとする脳では、到底追いつかない。「男」の持つ位相を「みつお」に代弁させたものと強引に解釈して観劇を続けた。
最終的には楽曲で締められる。パンチのある渡辺氏の声が歌の時である事を告げると効力覿面、終幕へと船は動き出す。無事進水すれば大団円、不思議な旅は終わりを告げる。このとき涙を拭う仕草を前の客席に認めるが、私はと言えば「夢の泪」の珠玉の歌を観た後である。そう簡単に騙されんぞと、肩肘を張る。だが席を立つまでがお芝居。舞台を終えた渡辺えりの語りに会場が沸く。手練れであるな・・ここは降参とするか。
「八月の鯨」に寄せた家族の物語の「みつお」を巡る悲劇は彼がさるすべきの木で首を吊った事。「果実のように」と表現し黒人の自殺に重ねている。八月の鯨の稽古を抜け出て、機動隊と対峙した全学連時代を潜り、爆撃のある戦時下を潜り抜ける。渡辺女史の社会派がほぼぶち込まれている。
第37回公演『ライダー』

第37回公演『ライダー』

激団リジョロ

シアターシャイン(東京都)

2024/04/12 (金) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

二度目の観劇。公演情報を入手したのがそれ以来なので久々の東京公演か、と勝手な想像をしていたが、劇団否激団の拠点は東京であり(旗揚げ2年後には関西から上京し、経緯あって東京にて改めて旗揚げした模様だが、それでも20年経っている)、また前回と今回の間に既に2公演やられている。前回観たのは2021年であった。
激団の名が表わす体は「熱い」。ただし前回は日韓の歴史を遡った(植民地時代から現代)リアル基調の劇で、尖った切っ先の熱とは異なり人情部分の熱(だから上がっても40℃位?)。だが今作は相当に現実離れしたフィクション。時空を飛ぶ。エッジの効いた鋭い「熱」にはこちらの方が親和的。で、これが中々面白かった。
過去公演の履歴を改めて眺めるとゾンビが登場する話もある。基本「激烈」な、啖呵を飛ばし合う劇の様相が浮かぶ解説文だったりするが、今回、作・演出の主宰は壮年期、他俳優が若手なのでこの「激しさ」「熱」を仕込む指南役とその弟子といった空気がやや舞台においても流れる。
おや?と思わせるのが冒頭、5、6歳位と見える女の子が登場し、最後も締める。普段っぽい表情で客席を眺めつつ動いたり台詞も言う。これが主人公の女性役の子供時代の設定で、何だろう?と目を引く。ツーリストと呼ばれる、操縦桿(一本のバーを床に据えて左右前後に動かす)一つで宇宙を旅するいかつい男(主宰・金光仁三)が現われ、女の子にこう告げる。「そうだと思った事が本当になる。何がしたい?」「宇宙に行きたい」「ならそう願えばいい。」大きくなったこの女の子は、AIと人間のハイブリッドこそ新たな時代の理想だと語る国のリーダーの下、潜在的な敵対関係を持つ事となり、「戦い」が徐々に始まっていく。
ディストピアな未来を生きる彼女は「そう願う」「そう信じる」いや「そう思っている(だけ)」でそれが実現するというそれが一つの「能力」である事を、自ら知る。かのツーリストが彼女を再発見し、これを告げた。彼は彼女の誘導役となるが、やがて前線から退場し、最後に彼女一人で戦う段階が来る。
AIと人間とのハイブリッドを高らかに歌う国のリーダー(女)のバックには、化け物的な、人間の肉体という宿を持ったAIの存在があった。だが、人間とAIの融合の実態とは、脳にチップを埋め込み、情報処理能力は高めるものの、指示者に対し従属的となるような代物。主人公の父はこれを悟って従わず、抹殺されるが、事が一巡りした後、国のリーダーも「理想」が欺瞞であった事に気づき、対抗勢力となる。だがその時点で主人公は先行してAIとの対決と撤収を繰り返し、逃れる過程で彼女はツーリストに紹介された避難先として訪れた星で、それぞれに個性的な存在たちと出会う。彼らに助けられ、また助け、学んで行く。
これはスターウォーズの構図だな、と途中から思い始める。「本当にそうなる」と心から信じていないならば、その力(映画ではforce=理力と言ったっけ)は生じて来ない。
彼女は旅の中で、この力を使いこなすコツを習得していくのだが、ラスボスであるダースベーダーと決定的な対決を行なうまでに、人間力を高める修行の中に様々な星の住人との出会いがある、という構図は、古典的だが力強い。

