最新の観てきた!クチコミ一覧

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パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

傷は時間と共に癒えて行く
だれか、そばにいてくれる人がいれば・・・。どんな悲しいことも苦しい事も、無理にあがくことなく、ただ一緒にいてくれる誰かと、ゆっくり時間と共に生きていれば、傷跡は残っても、痛みは自然に癒されていくものだと、この舞台を観て感じていた。創作されたものであっても、観ている自分と重なってくる感情があまりにも多く、鳥肌が立った。そこに流れる横浜の風や匂い、しっかり造り込まれたセットにも物語を感じさせる風情が有った。汚れなく真っ直ぐに生きようとする姉妹、潔いストリッパー、清楚な娼婦、誰もがそれぞれ違う形であっても、凛とした美しさを持っていた。皆が“マリア”と呼ばれるにふさわしい生き方をしていたと、タイトルにの意味合いの大きさも感じさせられた。この完成度、演技力、小劇団(と言っていいんだろうか?)としては断トツの素晴らしさだった。

米元の変 2025

米元の変 2025

劇団SHINKOUJI

心光寺(大阪府)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

お寺の本堂そのものが舞台に…。
初のSHINKOUJIさん。
心光寺のお堂が舞台に…。

所々に仏様の教えが盛り込まれ、とっても為になります。
我が家も浄土真宗、という訳でも無いですが、仏の教えは心に染みます。

奥田さん大奮闘。
ゲキゲキさんやOMさん、栗田さん等の役者さんが参加され、とっても仲が良さそう。
大変、楽しかった!

10月歌舞伎公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」

10月歌舞伎公演「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」

国立劇場

国立劇場 大劇場(東京都)

2016/10/03 (月) ~ 2016/10/27 (木)公演終了

満足度★★★

昔からある方の国立の劇場で昔からある歌舞伎というものを覗いてみた。
そう言えば国立劇場には知人の舞踊発表で小ホールに、また別の知人が出るというので演芸場に、一度だけ随分前に来ていたことを思い出した。が大ホールは初めてである。
 第一部の終盤あたりから観劇。当然安い三階席。見晴らしはよく、かき割りや人物の輪郭ははっきり見えるが、表情が見えない。芝居鑑賞の上では視覚からの情報がなかなかに少ないという事になりそうだ。途中から観たという事もあって、何も分からない。睡魔が半端なく寄せては、寄せっぱなし(体調の問題もあり)。せめて場割りごとの粗筋位は、予習して行くのが正しかったと反省した。
 唯一、切腹のシーン「由良之助はまだか~」のくだりは落語で馴染みがあり、ああこういう場面だったのか・・、と楽しんだ。
江戸の当時の丁稚風情が芝居にうつつを抜かして団十郎とかナニ左衛門を目にしていたというのは、(それが実態を反映しているならだが)一つの目から鱗体験だった。仕事の最中に芝居見物をしたのが旦那にバレて、お仕置きに蔵に入れられたところが、大の芝居好き、今頃どのシーンをどんな風に、と考え出すと矢も楯もたまらず腹の空いた事も忘れてすっかり覚えたシーンをやり始める。やりながら感極まって熱が入って来るのがこの場面で、いかに感動的なシーンかを、丁稚が演じながら雄弁に説明してくれるのだ(蔵丁稚)。
 国立劇場の三階席でも、これから切腹のシーンと見てとれ、いかなるクライマックスかと待ちかねた、もとい、待ちわびた。落語の紹介の仕方は正確であった。 駆け付ける由良之助役は松本幸四郎、観劇中は誰が誰であるなど皆目分からないが、花道を歩くテンポや空気でこの者が主役だと判る(腹を切る殿ではなく)。その由良之助は一際声が大きく、花道から現われる場面では、今逝かんとする主君を見てすぐさま駆け寄らず、無残な姿を見てガックリと腰が落ちる、という芝居をする。この間が、「早く行かなきゃ、時間無いっショ」と素人に思わせ、おまけに上体がやや反り気味になるので、偉そうに見える。悠長だし偉そうだが、否、こちらが主役なのだろうから、たっぷりと大芝居を打ってもらわねばならず、無念さや悲しみをこの男の仮託して観客は胸を詰まらせるのだな、と脳内で補足しつつ眺める。
・・ガックリと来たあと、仰天するような「反り返った」声を発する。これが主を失う無念さ、悔しさ、理不尽さへの怒り、己の無力への落胆・・・・などなどの心情を天井を突き抜けんばかりに表現する、のコーナーであるようだ。
 「忠臣蔵」の話じたいは第三部まで続き、殿の切腹はその序、第二部からも観てみたいが残念ながら午前11時から5時間を確保できる日がない。

