Yuichi Fukazawaの観てきた!クチコミ一覧

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秘密

秘密

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2025/05/30 (金) ~ 2025/06/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「感染症下で暴かれたこと」

 2020年公演が中止となりようやく2022年に初演された作品の再演である。ポストコロナの時代に感染症について描かれた作品を観られたことに深い感興を覚えた。

ネタバレBOX

 ある地方に暮らす老父(用松亮)の世話をみるべく娘の由紀(安川まり)が帰省している。体調不良で母親(坂倉なつこ)が入院してしまったのだ。幸いにも昨今流行している感染症に罹患したわけではないようだが、妻がいなければロクに身の回りのことができず、いつも言葉少なな父親を由紀は気が気でない。兄の哲也(泉拓磨)と義姉の亜希(川口雅子)夫妻、従兄弟の日出夫(吉田庸)、美佐子(青柳美希)夫妻が時折見舞いに訪れるものの、庭木の世話から日頃の家事まですべて由紀任せになっている。ようやく退院した母だったがすぐに元通りとはいかず、滞在が二ヶ月近くに及ぶ由紀の不満が一気に爆発する事件が起きてしまうのだった。

 数年前まで多くの人々が直面していた感染症の流行による介護問題を描いた本作は、日常生活を淡々と丁寧に描くことでそれぞれの家庭に隠された「秘密」をあざやかに解体していく。兄夫婦や従兄弟夫婦は気遣ってはいるものの、それぞれに子どもや親の世話を負っているため誰も由紀の代わりにはなれない。老いて病み上がりの両親もまた娘なしには食事を作ることすらできず、介護サービスを受けようともしない。言葉少なな対話のなかに隠れた本心が台詞以上に雄弁で何度も見入った。父親役の用松亮の挙動に会場は特に沸いていた。さすがに似たような場面や台詞が多いため退屈するくだりもなくはなかったが、豊かな時間を過ごすことができた。
湿ったインテリア

湿ったインテリア

ウンゲツィーファ

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2025/05/19 (月) ~ 2025/05/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「新しい家庭を築くひとが直面する不条理」

 劇場入口へと至る階段脇には幼児向けと思しきちいさな靴と可愛げな装飾が施されている。受付を済ませ扉の向こうに目にしたのはダイニングテーブルにソファとどこにでも目にするようなリビングだ。タイトルの持つ不穏さに似つかわしくない数々に首を傾げながら開幕すると、けだし傷口をえぐるようなブラック・ホーム・コメディがはじまった。

ネタバレBOX

 不動産屋のタク(藤家矢麻刀)の案内で新居の内見に訪れたジュウタ(黒澤多生)とチア(豊島晴香)の間には、そう遠くない日に新しい命が産まれる。築年数に騒音対策、収納に立地条件にと新生活を夢想しながらほほえましい様子の二人だったが、じつはタクがチアと学生時代に交際していたことをジュウタが指摘すると急に妙な空気が流れる。

 半年後に生まれた娘のソラをあやしているチアのもとへ「ただいま、パパですよ」と帰ってきたのはなんとタクであった。育児ノイローゼ気味のチアは、おぼつかない手つきでソラをあやそうとしたり、まもなくやってくるという母親に預けて外出を提案したりするタクの軽薄さを鋭く咎めるのだった。そこへやってきたタクの母タナコ(根本江理)は「はじめまして」とチアに挨拶をしたものだからいよいよ物語の行方がわからなくなる頃に、じつはソラが生まれる前にジュウタが急死したことが明かされる。チアの立場を慮ったタクは二人で育てることを提案したのだが、この事実をタナコには告げていないためタナコはソラがタクの子どもであると誤解してしまっているようだ。

 このあとジュウタの母のカキエ(松田弘子)がやってきて事態はさらに混乱を極める。ソラを離さずこっそり持ち出したカキエはジュウタの喪失から立ち直れていないようで、あたかもじつの息子であるかのようにソラをあやし続けると、なんとソラが死んだはずジュウタになってしまうのであった。行き着く先の見えない物語のなかで、男女の三角関係とそれぞれが負った家族の物語も詳らかになる。親子とはなにか、子どもを持つとはどのようなことなのかという答えのない問いが我々観客に向けて投げつけられる。

 平易な台詞とどこにでもありそうな設定で不条理を描き、近年話題にあがることの多い反出生主義や親ガチャについて観客を問う本作は、親しみやすいながらも魅惑的な仕掛けが随所に施されている。観客の認識のズレを利用して物語に没入させつつ、それぞれの登場人物を深く掘り下げる丁寧な作劇にまず感心した。

 円筒形のブルートゥーススピーカーを赤ん坊に見立て、そこにソラやジュウタの声を重ねる演出もよく考えられたものである。一杯飾りながら上下に置かれた小道具を用いて部屋に屋外に、現在から過去にとスピーディな転換を実現することで、舞台が実に広々と感じられた。全体的にしっとりと、夜を基調とした照明変化も多大な貢献をしていた。

 作者の要求に応えるかのように俳優たちも充実した芝居を見せ、よく調和も取れていた。過保護気味に育てられ少年時代にいじめに遭っていたジュウタは、黒澤多生が演じたからこそ「子どもを持つことは親のエゴではないか」という問いかけに説得力が感じられたように思う。継母に育てられたためじつの子どもを大切に育てたいと願うチア役の豊島晴香と、やや軽薄だがチアを思うタク役の藤家矢麻刀はほどよい釣り合いといったところである。それに根本江理と松田弘子の演技合戦が、それぞれの母親としての立場を明確にしていた。
kaguya

kaguya

まぼろしのくに

ザ・ポケット(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「激しい身体が描く少年の思慕」

 『竹取物語』を自由奔放に翻案しながら家族の愛を描く意欲作である。

ネタバレBOX

 日本最古の歴史をもつ家具屋の嫡男ノゾム(二瓶大河)は七夕の夜に輝く星に願いを込め望遠鏡を覗く。ノゾムの願いは月に還った遠い先祖のかぐや姫が実在するのか確かめ、月からの迎えを待つことだった。そんなノゾムを祖父のミヤツコ(渡久地雅斗)は古びた家具とおびただしい数の人形に溢れた部屋に住まわせ、妙な夢は持たずこの地に留まれと諭すのだった。ミヤツコをはじめ一家はかぐや姫の末裔と盲信しており、近隣の人々から「アダムスファミリー」と揶揄されている。ノゾムの両親であるらしいアダム・アダムス(玉木葉輔)とマダム・マダムス(町田達彦)とは疎遠のようである。

 ノゾムの部屋の人形が次々に立ち現れては動作する様子を見ていて、どうやら現実と妄想の境目が描かれていることが少しずつわかってくる。そこで立ち現れたkaguya(高畑亜実)と名乗る少女との対話を経て、ノゾムは両親への愛の渇望を叫ぶ。kaguyaに導かれるようにして家族の知られざる過去を知り、自身が地上に縛りつけられていることを知ったノゾムは、宇宙へと旅立つのであった。

