Yuichi Fukazawaの観てきた!クチコミ一覧

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四月大歌舞伎

四月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/25 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「充実の三本立て」

 四月の歌舞伎座夜の部は義太夫狂言の「毛谷村」と舞踊「鏡獅子」、そして神田松鯉の講談を歌舞伎化した新作「無筆の出世」の三本立てである。

ネタバレBOX

 「毛谷村」は仁左衛門と幸四郎のダブルキャストで、私が観たのは仁左衛門出演の回だった。仁左衛門の六助はその若さと爽やかさがまず目を引く。「杉坂墓所」では山賊を倒すくだりの決まりがキレイで、父を殺された幼い弥三を引き取るところは慈愛あふれんばかりである。続く「六助住家」で冒頭、わざと微塵弾正(歌六)との剣術の試合に負け、弾正に殴られても鷹揚に受けとめるところに懐の深さを見せる。後半、すべては敵である弾正の策略であったと知ってから庭先の岩を踏んづける怪力を見せて、この男の真の姿を観客にわからせた。対する孝太郎のお園は虚無僧姿で花道から出てきて六助に襲いかかろうとするところの鋭さと、そのあと六助がじつは許婚であったと知ってあとの恥じらいのギャップがまず面白い。臼を持ち上げる怪力とクドキも見応え十分であった。東蔵のお幸は一部台詞が怪しかったがこの人が出て舞台が締った。

 続く右近の「鏡獅子」は竹久夢二の美人画から出てきたかのような瓜実顔の初々しい弥生の前シテ、気迫十分の後シテ獅子の精と体を目一杯使った力演で十二分に堪能した。背中を見せてキマる弥生の後ろ姿が特に印象に残った。

 最後の「無筆の出世」は幕開きに神田松鯉の講談が付き、その背景で中間の治助(松緑)が岸を離れようとしている船に勢いよく乗り込み、主人から預かった手紙を濡らしてしまうあたりを松鯉の口述に合わせ無声で演じたところがまず面白い。松鯉が奈落へと引いてからは、治助を刀の試し切りに使えと書かれた手紙を文盲の治助に大徳寺住職の日栄(吉之丞)が善意で読んで聞かせ、その後出奔し大徳寺に逃げた治助の仕事ぶりを買った夏目左内(中車)が引き取る。やがて左内や妻の藤(笑三郎)の引き立てて一から文字を覚えやがては勘定奉行松山伊予守にまで出世するまでをテンポよく描いている。こういう新作になると役者は皆イキイキしており、松緑の治助ははまり役であった。しかし治助が出世するまでを再び現れた松鯉の講談に託し、その横でまた俳優の無音の芝居を入れるのは説明的にすぎるのではないか。最後に治助がかつての主佐々与左衛門(鴈治郎)に掛け軸に入れた因縁の手紙を見せ、この手紙にはとても感謝していると言わせるところは一本気を感じるものの後味が悪かったのも事実である
音楽劇 まなこ

音楽劇 まなこ

HANA'S MELANCHOLY

上野ストアハウス(東京都)

2025/04/02 (水) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「心の傷を乗り越えた先に広がる世界」

 トラウマティックな体験と向き合いながらの創作を、ミュージカルや劇中劇など多様な手法を通して描く異色の音楽劇である。私はA班の初回を鑑賞した。

ネタバレBOX

 小説『まなこ』を執筆している作家(角田萌果)は、編集者(キクチカンキ)から作中の主人公である眼子が男とキスするとき、事前に同意を得るべきと意見され激しく動揺している。編集者が去ってから、作家は作中の眼子(岩波椋夏)に導かれるようにして作品世界のなかへ入っていく。現実世界では編集者であったはずの男はいつの間にか映像ディレクターとなり、眼子がキスしようとするも踏ん切りがつかない様子をカメラで客席に向けて映す。さらなる深層心理への探求は禊という女(簑手美沙絵)を召喚する。禊の導きによって眼子は、作家が書けなくなってしまった所以を知ることになる。学生時代に知り合った男とともに隣室で催されているいかがわしいパーティに行ったときのことや、幼い日に見てしまった両親の暴力的なやり取りは、作家の心に深い傷を残していたのだ。

