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のん
どうも。けんちん・Fこと、雲間犬彦です。 CoRichではこちらのHNを使っているのですが、久しく芝居の感想を書いていません。そしたらなんと「けんちん・F」を名乗る人がコメントを書き込んでいたので、たいそう驚きました。いわゆる「なりすまし」なのですが、ややこしいのは書き込まれた文章そのものは私がmixi日記に書いたもののコピペだったことです。どうやらなりすましさんは、私の文章をCoRichのみなさんにも読んでほしくて、わざわざそういうことをしたらしい。 当該のmixi日記は全体公開をしているので、誰でも読むことができます。 http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/diary/1846031/1936733656 公開している以上は、引用も当然OKで、私の許諾を得る必要もありません。なりすましなんて妙なことをしなくても「こんなこと書いてる人がいたよ」と引用すればいいと思うのですが、私に怒られるとでも考えたのでしょうか。 今後、この人が「けんちん・F」の名前で私の日記のコピペを続けていくのか、あるいは本当に私に成りすましたまま、勝手に劇評をアップしていくのか、それともこれっきりにするのか分かりませんが、酷い状況になるようであれば、CoRichの編集部に通報してアカウントを削除してもらうこともあり得ます。別にCoRichのみなさんに読まれて困る文章でもないので、今回は様子を見ますが、前述したとおり、引用に関しては何も文句を付ける気はありませんので、どうぞご自身のアカウントでなさってください。 それから引用されたものは日記の全文ではありませんので、カットされた部分を付け加えておきます。 > 前にも引用したけど、作品を作る側と批評する側の関係は、藤子・F・不二雄『エスパー魔美』の魔美のパパと剣鋭介の関係が一番正しいのだ。 http://ic.photo.mixi.jp/v/b735f2edbcd14fcbdc63054d7211a3360c161e6a7a/549d9a98/picture/1846031_2128122959_52large.jpg
2014/12/27 02:32
雲間犬彦
稚拙な当てこすりが常態化しているFPAPの高崎大志氏であるが、またまたTwitterで次のような内容の書き込みをしていた。 高崎@福岡 @tahahahi なんだろうね。この非対称さというか。ムーンサルトの着地で足がぐらついて、それをみている素人が「そんなんじゃ、全然ダメだ。基礎がなってない基礎が!」みたいに上から言う滑稽さというか。本人は気づいてないのだろうけど。 ものすごく難しいことを、できて当たり前のところから話せるのが、素人さんの特権なのかもしれない。もうちょっと素人っぽく発言してくれたらいいのだけど(笑)。自分もシュートを外したプロサッカー選手をテレビで見て罵ったことがあるから、これからは気をつけよう。 運動家に限って、一般市民を自称する傾向がある。自らを自称して、自分は一般市民だとか、一般○○だと自称する場合は、要注意。ってか、なんで自分で気づかないんだろう? 呟けば呟くほど、かえってその愚かしさを衆目に晒してきた高崎氏だが、今回はまた特に酷い。殆ど妄想の域に達している。 福岡や九州の演劇人たちの舞台を「ムーンサルトの着地」に譬えているのだろうが、そんな高度な技術を彼らが持ち合わせていると、本気で思っているのだろうか。今回の一人芝居フェスでも、九州代表で、新奇で斬新な、あるいは演技をとことんまで追求した舞台は一つもなかった。どこかで観たことのあるような、二番煎じ、三番煎じ、それもかなり使い古された手法の作品ばかりで、「いったい、この作り手たちは、一人芝居で何を表現したいのか」、それがいっこうに伝わって来ない。実際、客席が沸いていたのは「柿喰う客」の上演のみで、他の上演作は、身内客が殆どだったにもかかわらず、あくびやタメイキがしばしば漏れていた。 高崎氏の「素人」云々の発言も、彼が演劇というものを根本的に理解していないことを証明している。