 本作の魅力は大量のセリフの応酬と激しさが横溢する芝居である。俳優は皆早口で舞台上所狭しと動き回り、流れるようなあっという間の2時間であった。登場するキャラクターは皆個性的でクセが強くグイグイ押してくるが、もう少し引きの芝居があってもよかったのではないか。

 セリフの言葉遊びや人形が人間に変化する身体表現など作り手側の表現したいことは十分に伝わってきたが、そこに専念した結果人物造形が乏しい印象を受けた。空に願いを込め母を慕うノゾムの激情であるとか、祖父ミヤツコの歪んだ願望など掘り下げれば深いドラマになった箇所が流されていってしまった点は残念である。加えて、身体表現の場面では不意に力が抜けて空間がさみしくなる点も惜しいと感じた。
牧神の星

牧神の星

劇団UZ

アトリエhaco(愛媛県)

2025/05/10 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「地域の現実を描き国家を問う」

ネタバレBOX

 カーテンコールを終えた俳優たちは、松山大空襲後の荒廃した風景が投射された扉を開けた。その先に広がる松山の夜景を目の当たりにして、私は息を呑んだ。それはこの芝居がまさに現実かという切迫した内容だったからである。

 幕開きで車椅子に乗った老人(上松知史)が敗戦直後の8月24日に己が携わった事件を回想する。老人の若い時分である久保田少佐と本多中尉(黒岩陽斗)は、埼玉県川口市の放送所を占拠し、敗戦に納得できない同士たちに思いの丈を伝え決起を促そうとしていたのだった。ここで急に演出助手のホンダ(黒岩陽斗・二役)の声が入って一旦芝居が止まり、演劇の稽古場へと場面が移り変わる。そこにいる俳優たちのやり取りから、先の老人の回想は実際に起きた事件であり、それをもとにした新作の稽古中であったことがここでわかる。機密書類を処分すべく職員たちが忙しく立ち働いている場面の稽古が始まると、そこへ先程の久保田と本多がやってくる。職員たちはかつて演劇活動をしていた女子挺身隊員であり、軍人の恫喝に戸惑いを隠せない。必死に抵抗していた頼子(林幸恵)や尚子(川崎樹杏)をそばに、戦争で恋人を失った幸子(汐見玲香)は久保田たちの願いを聞き入れようとするのだった。

 こうして80年前の事件と稽古場の様子が描かれながら舞台は進んでいく。自らと同じ名前の役を与えられた俳優たちは80年前の事件に距離を抱きつつ演じているようだ。挺身隊員を演じているサチコ(汐見玲香・二役)は「今回の話って、未来の話っぽいて思ってる」と感じているらしい。ホンダは軍人役を演じるために座長のクボタ(上松知史・二役)にビンタをされたと言い、ヨリコ(林幸恵・二役)に訝しがられる。稽古の合間の他愛のないやり取りから浮かび上がるのは、俳優たちの演劇活動と日々の暮らしである。近隣の劇場が閉じ正職の傍ら演劇活動に勤しむ俳優たちは、周囲からの心無い言葉に傷ついている。恋人との間で波風が立っているナオコ(川崎樹杏・二役)は最近体調が思わしくないようで、わざと稽古場に居残って年長のヨリコに胸の内を明かす。新作を書きおろした作・演出家は稽古場には頻繁に現れず、やや独裁的で身勝手な振る舞いが目に付く人物らしい。賑やかながらも少しずつ荒んだ雰囲気の稽古場の俳優たちはじょじょに虚構の世界に絡め取られ、やがてサチコが予見したかのような光景が現実化してしまうのだった。

 劇中劇の手法を用いて虚構と現実を重ねて描く作品は数あれど、本作はきな臭い昨今の世界情勢と敗戦時の光景を重ねつつ、地方劇団の置かれた境遇を描いた点が独創的である。作り手にとって演劇活動が切迫したものであるということを思い知らされたし、身を削るような思いで歴史と日々の生活を総括しようとした姿勢にまず胸を打たれた。80年前と現在の時間軸が行き来しながら、合間に俳優たちが羊の被り物をして牧神(山野と牧畜をつかさどる半人半獣の神)を演じる不穏な光景や、ヘイトスピーチやネットの誹謗中傷といった現代の諸問題を挟み込むという込み入った作劇はやや盛り込みすぎという感もあったが、目線がブレることなく結末まで進んでいく作劇が見事であった。ただ冒頭で介護士が老人になった久保田にビンタをしたり、終盤で爆撃の描写があるなどの点は事前のアナウンスがあったほうがよかったように思う。

 作・演出の課した高いハードルに果敢に応えた俳優たちの熱演も見事である。80年前と現在の同じ名前の役ながら、自身とは距離のある人物をいかにして演じるかと苦悶する姿や、稽古場で時折見せる本音が俳優自身と重なって見えて生々しい感触がした。特に上松知史は80年前の理性的だが内面には熱情がトグロを巻いている久保田少佐と、その晩年の老いさらばえた具合、そしてやや間の抜けた座長のクボタや日本人の外国人観を揶揄するクルド人青年などを演じ分けており圧巻だった。
團菊祭五月大歌舞伎

團菊祭五月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/05/02 (金) ~ 2025/05/27 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「花盛りの娘三様」

 菊之助改め八代目菊五郎、丑之助改め六代目菊之助の襲名披露の團菊祭である。昼の部の最後に玉三郎と三人の「娘道成寺」が出た。

ネタバレBOX

 道行きではすっぽんから新菊五郎と新菊之助がドロドロでせり上がる。大曲に果敢と立ち向かう親子といった絵で緊張感がありながらも微笑ましい。新菊之助がすっぽんで下がってからの新菊五郎と聞いたか坊主たちによる問答はひととおり。このあと紅白の幕があがって初めて玉三郎と三人で揃った姿に観客から大きな喝采があがった。

 「言わず語らず」の手踊りまで三人で揃い、このあとの鞠唄は新菊之助が新菊五郎とまず踊り、そこに割り込むかたちで玉三郎と二人で踊り分ける。父親と先輩に挟まれた新菊之助はここから花笠まで踊り抜くから大したものである。

 お待ちかねのクドキはまず新菊五郎がひとりでしっぽりと、「ふっつり悋気」から玉三郎が入って男女の機微を娘姿の二人が表現する。性が倒錯し怪しくも美しいこの二人のクドキは、2004年初演の「二人道成寺」の感動を呼び起こした。客席に向け手ぬぐいを撒いてからの山づくしは新菊五郎・新菊之助親子、「ただ頼め」は玉三郎ひとり、そこから引き抜きとなり鈴太鼓を持ってからまた三人で鐘入りまで踊り抜いて幕となった。