 主人公が産みの苦しみと闘う過程のなかで己の負ったものと傷つきながら向き合う様子を見ていると、創作の暴力的な側面について考えざるを得ない。こうした重いテーマを扱いながらも歌唱や振付、言葉遊びを用いてじつに軽やかな作品に仕立てていた点が本作の大きな特徴である。メインテーマとしてたびたび歌われる「まなこのまなこ」という歌詞は、冒頭ではアンサンブルのウィスパーボイスの合唱が耳に心地よく、作家が作品世界に没入していく場面でのinspiration(創造的刺激)とhallucination(幻覚)という歌詞の歌も幻想的である。主要登場人物以外は何役か兼ねて、作家の仕事場のインテリアやいかがわしいパーティの出席者、コロスのように歌唱を盛り上げたりするなどチームワークがよく取れていた。
悲円 -pi-yen-

悲円 -pi-yen-

ぺぺぺの会

ギャラリー南製作所(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/31 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「心を通わせられない人々の末路」

 チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を土台に新NISAについて描くという異色の作品である。

ネタバレBOX

 田舎の葡萄農園で働く小池さん(石塚晴日)が農園をやめ役所で働く足立さん(佐藤鈴奈)とこの界隈の変遷について話していると、上の階から小池さんの息子の良夫ちゃん(岸本昌也)が不機嫌な様子で降りてくる。良夫ちゃんは、妹で今は亡きキョウちゃんと結婚した瀬戸先生(村田活彦)に対して不満を抱いているようだ。瀬戸先生は投資方面で著名なユーチューバーなのだが、周囲から褒めそやされてすっかり天狗になっている様や、恋人に女優のエリナ(熊野乃妃)を連れるなど俗人的に振る舞い、良夫ちゃんはかつての先生への尊敬を失ってしまったらしい。瀬戸先生とエリナはこの家と葡萄畑を売却してはと足立家の人々に提案し、良夫ちゃんの我慢は限界に達してしまいーー

 衰退する古き良き産業と経済の新潮流という対立軸のなか、心を通わせられない本作の登場人物たちは目を合わせて対話することを極端に避けているように見える。心の葛藤は身体にまで及び、棒読みのような台詞や鋭角的な体の動きばかりが目に入る。こうした肉体の造形に心理描写を重ねた俳優の身体性がまず本作の見どころである。少しずつ心の距離を縮めてようやく目と目を合わせて対話するかというところで幕切れとなる演出も、戯曲の要請と合致しているように思えた。対話の場面でのボディービルダーや野球を模した動きも、心を開示できない登場人物たちの恥じらいの動作のように見えた。

 収穫した葡萄は長い年月をかけて熟成させることでワインにできる。他方で投資は短いスパンで儲けを得られるかもしれないが、その分気忙しい日常に心が休まらない。日夜配信に株価の値動きのチェックにと気忙しい瀬戸先生が象徴している投資家へ冷めた視線や、投資大国アメリカを揶揄するかのように「MAGA」の被り物をした登場人物たちが一斉にDA PUMPの「U.S.A.」を見事な振り付けで踊り歌う場面など、本作の「投資」に対する視座はある程度汲み取ることができた。ただし『ワーニャ伯父さん』の骨格が強すぎるためか、テーマとして前面に押し出した割には、全体的にふんわりとした描き方にとどまっていたように思う。中盤で劇中劇として挟み込まれた、本作の稽古中に俳優が仮想通貨の値動きをネットで確認する描写は皮肉に映り印象深かったが、サラッと流す程度で淡泊である。本作のハイライトである良夫ちゃんと瀬戸先生の対決も、幾分淡々として肩透かしを食らってしまった。静謐ながら激情がトグロを巻いている台詞と独特の身体性は他に得難いだけに残念である。
 wowの熱

wowの熱

南極

新宿シアタートップス(東京都)

2025/03/26 (水) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「虚構に取り憑かれる実演家たち」

 作・演出のこんにち博士が腕によりを振るった戯曲を、劇団員たちが絶妙のチームワークで立体化した力作である。

ネタバレBOX

 開幕すると冒頭から数本の寸劇が続く。ハンマーでブラウン管を壊そうとする俳優とダメ出しする演出家とのやりとりがまず笑いを誘う。つぎにその二人がお笑いコンビとなり、ビジネスマンからいかがわしいカバンを売りつけられそうになる。この場面を描いた絵画を飾った先史時代のゾウの一家が食卓を囲む様子になったかと思えば、そのゾウをイメージした毛皮をまとったモデルにデザイナーが文句をつける。前の場面を連想させるような奇妙な寸劇の連続がまず面白い。

