丘田ミイ子の観てきた!クチコミ一覧

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少女仮面

少女仮面

ゲッコーパレード

OFF・OFFシアター(東京都)

2023/03/16 (木) ~ 2023/03/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

まず、驚いたのは劇場の使い方、俳優の居方でした。

ネタバレBOX

空間を客席と舞台で単に二分するのではなく、舞台を半円形に囲むような形で客席が配置されており、通常舞台と設定されがちな場所に設けられた客席に座る、ということ自体がまず新鮮な体験でした。少なくとも私がOFF・OFFシアターで観劇してきた中でこの空間設計は観たことがなかったので、せっかくならばとその席を選びました。
俳優達も客入れ時から舞台や扉の入り口、エレベーター付近などに点在しており、そこを通って客席に着くという流れには、衣装とメイクを施した俳優に点呼され、席に案内され、休憩時にも俳優とすれ違う「紅テント」での演劇との距離感に通じるものを感じました。同時に紅テントでは俳優が点呼や客入れの際に俳優でもある個人としてそこにいるのに対し、ゲッコーパレードでは俳優が常に役として存在しており、そこには違いも感じました。唐十郎の『少女仮面』を選んだ背景や決め手、それを上演するにあたってのプランなど試行錯誤の欠片をあれこれと想像しながら、開演に臨むことができました。従来のステレオタイプを切り捨て、劇場そのものを再構築するというカンパニーの試みは見慣れた劇空間を全く新しいものにしていたと思います。
同時にこの空間で一体『少女仮面』という演劇をどう成立させるのか、ということにも興味を惹かれました。物語への没入感を手伝う大仰な美術などは設けられておらず、ほとんど俳優の身体がその役割をも背負うような形で進行していたことも新鮮でした。『少女仮面』という伝説的な作品を俳優の身体に丸々託すといった斬新なアプローチで劇場に落とし込もうとした点にカンパニーの意欲と個性、今後への期待を感じる作品でした。そこには、「目的ではなく人の集まりこそがパレードのように活動や表現を形成していく」というカンパニーの信条が煌々と光っていたように思います。

そういった構造面が全く新たなものであったことに対し、戯曲そのものに現代を鑑みたアレンジなどはほとんどされていないように記憶しており、その良さも勿論あったのですが、空間の特異さ故に観客に情報がリーチしづらい部分も散見されたように思います。ただでさえ物語そのものが複雑な戯曲なので、観たことのある観客は記憶や経験で補填することで新しく豊かな劇体験になり得るのですが、初見の観客には物語やその機微が果たしてどこまで伝わったのだろうという疑問は残ってしまいました。

これは制作面に関してなのですが、私が観劇した回には写真撮影が入っており、そのアナウンス自体はされていたのですが、印などもとくにされていない客席の一つから撮影が行われたことにはやや戸惑いを覚えました。また席によって見える景色が変わることはいいのですが、多少の見切れが生じてしまうシーンもありました。カンパニーの信条やこれまでの公演スタイル、今作の空間のコンセプトなどを鑑みるに、これらはともすればこだわりの一つと想像することもできたのですが、やはり均一の席代が発生している劇場公演においては客席ガチャになりかねず、特定の席に座った観客のみが多少なりとも観劇しづらい、没入の妨げになるという状態は避けた方が良いのではないかと思いました。観客だけでなく、撮影するスタッフさんにとっても少なからず物理的にも精神的なやりづらさが生じる可能性もあるため、ゲネ時に撮影するか、あるいは観客が入った状態の本番の撮影に意義があるのだとすれば、撮影席に印をつけたり隣席の観客に予め了承をとるなどの策を練った上で敢行するのがベターかもしれません。

しかしながら、これまで住宅を本拠点に活動をしていたゲッコーパレードによる「劇場」の再構築、演劇や俳優の従来の在り方への疑いの視点には大いに刺激を受けました。「演劇は劇場で成されるものである」という考えが一般的な中、わざわざ「劇場シリーズ」と銘打って公演を打つこと。そういったフィロソフィーそのものにも面白みを感じます。その独自のスタイルを活かしたまま、快適とまでいかなくてはいいので、観客が等しく劇に没頭できるような環境を考えていただけるとうれしいです。
DADA

DADA

幻灯劇場

AI・HALL(兵庫県)

2023/03/03 (金) ~ 2023/03/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

閉鎖されゆく地下鉄の駅を舞台に死者と生者の魂が時にすれ違い、時にその裾を触れ合わせ、各々の思いが交錯していくという構造は詩的でありながらも、「こういう場所がどこかにあるかも」とふと実感させるだけの世界観が確立していました。

ネタバレBOX

彼岸と此岸の狭間の曖昧さを彷彿させるようなシースルー素材を多用した衣装、一方で階層や隔たりを確かに想起させるような美術。そういった細部にわたる視覚的な追求や仕掛けもこの魔法の所以ではないかと思います。
人間と幽霊の差を「目に見える」と「目には見えない」とした時に、その境目をできるだけで馴染ませたい、なるだけシームレスにしたいという思いを劇中の随所で個人的には感じたのですが、とりわけ歌唱シーンでその展望は顕著に表れていたように思います。
物語の進行にパッチワークするように音楽を重ねる、そうして物語と歌が、セリフと歌詞が混じった一瞬にこそ見えるものがあるのでないか、というような。そんな細やかなチューニングが、本作が楽曲の数やバリエーションとして「ミュージカル」と銘打っても違和がないところをあえて「音楽劇」としたところではないかと感じました。
周波数や電波の状態によってくぐもったり、はたまた鮮明に聞こえたりする「声」というものが次元と次元を往来する。物語において重要な意味を持つ「ラジオ」がそうであったように、「ここは言葉ではなく、音楽でなければならない」といったある種の必要性にも説得力がありました。歌唱クオリティも高く、俳優らの声にはそれぞれ役割があって、音楽を目的に足を運ぶ観客を満足させるものであったと感じます。上演後に公演の様子や楽曲の歌詞がweb上に公開されていることも有り難く、観客の余韻を手伝う役割としては元より、観られなかった人がどんな公演だったかを知ることもでき、とてもいいアウトプットだと感じました。