 襲名ならではの豪華な一幕を大いに堪能した。
想像の犠牲

想像の犠牲

Dr. Holiday Laboratory

吉祥寺シアター(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「創作を批評的に描く試み」

 ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーが最後に監督した『サクリファイス』を参照し、創作過程で起きる人間模様を虚構と現実を交えながら描いた意欲作である。

ネタバレBOX

 アメリカで暮らしている演出家の過去作に出演していた元俳優の土井(油井文寧)と西川(石川朝日)は、『サクリファイス』を鑑賞した演出家が創作した新作戯曲『想像の犠牲』の上演を企画する。稽古場に加藤(佐藤駿)と友人の高木(田崎小春)、ロベール(ロビン・マナバット)が集ったはいいものの、結局本作は上演中止となってしまった。その過程を時系列ではなく現在の時点から振り返りつつ、ランダムに再現して描きながら、メンバーが客席に向けて逐一注釈を加えるというスタイルで劇が進行していく。

 各登場人物たちが座組の面々に意見し合う様子を淡々と、手の動きと軽やかな足取りで紡いでいく身体性は、静けさのなかに激情がトグロを巻く独特のものである。俳優のミニマムな芝居が吉祥寺シアターの空間に負けてしまうきらいはあったが、棒読みのような台詞と表情の薄さは観客一人ひとりにさまざまな憶測を呼んだことと思う。『サクリファイス』への言及もとより石原吉郎の詩の引用が入るなど、稽古場にフィクションが入り込んでじょじょに出演者が取り憑かれていく様子に見応えがあった。強い集中を要する作品であり果たしていま自分はなにを観ているのかという気持ちにもたびたびなったが、作品全体を通した風通しのよい含味は独特のものである。ただラストで出演者が追いかけっこをして互いを車椅子に乗せようとする描写など、やや間延びしている箇所を端折ったほうがよいようにも感じた。
絵本町のオバケ屋敷 〜愛!いつまでも残るの怪!〜

絵本町のオバケ屋敷 〜愛!いつまでも残るの怪!〜

優しい劇団

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2025/04/19 (土) ~ 2025/04/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「舞台と客席をひとつにする熱狂」

 開演前の舞台上には出演者たちが談笑したり準備運動をしたりするなか、作・演出の尾﨑優人が客席に向けて前説を行っている。通し稽古をしておらずほぼぶっつけ本番であることに動揺の笑い声がたびたび起きた。

ネタバレBOX

 やがて開演時間になると明かりが落ち、舞台奥に設置された会場トイレのドアを開けて俳優が舞台へ足を踏み入れる。日常と地続きの非日常を感じられるこの幕開きがまずうまい。彼女は絵本町と呼ばれる町の住人(土本燈子)であり、誰も曲がらない三丁目の街角にある通称「オバケ屋敷」へやってきたという。別段なにも不思議なことが起こらないこの町をメルヘンあふれるものにしたいと願う住人に、そこにいた老婆(尾﨑優人)が幽霊たちを呼び出す。ピアノが置いてある部屋で座敷童子(石丸承暖)と出会ったお嬢様(夏アンナ)は、座敷童との交流と別れを回想する。プラモデルに熱中するあまり数々の人造人間を作るにまでなった博士(吉成豊)は、人造人間たちと合唱をして大騒ぎである。演劇部員(早舩聖)は俳優(好姫)から芸道を学び、大人気の子役(千賀百子)は芸能界の鬼(宝保里実)にみっちりしごかれる。幽霊たちの様子を見届けた住人は、いま見聞きした様子を絵本にすると誓ってオバケ屋敷を後にするのだった。

 本作の魅力は尾﨑を含む出演者たちの熱量のある芝居と、詩的かつナンセンスさもある独特の台詞である。特別な舞台装置はなく、簡素なスピーカーからブルートゥース経由で音楽を流し、スタッフが手で持ち運びできる照明を使い明かりを作るというなんともシンプルな作りながら、想像力を刺激された所以である。特に中盤、出演者全員で「ちゃぶ台」をモチーフに激しい台詞の応酬合戦見せたくだりは圧巻であった。もう少し声のトーンを落とし聞きやすい速度での台詞回しのほうがなおよいとは感じたが、冒頭の前説を含め客席は沸きに沸いていた。場面ごとに俳優の見せ場が設けられていて、さながらボードヴィルを見るような面白さがあった。
遠巻きに見てる

遠巻きに見てる

劇団アンパサンド

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2025/04/18 (金) ~ 2025/04/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「いくつもの不条理に翻弄される人々」

 登場人物が何気ない会話を重ねるなかで日常に潜む不条理をあぶり出す秀作である。

ネタバレBOX

 踏切下の急な坂道の麓でバイト終わりのユウコ(西出結)と小林(永井若葉)が談笑していると、坂の向こうからランニング終わりの手嶋(奥田洋平)が突進してきて口論となる。声を荒らげ責め立てる手嶋に気圧された彼女たちは、最近市民ランナーが公道を我が物顔で走っていることを非難する。しかし次第にユウコといい仲の溝部(重岡漠)や、はては小林までもが手嶋やランニング仲間の高田(岩本えり)と一緒に走るようになってしまう。予想もしなかった変化にユウコはただたじろぐばかりだ。

 数日後、いつものように手嶋がランニング中に踏切の向こう側に立つと、そこから急に並行世界へと消えてゆきかけてしまう事件が起こる。そしてユウコが友人のアケミ(安藤奎)とともに踏切の向こう側を調査していると、アケミが並行世界へ消えてしまうのだった。アケミを助け出せなかった後悔からユウコまでランニングをはじめるのだが、そこで彼女は小林が走り出した恐ろしい真意を知ることになる。

 本作は何気ない会話を重ねることで手嶋に象徴されるランナーの身勝手な論理や、横暴な人物に仲間をとられていく様、果ては平行世界に飲み込まれていく人間たちなどさまざまな不条理を重層的に、おかしみを交えて描いていく。小林が手嶋を殺そうとして市民ランナーしか使わない自動販売機の水に毒を仕込むものの、誤ってその水を飲んでしまった渡部が死んでしまうといった展開も周到に計算されている。この人間模様の示唆するところは観客によってさまざまであろう。数日間の話とはいえ暗転が多いのにはやや辟易したし、もう少し長い尺で観たいとは思ったものの、味読がいのある小品を愉しんだ。
これが戦争だ

これが戦争だ

合同会社EVIDENT PROMOTION

シアター711(東京都)

2025/04/09 (水) ~ 2025/04/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「戦争を重層的に描く語り」

 国際演劇協会による「紛争地域から生まれた演劇」シリーズで2018年に取り上げられたカナダの劇作家ハナ・モスコヴィッチ作、吉原豊司訳の作品である。リーディング上演と同様に生田みゆきが演出を手掛けた。私はAキャストの初回を鑑賞した。