この荒唐無稽なSF物語が、ストーリー完結の辻褄合せに付き合わせるだけに止まらず、心が広がるような感覚を持たせたのは、ユニークな各星人たちを始めとしたキャラの魅力。
こういうタイプの芝居はそういえばあまり観ていないが、キャラ創出の才は中々ではなかろうか。最後まで「熱力」で押すドラマに相応しい精神論(根性論?)だが、スポ根とは異なり、最後には静かな心を希求している。
とは言え、その心を勝ち取るために、激烈な戦いを戦わねばならない物語の宿命は矛盾と言えば矛盾なのだが。
いずれにせよ、かような舞台を疲れず面白く観られた自分に気を良くして、帰路についたものであった。

S高原から

S高原から

青年団

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/22 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

アゴラ劇場での最後の青年団公演である。満席の入場待ちの人々が階下のロビーに張り出された劇場のセット図面や台本などをスマホで撮影しているいかにも送別公演らしい賑やかさである。といっても観客数は百名足らずだから十分もあれば始末できる。そこが、良くも悪くも、平田オリザという劇作家の存在理由であった。
サヨナラ公演四公演から「S高原から」を見た。見ている内に過去に見ていたことを思いだした。初演が91年暮れ。せいぜい三十年余前だが、部分は思い出すが人物のキャラやプロットはほとんど忘れている。今回の再演はほとんど手を入れていない(例えば、台詞に頻出する「風立ちぬ」の解釈論は,その後のジブリ映画のタイトルに使われて人口に膾炙したが、初演通り、それがなかった時代で上演している)。新しい現在のキャストもかつての公演をなぞっている感じがする。サヨナラ公演だからそれもアリだろう。それで解ることもある。
平田オリザは,80年代までに演劇界を席巻したエネルギッシュに新しい世界を作る新しい演劇に対抗して出てきた。当時、唐、つか、鈴木忠志、太田省吾らの先行世代,蜷川、佐藤信、野田秀樹らの続く世代、一見おとなしく見える井上ひさしや串田和美ですら、今思えば十分に破壊力があリ戦闘的だった。その疾風怒濤の中から平田オリザはこの小さな駒場の小劇場を足場に出てきた。平田オリザは当時,日常生活の台詞、演技の上にドラマを見る「静かな演劇」として、ジャーナリスチックにもてはやされる時期もあったが、致命傷は大きな観客を集められる作品に向かうことがなかったことである。青年団はこの小さなアゴラから数多くの後継劇団を生み出したが、身近な日常の生活を基板として、それに甘えて仲間褒めで満足している劇団群で、既製劇団に対抗できる力がなかった。アゴラの閉館は静かな演劇衰退による閉館ではないと明らかになっているが、時代の流れは変わっている。現在は、最近見た舞台では,た組の加藤拓也やエポックマンの小沢道成などには、平田オリザの日常の上にドラマを構築する現代劇を受け継いでいることがうかがえる。
今「S高原から」を見ると、昔の流行り物を見る哀感も感じるが、演劇はこのようにして時代を超えていくものでもある。