観客がみんな「素人」なのは当たり前の話ではないか。演劇は素人に向けて見せるものだ。まともな演劇人なら、異口同音にそう言う。つまり高崎氏は、自分たちの作る芝居は極めて高尚で、身内客もみなハイレベルな演劇の玄人で、素人である一般客に理解できるはずがない、と思っているのである。一般客を常に上から目線で見下しているから、言葉の端々にその差別意識が現れる。自身の「思い上がり」に無自覚なのは高崎氏の方であるし、彼らとつるむ連中も中身は大同小異だ。だから彼らの作る舞台は、身内客以外の一般人の心を動かすことができない。 私の感想に関してだろう、「難しいことをできて当たり前のように話す」と揶揄しているが、難しいことなんて何一つ書いてはいない。私が九州勢を総じてレベルが低いと断じるのは、「なぜ一人芝居にしなければならないのか」、そんな基本的なことすら考えていない舞台ばかりだったからだ。そんなことは一人芝居を作る上では考えるのが当然だ。現に、大阪のA級MissingLinkは、事前にそう発言している。なのに高崎氏には、これが「とても難しい要求」であるかのように映るらしい。 本文では、術語、専門用語を使うのは避けたが、一人芝居の演者が認識しなければならないことは、舞台は記号的なものであってはならない、ソシュールの言うシニフィエ(観念)をいかに観客と共有しうるか、それが演劇の基本であり、表現の基本だ、ということなのだ。私としてはそれをもっと通じやすいように、舞台上に観客と共有できる「世界」ないしは「宇宙」を作らなければならない、と説明したのだが、それでも高崎氏の貧弱な頭脳では、「難しすぎた」らしい。即ち、高崎氏は、自分が演劇はおろか、表現とは何か、それすら知らない、考えたこともない、ということを無自覚にも自白してしまっているのである。 別に、言語学やら演劇理論やら勉強しなくてもさ、それこそ「素人」だって、普通にものを考えれば、どんなに言葉や身振りを尽くしても、気持ちが相手に完全に伝わることはない、だから演劇は、気持ちを「説明」するんじゃなくて、「演技」で観客に「想像」させることを旨とする、ということに気付くものだ。それに全く気付いていない高崎氏のレベルの低さ、彼が演劇に携わっていられる時点で、福岡の演劇界のレベルの低さも露わになってしまっているのである。 殆ど常軌を逸しているのが「一般人を名乗るのは運動家だ」という件で、確かに世の中には、シーシェパードとか、一般人のフリをした運動家もいることはいるが、だからって、一般人≒運動家にはならないでしょ。第一、私が何の運動をしているのか。私は何のグループにも属していないし、誰かを煽動したりもしていないぞ。「一般人」という言い方をせざるを得ないのは、福岡の観客にあまりにも「演劇関係者」、「身内客」が多いからだ。CoRichの常連投稿者も殆どがそうではないか。これではどんな感想を書かれてもみんな「身内誉め」しているだけだろうとしか思われない。これがどんなに異常な状態か、彼らはまるで無自覚、無関心なのだ。 私が、ほぼ全ての劇団と無関係なことを強調するためには、「一般客」という言い方をするしかない。 私が口にしているのは、「この芝居は面白い、つまらない」というただの感想である。また「作品がいったん発表されたら、それは作者の手を離れて観客のものになる。当然、批評や感想も観客のものである」と、それこそ誰も否定したことのない「常識」を口にしているだけだ。そこには何の裏もないし、何度も書いている通り、作り手に向かってああしろこうしろなんて命令もしていない。 それなのに私が何らかの「運動家」のように見えるとしたら(本当に、何の運動をしているように見えるのだ?)、高崎氏は何らかの妄想に取り憑かれていると判断するしかない。 だいたい、高崎氏自身も、しょっちゅう「一般客の視点で」と口にしていたではないか。高崎氏子飼いで、FPAPの宣伝マンになっているteruさんやら、ひろやんやらも、あれだけ劇団にずるずるべったりなのに、「一般人」と言い張っている。なら、一番の「運動家」は「高崎一派」だと言うことになるのではないか? こういうところも、高崎氏がろくにものを考えずに発言している一例である。 高崎氏は、自分がどれだけ「非常識」で「滑稽」な振る舞いをしているか、なぜ気付かないんだろうね? 