ネタバレBOX

 舞台は2007~08年にかけて、アフガニスタン戦争で最も危険な地域であったパンジウェイに駐屯していた4名のカナダ軍が新聞記者のインタビューに答え当時を回想するように展開していく。唯一の女性であるターニャ・ヤング伍長(吉野実紗)は、翌日はカナダ軍とアフガニスタン・イスラム共和国新政府軍による合同作戦という晩に、スティーヴン・ヒューズ軍曹(村岡哲至)と勢いに任せ関係を持つ。極限状態を送る日々のなかで隊員の心は荒みきっていた。翌朝ターニャと若手のジョニー・ヘンダーソン二等兵(塩崎翔太)は、キャンプ付近で血まみれの子どもを保護する。クリス・アンダース軍曹(椎名一浩)とともにヘリを要請し子どもをカンダハール空軍基地の病院へ移送する手筈を整えたところに、憔悴した様子のステーヴンが合同作戦から帰還する。自分がヘリを呼んだことで作戦に同行したジョニーの傷を悪化させてしまったことを嘆くターニャだったが、続くジョニーの証言から合同作戦の数日前にターニャと関係を持っていたことが分かる。こうして残る2名の証言が続きそれぞれの登場人物から合同作戦前後の歪んだ人間関係と、現地の凄惨な模様が詳らかになっていく

 原作者が数多くの帰還兵を取材して執筆したという本作は、戦争がもたらすトラウマティックな体験を浮かび上がらせる。クリント・イーストウッド監督の映画『アメリカン・スナイパー』に近い主題を取り上げているが、限られた時間軸と場面を複眼的に描くことで真相を詳らかにしていく仕掛けが鮮やかである。登場人物が新聞記者の取材に答える戯曲の設定をそこまで強調せず、むしろ心のうちをモノローグにして観客に訴えかける見せ方が利いていた。設定駐屯地の騒音や銃声以外は無音のなか、出演者4名の芝居が浮き立つ演出は見応えがあり、特にジョニーの証言における感情を逆なでするような音響と照明変化を時折絶妙なタイミングで入れた数カ所が印象に残った。観続けていくことがややしんどくなりそうな重苦しい展開のなかで、塩崎翔太がジョニーのあどけない間の抜けた具合をうまく見せて会場から引き出した微苦笑に何度か救われた気持ちになった。
なんかの味

なんかの味

ムシラセ

OFF OFFシアター(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/09 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「向き合えない家族の真実」

 小津安二郎が1962年に発表した最後の監督作『秋刀魚の味』をモチーフに、保坂萌が書き下ろした会話劇である。

ネタバレBOX

 トリスウィスキーのボトルが並ぶ古ぼけたバーに、平川迪子(橘花梨)が入ってくると、そこへ父の秋平(有馬自由)が続く。10日後に結婚式を控えている迪子は秋平に話があるようでどことなく気が重そうだが、どこ吹く風の秋平は披露宴でギターを演奏させろと急に言い出す始末で埒が明かない。そこへ入ってきたママの薫(松永玲子)は賑やかすぎる関西弁を捲し立てバンドを組もうと言い出し、その距離の詰め方に迪子は困惑しつつ秋平と薫の仲を訝しむ。気だるそうに入ってきたバイトの璃(中野亜美)にダル絡みされた迪子は、つっけんどんな態度がさらに加速してしまい、しまいには秋平に「親子の縁を切る」と激昂するのだった。

 幼い頃に母を亡くして以来祖母と3人で暮らしてきた平川家の父娘は、互いを慮るあまりにぶっきらぼうな対話しかできないようである。ちいさい頃からの不満をぶちまけた迪子は、先程の非礼を詫びた璃と二人だけでココアを飲み四方山話に花を咲かせる。薫に離婚歴があり成人した娘がいることを璃に教わった迪子は、仮に秋平が薫と再婚したら妹ができる、自分は中学生の頃に妹が欲しかったと打ち明ける。璃もまた母子家庭で育ったのだが、男に苦労ばかりしてきた母には複雑な思いがあるようだ。やがて迪子は電話で結婚式をキャンセルして秋平と薫を激しく動揺させる。ここでようやく迪子は、この結婚が新郎側の申し出で破談になったことを打ち明けるのだった。

 『秋刀魚の味』と同様に、本作では結婚を期に顕在化した娘と父親の心の揺れを描いている。しかしそこに隠された家族の真実を明かすミステリを入れ込み、コミカルな会話劇に仕立て上げた点が大きな特徴である。なかなか腹の底を明かさない迪子や秋平と同じく、本当は迪子の母親である薫とすべてを知っているのであろう璃もまた本音をなかなか打ち明けない。説明的な台詞を極力廃し他愛のない会話のなかから種明かししていく仕掛けが秀逸である。

 出演者に当て書きされたという各役はそれぞれぴったりといったところで、特に薫役の松永玲子が会場を大いに沸かせていた。ちいさな劇場ゆえに全体的にもう少し声の大きさを絞ったほうがいいようにも感じたが、皆イキイキと各役を生きていた。当初は「粉ものに白いご飯を強要してくる感じ」などと陰で薫に毒づいていていた迪子が、最後に薫が作ったシチューに「……うま」と嘆息する幕切れもよく考えられたものである。欲を言えば『秋刀魚の味』に描かれていた時代の雰囲気や結婚制度への皮肉を感じたいところであったが、肩の凝らない芝居を大いに堪能した。
四月大歌舞伎

四月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/25 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「充実の三本立て」

 四月の歌舞伎座夜の部は義太夫狂言の「毛谷村」と舞踊「鏡獅子」、そして神田松鯉の講談を歌舞伎化した新作「無筆の出世」の三本立てである。

ネタバレBOX

 「毛谷村」は仁左衛門と幸四郎のダブルキャストで、私が観たのは仁左衛門出演の回だった。仁左衛門の六助はその若さと爽やかさがまず目を引く。「杉坂墓所」では山賊を倒すくだりの決まりがキレイで、父を殺された幼い弥三を引き取るところは慈愛あふれんばかりである。続く「六助住家」で冒頭、わざと微塵弾正(歌六)との剣術の試合に負け、弾正に殴られても鷹揚に受けとめるところに懐の深さを見せる。後半、すべては敵である弾正の策略であったと知ってから庭先の岩を踏んづける怪力を見せて、この男の真の姿を観客にわからせた。対する孝太郎のお園は虚無僧姿で花道から出てきて六助に襲いかかろうとするところの鋭さと、そのあと六助がじつは許婚であったと知ってあとの恥じらいのギャップがまず面白い。臼を持ち上げる怪力とクドキも見応え十分であった。東蔵のお幸は一部台詞が怪しかったがこの人が出て舞台が締った。