 驚いたのは客が全て、ご高齢の方々だった事(0.1%位は40代が居たかも知れない)。もっと下の世代が居ても良いと思ったが。確かに平日の昼間に4時間も5時間も劇場の中で過ごせる現役勤労者は滅多に居ないだろう。
 それよりも気になったのは、本当に観たくて来てるのだろうか・・。伝統芸を一度は観て置こう的な、半ば観光の対象になっておるのではないか。・・帰って行く客の様子をみてその事を感じた。
 舞台を観た率直な印象は、「歌舞伎」である事の要素はぞんぶんに味わえるが、どこか古典芸能の領域に収まっている感があって、「演劇」であれば求めたい新鮮さはない。市川猿之助や勘九郎(勘三郎)の活躍を「演劇」の側は目にしているけれども、「本体」の方は保存・保護の意識が強いのではないか、と勝手な推測をしてしまった。
 もっとも、素人が三階席から眺めた印象で決めるのは不遜かも知れない。見慣れた人なら遠目でも、芝居の空気が彷彿として来る、という事がある。
 完敗の歌舞伎観劇のリベンジはいつになるか・・・

Family,Familiar 家族、かぞく / Friend,Friends 友達、友達

Family,Familiar 家族、かぞく / Friend,Friends 友達、友達

劇団フライングステージ

OFF OFFシアター(東京都)

2016/11/02 (水) ~ 2016/11/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

人との絆のお話し
同性愛のカップルや家族ならではの悩みや問題を描いているけれど、でも人って、最後は同性も異性も関係なく人と人との絆だよなあと思った。
声高に主張することもなく、淡々と笑を交えて楽しい舞台だった。一人が何役もやっているのもおもしろい(^O^)/

えんやこら讃歌

えんやこら讃歌

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2016/11/02 (水) ~ 2016/11/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

必見 花五つ星
 初日を拝見。何度褒めても褒めたりない。必見の舞台。

ネタバレBOX

 えんやこら、ヨイトマケ。掛け声は様々であるが、工事現場で地固めをする時に使われた掛け声である。太い丸太に何本もロープがついて、それが組まれた櫓の中央にいちしているのだが、この太くて大きな丸太をこの掛け声と共に皆で引っ張り上げては落とす。これを繰り返して地固めをしたのである。綱を引くのは殆どが女性だ。自分もガキの頃、港湾で荷役のアルバイトをやっていると矢張り港湾の建築現場で働くおばちゃん達に良くからかわれたものである。結構若くて綺麗な人も居て、その色気に圧倒されながらからかわれていたことを懐かしく思い出した。
 丸山 明宏が歌った“ヨイトマケの歌”もこの土方のお母さんのことを歌った歌だった。シナリオが素晴らしいし、演技が自然で深みがあり、チームワークも実にいい。人情の機微と人としての佇まい、女の意地と戦争の齎したどうにもならない現実を凌ぐ姿の痛々しさ。それら総てを秘めて去って行く男の後ろ影。深い余韻を残す名舞台である。
パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

泣いた
とっても良かった。
皆傷抱えているけど、逞しく前を向いて生きている。その姿に感動した。
感動したとこネダバレに少しかいたけど、作家と演出が人に寄り添って芝居作ってる感じがした。
また見にきたい。

ネタバレBOX

お父さんが倒れた後のまり子役のやり場のない気持ちをぶつけて、それをなにも言わずに受け止める妹のやり取りがとっても感動した。
妹が同僚の先生から別れを告げられた後にお父さんが優しく声をかける所。
三婆(さんばば)

三婆(さんばば)

松竹

新橋演舞場(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

三婆
「婆」と言うので、演じる方々はともかく、もっとおばあちゃんの話かと思ったらみなさんのリアル年齢に近くてびっくり。でも舞台は昭和30年代とのことで、今は寿命がだいぶ伸びていますから、60歳でもまだまだ若いですよね。利害関係から敵・味方(?)がコロコロ変わって行くさまに笑いましたが、しみじみと、そして考えさせられるラストでした。
チケット代をケチったので花道が見えないのは覚悟していましたが、下手で演じられることが多く(と思ったのは気のせいかもですが)、声だけで想像しなくてはならないシーンがありましたが、それは自己責任なのでした。

