満足度★★★★
確固たる主体などない全体的にどういうことなのか何となくわかったつもりになってるのだが、ああ言葉にできない。過去に起こった花火大会の夜を2話を貫く軸にして、けれど三人称までの主体客体、関係の固有性の境界が溶けかき混ざってしまっている?「私」の不確実性を始点にしている芝居を最近よく見る気がするのだが、これはとりわけ複雑。最後まで興味深く観たのだが、終始頭で創って頭で観る演劇という印象があり、感覚的に観せようとしているように見えた部分も、肌に浸透せず表面を滑っていく感触だった。
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2010/04/02 00:57
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2010/04/06 06:34
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この作品は、お客様のお力なしでは到達できない、お客様の手元で作品が一人歩きし始める、もしかすると、そんな感じなのかもしれまん。
ヨウ様のおっしゃるように、この作品は、起承転結のある物語を求めて鑑賞していただくと、あきらめざるをえない構成になっています。
驕った言い方になるかもしれませんが、お客様がこれからを歩いていくスタートラインまで、よりナチュラルに誘導させていただくことが、私たちがお手伝いすべき工程であると認識しております。
「言葉にできない」というふうにお客様が感じたことそのものが、私たちの知りたいことであり、学ぶべき影響でもあります。
Symposiumとして作品を発表するには、まだ力量不足な団体ですが、これからも地道に活動を続けさせて頂きたいと存じます。
今後ともboku-makuhariをよろしくお願い申し上げます。