 続く右近の「鏡獅子」は竹久夢二の美人画から出てきたかのような瓜実顔の初々しい弥生の前シテ、気迫十分の後シテ獅子の精と体を目一杯使った力演で十二分に堪能した。背中を見せてキマる弥生の後ろ姿が特に印象に残った。

 最後の「無筆の出世」は幕開きに神田松鯉の講談が付き、その背景で中間の治助(松緑)が岸を離れようとしている船に勢いよく乗り込み、主人から預かった手紙を濡らしてしまうあたりを松鯉の口述に合わせ無声で演じたところがまず面白い。松鯉が奈落へと引いてからは、治助を刀の試し切りに使えと書かれた手紙を文盲の治助に大徳寺住職の日栄(吉之丞)が善意で読んで聞かせ、その後出奔し大徳寺に逃げた治助の仕事ぶりを買った夏目左内(中車)が引き取る。やがて左内や妻の藤(笑三郎)の引き立てて一から文字を覚えやがては勘定奉行松山伊予守にまで出世するまでをテンポよく描いている。こういう新作になると役者は皆イキイキしており、松緑の治助ははまり役であった。しかし治助が出世するまでを再び現れた松鯉の講談に託し、その横でまた俳優の無音の芝居を入れるのは説明的にすぎるのではないか。最後に治助がかつての主佐々与左衛門(鴈治郎)に掛け軸に入れた因縁の手紙を見せ、この手紙にはとても感謝していると言わせるところは一本気を感じるものの後味が悪かったのも事実である
音楽劇 まなこ

音楽劇 まなこ

HANA'S MELANCHOLY

上野ストアハウス(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「心の傷を乗り越えた先に広がる世界」

 トラウマティックな体験と向き合いながらの創作を、ミュージカルや劇中劇など多様な手法を通して描く異色の音楽劇である。私はA班の初回を鑑賞した。

ネタバレBOX

 小説『まなこ』を執筆している作家(角田萌果)は、編集者(キクチカンキ)から作中の主人公である眼子が男とキスするとき、事前に同意を得るべきと意見され激しく動揺している。編集者が去ってから、作家は作中の眼子(岩波椋夏)に導かれるようにして作品世界のなかへ入っていく。現実世界では編集者であったはずの男はいつの間にか映像ディレクターとなり、眼子がキスしようとするも踏ん切りがつかない様子をカメラで客席に向けて映す。さらなる深層心理への探求は禊という女(簑手美沙絵)を召喚する。禊の導きによって眼子は、作家が書けなくなってしまった所以を知ることになる。学生時代に知り合った男とともに隣室で催されているいかがわしいパーティに行ったときのことや、幼い日に見てしまった両親の暴力的なやり取りは、作家の心に深い傷を残していたのだ。

 主人公が産みの苦しみと闘う過程のなかで己の負ったものと傷つきながら向き合う様子を見ていると、創作の暴力的な側面について考えざるを得ない。こうした重いテーマを扱いながらも歌唱や振付、言葉遊びを用いてじつに軽やかな作品に仕立てていた点が本作の大きな特徴である。メインテーマとしてたびたび歌われる「まなこのまなこ」という歌詞は、冒頭ではアンサンブルのウィスパーボイスの合唱が耳に心地よく、作家が作品世界に没入していく場面でのinspiration(創造的刺激)とhallucination(幻覚)という歌詞の歌も幻想的である。主要登場人物以外は何役か兼ねて、作家の仕事場のインテリアやいかがわしいパーティの出席者、コロスのように歌唱を盛り上げたりするなどチームワークがよく取れていた。
悲円 -pi-yen-

悲円 -pi-yen-

ぺぺぺの会

ギャラリー南製作所(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/31 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「心を通わせられない人々の末路」

 チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を土台に新NISAについて描くという異色の作品である。

ネタバレBOX

 田舎の葡萄農園で働く小池さん(石塚晴日)が農園をやめ役所で働く足立さん(佐藤鈴奈)とこの界隈の変遷について話していると、上の階から小池さんの息子の良夫ちゃん(岸本昌也)が不機嫌な様子で降りてくる。良夫ちゃんは、妹で今は亡きキョウちゃんと結婚した瀬戸先生(村田活彦)に対して不満を抱いているようだ。瀬戸先生は投資方面で著名なユーチューバーなのだが、周囲から褒めそやされてすっかり天狗になっている様や、恋人に女優のエリナ(熊野乃妃)を連れるなど俗人的に振る舞い、良夫ちゃんはかつての先生への尊敬を失ってしまったらしい。瀬戸先生とエリナはこの家と葡萄畑を売却してはと足立家の人々に提案し、良夫ちゃんの我慢は限界に達してしまいーー

 衰退する古き良き産業と経済の新潮流という対立軸のなか、心を通わせられない本作の登場人物たちは目を合わせて対話することを極端に避けているように見える。心の葛藤は身体にまで及び、棒読みのような台詞や鋭角的な体の動きばかりが目に入る。こうした肉体の造形に心理描写を重ねた俳優の身体性がまず本作の見どころである。少しずつ心の距離を縮めてようやく目と目を合わせて対話するかというところで幕切れとなる演出も、戯曲の要請と合致しているように思えた。対話の場面でのボディービルダーや野球を模した動きも、心を開示できない登場人物たちの恥じらいの動作のように見えた。

 収穫した葡萄は長い年月をかけて熟成させることでワインにできる。他方で投資は短いスパンで儲けを得られるかもしれないが、その分気忙しい日常に心が休まらない。日夜配信に株価の値動きのチェックにと気忙しい瀬戸先生が象徴している投資家へ冷めた視線や、投資大国アメリカを揶揄するかのように「MAGA」の被り物をした登場人物たちが一斉にDA PUMPの「U.S.A.」を見事な振り付けで踊り歌う場面など、本作の「投資」に対する視座はある程度汲み取ることができた。ただし『ワーニャ伯父さん』の骨格が強すぎるためか、テーマとして前面に押し出した割には、全体的にふんわりとした描き方にとどまっていたように思う。中盤で劇中劇として挟み込まれた、本作の稽古中に俳優が仮想通貨の値動きをネットで確認する描写は皮肉に映り印象深かったが、サラッと流す程度で淡泊である。本作のハイライトである良夫ちゃんと瀬戸先生の対決も、幾分淡々として肩透かしを食らってしまった。静謐ながら激情がトグロを巻いている台詞と独特の身体性は他に得難いだけに残念である。
 wowの熱

wowの熱

南極

新宿シアタートップス(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「虚構に取り憑かれる実演家たち」

 作・演出のこんにち博士が腕によりを振るった戯曲を、劇団員たちが絶妙のチームワークで立体化した力作である。

ネタバレBOX

 開幕すると冒頭から数本の寸劇が続く。ハンマーでブラウン管を壊そうとする俳優とダメ出しする演出家とのやりとりがまず笑いを誘う。つぎにその二人がお笑いコンビとなり、ビジネスマンからいかがわしいカバンを売りつけられそうになる。この場面を描いた絵画を飾った先史時代のゾウの一家が食卓を囲む様子になったかと思えば、そのゾウをイメージした毛皮をまとったモデルにデザイナーが文句をつける。前の場面を連想させるような奇妙な寸劇の連続がまず面白い。