わたしはミシン

わたしはミシン

チタキヨ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2016/10/07 (金) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

大好きすぎる
毎作毎作ホントに好きすぎる。
I am a machineって英訳しただけなんだけどまたそれがいい。
すごい笑えるんだけど結局泣かされる。

〻のメルヘン

〻のメルヘン

フロアトポロジー

APOCシアター(東京都)

2016/10/05 (水) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

久々の本公演
久々の本公演でしたが、今まで見た中で一番好きな気がする。
踊り字だけでは読むこともできないし、意味もない。
ただ繰り返すだけにある存在。

夢と希望の先

夢と希望の先

月刊「根本宗子」

本多劇場(東京都)

2016/09/28 (水) ~ 2016/10/02 (日)公演終了

満足度★★★★

リメイク版
『夢も希望もなく。』のリメイク版とのことでどうしてもくらべてしまうんだけど
原作のラストがすごい刺さって好きだったので
いろんな意味で「超越」していたラストはムムムって思ってしまう。
これはこれで好きですけどね。

ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

Kawai Project

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/10/19 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

生き生きしたゴドー
今までのゴドーは基本的には現代絶望型。アー空しいなーと言う基本路線だったが、この芝居は違う。この戯曲が興行としても面白いものだと確信して、観客に見せようとする。それが成功してこの芝居で珍しく一睡もしなかった。演技の中でも特にセリフ術がよく、耳に心地よい。秀逸だった。

パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

素晴らしい!!!
終始、じわーっと涙が流れました。

ネタバレBOX

1970年代の港近くの横浜界隈を描いた話。

マリアとか、メリーとか、エメリーとか、女王陛下など街の人々によって様々に呼ばれていた娼婦Mについて、女性から毛嫌いされていたなど初演時よりもより詳細に描かれていたように感じましたが、アフタートークで、初演時と比べて当て書きが強い部分を2~3行削っただけで後は同じだという話を聞いて本当に驚きました。

時事ネタ風話題を盛り込まないというか、無駄がなく、余計なものもないということの証左だと思うとともに、観る側の思い入れによって感慨が異なるものだとつくづく思いました。

80年代初頭に関内付近で白塗りのメリーさんを何度か見掛けたことや、寄席の後に親娘で寿司でも食べようという台詞に、その頃野毛の寿司屋に行っていたことを懐かしく思い出しました。

「去る者は追わず、ただ忘れないだけ」、オカマバーの店主の言葉が心に沁みました。出会いがあって、別れがあって、そのようにして世代を重ねていくのだと思いました。

去る者を追わない私、そしていずれ去っていく私を、それでいいのだと愛おしく思えました。
『みんなしねばいいのに』

『みんなしねばいいのに』

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2016/10/23 (日) ~ 2016/11/05 (土)公演終了

満足度★★★

未消化
ハロウィンの日に観たのは自分としてはタイムリーで良かった。年に一度の仮装のドンチャン騒ぎ。観劇に向かうロマンスカーの中で血塗れのバニーガール二人組と写真に納まるという私的な出来事もあり奇縁を感じました。肝心の感想はキャラが立っていて個々の話は面白かったけれど終盤に入って全体を集約する展開とはならずに拡散して終わってしまった感じがして少し残念でした。そういう脚本でそういう演出なのかも知れないけれど、多少強引でもいいから纏めて欲しいと思いました。因みに一緒に観に行ってくれた友人は角(つの)君のナルシストキャラがツボだったそうで過剰なポージングや気障なセリフがとてもいいと言っておりました。ハロウィンなんか大っ嫌いって思う方は是非!