レンタルディレクター

レンタルディレクター

演劇企画アクタージュ

studio ZAP!(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地方都市にあるレンタルビデオショップ<カリチャイナ>が舞台。その街の夏祭りには、商店街の店が 或る出し物…イベントで街興しをしているよう。カリチャイナでも催しの準備をしようとするが、アイデアが浮かばない。物語は、善意に溢れる地元の人々と東京から来た憂い謎めいた一人の青年との交わりを通して、人の<優しさと切実さ>を仄々と描いている。

少しネタバレするが、夏祭りには 映画の上映を目論み、宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフに、ショップ店員が脚本を書き下ろす。物語の基調には、よだかの星…容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われている を意識しているよう。表層的にはコミカル、ユーモア溢れるといった印象だが、そんな中で 東京から来た青年の存在と仕事がカギ。ショップに出入りする個性豊かな人々を描いているが、その背景には地方都市の活性化が透けて見える。同時に人の心にある苦しみ・・人との関わりが苦手といった ありふれた悩みを取り上げている。

物語では、克服すべき困難に立ち向かうといったことではなく、ただ その人を肯定する といった自然体で受け止めている。登場するのは、ショップの店長や店員、八百屋の夫婦、美容院経営者、そして会社員など 普通の人々。その人々が抱える普通の悩みだからそこ、観客のあるある感情を刺激する。

最近見かけなくなった レンタルビデオショップという設定が妙。人の滞在時間は、借りて すぐ帰る人もいれば、店で視聴する人もいる。人の出入りが自在に出来ること、地方都市ということで 昔馴染みといった常連客を取り込んでおり、登場人物が固定していても不思議ではない。そこへ東京の人…仕事と苦悩 そしてショップ店員の悩みがシンクロしてクライマックスへ。癒し系劇 といったところか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に丸テーブルと椅子、上手後ろにDVDが並んだ棚、下手も同様に棚やリビングチェアが置かれている。壁には映画のポスターやチラシが貼られており、レンタルビデオ店といった感じは出ている。ほぼ中央奥が出入り口、下手は別部屋へ通じる。

レンタルビデオ店は、ほとんどが常連客で日々騒がしい。人見知りの従業員(バイト)高畑綾乃を「よだかの星」に準えて、彼女の心を解(開)放しようと働きかける人々の優しさ。また近所の八百屋の夫婦喧嘩、その八百屋の女将と絡む美容室の女性オーナー、仕事が忙し過ぎる会社員など、どこにでもいるような人々が織り成す人情劇。夏祭りといった地域 季節の風物詩(イベント)を絡め 面白可笑しく仕上げている。

個性的で愛嬌ある人々、その言葉と行動に隠された優しさ。そして 社会にある棘のようなコトへの皮肉と人への応援がしっかり伝わる。まず 八百屋の主人は、ビデオ店へ入り浸ってエロDVDを借りている。妻はそれを知っている。夫婦して何気にビデオ店の売り上げに貢献しようと。
また ブラック企業のようなところで働いている会社員、自分がいなければという強い責任感。しかしビデオ店の店長 黒澤明は、例えば この店のバイトが1人居なくなったとしても大丈夫。それが組織というものと諭す。

この気心知れた人々がいる街へ、東京から写真を生業にしている青年 諏訪信二がやってきて、物語は動き出す。風景写真は撮れるが、いつしか人物は撮れなくなったという。実は女性が乱暴されそうなところへカメラを向け、助けたことがあった。その時ファインダー越しに犯人の目を見て といったトラウマを抱えている。この心に傷を負った青年と ビデオ店の人見知りの女性の淡い恋が…。
全体的に優しく仄々とした雰囲気、それを役者陣が楽しんで演じているよう。

蛇足ながら、カメラマンが人物を撮れなくなった理由…自分は戦場カメラマンとして戦地の不条理、といったことを連想した。
次回公演も楽しみにしております。
デカローグ1~4

デカローグ1~4

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2024/04/13 (土) ~ 2024/05/06 (月)上演中