 ようやくはじまった本編では中学生の主人公ワオ(端栞里)と仲間たちとの青春模様が描かれる。彼らは教員の海パン(井上耕輔)に水泳の補修を受けさせられたとき誤ってプールに落ちてしまうのだが、そのときプールが急に沸騰してしまう。ワオが45℃と高い平熱を持っていたからである。プールの温度はしばらく高いままだったので、彼らは「ワオ熱湯」なる銭湯を開こうとするのだった。

 このあたりになると戯作者で演出家のこんにち博士による指示出しが始まり、やがて一旦芝居が止まる。すべては虚構のなかの話であり、現実同様に劇団南極が『WOWの熱』という芝居の稽古を進めている最中だったことがここで分かる。ワオを演じる端栞里は役に入れ込み過ぎてしまい、役の設定よろしく自身の平熱がグングンと上がってしまい、ついにはその場に倒れ病院に運ばれてしまうのだった。病院を抜け出したワオは、呪術に詳しい共演者の九條えり花の助けで映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』よろしく、同じく共演者のユガミノーマルとともに車に乗り込み、こんにち博士の虚構の世界へと旅立つ。そこで起きた空間のねじれにより、冒頭の寸劇にも出てきた温室でしか生きられないホットハウスマン(瀬安勇志)ら虚構のキャラクターたちを現実へ招き入れてしまう。公演を打とうとしていたが端の降板により中止を余儀なくされた南極の劇団員たちの悪戦苦闘ぶりを描きつつ、現実と虚構が次第に混在して摩訶不思議な世界が展開していく。

 戯作者による創作と劇団員たちの奮闘を並行に描く本作は、虚構が入れ子構造で何重にも層を成している。ただ新作の芝居を作ったというよりも、その新作に取り組もうとしている劇団を、そして創作の過程で生まれた副産物としての虚構を描くという、ナマモノとしての舞台芸術の魅力と危険な魅惑に満ちた作品である。手の込んだギャグや先行作品のパロディなど、作者が腕を振るった台詞は客席を沸かせており、それに応えた劇団のチームワークと鮮やかな展開は特筆に値する。先史時代のゾウや体を乗っ取られたボクサーなどが立ちはだかるなか、ワオがホットハウスマンと対峙する場面のいかがわしい禍々しさ、バカバカしくもキラキラとした輝きは忘れがたい。

 ただし本作の設定が満場の客席の理解を得るものだったのかは疑問が残る。冒頭に置かれた一連の寸劇は、戯作者が劇団員たちに、見ず知らずの他人のフリをして新作を作るためのワークショップの成果だったということが中盤で明かされる。こうした手の込んだ設定によって劇団員たちが混乱した結果虚構と現実が乱れだしたという企図なのかもしれないが、少なくとも私はその設定に馴染むことはできなかった。混乱の元凶たるこんにち博士の戯作者としての葛藤や錯乱を描く場面もあったが、端とワオに入れ込みすぎた場面の思わず胸のつかえるような絶叫以外は狂言回しの役割が強かったため、自然作中での存在が薄まってしまった。そのため端の芝居も熱演であるがどこか一本調子で振れ幅が小さいように見えた。終盤でワオがこれまでの来し方を振り返りながら他の登場人物たちの過去のやり取りを絡ませつつ、最後にこんにち博士と同時にクラップするところなど鮮やかな展開だっただけに悔やまれる。手数は多くアイデアは豊富なだけに、他の登場人物を含めた心の動きをもっと感じたいと思った。
零れ落ちて、朝

零れ落ちて、朝

世界劇団

JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)

2025/03/22 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「人間の尊厳を問う物語」

 現役の精神科医として医療現場に携わっている作者が、太平洋戦争中にアメリカ軍の捕虜に生体解剖を施した「九州大学生体解剖事件」と、グリム童話『青ひげ』をモチーフに創作した2023年初演の再演である。

ネタバレBOX

 波音と鳥の声が響き渡るなか、上演がはじまると奥から娘(小林冴季子)が出てきて観客に向け身の上を語り始める。娘はちいさな山のうえにある城に青ひげを生やした男に嫁され、いつも床を白く磨くようにと命じられていた。城のなかには入ることを禁じられた部屋があり、そこで男はなにかよからぬことをしていると街の人々に噂されているのだ。部屋のなかを知りたいという誘惑に負けた娘が扉を開けた先に目にしたものは、おびただしい数の死体の山だった。

 やがて青山という男(本田椋)がやってきて自らの仕事について語り始める。医師である青山は弟子(本坊由華子)とともに病気の患者にリスクの大きい施術をすることで、他病院よりも大きな実績をあげようと躍起になっていた。しかし度重なる失敗で患者はことごとく死に至り、そのことを隠蔽しつづけてきたのである。青山は保身のため娘に城の床を拭きつづけろと命じていたことがここでわかる。やがて大佐(本坊由華子・二役)がやってきて、無差別爆撃を行った敵兵の捕虜を生体解剖しないかと青山に声をかけ――開戦から戦中、そして敗戦へと移り変わる激動の時代のなか、次第に娘と青山は狂気の世界へ足を踏み入れていく。

 本作の特徴は説明的な台詞を極力廃し、似たような場面を繰り返し反復しうねりを作りながら展開することで、観客を登場人物の感情移入させやすい作劇を採用した点である。また何役か兼ねる俳優がゴツゴツした荒っぽい動きや振りで台詞を述べることで、感情の波が視覚的にも豊かな情報として舞台上に再現されていた。当初は穏やかだったSEも次第にノイズまみれのそれに変転していく。いわば音楽劇や舞踊劇に近い感触の作品である。場面が進むにつれて同じ台詞でもまったく異なるニュアンスで聞こえる発見もあった。

 舞台を観ていて私はシェイクスピアの『マクベス』を想起した。己の名声を求め道を誤る青山と脅迫的に汚れた床を拭き続ける娘の様子もさることながら、3名の村人たち(出演者3名が兼役)の会話が時代背景や青山夫妻の状況を客観的に説明する役割を担っていた点は、マクベスに予言し今後の展開を示唆する荒地の魔女たちと重なって見えた。くわえて、ダジャレのような台詞や、「よくわからぬことはよからぬこと」(これは娘の台詞だが)に象徴される倫理観を根底から揺さぶろうとする作者の意図も、荒地の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」に重なって聞こえてきた。