『曇天プラネタリウム』

『曇天プラネタリウム』

ラチェットレンチF

Geki地下Liberty(東京都)

2016/10/26 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★

心苦しいが・・・
まだこの作品以外に2作しか観ていない劇団。それで脚本・演技力ともにその実力を認めている。しかし、今回は若いキャストが多かったせいか、レベルダウンを感じてしまった。演出もいつものレベルなら下手な小細工無しにその世界を魅せることが出来ただろうが、今回はもう少し演技を補助する照明なり、映像なり、少し手を加えるべきだったのではないかと感じた。

骨の見晴

骨の見晴

劇団 背傳館

荻窪小劇場(東京都)

2016/10/28 (金) ~ 2016/10/31 (月)公演終了

満足度★★★

後から来る感覚
いうほど不気味でなく、いうほどグロくなく、いうほど不快でなく、いうほど難解でなく、でも解るかといわれたら解らない不思議な世界。
なのにもう一度観たくなるのは何故だろうか。
抽象的に舞台から投げられるパーツを、一つ一つ組み立てる作業が不思議と苦にならない、そんな独特なテンポが心地良かった。
広義でもう一度観たくなる作品。

スナフキンの手紙

スナフキンの手紙

劇団まっコイ

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2016/10/09 (日) ~ 2016/10/10 (月)公演終了

満足度★★★★

今回はコメディチックのサイコSF、楽しかった♪
前回拝見した「雨と夢のあとに」は号泣、号泣、号泣、号泣でしたが…。
今回は全くテイストが違うコメディチックのサイコSFに仕上がってました。

長官、部下1号、自殺コンサルタント等々、愉快な役者さん達ばかり!
愉しく大笑いさせて頂きました!
そして、なかなか考えさせられる内容で、楽しかったです。

ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

Kawai Project

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/10/19 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★

こまばへやってきたゴドー
原田大二郎のウラジーミル(ディディ)、高田春夫のエストラゴン(ゴーゴ)が自由に動けるスタンスで時折前方を眺める、即ち観客を睥睨する。時には極接近して目を合わせたり若干声をかけたりする。この距離、狭さ、こまばくんだりまで興業にやってきた感覚?
特に原田氏の、身体の角度、表情、意図的な演技は、演劇における「見せ物」として成立、心情が(作られた)キャラクターと一体となってどんどん入って来る。
あまりに有名なこの作品を何度も観た気がしていたが、実際は十数年前世田谷パブリックで柄本明、石橋蓮司、片桐はいり、松村克巳のを観てその後戯曲を読んだのみ。その舞台も当時は第一線俳優の舞台など興味なく友人に誘われて付いて行き、大半眠ってしまった観劇だった。二人のキャラはこんなに違っていたとは・・・同じような境遇の男が二人、とぼけた会話を延々とやっていると思っていた。
 ・・その舞台は最初二人が「いかにも」な、つまり「お芝居ですよ」と判る結界のごとき枠の中に入って、「さあ、どう出る」と挑むように見合って始まった印象がある。素を出して笑わせる瞬間はいかにも「知ってる」間柄の空気、どうも好きに慣れず、しかも本編の芝居とは繋がらない。必死に台詞を出して、名高い二人の俳優の「競演」を、汗を流すスポーツのようにやってどうする。台詞を必死に出し合い、とちった回数の少なさを競う競技のレベルに下げた、と感じた瞬間があったように思え、その印象は「そぐわないもの」として素人ながらに記憶に刻まれて、今思い出している(記憶の書き換えなるものがあるいうから要注意ではあるが・・)

ポッツォとラッキーのくだりは戯曲の謎を深める要素で、今回も興味深かった。桟敷童子の稲葉能敬のラッキー。桟敷童子の役者の客演舞台を最近複数目にしたが、「桟敷童子らしさ」は演技の土台になっていて、ある種の信頼感がもてる。ポッツォ(中山一朗)は戯曲から湧くイメージにピッタリの造形で、台詞も秀逸で作者の才能が迸る部分である。自らのアクションが相手(主役二人)に及ぼす影響を鋭く察知し、ないしは彼流の理解の仕方で理解して先回りした心遣いを彼流の仕方で行なう台詞を迅速に置いて行く。それらの言葉全て己の優位を確信するために吐かれていると見えて、実はナイーブな実態が、後半の展開と合わせて見えて来る。
この、「どうでもいい」人達の顛末が、「変化」を強烈に奇天烈に暗示しながら、主役二人にも訪れる「時間」の存在を思い出させる(普段は全く忘れているかのようだ)。
何につけ悩んでしまうゴーゴを気遣うディディ、二人の会話が「そろそろ帰ろう」という展開になると必ずディディが「ゴドーはどうする」と思い出したように言い、この時ばかりは相手を難じる事なくゴーゴは、「そうだ・・」と言う。
「ゴドー」はゴーゴにとっても否定し得ない、というか肯定的な何か、と想像する事くらいしかできないが、二人の間だけで出来上がった代物でない事が、子どもの登場で知らされる。「ゴドーさんは今日は来られなくなった、明日は必ず来る」と伝言を授かったと子どもは告げる。第三者も知っている存在、それがゴドー。
一幕ののんびりとした時間に比べ、二幕はよりゆっくりと時間が流れ、薄暗く重くもの悲しい。相変わらず会話を交わし続ける二人だが、そこで語られている事は何なのか、何を証そうとする行為なのか。
 恒久の時間の中に、今二人が確かに存在し、出会っており、時間は未来に向かっていること。それ以上の事実は何もない・・。存在する事の実態を言い表わすとすればそんな程度でしかない、それを悲しいと感じるなら悲しいし、それでも未来に希望を見出すというならそれもいい。・・様々な思いが心の奥底に潜んでいるようにも想像される二人の姿が、モノトーンの照明の中で静かに浮かび上がっていた。終幕。

パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

欠けたトコある人々の群像劇・・・・かな
なかなかな琴線わしづかみな115分の作品でした

ケチをつけるとするならば
後列の客がズーっとカサコソ耳障りで喧しい音を発していたことぐらいかな・・

綺麗なセットにて
空間と間と静寂が紡ぎだす粛々とした舞台でした
(その分 雑音はムカついた!)

ネタバレBOX

上野動物園にパンダが初来日する年での
港町にある食堂を舞台にした市井の人々の日常劇です

ドロッドロになりそうな話を
ふんわりとした感覚でカラリと描いたトコは
自分的には高評価(^ー^)

リアルに食べ飲みするのも
作品に合っていました

坂が多いトコで白いマリーさんが出てくるので
横浜の港の川の側んとこ舞台かなぁと
作中のみからも分かるのもGoodっした

猫がしゃべるのが
なんか「さよならノーチラス号」を思い浮かべたりしたです

アフタートークが20分ほどついて
お得な感じもチョイ嬉しかったな
→なんでも初演とほとんど同じなセットと台詞で
劇場が大きくなった分セットも大きく見えて
台詞は2行半変えた・・削った・だったかな・・だそうです
初演も観た方が20人弱ほど
客層は結構年齢が高めな方々も多かった
(後列の騒音の元は老夫婦でしたし・・)
私を含めた青☆組初見な人は10人ぐらいだったようです

重力ピエロ・・・でも子供の肌の色が異なっていたら・・とか
そんな事も思い浮かんだなぁ・・・

サイボーグ009の主人公も”あいのこ”呼ばわりされてたような・・・

いろいろ考えさせられたけど
なんとなくの結末の明るさと
カラリと描いた作風は自分的には
好みなものであました
『ロデオ★座★ヘヴン』

『ロデオ★座★ヘヴン』

ロデオ★座★ヘヴン

スタジオ空洞(東京都)

2016/10/25 (火) ~ 2016/10/30 (日)公演終了

満足度★★★★

異なる作家の3短編上演
ロデオの二俳優を中心に、三作品それぞれ異なる作・演出とキャスティングで磨きをかけてのご機嫌窺い。三作いずれも風味が異なり、文学の薫り高き「私家版・罪と罰」(柳井祥緒作演出)を挟んで、オープニング「four face eight」(ひがしじゅんじ)はヒューマン・コメディ、トリを飾る「キミがお金を食べるなら」(成島秀和)はファンタジック・ラヴ・ストーリー。
軽快さとスピード感、美しき心を旨とする両者に対し、「罪と罰」は人間探究の姿勢ゆえ「醜き心」をあぶり出す。断然後者が好みである。
「four」は、後に登場する「兄」をカッコに括り、それ以外の者がドタバタを演じる。10年以上会っていない兄に自分の変貌ぶりを見せたくない、という弟の主観が周囲の人間(たまたま出会ったその場所でバイトをしていた三人)を振り回すが、最後の兄とのやり取りでは二人がそこで会う事になった本当の理由も判明する。
ただ私としては、そこで感動が作られるのは兄が多くを語らず、また去って行く兄を弟は追わず、「次はない」という事になっている(=「別離」に等しい)からである。兄の事情、兄の生の現場に、弟は踏み込まないと決めた。二人の間に出来てしまった絶対的な距離が、そこで問題にされているなら、それなりの深み、感動というものがあったろうが、兄は去り、弟の杞憂が判ってホッとした(それとて重要な事だが、弟のちっぽけな主観以上の問題が兄に降りかかっているのにそこには干渉しない)、という展開はちょっとすっきりしない。(注文を付けすぎかもしれないが)
「お金を食べる」も大きな声でスピード感と動きのあるタイプの芝居だったが、それなりにしっとりと「感動」を残したのは女優の佇まいが、同じものを指す言葉でも「欲求」「わがまま」といったネガティヴな概念を、「純粋な願い」「夢」「切望」といった「良い感じの概念」に置き換えさせる容姿を備えているから、である。女がその男に惹かれた理由、・・女自身の生きた背景がそこに影を落としているはずだが、そこは見えない。解釈の幅は広く、観客に委ねている格好だ。私は、つい悪い方、卑小な方に見てしまう。

