期待度♪♪♪♪♪
広告/メディアと戦争
Fox等に代表されるマードック傘下のイエロージャーナリズムが、イラク戦争、アフガにスタン戦争で果たした役割を見れば納得がゆくであろう。この取材ではインベッドと呼ばれる手法が用いられ、米軍車両に乗り込まされた「ジャーナリスト」と呼ばれる宣伝屋が、米軍の活躍をカッコ良く伝えるシーンばかりが流された。それは、恰も映画の1シーンのようであった。女性、子供、老人等が、無残に殺され虐殺の対象となっている事実は、伏せられたのである。無論、これは、インベッドの取材規定に予め盛り込まれていたことだ。
セルビアと敵対したボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争は、1990年代に起きた。一般的にはボスニア紛争と呼ばれる。90年代に入って、旧ユーゴスラビアが分裂したのには、カリスマ指導者であったチトーが1980年5月に亡くなって以来、チトーの巧みな政治的手腕の下に辛うじて抑えられてきたバランサーとしての自由が、他民族各々の民族主義、分裂主義、偏狭な排外主義を助長するものとなって、紛争の火種になっていたこと。更に1989年、東欧革命が起こって、ヨーロッパの支配地図が大きく変化したことにも刺激を受けたと考えられる。このような状況下、セルビアは米軍を中心とするNATO軍から攻撃を受けるに至った。背景にあったのは、アメリカの大手PR企業、ルーダー・フィン社の広告戦略であった。ミロシェビッチが、戦争犯罪人扱いされたのは、この広報活動による所が大きい。ルーダー・フィンに仕事を依頼したのは、ボスニア・ヘルツェゴビナの外務大臣であったシライジッチである。後手に回ったとはいえ、セルビアサイドでも情報戦略の重要性が認識されていたであろうことは、想像に難くない。