実演鑑賞

満足度★★★★

前回の「デカローグA」の公演では、全体の企画への疑問を感じたが、それは、この「デカローグB]を見ても変わらない。しかし、今回の舞台の印象は大きく変わった。それはあとにして。
 前回に続く全体に関する問題では,エピソードを1と3,2と4,という組合わせで上演している。公演Bを見て、このシリーズはやはり、企画者が組んだような,どこから見ても良い、という並びの内容でもではないと言うことが解った。少なくとも、4までは、順に見るようにエピソードが並んでいる。単純なことでは主人公の年齢が成長していくように並べられている。それを無視して、演出者のくくりの都合で観客は見なければならない。確かに、演出者は資質が違うから順にすれば、お互いが損をすると言うことは解る。ならば、このような上演があることを企画の段階で解るなら、常識的には「順に見る」「演出者を二人たてるなら、までまぜこぜにして混乱するようなことはしない」というのは、制作者が、作品に対しても、観客に対しても行うべき最低の主催者の務めだと思う。
 で。舞台の方に移るが、前回、舞台が風俗的で必要な本質に迫っていないと書いたが、2、4をみると,同じアパートが舞台でそこに住む住人の日常的な物語りながら、Bの舞台は人間や時代の本質に迫ろうとしていることが解る。
例えば、前回の1のエピソードは,冬、パソコンの計算が得意な子供が大丈夫だと計算した池の氷の上で遊んで溺死する少年と家族の物語だが、舞台は単なる北国の不運に出会った家族のホームドラマの域を出ていなかった。今回の4のエピソードは父子家庭(父と娘)に残された封印されたままだった母の遺書の開封をめぐる父と娘の物語だが、その小さな一の封筒の上に、社会に巣立つ娘の不安と、父母への心情、さらに娘の男性への思い、自分が生涯の仕事にするかも知れない演劇への距離感、など微妙なところまで演じられている。Aではムード音楽かと言うような音楽(国広和樹)も、Aでもそれなりに上手いのだが,今回は弦楽器も加えて深く決まっていく。さらに分量は少ないが最近のプロジェクションマッピングを使って舞台の世界を広大な大自然の営みのなかに連れて行くあたり、観客をしびれさせる技法もあって,Aとは同じシーズとは思えない出来である。このあと、5.6は同じ上村聡史の演出だから楽しみでもある。

GOOD  -善き人-

GOOD -善き人-

フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/04/06 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

今ひとつ面白くなかった。台本がそんなに悪いとは思えないし、では演出か?バンドの使い方など興味深いのだが、とにかくあんまり伝わってこなかった。佐藤氏萩原氏の演技が無駄になっている印象。

白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
表層的には、演劇(虚構)としての面白さ可笑しさの中に、現代日本の課題を点描して物語を紡いでいく。日本のどこかにあるような情景を立ち上げているが、必ずしもリアルではない どこかずれているといった印象だ。過度に感情移入させることなく、物語として楽しんでもらう、そんな娯楽性を感じさせるが…。

シャッター商店街となった一角にあった白鳥鮮魚店が舞台。日本語教師のボランティア、そして外国人を自宅に住まわせ共同生活をしている白鳥亀子、そして久しぶりに実家へ帰ってきた次男 香魚夢の親子を中心に巻き起こる人情劇。そして 驚かされるのが舞台美術。劇場内には日本の原風景が、そして個性豊かで人情味に溢れた人々が生き生きと描かれている。

同居人が外国人という設定であるが、別に外国人である必要はない。家族ではない他人---街(地域)の人々との心温まる内容でも物語は成り立つ。夫婦で魚屋を営んでいたが、夫は8年前に亡くなり妻(亀子)が一人になった。息子たちは家から離れ、今では ほとんど帰ってこない。切実さと可笑しみが切り取られた光景がそこにある。この独居(老人)問題だけではなく、色々な課題を投げかけ 観客それぞれが抱く思いに寄り添う(共感を得る)ような描き方だ。