 ようやくはじまった本編では中学生の主人公ワオ(端栞里)と仲間たちとの青春模様が描かれる。彼らは教員の海パン(井上耕輔)に水泳の補修を受けさせられたとき誤ってプールに落ちてしまうのだが、そのときプールが急に沸騰してしまう。ワオが45℃と高い平熱を持っていたからである。プールの温度はしばらく高いままだったので、彼らは「ワオ熱湯」なる銭湯を開こうとするのだった。

 このあたりになると戯作者で演出家のこんにち博士による指示出しが始まり、やがて一旦芝居が止まる。すべては虚構のなかの話であり、現実同様に劇団南極が『WOWの熱』という芝居の稽古を進めている最中だったことがここで分かる。ワオを演じる端栞里は役に入れ込み過ぎてしまい、役の設定よろしく自身の平熱がグングンと上がってしまい、ついにはその場に倒れ病院に運ばれてしまうのだった。病院を抜け出したワオは、呪術に詳しい共演者の九條えり花の助けで映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』よろしく、同じく共演者のユガミノーマルとともに車に乗り込み、こんにち博士の虚構の世界へと旅立つ。そこで起きた空間のねじれにより、冒頭の寸劇にも出てきた温室でしか生きられないホットハウスマン(瀬安勇志)ら虚構のキャラクターたちを現実へ招き入れてしまう。公演を打とうとしていたが端の降板により中止を余儀なくされた南極の劇団員たちの悪戦苦闘ぶりを描きつつ、現実と虚構が次第に混在して摩訶不思議な世界が展開していく。

 戯作者による創作と劇団員たちの奮闘を並行に描く本作は、虚構が入れ子構造で何重にも層を成している。ただ新作の芝居を作ったというよりも、その新作に取り組もうとしている劇団を、そして創作の過程で生まれた副産物としての虚構を描くという、ナマモノとしての舞台芸術の魅力と危険な魅惑に満ちた作品である。手の込んだギャグや先行作品のパロディなど、作者が腕を振るった台詞は客席を沸かせており、それに応えた劇団のチームワークと鮮やかな展開は特筆に値する。先史時代のゾウや体を乗っ取られたボクサーなどが立ちはだかるなか、ワオがホットハウスマンと対峙する場面のいかがわしい禍々しさ、バカバカしくもキラキラとした輝きは忘れがたい。

 ただし本作の設定が満場の客席の理解を得るものだったのかは疑問が残る。冒頭に置かれた一連の寸劇は、戯作者が劇団員たちに、見ず知らずの他人のフリをして新作を作るためのワークショップの成果だったということが中盤で明かされる。こうした手の込んだ設定によって劇団員たちが混乱した結果虚構と現実が乱れだしたという企図なのかもしれないが、少なくとも私はその設定に馴染むことはできなかった。混乱の元凶たるこんにち博士の戯作者としての葛藤や錯乱を描く場面もあったが、端とワオに入れ込みすぎた場面の思わず胸のつかえるような絶叫以外は狂言回しの役割が強かったため、自然作中での存在が薄まってしまった。そのため端の芝居も熱演であるがどこか一本調子で振れ幅が小さいように見えた。終盤でワオがこれまでの来し方を振り返りながら他の登場人物たちの過去のやり取りを絡ませつつ、最後にこんにち博士と同時にクラップするところなど鮮やかな展開だっただけに悔やまれる。手数は多くアイデアは豊富なだけに、他の登場人物を含めた心の動きをもっと感じたいと思った。
零れ落ちて、朝

零れ落ちて、朝

世界劇団

JMSアステールプラザ 多目的スタジオ(広島県)

2025/03/22 (土) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「人間の尊厳を問う物語」

 現役の精神科医として医療現場に携わっている作者が、太平洋戦争中にアメリカ軍の捕虜に生体解剖を施した「九州大学生体解剖事件」と、グリム童話『青ひげ』をモチーフに創作した2023年初演の再演である。

ネタバレBOX

 波音と鳥の声が響き渡るなか、上演がはじまると奥から娘(小林冴季子)が出てきて観客に向け身の上を語り始める。娘はちいさな山のうえにある城に青ひげを生やした男に嫁され、いつも床を白く磨くようにと命じられていた。城のなかには入ることを禁じられた部屋があり、そこで男はなにかよからぬことをしていると街の人々に噂されているのだ。部屋のなかを知りたいという誘惑に負けた娘が扉を開けた先に目にしたものは、おびただしい数の死体の山だった。

