紙の方舟 公演情報 紙の方舟」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    考え深い
    こちらの劇団は見終わった後色々と考えさせられる。
    今回何度も「家族とはなんですか」「自分の居場所とは」との問いかけがあり、
    すごく深いテーマだったなぁと思った。
    舞台は音楽など余計なものを一切省いた台詞のみで、奥の部屋からマザーの匂い(香りではなく)が漂ってくるようだった。

  • 満足度★★★

    奇をてらうことのない正統派な芝居作り・・とは思えたが・・
    話がメインで重きがありまして
    まぁ眠気おきなかったけれども
    バリバリの理系脳である自分にとっては
    ちと方向性は合わなかったなぁと思えた約2時間弱

    好みの人は好みでしょうから
    個人的意見であります

    ネタバレBOX

    結局のところ
    マザーは死なないし(死にかけたまま)
    状況は変化しないという
    「もやっ」とした感じのまま終劇です

    カッチリ決着をつけないトコが
    個人的に合わなかったかしらと思えたんですわ

    姉も実母の死に目に会いに行こうとはしませんでしたし・・
  • 満足度★★★

    観てきた!
    作品としての主張やテーマが薄かったように感じました。最後の5分でバタバタと収束させた感じでした。
    物語もあらすじより先にほとんど進まず、あらすじの設定説明だけで終わってしまいました。登場人物ひとりひとりに時間を費やしすぎかなー、と思います。また、そのエピソードもワンパターンで、もう少し演劇的な工夫があればと思いました。
    設定が50年前のせいか、テーマや登場人物の思考が画一的で幼く見えてしまいました。それに今では、家族の問題は顕在化され、議論も次の「結婚」や「老後」へと移行してしまっています。未だ普遍的な問題であることに変わりありませんが、できれば劇中で現代の「家族」に対するアンチテーゼなどを扱ってほしかったところです。

  • 満足度★★★★

    見ごたえありました!
    難しいテーマなのにとてもわかりやすく演じていたと思います。
    それぞれの役者さんも、気持ちの入った演技で引き込まれました。
    演台の説明、もう少しほしかったかなと思います
    次回作も頑張ってください

  • 満足度★★★★★

    それでも乗り組むことにした
    見ないようにしている、それを存在自体で白状しているような卓越した現場感。生死という究極の自然への恐怖の一方で、自然志向なふるまいに透ける不自然さ。わからなくていいんだと沈む前に気付けると良いが・・・。もう一歩突っ込んで見ると思わず目を閉じて考え込んでしまうやりとりが飽きない。サスペンス的要素も加え推力アップした潜水艇の、次なる海域はどの辺りになるのだろう、楽しみです。

  • 満足度★★★★

    居場所を失った人間たちの姿
    異様、不気味な感じが纏わりつき、意識下に澱が沈殿していくようだ。観ているのが辛く嫌らしく感じるが、それだけ脚本・演出、そして役者の演技が優れている証であろう。まず、この物語には回答らしきものは用意されていない。この方舟の内に居る人、外にいる人(家族など)の異なる視点から捉えており、その思いは其々に違う。日本古来の集団、その小単位としての「家制度」または「家族」という血縁の中に居場所が見つけられない悲劇性。家族だから分かり過ぎて自分の心へズカズカと入り込んで精神をかき乱すのかもしれない。その掴みようがなく、得体の知れない怖さ。

    さて、描かれた内容に答えはないが、このタイトル「紙の方舟」の意味は作中で説明される。それは...。

    ネタバレBOX

    舞台セットは、肌色(敢えてそう表現)の継ぎ接ぎだらけの天幕イメージ。中央に丸座卓、ベンチ椅子などが置かれているだけ。マザー(登場しない)と呼ばれる人物は死の淵にいる。残された人々は、今後の身の振り方を考えるが、当面は方舟に留まる意向のようだ。この組織のあり方に疑問や家族との関係の修復を試みようと...その第三者的な立場としてマスメディアの取材を入れる。

    この組織に自ら入り、家族とは違う心地よさ、仲間を裏切れないという諦観と脅迫観念。この組織と個人の在り方は企業と同じ。組織内にいる時は、身近過ぎてそれが当たり前であることが、外から見たら組織の功罪や人間関係が冷静に観察できる。その有形無形の柵(しがらみ)に絡め取られているのかもしれない。組織に守られる一方、その閉鎖性に段々と息苦しさを覚えるという矛盾、そこに人間のエゴが浮き彫りになる。その柵をマザーか実母の危篤状態での看取りの選択として描く。方舟は「宗教集団」ではないという叫びが、この物語を展開する上で重要になっていると思う。

    さて、タイトル「紙の方舟」は、まだ「方舟」に乗り込んでいない状況だという。その迷える感情が、(新興)宗教と一線を画しているかのようだ(事実はそうかもしれない)。カルト、宗教が絡むと問題が複雑・錯綜することを見越した作者・今村幸市 氏は、ギリギリ踏み止まり、このドキュメンタリーのような”ドラマ”として描いたところに卓越した力量を感じる。

    なお、この難しく怪しき雰囲気、濃密な人間関係を役者陣はしっかり体現しており見事であった。
    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    観られた部分だけでも惹かれました
    元ネタになったという事件(?)について少しだけ調べてからの観劇。

    上演時間は1時間40分程度との事前告知。

    観れた範囲では公演ページに記載の通り、再現ではなかったし、
    事件の是非を問うものではありませんでした。

    「家族」という不思議な関係について色々な角度から描いているなぁ、
    この登場人物の言う感覚わかるなぁ、
    など、
    観ながら
    「あなたの正しさはどこにある?」と
    問いを投げかけられている気がしました。