劇団の形態がユニークで、確か今回3度目の観劇。成り立ちを今回ようやく理解した所。作・演出・キャスティングに磨きをかけた次回作に期待。

パール食堂のマリア

パール食堂のマリア

青☆組

吉祥寺シアター(東京都)

2016/11/01 (火) ~ 2016/11/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

孤独だがひとりぽっちではない
会場に足を踏み入れた途端目に入る美しい町。
階段による高さと奥行きのおかげで、群像劇に相応しいスペースが
いくつも用意されている。
皆死んだ者たちを想いながら生きている。
その苦悩と切なさが、他者への優しさにつながっていく。
緊張感と癒しの相乗作用で、どうしようもなく涙があふれた。


ネタバレBOX

昭和47年の横浜を舞台に、戦後28年経ってもその傷跡を引きずりながら
ささやかに生きる人々を描く群像劇。
野良猫の“ナナシ”(大西玲子)が時折狂言回し的役割を演じる。

パール食堂を切り盛りする父と長女、教師の次女、店で働く若いコック。
その向かいにはゲイの店主が営むバーがある。
教師の次女のクラスには、彼女を慕う少年、その母は美容院の経営が苦しくて
パール食堂のツケがたまっている。
食堂に出入りするストリップ小屋の経営者は、浮気を繰り返しては
看板踊り子をブチ切れさせている。
そして夕暮れに現れる、街娼でありながら「女王陛下」とも呼ばれる不思議な女。
丘の上にはたくさんの白い十字架があって、アメリカ兵とのあいのこが眠っている…。

誰もがうまくいかない人生を、それでも精一杯生きて、同時に誰かを守ろうとしている。
オカマバーの店主クレモンティーヌ(塚越健一)が、
死んだ野良猫の名前をいくつも挙げるが
ひょっとしてあれは丘に眠るあいのこの名前ではなかったか。
たぶん名前も与えられずに葬られただろうからそんなはずはないのに、
彼の名前を呼ぶ声には、喪った者への痛切な思いがこもっていた。
クレモンティーヌの示唆に富んだ言葉は少年を成長させ、観る者を癒す。

渋谷はるかさんが、街娼のほかいくつかの母親役を演じている。
どの母親も、子どもを守ろうとして守り切れなかった悲哀に満ちている。
街を彷徨う街娼は、全ての母親の悔いを引きずりながら、しずしずと歩く。

若いコックが、年上の長女と一緒にこの店を継ぎたいと決意を告げるところ、
クレモンティーヌが、故郷の母親と一緒に作ったみかんを送ってくるところ、
そして病癒えた看板踊り子が、新入りの少女と一緒に
これからは中華そば屋でもやろうかと言うところ、
それぞれのここに至るまでを知れば、よかったなあと思うと同時に
涙があふれてどうしようもない。
みんな孤独を抱えているが、誰もがひとりぽっちでなくて良かったと
心からほっとした。
その中で、街娼だけが気掛かりでならないけれど…。

どの町にも、どの家にも、きっとマリアはいる。
涙を拭いて笑顔を見せて、誰かのためにご飯を作り、お茶を淹れて、
送り出し迎え入れる。
「枯れた芙蓉の花もいつかまた花を咲かせる」ように、くり返しくり返し…。

劇団化して最初の作品だそうだが、その後の青☆組の基礎となるものが
全て注ぎ込まれたような作品だと思った。
登場人物の健気さや強さ、儚さとしたたかさ等人間の普遍的な営みが丁寧に描かれ
同時にひっそりと消えて行ったものへの哀惜の念がにじむ。
この湿度のある空気は、青☆組ならではの心地よさであり、私が好きな理由だ。
劇団化5周年に再演してくださったことに感謝したい。





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