 やがて青山という男(本田椋)がやってきて自らの仕事について語り始める。医師である青山は弟子(本坊由華子)とともに病気の患者にリスクの大きい施術をすることで、他病院よりも大きな実績をあげようと躍起になっていた。しかし度重なる失敗で患者はことごとく死に至り、そのことを隠蔽しつづけてきたのである。青山は保身のため娘に城の床を拭きつづけろと命じていたことがここでわかる。やがて大佐(本坊由華子・二役)がやってきて、無差別爆撃を行った敵兵の捕虜を生体解剖しないかと青山に声をかけ――開戦から戦中、そして敗戦へと移り変わる激動の時代のなか、次第に娘と青山は狂気の世界へ足を踏み入れていく。

 本作の特徴は説明的な台詞を極力廃し、似たような場面を繰り返し反復しうねりを作りながら展開することで、観客を登場人物の感情移入させやすい作劇を採用した点である。また何役か兼ねる俳優がゴツゴツした荒っぽい動きや振りで台詞を述べることで、感情の波が視覚的にも豊かな情報として舞台上に再現されていた。当初は穏やかだったSEも次第にノイズまみれのそれに変転していく。いわば音楽劇や舞踊劇に近い感触の作品である。場面が進むにつれて同じ台詞でもまったく異なるニュアンスで聞こえる発見もあった。

 舞台を観ていて私はシェイクスピアの『マクベス』を想起した。己の名声を求め道を誤る青山と脅迫的に汚れた床を拭き続ける娘の様子もさることながら、3名の村人たち(出演者3名が兼役)の会話が時代背景や青山夫妻の状況を客観的に説明する役割を担っていた点は、マクベスに予言し今後の展開を示唆する荒地の魔女たちと重なって見えた。くわえて、ダジャレのような台詞や、「よくわからぬことはよからぬこと」(これは娘の台詞だが)に象徴される倫理観を根底から揺さぶろうとする作者の意図も、荒地の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」に重なって聞こえてきた。

 加害の物語を書くことで戦時に近い状況にある現代を問うという作者の主張は明確であり、そこに熱演が加わることで並々ならぬ思いはひしひしと伝わってきた。とはいえ一点に向って進んでいく物語は図式的であり安全でもある。最後にぽつねんと座る性も根も尽き果てた青山の姿は、私にとっては舞台中盤からある程度予測ができるものであった。加害に至らざるを得なかった人物の背負ったものもぜひ見たかったと思うのは望蜀だろうか。
おかえりなさせませんなさい

おかえりなさせませんなさい

コトリ会議

なみきスクエア 大練習室(福岡県)

2025/03/14 (金) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「追い詰められた家族の選択」

 「CoRich舞台芸術まつり!2024春」で準グランプリを獲得した連作短篇上演『雨降りのヌエ』から間もなく、2024年12月にAI・HALLで初演された新作長篇の福岡公演である。

ネタバレBOX

 舞台は幾度かの世界大戦を経て空襲警報が流れるような日々を送る近未来の日本である。山生家の行きつけの純喫茶「トノモト」で父の三好(大石丈太郎)と母の水(花屋敷鴨)、長男の椋尾(吉田凪詐)は、長女の飛代(三ヶ日晩)から、自分と夫は人間とツバメの合成生物「ヒューマンツバメ」になると告げられる。無限に近い寿命と硬い皮膚を持つヒューマンツバメは生き物の理想形だが、人間だった頃の記憶の7割を失うことになってしまうのだ。驚きを隠せない家族3人が飛代に意見するところへやってきた夫の一永遠(山本正典)は、ヒューマンツバメになれば徴兵を拒否することもできるうえ、自分に原因があるため子どもができない一永遠にとってせめてもの罪滅ぼしになる、これから可能性のある飛代には人間のままでいてほしいのだと苦しい胸の内を明かす。市役所でヒューマンツバメの登録用紙を受け取った一永遠を尾けてきた白石礼(原竹志)は、ヒューマンツバメになった立場からいかに人間のままでいることが危険であるかと語り、徴兵拒否が目的であれば妻帯者である一永遠が独身の椋尾に委任すればすべて済む話だと告げるのだった。

