デカローグ1~4 公演情報 新国立劇場「デカローグ1~4 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    前回の「デカローグA」の公演では、全体の企画への疑問を感じたが、それは、この「デカローグB]を見ても変わらない。しかし、今回の舞台の印象は大きく変わった。それはあとにして。
     前回に続く全体に関する問題では,エピソードを1と3,2と4,という組合わせで上演している。公演Bを見て、このシリーズはやはり、企画者が組んだような,どこから見ても良い、という並びの内容でもではないと言うことが解った。少なくとも、4までは、順に見るようにエピソードが並んでいる。単純なことでは主人公の年齢が成長していくように並べられている。それを無視して、演出者のくくりの都合で観客は見なければならない。確かに、演出者は資質が違うから順にすれば、お互いが損をすると言うことは解る。ならば、このような上演があることを企画の段階で解るなら、常識的には「順に見る」「演出者を二人たてるなら、までまぜこぜにして混乱するようなことはしない」というのは、制作者が、作品に対しても、観客に対しても行うべき最低の主催者の務めだと思う。
     で。舞台の方に移るが、前回、舞台が風俗的で必要な本質に迫っていないと書いたが、2、4をみると,同じアパートが舞台でそこに住む住人の日常的な物語りながら、Bの舞台は人間や時代の本質に迫ろうとしていることが解る。
    例えば、前回の1のエピソードは,冬、パソコンの計算が得意な子供が大丈夫だと計算した池の氷の上で遊んで溺死する少年と家族の物語だが、舞台は単なる北国の不運に出会った家族のホームドラマの域を出ていなかった。今回の4のエピソードは父子家庭(父と娘)に残された封印されたままだった母の遺書の開封をめぐる父と娘の物語だが、その小さな一の封筒の上に、社会に巣立つ娘の不安と、父母への心情、さらに娘の男性への思い、自分が生涯の仕事にするかも知れない演劇への距離感、など微妙なところまで演じられている。Aではムード音楽かと言うような音楽(国広和樹)も、Aでもそれなりに上手いのだが,今回は弦楽器も加えて深く決まっていく。さらに分量は少ないが最近のプロジェクションマッピングを使って舞台の世界を広大な大自然の営みのなかに連れて行くあたり、観客をしびれさせる技法もあって,Aとは同じシーズとは思えない出来である。このあと、5.6は同じ上村聡史の演出だから楽しみでもある。

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    2024/04/18 10:33

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