 加害の物語を書くことで戦時に近い状況にある現代を問うという作者の主張は明確であり、そこに熱演が加わることで並々ならぬ思いはひしひしと伝わってきた。とはいえ一点に向って進んでいく物語は図式的であり安全でもある。最後にぽつねんと座る性も根も尽き果てた青山の姿は、私にとっては舞台中盤からある程度予測ができるものであった。加害に至らざるを得なかった人物の背負ったものもぜひ見たかったと思うのは望蜀だろうか。
おかえりなさせませんなさい

おかえりなさせませんなさい

コトリ会議

なみきスクエア 大練習室(福岡県)

2025/03/14 (金) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「追い詰められた家族の選択」

 「CoRich舞台芸術まつり!2024春」で準グランプリを獲得した連作短篇上演『雨降りのヌエ』から間もなく、2024年12月にAI・HALLで初演された新作長篇の福岡公演である。

ネタバレBOX

 舞台は幾度かの世界大戦を経て空襲警報が流れるような日々を送る近未来の日本である。山生家の行きつけの純喫茶「トノモト」で父の三好(大石丈太郎)と母の水(花屋敷鴨)、長男の椋尾(吉田凪詐)は、長女の飛代(三ヶ日晩)から、自分と夫は人間とツバメの合成生物「ヒューマンツバメ」になると告げられる。無限に近い寿命と硬い皮膚を持つヒューマンツバメは生き物の理想形だが、人間だった頃の記憶の7割を失うことになってしまうのだ。驚きを隠せない家族3人が飛代に意見するところへやってきた夫の一永遠(山本正典)は、ヒューマンツバメになれば徴兵を拒否することもできるうえ、自分に原因があるため子どもができない一永遠にとってせめてもの罪滅ぼしになる、これから可能性のある飛代には人間のままでいてほしいのだと苦しい胸の内を明かす。市役所でヒューマンツバメの登録用紙を受け取った一永遠を尾けてきた白石礼(原竹志)は、ヒューマンツバメになった立場からいかに人間のままでいることが危険であるかと語り、徴兵拒否が目的であれば妻帯者である一永遠が独身の椋尾に委任すればすべて済む話だと告げるのだった。

 ようやくやってきた末妹の愛実(川端真奈)は、ほかの家族がいなくなったところを見計らい子どもの頃からの度が過ぎる愛情を椋尾に示すが、すでにヒューマンツバメになっていた彼女は人間だった頃の記憶に関わる行動を控えるようにと白石にたしなめられる。ことの発端は愛実による仕業と露見すると、彼女の行動は次第にエスカレートして……入口にかかっている巣のなかでツバメの家族が狩ってきたトンボを餌と分け合い、時折「神田川」の替え歌が空襲警報として流れるなか、思い出の喫茶店で山生家の人々は選択を迫られる。

 これまで私が観てきたこの劇団の作品と同様に、コミカルながら狂気をはらんだ登場人物たちによる予測できない展開を大いに堪能した。本作ではそこに越冬し帰巣するツバメの旅情や昭和歌謡、管理社会の恐怖や戦争などさまざまな要素が加わったことで、より一層台詞のイメージの飛躍が激しくめまぐるしい。しかしブレることなく統一感を出した作劇と劇団のチームワークは特筆に値する。非常時に益にならない人間はキメラのように改造して差し支えない国策が推奨される設定に触れて、かつて高齢者の集団自決論を説いた経済学者の発言や、「LGBTQには生産性がない」とある政治家が雑誌に寄稿し問題化した出来事を思い出した。またジョージ・オーウェルが『1984年』に描いた世界が現実化している現代の世界情勢をも想起した。

 ヒューマンツバメとなった登場人物たちはクチバシと耳を付け、両手に翼を模した衣装と太陽の意匠を半分に割ったような赤い首掛けを下げて舞台中を駆け回る。その動きは鳥のそれというよりはだいぶ人間に近いものであり、いい意味での安っぽさが面白い点でもあるが、戯曲を読んだときに抱いた空恐ろしさや、物理的かつイメージとしても飛翔する言葉の印象は薄まっているように見えた。むしろ私は冒頭の水と愛実による「思い出」を巡る対話や山生きょうだい間のゆがんだ愛憎、椋尾が一永遠に向ける嫉妬といった生々しい感情の発露の方に目が向いたため、戯曲の言葉と演出が齟齬を起こしているように思えた。古ぼけた思い出の喫茶店での家族の愛憎劇は、時折挟み込まれるツバメの親子のやり取りと重なり深いドラマに感じられたため残念である。
ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

あまい洋々

インディペンデントシアターOji(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「さまざまな『暴力性』を総括する群像劇」

ネタバレBOX

 「今ね、秘密の部屋を作ってる/その部屋ではなんでもできるの、誰にも邪魔されない、誰にも脅かされない。私だけのとっておきの場所なの」

 父親から虐待を受け児童養護施設に入っている七原千波(結城真央)は、近い境遇にあった同級生の新田仁子(チカナガチサト)にこう打ち明けていた。このあと千波は行方不明となり、8年後に彼女の白骨死体が見つかる。虐待を受けた女子高生はなぜ死ななければならなかったのか。千波を取り巻く人々の邂逅が、誰しも持ち得る「暴力性」の是非を我々観客に突きつける。

 千波の事件を追うルポライターの高務(櫻井竜)は、現在は荻窪のキャバクラ「パライソ」のキャストとして働く仁子や黒服の音弥(平林和樹)らに接触し、インターネット上にセンセーショナルな記事を投稿している。他方で千波の元同級生のひとりで駆け出しの映像作家の乙倉(松村ひらり)は、事件を題材に映画を作ろうとして元同級生たちに連絡を取り始めていた。千波と友人関係にあり現在は児童養護施設で働く綾瀬敦(松﨑義邦)は、乙倉から取材を申し込まれ戸惑いを隠せない。元同級生たちの間に広がった波紋は少しずつ重なり、やがて千波が好きだったアイドル「レモンキャンディ(前田晴香)」に結びつくことになる。

 事件の真相を追い世に出す高務と、千波を弔うために事件を映画化しようともがく乙倉を見ていると、マスメディアの公共性や表現が持つ暴力的な側面を考え直さざるを得ない。自身の体験をもとに創作活動をしている作者本人が己を総括しようとするこの真摯な主題に、私はまず心を打たれた。寝た子を起こす行動が他者の古傷をえぐることになりかねないことはもとより、千波の元同級生たちのなかには、思いやりのつもりでかけた言葉が千波を傷つけることに繋がったのではないかと悩む者たちがいた。ジャーナリスティックな視点に加えコミュニケーションなど社会心理学的な視座を感じさせる意欲的な作劇である。高務のライターとしての苦悩や、職員の視点から感じた児童養護施設の生活を敦に語らせるなど、主要人物の心のうちを独白させることで多面性を出そうとしていたことにも好感を持った。ただし作者の主張が明確すぎるため、考え方の異なる登場人物による対話のズレよりも合致地点へ収束していく過程が見えすいてしまい、図式的になってしまった感があったことは指摘しておきたい。