 ようやくやってきた末妹の愛実(川端真奈)は、ほかの家族がいなくなったところを見計らい子どもの頃からの度が過ぎる愛情を椋尾に示すが、すでにヒューマンツバメになっていた彼女は人間だった頃の記憶に関わる行動を控えるようにと白石にたしなめられる。ことの発端は愛実による仕業と露見すると、彼女の行動は次第にエスカレートして……入口にかかっている巣のなかでツバメの家族が狩ってきたトンボを餌と分け合い、時折「神田川」の替え歌が空襲警報として流れるなか、思い出の喫茶店で山生家の人々は選択を迫られる。

 これまで私が観てきたこの劇団の作品と同様に、コミカルながら狂気をはらんだ登場人物たちによる予測できない展開を大いに堪能した。本作ではそこに越冬し帰巣するツバメの旅情や昭和歌謡、管理社会の恐怖や戦争などさまざまな要素が加わったことで、より一層台詞のイメージの飛躍が激しくめまぐるしい。しかしブレることなく統一感を出した作劇と劇団のチームワークは特筆に値する。非常時に益にならない人間はキメラのように改造して差し支えない国策が推奨される設定に触れて、かつて高齢者の集団自決論を説いた経済学者の発言や、「LGBTQには生産性がない」とある政治家が雑誌に寄稿し問題化した出来事を思い出した。またジョージ・オーウェルが『1984年』に描いた世界が現実化している現代の世界情勢をも想起した。

 ヒューマンツバメとなった登場人物たちはクチバシと耳を付け、両手に翼を模した衣装と太陽の意匠を半分に割ったような赤い首掛けを下げて舞台中を駆け回る。その動きは鳥のそれというよりはだいぶ人間に近いものであり、いい意味での安っぽさが面白い点でもあるが、戯曲を読んだときに抱いた空恐ろしさや、物理的かつイメージとしても飛翔する言葉の印象は薄まっているように見えた。むしろ私は冒頭の水と愛実による「思い出」を巡る対話や山生きょうだい間のゆがんだ愛憎、椋尾が一永遠に向ける嫉妬といった生々しい感情の発露の方に目が向いたため、戯曲の言葉と演出が齟齬を起こしているように思えた。古ぼけた思い出の喫茶店での家族の愛憎劇は、時折挟み込まれるツバメの親子のやり取りと重なり深いドラマに感じられたため残念である。
ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

ハッピーケーキ・イン・ザ・スカイ

あまい洋々

インディペンデントシアターOji(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「さまざまな『暴力性』を総括する群像劇」

ネタバレBOX

 「今ね、秘密の部屋を作ってる/その部屋ではなんでもできるの、誰にも邪魔されない、誰にも脅かされない。私だけのとっておきの場所なの」

 父親から虐待を受け児童養護施設に入っている七原千波(結城真央)は、近い境遇にあった同級生の新田仁子(チカナガチサト)にこう打ち明けていた。このあと千波は行方不明となり、8年後に彼女の白骨死体が見つかる。虐待を受けた女子高生はなぜ死ななければならなかったのか。千波を取り巻く人々の邂逅が、誰しも持ち得る「暴力性」の是非を我々観客に突きつける。

 千波の事件を追うルポライターの高務(櫻井竜)は、現在は荻窪のキャバクラ「パライソ」のキャストとして働く仁子や黒服の音弥(平林和樹)らに接触し、インターネット上にセンセーショナルな記事を投稿している。他方で千波の元同級生のひとりで駆け出しの映像作家の乙倉(松村ひらり)は、事件を題材に映画を作ろうとして元同級生たちに連絡を取り始めていた。千波と友人関係にあり現在は児童養護施設で働く綾瀬敦(松﨑義邦)は、乙倉から取材を申し込まれ戸惑いを隠せない。元同級生たちの間に広がった波紋は少しずつ重なり、やがて千波が好きだったアイドル「レモンキャンディ(前田晴香)」に結びつくことになる。

 事件の真相を追い世に出す高務と、千波を弔うために事件を映画化しようともがく乙倉を見ていると、マスメディアの公共性や表現が持つ暴力的な側面を考え直さざるを得ない。自身の体験をもとに創作活動をしている作者本人が己を総括しようとするこの真摯な主題に、私はまず心を打たれた。寝た子を起こす行動が他者の古傷をえぐることになりかねないことはもとより、千波の元同級生たちのなかには、思いやりのつもりでかけた言葉が千波を傷つけることに繋がったのではないかと悩む者たちがいた。ジャーナリスティックな視点に加えコミュニケーションなど社会心理学的な視座を感じさせる意欲的な作劇である。高務のライターとしての苦悩や、職員の視点から感じた児童養護施設の生活を敦に語らせるなど、主要人物の心のうちを独白させることで多面性を出そうとしていたことにも好感を持った。ただし作者の主張が明確すぎるため、考え方の異なる登場人物による対話のズレよりも合致地点へ収束していく過程が見えすいてしまい、図式的になってしまった感があったことは指摘しておきたい。