当日パンフに脚本・演出の谷藤太 氏が「古き懐かしき昭和の香りがそこかしこに漂っています」と書いており、まさしく郷愁を思わせる作品に仕上がっている。観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、シャッター商店街と化した鶴吉商店街、その街並みとその一角にあった白鳥鮮魚店。大漁旗、電柱に電線、スナックの看板など懐かしさと活気、そしてシャッターが閉まった店先が並ぶといった廃れ寂れ、その両方の面影・光景が同居している。この作り込まれた舞台セットを観るだけでも価値はある。

白鳥家には3人の子…長女は幼い頃に交通事故死、長男は行方知れず、そして主人公とも言える次男 香魚夢(中学校の英語教師)である。そして鮮魚店の主(あるじ)であった父は8年前に他界し、店は廃業し 母は地元で日本語教師のボランティアをしている。香魚夢は大晦日に帰ってきて、実家の様子と母の生活環境の様変わりに驚く。実家に住んでいる外国人たち、仲違いしている母と娘、認知症の母と息子、引篭もりボランティアなど個性や背景が区々の人々を面白可笑しく描き、日本のどこかにあるであろう風景を描き出す。また舞台技術としても、背景の壁に 月や雲といった情景を映し出す。

同時に、今の日本が抱えている課題・問題でもあり、どこか共感してしまうであろう話が描かれている。切実なコトを優しく労わるような紡ぎ方をしており、人間関係の妙---人情味溢れる結末は劇団enjiらしい。物語は大晦日から翌年の夏祭り迄の半年間、その間に香魚夢の心境の変化---その最たる出来事が、姉を事故死させた本(犯)人との対決。

同時に、教師としての自信喪失からの再起と自分の娘との関わり方を模索する。公演は、商店街等の人々の群像劇であり 1人の男の成長譚でもある。ちなみに タイトル「白鳥先生と過ごした2日間」は、鮮魚店の跡を継がなかった息子の教師ぶりを 父が亡くなる最後の2日間ずっと授業録音(テープ)を聞いていたこと。親の心情がしっかり伝わる逸話。
次回公演も楽しみにしております。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

とても情感に溢れ、抒情的な朗読劇。
役者(女優)陣の朗読力は勿論のこと、全体の雰囲気作り‐‐‐音響・音楽、照明が物語の情景を巧く表現していた。少しネタバレするが、物語はチラシ説明(裏面)にあるように「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話から成る。この2つの物語は時間軸を隔てて関係している。何故 時間軸を違えて2話なのか、といったところが公演の肝。

「青春カルペディエム forラナンキュラス」は、高校3年の時の話であることから瑞々しい印象、一方 「魔女のお茶会 forスノーフレーク」はしっとりとした雰囲気を漂わす。役者が一部入れ替わることから、話し方や雰囲気が異なるのは 当たり前だが、2つの物語に共通した優しさは変わらない。そして それぞれの花言葉に込められた思いを紡ぐようでもある。

上演前から せせらぎを思わせる水音、そして朗読中にも水音や微風・涼風をイメージさせる効果的な音響。また情景を優しく包むかのように流れるピアノ音楽。照明は時間を表す、例えば 夕方(夕日)は茜色といった色彩。時々の照明の諧調が情景を、役者へのスポットライトは心情を見事に表す。
マイクを使った朗読であるが、聴き取りやすく しっかり物語の世界観に浸れる心地良さ。余韻と印象付けを意識したような演出に思える。
(上演時間1時間15分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

朗読劇として横並びに椅子とマイクが4組。
「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話は、20年という時を経ている。「青春カルペディエム forラナンキュラス」は高校3年生の時に転校してきた南野ベルシアと地元の森宮咲胡の純真 繊細な友情を抒情的に描いている。「魔女のお茶会 forスノーフレーク」は2人が卒業して20年の時を経て邂逅するような展開かと思っていたが、実は違う人物。しかし この設定のほうが心に響く。