 作者自身が手掛けたケーキを模した台の舞台美術をうまく使い、家、キャバクラ、ライブ会場、児童養護施設などテンポよく転換する鮮やかな手つきも本作の魅力である。前田晴香による実物のアイドルさながらのパフォーマンスや、唯一の部外者であるパライソのキャストのタルト(百音)による夜の店の悪ノリなどが、ややもすれば観続けることがしんどくなりそうな場面で息を抜く役割を担っていた。

 当事者の取材や関連資料を相当に読み込んだうえで創作した形跡が伺える一方で、児童養護施設の仕組みや日本の福祉の問題点を台詞で説明してしまうなど、学んだことをそのまま出してしまっている箇所が散見していた点は残念である。そして登場人物が多くその一人ひとりが雄弁であるため、作者の明確な主張の方向へ進んだ結果やや説教臭くなってしまった感もあった。パライソに全員が集結し千波の事件について対話するくだりでも十分な重量があったが、そのあとに後日談がついたことで感興が削がれてしまった。作者が書きたいことを詰め込んだ結果だとは思うが、もう少し削ることもできたのではなかったか。
 
 些末な点ではあるが、高校時代の千波が児童養護施設の職員に作ってもらったと喜んで開けた弁当箱をひっくり返してもなんの反応もしなかったり、終盤のパライソの場面で音弥がシャンパンコールを切り出すくだりでフッと緊張が抜けるなど、役の性根とズレたアクシデントが目についた。いずれも初日ゆえのことだったと思いたい。
ライフワーク

ライフワーク

ながめくらしつ

シアタートラム(東京都)

2025/03/07 (金) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「内省と解放」

 漆黒の舞台で目黒陽介がひとりパフォーマンスをする公演である。ピアノ伴奏は長年創作をともにしてきたイーガルが担当した千穐楽の回を鑑賞した。

ネタバレBOX

 開演時間になると男(目黒陽介)がひとり舞台に寝そべって小さな弾力のある白い球と戯れはじめる。片手であげた球をもう片方の手で受けとめ、肩や頭に乗せたりしてからそれが二つ、三つと増えていって、少しずつ動きが激しくなってゆく。しかし静謐なピアノ伴奏も相まってどことなく沈鬱な面持ちに見える。

 つぎに男は舞台奥の壁に手をかけ、上の方に登っては途中で止まってまだ下りを繰り返す。そのうち壁の端に手や足、膝を掛けてぶら下がる。男は壁と遊んでいるのか、あるいは壁を越えようとしてためらっているのか。ここでも身体の躍動よりも全体を包む内省さが先行する。心の動きのようにも時事的な話題を捉えているかのようにも見える一場であった。

 10個ほどの白い輪っかのジャグリングはここまで以上の冷めた情熱を感じさせるものである。投げる輪の数は一つまた一つと増えていって、腕や首にかけては上空に投げ受け止めを繰り返していく。黒い舞台空間に一段と輪の白さが映える。

 最後は冒頭よりもひとまわり大きい球体を男が操る。ワルツの演奏に合わせたこの最終場は、溜め込んできた鬱屈を開放するかのような明るさが感じられて一番の見応えがした。
三月大歌舞伎

三月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/03/04 (火) ~ 2025/03/27 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「当代と次代のエースによる『七段目』」

 3月歌舞伎座は12年ぶりとなる忠臣蔵の通しである。夜の部Bプログラムでは、仁左衛門の由良之助に松也の平右衛門、七之助のお軽兄妹が顔を揃える新旧世代による豪華な七段目が出た。

ネタバレBOX

 祇園一力茶屋で周囲の目をくらますために本心を偽り放蕩にふけっている大星由良之助(仁左衛門)のもとへ、血気盛んな寺岡平右衛門(松也)が志士に加えてくれと頼みにくるが、由良之助は取り合おうとしない。その後一子力弥(左近)がやってきて宿敵高師直の様子を記した密書を読む由良之助だったが、縁の下からスパイとなった斧九太夫(亀蔵)が、そして隣の部屋から遊女お軽(七之助)が覗き見ている。異変を悟った由良之助はお軽を身請けしようと言い残し奥へ入るが、そこに戻ってきた平右衛門は、真実を知った妹のお軽が由良之助の手にかかることを悟りーー

 仁左衛門の由良之助は一力の奥から女中たちに「手の鳴るほうへ」で出てきて目隠しを外されたときの顔に艶があり、平右衛門をいさめるところにその貫目をみせる。遊び疲れて床に就き、程なくしてやってきた力弥とのやり取りで見せる緊迫さ、この二重性こそ由良之助の性根を思わせる鮮やかな切り替えである。二度目の出で床下の九太夫を手にかけ、これまで四十七士が重ねてきた辛苦を語るところは一番の聞かせどころであった。

 七之助のお軽はその美しさ、平右衛門があまりの変わりように驚くところで見せる恥じらいが特に印象に残る。福助のお軽を思い出した。松也の平右衛門とそこまで年齢差がないため勘平の近況を聞き出そうとやっきになるやり取りには実感があるが、平右衛門がお軽を手に掛けようとするくだりは今ひとつ盛り上がらない。むしろ平右衛門から父が死に、最愛の勘平が切腹した事実を打ち明けられたところで見せた意気消沈するくだりに、お軽という女の辿ってきた流転が伝わってきた。

 幕間を挟み討入のを描く十一段目は一通りである。最後に花水橋にやってきたで四十七士たちを菊五郎の服部逸郎が、若々しく音吐朗々とした台詞まわしと大きさで激励している様子を観て溜飲が下がった。

猿若祭二月大歌舞伎

猿若祭二月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/02/02 (日) ~ 2025/02/25 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「スケールの大きな『阿古屋琴責』」

 玉三郎が当たり役である阿古屋を東京では7年ぶりに再演した。

ネタバレBOX

 平家の武将景清の行方を詮議するべく庄司重忠(菊之助)と岩永左衛門(種之助)の前に召喚された遊君阿古屋(玉三郎)は、琴、三味線そして胡弓の三曲を弾かせ、その音色に乱れがなければ潔白を証明するという拷問にかける。

 相変わらず花道から出てきた姿はまさに女王の貫禄といったところで見るものを否が応でも源平の合戦の時代へ引き込んでいく大きなスケールである。三曲の演奏も掛け合いの三味線とよく合って惚れ惚れするような聴き応えである。特に最後の胡弓での微細にわたる高音に客席は水をうつかのごとく静まり返っていた。

 菊之助の庄司が手強く、種之助の岩永はおかしみがあって見ごたえのある一幕であった。

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