一方で物語がやや駆け足になったり、展開が予定調和的に見えてしまう部分、言葉があとひと匙程足りない部分や一歩過ぎてしまった部分も見受けられました。あらすじや物語の源流に文学性が香り立っていただけに、この辺りにもう少し工夫が練られているとさらに満足感が得られたのではないかと思います。また、物語の主旋律がロッカーに遺棄された子どもとその母親にあるので、そういった社会問題をこの演劇がどう回収するのか、というところも一つの見どころになりえたと感じます。あくまで私感ですが、本作ではともすれば遺棄した母親がややヒロイックに見え、肯定的に映りかねない不安が残ってしまったので、もう一歩深く描かれてほしいという願いもありました。
しかしながら、全ての答えを明確に出さないところに本カンパニーのカラーはあるのかも知れず、私自身が未だ咀嚼中でもあるため、今後の作品を観劇して理解を深められたらと思います。幻に灯る、幻が灯ると書いて幻灯劇場。そのカンパニー名に相応しい題材と物語であると思うので、代表作の一つとしてブラッシュアップされ、再演されることを期待しています。
橋の上で

橋の上で

タテヨコ企画

小劇場B1(東京都)

2023/03/08 (水) ~ 2023/03/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

一人のジャーナリストが20年前に事故として処理された少女の死亡事件の再検証に踏み込むというストーリー。
単なる「事故死」として片付けられたかつての事件を現在の角度から紐解く記者側のパートと、追憶のような手触りで当時の様子を再現する当事者側のパートを行き来する形で次第に真相が詳らかになっていきます。俳優は複数の役を演じ、時系列は交錯するも整理され、導線が敷かれた演出や俳優の技量、照明や美術の効果も手伝って、混乱することなく観ることができました。

ネタバレBOX

実際に起きてしまった事件を題材に、児童虐待や家庭内暴力やいじめ、シングルマザーの貧困や孤立といった緊喫に取り上げるべき現代の社会問題を個人のみのストーリーに終始させないところに本作の覚悟と意義、社会に対する姿勢を感じました。(暴力的描写があるということに関しては、世相を鑑みて事前にアナウンスがあった方がいいとは思いつつ…)

権力からの圧力や揺れるジャーナリズム、社会の仕組みそのものの歪みを知らしめるような物語展開や演出が印象的だったことの一方で、主人公のこれまでの歩みに関するシーンがやや駆け足のダイジェスト風に見えた節や、記者たちがなぜその事件にこだわるのか、という部分がもう一歩深く描かれてほしいという気持ちもありました。そのことによって、事件やその背景にある社会がより鮮明に再検証されるのではないかとも思います。
当日パンフレットに作家の青木柳葉魚さんのこんな言葉がありました。
「当たり前のように一人一人に名前がある。誰かが何らかの思いを胸に名前をつけた。今、隣に座っている誰かにも名前があって、その名前をつけた人がいる。そう考えると隣の誰もが少しだけ特別な存在に感じる。誰もが名前のある人間だ。一人一人が」
劇中でもこういった「個人の姿を見落とさず描きたい」という思いそのものには触れることができたのですが、それだけにもう少し景色として登場人物の表情を見てみたかったと思います。例えば、主人公・藤井あかりの一番好きな食べ物や好きな色を知りたい、記者の能瀬の記者ではない横顔を見てみたい、とそんなことを思いました。「社会問題を個人的問題に回収しないこと」と「個人が背負う日々や思いを描くこと」の両立は劇作の上で非常に難しいことだとは思いつつ、作家の思いの丈と力量に期待を込めて記させていただいた次第です。

実際に起きた事件を下敷きにしていることもあり、血肉の通ったセリフやそれを腹の底に落とした上で絞り出すように体現する俳優陣の姿に心を揺すぶられる瞬間があっただけに、笑いを誘うシーンや歌詞の世界観の強い劇伴の多用はやや蛇足に感じる面もあったのですが、それも裏を返せば、俳優の技量含めエンタメに振らずとも十分成立しうる作品であった、という演劇そのものの強度の一つの証のようにも思います。

制作面においてすごく有難いと感じたのは、安価での託児サービスデーがあったこと。「この題材だからこそ託児は手の届くものでなくてはならない」といった本作におけるカンパニーの一貫した哲学や思いに触れたような気がしました。子育て中の観客にとって、観劇はハードルが高く、社会や他者へ繋がる一つの窓口でもあるはずの劇場はまだまだ気軽に訪れられる場所ではありません。そんな中で、観劇アクセシビリティ向上の取り組みが作品そのものとしっかりと手を繋いでいたことは舞台芸術全体にとっても大きな意義を持っていると感じましたし、そのことによって、演劇が世の中へと発信するものは舞台上にのみあるものではない、ということを改めて知らされたような思いです。

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