ベルシアは 父親の転勤のたびに転校を繰り返し、友達が出来ても すぐ別れてしまう。その淋しく虚しいを思いをしないため、敢えて友達作りをしない。しかし咲胡は、ベルシアのそんな気持を知らず、彼女に関心を示す。そして いつしか2人は親しくなり卒業を迎える。ベルシアは父の元へ、咲胡は刺激を求めて東京へ それぞれ違う所へ行く。

それから20年の時が過ぎ、咲胡は地元へ戻ってきて 魔女と呼ばれるようになる。毎日決まって行く喫茶店、そこへ(修学)旅行でやってきた福原という少女と親しくなる。彼女はベルシアの娘で、母は亡くなったという。携帯電話に親しい人の連絡先を登録しておいたが、壊れてしまい…。その後悔と謝罪の気持を伝えることを娘に託したようだ。咲胡は解離性同一症に悩んでおり、実は高校3年生の時はベルシアだけではなく、彼女自身も救われていた。

咲胡が、ウサギ(ぴょんきち)に話しかけていたのは、喫茶店オーナーで高校の飼育係の後輩としてなのか、またはウサギを擬人化させて独り言を呟いていたのか判然としないが、結末としては上手くまとめていた。それぞれの物語は単独でも味わい深いが、2つを繋げることで 人の情感や関係がより鮮明に描き出され 深みと幅が増していた。
次回公演も楽しみにしております。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
寂れた温泉街、閑古鳥が鳴く旅館・湯鳥を舞台にしたヒューマンドラマ。物語は、温泉街 旅館の活性化と街興しに絡んでの人間再起が交錯して展開していく。人の再起に関しては、それぞれの考え方 生き方を問うようなもの。表層的には面白可笑しく描いているが、地域興しや人への思いやりを通して、古き良き時代?を思わせる。

9-Statesの特長ともいえるモニターを活用した演出…言葉の持つ<力>を台詞と文字で聞かせ そして見せる。少し哲学めいているが けっして世迷言ではなく、心に刺さるような味わいがある。すぐに物語の内容や人物に準えて理解することは難しく、後になって反芻するようなもの。

物語は、生きることに疲れた男 西野海斗が主人公、そして彼をめぐる個性豊かな人々との交わりを通じて人の喜怒哀楽を高らかに謳う。誰彼が善・悪でもなく、人それぞれに立場や事情がある。それは本音でぶつかり合うことで解る、理屈ではそうなのだろうが そう簡単ではない。そんな問いかけ をするような描き方である。そこに この公演の強かさがある。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、旅館 湯鳥(ゆとり)のロビーといったところで、中央に帳場、その横奥は別場所へ通じる階段。上手は玄関に通じる通路---障子、暖簾、雪洞そしてベンチが見える。下手は少し高くし和室---卓袱台や座布団、更にその横に厨房へ通じる通路がある。上手下手の上部にモニターがそれぞれ設置されている。

物語は温泉街の復興と人間の再起…閑古鳥が鳴く旅館だけに出入りする客は一組の家族だけ。それ以外の多くは旅館の従業員。そして温泉街の活性化のために企画したのが小説の舞台になった この温泉地の聖地巡礼。その小説家の創作に係る考え方や生き方が旅館の人々ひいては温泉街の復興に絡んでくる。

小説家として名を馳せているが、実は当人ではなくペンネームを拝借している 全くの別人。自分の書きたい題材では売れない=小説家としての存在が認められない。一方、世間が求める題材と自分が書きたい題材とのギャップに悩み苦しむ。すべて編集者の言いなりで良いのか自問自答するが…。

温泉街の人々VS 小説家と編集者の双方の思惑が錯綜する。旅館の従業員 西野海斗(瀬畠 淳サン)は、元編集者でありペンネームを無断使用されていた小説家の担当であり恋人であった。小説家としての(自分)才能と世間の評価の狭間で悩む姿に人間らしさを見ることが出来る。結局は、世間に流されることなく自分自身を見失わないこと らしい。
次回公演も楽しみにしております。

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