妻に難癖を付けて粘着した時もそうだったが、高崎氏には作品を「内容批評」するスキルを全く持っていないのである。ダブルスタンダードが頻発するのも、論理的な思考能力に欠陥があるからだ。それは明らかに彼の劣等コンプレックスに繋がっている。しかもそれは自省が利かないほどに彼の心の中で渦巻いているようだ。 こういういかれた手合いには関わり合いにならない方が無難だと思うが、それが「運動」や「煽動」じゃないかと言われそうだな。いえいえ、たかが「一般客」の「素人」の言質などに、高尚で「玄人」な「身内客」のみなさんが、洗脳されることなどありますまい。 実際、地元の「演劇ムラ」の馴れ合い芝居なんて、ついでや義理がない限り観る気はないので、素人を当てこすってる暇があれば、身内客の拡大に努めればよろしいと思うのである。
2012/08/21 22:30
たかさき@福岡
のんさん だから無駄だと申し上げたではないですか。 「コメントに気付かなかった」のは本当だとしても、「議論の最低限のスキルを備えていない」のはこいつの方ですよ? 自分の設定しているルールを自分が何一つ守れていないんですから。 断言しますが、10年経とうが、こいつの企画でまともな劇団は絶対に育ちません。身内客の寄せ集めで凌ぐのが関の山でしょう。だいたい、ろくな俳優養成システムもないのに地元演劇の振興とか言ってる時点で、こいつに何のビジョンもなけりゃ実行力もないんだって分かるじゃないですか。放置しても何の問題もありません。福岡の演劇界が活性化するとすれば、こいつと無関係なところからでしょう。
2012/08/07 23:28
たかさき@福岡
> のんさん 横レスで失礼します。 自覚があるのか無いのかは分かりませんが、他人を見下すことが常道になっている恥知らずに、何を言ったところで無駄でしょう。 中身がないのに、自分の文章に「長くて小難しい」なんて書いているあたり、自分に価値があると思い上がり、尊大になっていることは、端から見ればバレバレなんですが、本人とその取り巻きだけが気付いていません。 地元劇団の方々も、ものが見えてる人なら、「コヤさえ貸してくれりゃそれでいいや」と、適当にあしらっているだけでしょう。阿呆を晒しているのを笑ってみていればいいと思います。
2012/04/29 08:39
雲間犬彦
「無駄に長い」とはよく言われます(苦笑)。 でもマトモに批評しようと思えば、原稿用紙10枚程度ではまだまだ不十分でしょう。一人一人の俳優の演技については、殆ど触れることが叶いませんでした。鴻上尚史の演技論についても、その著書を読む限り、実践的じゃないと疑問を抱いているのですが、具体的に批判する余裕がありませんでした。 小劇場演劇が安易な笑いに走っている、というのは、私だけの実感ではなかろうと思います。20年ほど前、劇作家の岡部耕大さんが講演で「今の観客は笑いを入れないと満足しない。仕方なく笑いのシーンを入れている」と仰っていたことを覚えています。 つかこうへいや野田秀樹は、決して「くすぐり」で場を繋ぐことはしていなかった。彼らの芝居でももちろん笑いの起きるシーンはありましたが、それは結果論的なもので、鴻上尚史のような押しつけがましさはなかったように記憶しています。 つまらないギャグには白ける、というのが普通の客の姿勢でしょう。でも今の観客は、俳優が出てきただけで笑うことすらあります。そう言えば、ビートたけしが以前、漫才をしなくなっていった理由の一つとして、こんなことを言っていました。「何もしなくても、客を罵倒しても、あいつら笑ってやがるんだ」と。 可笑しいから笑ってるんじゃないんです。笑いたいから笑ってるんです。こういう客ばかりなら、演劇は死んでいくばかりですが、そんな客ばかりにしてしまったのも、小劇場の担い手たち自身の責任なのです。
2012/01/25 00:22
雲間犬彦