    ネタバレBOX


    上に「観れた範囲」と書いたのは、
    私が観た回は、
    金魚の死体を埋めようとするあたりで
    やむを得ない事情により
    上演が中止になってしまったからです。

    それでも、
    その内容だけでも心に残るものでしたし、
    役者さんも、
    表情や身体の動きなど
    とても細かく演技しているのに自然で「どこにでもいる人間」だったので入り込めました。

    家族間で話さなくてもわかるのはなんか嫌だなと思うのに、
    疑似家族(他人)に対して「あなたをわかりたい」というような発言をする登場人物がいて、
    人間って面白いなと思いました。


    こちらの団体は、以前観た作品が
    なんとなくざらりとした質感の会話で、
    乾いたお芝居だったという記憶があり、
    今回も始まりがそんな感じだったので
    「劇団色がこういうのなのかな」
    と思っていたら、
    その後からどんどん
    温度や臭いを感じられる芝居になっていって、面白かったです。
    (笑いのシーンはあまりない)


    上演中止について、
    当日の判断、その後の団体の対応も納得のいくものでした。
    ただ、それについて団体側から
    (劇場で謝罪などはあったものの)
    ネット上で言及がなく、
    観劇当日はここにこの話を書いていいものか悩みました。
    でも公演を拝見して
    とても身になるものだったし、
    なんというか、口をつぐんでいられず…
    投稿してしまいました。

    自分の予定上、
    公演期間中にまたうかがえないのがとても残念です。
    家族円満な人、不和がある人、
    どちらの人にもなにか刺さるものがあるんじゃないかな、と思う作品だと思います。

  • 満足度★★★★

    第20回公演おめでとう 花四つ星
     イエスの方舟事件というのをご存じだろうか? (追記2016.5.22 14時半)

    ネタバレBOX

    1970年代当初、千石イエスの下に集まった20人ほどの男女は“集団誘拐された、神隠しにあった、更には洗脳されたセックス集団”などと1980年頃から騒ぎ始めたマスメディアの縷言蜚語で攻撃された。殊にその中心に居た千石イエスは非難の的にされたのである。然し後には、参加していた総ての人々が、自ら進んで家庭を捨て、集団生活を営むようになったことが判明。騒ぎは収束に向かった。
     今作は、この事件にインスパイアされた作・演出を担当する主催者の作品である。自分自身、言葉を紡いで生計を立てて来た身でもあり、週刊誌記者となる道も選択肢の一つであっただけに、結果的にその道を選ばなかったが、メディアの取材態度や時流に乗り、或いは時流を作ってゆくことに様々な思いもある。
     ところで今作、日本の家族関係という習慣に疑義を呈したどちらかといえばセンシブルで比較的豊かな社会層に属し目立たなかった人々のうち、習慣としての制度に疑義を抱いて家を飛び出したモラトリアム人間たちのような気がしてならない。中心になっているマザーと呼ばれる人物は無論一度も登場しない。これが、日本的制度の本質だからである。即ち空虚が他者を蝟集する役割を果たすのである。現在、マザーを継ぎそうな者は二人。創設メンバーのイズミ。そして創設メンバーではないもののリーダー格のスミレである。どちらかというと受け身で状況の中で頼って来る者の発する声を聞き取ろうとするタイプで現マザーに近い。それに引き替えスミレは合理的判断に基づき、総てを思うがままに作り上げようとする。どちらが継ぐことになるか議論になろうが、実際に彼女たちの何れかがマザーを継ぐことは無いように思う。何故なら、彼女たちの何れもが現マザーほどの神話を未だ身に纏ってはいないからであり、それを纏う為には継承儀式が必要となり、そうなれば、最早、本物ではなく唯の代理に過ぎないからである。
    然しながら、今作に登場するキャラクターのうち、最大の発明は、ウキタというキャラクターであろう。彼こそこの作品がイマージュの基底としている千石イエスの方舟事件そのものを、人間存在の不条理の側から平衡化しているキャラクターだからである。どういうことか? 彼の生は、謂わば生きながらの死である。彼が時々生命を奪わねばならぬのは、自らの生を確認したいからなのだ。だが、他の命を奪うことによってその問いに答えが与えられることはない。単に彼の向き合う情況に更なる虚無を付与する行為であるというに過ぎないのだ。だが彼自身、それを自覚することは未だにできていない。何となれば彼には社会性が無く、それ故にこそ虚無に相対し、虚無から「自ら」を覗きこまれることによって自らを虚体と為しているからである。一方、紙の方舟は世間から見ると疎外された存在であるが、彼らは社会性自体を失っている訳ではない。唯心理的に「シンドイ」レベルに居り、一種のシェルターとして“紙の方舟”と名付けられたモラトリアムの船に載っているだけである。実際、彼らは紙の方舟に乗っていた訳ではなかった。紙の方舟を待っていたのである。
     一方、この方舟の中でも一般社会対方舟の縮図が描かれている事に注意せねばならない。その構造はウキタvs他のメンバーであり、疎外のレベルはこの小集団の中ではウキタが担っているのである。そして彼の疎外こそ、その非社会性の強度に於いて唯一、マザーに対置し得るパップとしての虚体であり、男性原理の本質でもあるのだ。従って彼の魂は彷徨しており、彷徨とは死であることは今更言うまでもない。
     つまり今作が提起している問題の根は、単に大衆によってまき散らされた縷言蜚語が何を為したかではなく、それをそのような形で成立させる為に用いられた謂わば制度の構造とその心的・深的機構、その機構の中心に「存在する」虚についてなのである。

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