紙の方舟 公演情報 シアターノーチラス「紙の方舟」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    第20回公演おめでとう 花四つ星
     イエスの方舟事件というのをご存じだろうか? (追記2016.5.22 14時半)

    ネタバレBOX

    1970年代当初、千石イエスの下に集まった20人ほどの男女は“集団誘拐された、神隠しにあった、更には洗脳されたセックス集団”などと1980年頃から騒ぎ始めたマスメディアの縷言蜚語で攻撃された。殊にその中心に居た千石イエスは非難の的にされたのである。然し後には、参加していた総ての人々が、自ら進んで家庭を捨て、集団生活を営むようになったことが判明。騒ぎは収束に向かった。
     今作は、この事件にインスパイアされた作・演出を担当する主催者の作品である。自分自身、言葉を紡いで生計を立てて来た身でもあり、週刊誌記者となる道も選択肢の一つであっただけに、結果的にその道を選ばなかったが、メディアの取材態度や時流に乗り、或いは時流を作ってゆくことに様々な思いもある。
     ところで今作、日本の家族関係という習慣に疑義を呈したどちらかといえばセンシブルで比較的豊かな社会層に属し目立たなかった人々のうち、習慣としての制度に疑義を抱いて家を飛び出したモラトリアム人間たちのような気がしてならない。中心になっているマザーと呼ばれる人物は無論一度も登場しない。これが、日本的制度の本質だからである。即ち空虚が他者を蝟集する役割を果たすのである。現在、マザーを継ぎそうな者は二人。創設メンバーのイズミ。そして創設メンバーではないもののリーダー格のスミレである。どちらかというと受け身で状況の中で頼って来る者の発する声を聞き取ろうとするタイプで現マザーに近い。それに引き替えスミレは合理的判断に基づき、総てを思うがままに作り上げようとする。どちらが継ぐことになるか議論になろうが、実際に彼女たちの何れかがマザーを継ぐことは無いように思う。何故なら、彼女たちの何れもが現マザーほどの神話を未だ身に纏ってはいないからであり、それを纏う為には継承儀式が必要となり、そうなれば、最早、本物ではなく唯の代理に過ぎないからである。
    然しながら、今作に登場するキャラクターのうち、最大の発明は、ウキタというキャラクターであろう。彼こそこの作品がイマージュの基底としている千石イエスの方舟事件そのものを、人間存在の不条理の側から平衡化しているキャラクターだからである。どういうことか? 彼の生は、謂わば生きながらの死である。彼が時々生命を奪わねばならぬのは、自らの生を確認したいからなのだ。だが、他の命を奪うことによってその問いに答えが与えられることはない。単に彼の向き合う情況に更なる虚無を付与する行為であるというに過ぎないのだ。だが彼自身、それを自覚することは未だにできていない。何となれば彼には社会性が無く、それ故にこそ虚無に相対し、虚無から「自ら」を覗きこまれることによって自らを虚体と為しているからである。一方、紙の方舟は世間から見ると疎外された存在であるが、彼らは社会性自体を失っている訳ではない。唯心理的に「シンドイ」レベルに居り、一種のシェルターとして“紙の方舟”と名付けられたモラトリアムの船に載っているだけである。実際、彼らは紙の方舟に乗っていた訳ではなかった。紙の方舟を待っていたのである。
     一方、この方舟の中でも一般社会対方舟の縮図が描かれている事に注意せねばならない。その構造はウキタvs他のメンバーであり、疎外のレベルはこの小集団の中ではウキタが担っているのである。そして彼の疎外こそ、その非社会性の強度に於いて唯一、マザーに対置し得るパップとしての虚体であり、男性原理の本質でもあるのだ。従って彼の魂は彷徨しており、彷徨とは死であることは今更言うまでもない。
     つまり今作が提起している問題の根は、単に大衆によってまき散らされた縷言蜚語が何を為したかではなく、それをそのような形で成立させる為に用いられた謂わば制度の構造とその心的・深的機構、その機構の中心に「存在する」虚についてなのである。

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    2016/05/19 12:39

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  • 皆様
    追記が遅くなって申し訳ありませんでした。
    今後ともよろしくお願いします。
                       ハンダラ 拝

    2016/05/22 14:31

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