プロでも何でもありません。ただの一般客です。 ただ、鴻上さんとは歳も近いので、時代的、文化的な背景をかなり共有しています。鴻上さんが何をやりたかったか、何をしてきたか、ある程度はリクツ抜きでピンと来るところがあります。 私に限らず、同世代の映画ファン、演劇ファンは、みんなそうでしょう。私の意見や感想は必ずしも個人的なものとは言えません。 80年代はサブカルチャーの「面白嗜好」の渦中にありました。当時、私は東京在住でしたが、垢抜けない街だった渋谷や吉祥寺が急激に若者の街に変貌していった時期です。 文学もSFもミステリーもマンガもアニメも映画も演劇もファッションも、みんな「等価」に、貪欲に吸収、消費していました。 そんな中で、第三舞台の演劇は確かに頭一つ、抜き出て見えました。だからこそ、90年代半ば以降、どんどん「時代遅れ」になっていく様子には、元ファンとしては哀しい思いを抱かざるを得なかったのでした。 現在は九州在住なので、なかなか関東、関西の芝居を観に行くことは叶いません。DVDなどで、後追いで観てはいますが、やはり劇場に足を運んでこその演劇ですから、たまには上京してみたいと思っています。
2012/01/22 20:52
るぅ@制作
「カイメイ」とは、水金地火木土天海冥の「海冥」のことでしょうか。海王星と冥王星とは公転軌道が交差していますので、海王星が冥王星よりも遠方になる時期もあります。1979年から1999年までは「冥海」でしたが、現在は「海冥」に戻っています。もっとも冥王星は現在、惑星から準惑星に「格下げ」されてしまいましたから、順番はどうでもよくなってしまいました。そこは劇中でも冥王星なんか要らない、みたいな台詞でからかわれていましたね。
2011/05/26 14:34
雲間犬彦
[追記] もう書くのやめようかな、みたいなことを書いたおかげで、2ちゃんねるでは一生懸命きちがいだの何だのと私を怒らせて何か書かせようとしていらっしゃいます。けれども、もともと悪口を言われてもたいして腹が立たない性格なので(いや、今後もいくらでも言っていたただいて構わないのですが。2ちゃんねるの匿名性には意義があると思っています)、どうせなら芝居の内容についての反論をしていただいた方がこちらも書く意欲が湧きます。
2010/07/08 02:54
雲間犬彦
> ジャック・スパロウさん > 14+の方とは昔からの知り合いで応援させえ頂いています なんだ、「情実」で星を付けていたのか、とむしろ「悪意」よりもガッカリいたしました。 退会されているのならもうこれを読まれることもないでしょうが、あなたの言葉を素直に受け止めて憤る人もいるだろうなと思うと、やはり福岡の演劇人や周囲の幼稚さは救いがたい、という気がいたします。 > あかのたにしさま > はい、あなたの言葉など実のところ全く理解できませんし、また理解することによって得られるメリットも無さそうなので 作品批評以外のどうでもいいところに引っかかっていた時点で、そうだろうなと初めから感じていましたので、引いていただけるのはありがたい限りです。 そういった、自分の本心が相手にばれないと考えて応対している時点で、実は相手(今回の場合は私ですね)を侮り蔑んでいるのだということを自覚してはいらっしゃらないでしょうが、たいていの人間にはそういう底の浅さは見透かされているものですから、今後は十分ご注意して発言された方がよろしいかと思います。 あちらこちらから批評を書いてくれと請われて、私にどれだけ苦労をさせるつもりかとうなだれながら書いた批評でしたが、結果は予想通りでした。もう、その方たちも、今後は批評を書いてくれなんて頼み事をしてくる機会もそうそうありますまいから、私も馬鹿の相手をせずにすみそうです。余塵はもうしばらくありそうですが。
2010/07/08 00:07
雲間犬彦
> あかのたにしさん もちろん、「好意的、且つ感情優先で書かれた記事」の中に「悪意」が潜んでいることは往々にしてあります。実社会でも、「おべんちゃら」には「下心」が付きものですし、「慇懃無礼」や「褒め殺し」などは大きなトラブルを引き起こすこともあります。 全ての誉め言葉が悪意に基づいているとは言いませんが、悪意的なものがごくわずかで例外的なものだとも決して言えることではありません。ただ、それを「これは悪意から出たものだ」と断定することも、一応「誉めてはいる」表現の上からはなかなか難しいことです。ですから、あからさまに悪意のみで書かれたと言える「星しか付けない投稿」を問題にしたのでした。 あの投稿が、その前に書き込みされた星の低い批判的な文章に対して、「星の評価を上げるため」だけになされたことは明白でしょう。自分の好きな芝居が貶されて腹が立つ気持ちが起きるのは当然ですが、文句があるならそれこそ当該の記事のコメントに反論するなりすればよいことでしょう。何も書かずに星だけ付けるような行為は慎まなければならない。 私が直接コメントをしなかったのは、本文にも書きましたとおり、これは必ずしも本人の責任とも言えないのではないか、と感じたからです。「そういうことをするのはよくないよ」と言われた経験がないのではないか。責任はむしろ、このような状況を看過している周囲の方にあるのではないか、と判断したからです。たかさきさんとのやりとりで、このことは概ね裏付けられたと感じています。 あかのさんの「わざわざご自分のスペースを使って批判するべきかどうか」という疑問は、本来、「きちんと反論をせずに星だけ付けた人」に向けられるべき言葉だと思いますが、何も書いてなければかえって文句も付けにくいですよね。誰も言わないのなら仕方がない、と思って書きはしましたが、親しい間柄でもない私の言葉が「悪意の人」に届くとは思っていません。 今後、こんな感想も批評も否定するようないい加減な書き込みがないことを私も祈りたいと思っています。
2010/07/07 00:02
雲間犬彦
> あかのたにしさん > ということはつまり、この「口コミ」サイトに書き込む人は皆、自分の主義主張を捨てた批評家でなければいけないということでしょうか。 全くそんなことはありません。 私が「これはどうか」と感じたのは、何しろ星を付けただけ批評どころか何の感想も書いていなかったからです。 「星を付けただけでも意志はあるのだからいいではないか」という見方もあろうかとは思いますが、それこそあなたの仰る「様々な意見」を読みたい人にとっては、どうしてこのようなふざけたことをするのか、と感じるものではないのでしょうか。 別に全ての観客が批評家でなければならないなんてことを主張するつもりはありませんが、せっかくコメントを書く欄があるというのに、何にも書かない人ばかりになっても困るでしょう。
2010/07/04 23:41
雲間犬彦
> たかさきさま > 自覚がない場合は悪意という言葉の一般的な定義からやや外れますよね・・・ そんなことはありません。人の「悪意」は殆どの場合、「無自覚」な状態で表れるものです。「悪意がある自覚を持って嫌がらせを行う」人なんて、まずいないでしょう。嫌みを言ったり嫌がらせをしていても、本人は自分の悪意に気がついていないか、むしろ「善意のつもりで言っているのだ」と、自分で自分を錯覚させていることが多いものです。「いじめの心理と同じ」と書いたのもそのためです。 批評は本来、自分の主義主張を断念することから始まります。感情にまかせて書いた文章や行為は、それがたとえ誉め言葉であっても、悪意が無意識に入り込むことが多いので、そこを戒める必要があるだろう、ということなのです。
2010/07/04 21:32
雲間犬彦
> たかさきさま たかさきさまの神戸の事件についての言及は、その書き方から、『14+』を観劇する以前に『14歳の国』のドラマなり舞台なりをご覧になっており、予めその事件がベースになっていることをご存知だったのであろう、と判断して、考察の対象からは外しておりました。 もしも今回初めて『14歳の国』を鑑賞されて、これは神戸の事件の直後の出来事という設定なのだとお気づきになったのでしたら、非常に注意深く今回の舞台を観察されていたことと感服いたします。 しかし、演出力不足で、大半の観客にこの物語の本質にまで目を届かせるに至っていない、という私の結論に変化は生じません。 それから、星五つを付けて感想を書かないような行為に悪意がないとはとても思えません。単に自分の悪意に無自覚なだけでしょう。「いじめる側の心理」と同じです。だからこそ「周囲の者がたしなめてやる」ことは絶対に必要なことで、たかさきさまがお知り合いならば、今後、あのような真似はしないように注意されるのが肝要かと思います。
2010/07/01 23:09
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