 作者自身が手掛けたケーキを模した台の舞台美術をうまく使い、家、キャバクラ、ライブ会場、児童養護施設などテンポよく転換する鮮やかな手つきも本作の魅力である。前田晴香による実物のアイドルさながらのパフォーマンスや、唯一の部外者であるパライソのキャストのタルト(百音)による夜の店の悪ノリなどが、ややもすれば観続けることがしんどくなりそうな場面で息を抜く役割を担っていた。

 当事者の取材や関連資料を相当に読み込んだうえで創作した形跡が伺える一方で、児童養護施設の仕組みや日本の福祉の問題点を台詞で説明してしまうなど、学んだことをそのまま出してしまっている箇所が散見していた点は残念である。そして登場人物が多くその一人ひとりが雄弁であるため、作者の明確な主張の方向へ進んだ結果やや説教臭くなってしまった感もあった。パライソに全員が集結し千波の事件について対話するくだりでも十分な重量があったが、そのあとに後日談がついたことで感興が削がれてしまった。作者が書きたいことを詰め込んだ結果だとは思うが、もう少し削ることもできたのではなかったか。
 
 些末な点ではあるが、高校時代の千波が児童養護施設の職員に作ってもらったと喜んで開けた弁当箱をひっくり返してもなんの反応もしなかったり、終盤のパライソの場面で音弥がシャンパンコールを切り出すくだりでフッと緊張が抜けるなど、役の性根とズレたアクシデントが目についた。いずれも初日ゆえのことだったと思いたい。
ライフワーク

ライフワーク

ながめくらしつ

シアタートラム(東京都)

2025/03/07 (金) ~ 2025/03/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「内省と解放」

 漆黒の舞台で目黒陽介がひとりパフォーマンスをする公演である。ピアノ伴奏は長年創作をともにしてきたイーガルが担当した千穐楽の回を鑑賞した。

ネタバレBOX

 開演時間になると男(目黒陽介)がひとり舞台に寝そべって小さな弾力のある白い球と戯れはじめる。片手であげた球をもう片方の手で受けとめ、肩や頭に乗せたりしてからそれが二つ、三つと増えていって、少しずつ動きが激しくなってゆく。しかし静謐なピアノ伴奏も相まってどことなく沈鬱な面持ちに見える。

 つぎに男は舞台奥の壁に手をかけ、上の方に登っては途中で止まってまだ下りを繰り返す。そのうち壁の端に手や足、膝を掛けてぶら下がる。男は壁と遊んでいるのか、あるいは壁を越えようとしてためらっているのか。ここでも身体の躍動よりも全体を包む内省さが先行する。心の動きのようにも時事的な話題を捉えているかのようにも見える一場であった。

 10個ほどの白い輪っかのジャグリングはここまで以上の冷めた情熱を感じさせるものである。投げる輪の数は一つまた一つと増えていって、腕や首にかけては上空に投げ受け止めを繰り返していく。黒い舞台空間に一段と輪の白さが映える。

 最後は冒頭よりもひとまわり大きい球体を男が操る。ワルツの演奏に合わせたこの最終場は、溜め込んできた鬱屈を開放するかのような明るさが感じられて一番の見応えがした。
三月大歌舞伎

三月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/03/04 (火) ~ 2025/03/27 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「当代と次代のエースによる『七段目』」

 3月歌舞伎座は12年ぶりとなる忠臣蔵の通しである。夜の部Bプログラムでは、仁左衛門の由良之助に松也の平右衛門、七之助のお軽兄妹が顔を揃える新旧世代による豪華な七段目が出た。

ネタバレBOX

 祇園一力茶屋で周囲の目をくらますために本心を偽り放蕩にふけっている大星由良之助(仁左衛門)のもとへ、血気盛んな寺岡平右衛門(松也)が志士に加えてくれと頼みにくるが、由良之助は取り合おうとしない。その後一子力弥(左近)がやってきて宿敵高師直の様子を記した密書を読む由良之助だったが、縁の下からスパイとなった斧九太夫(亀蔵)が、そして隣の部屋から遊女お軽(七之助)が覗き見ている。異変を悟った由良之助はお軽を身請けしようと言い残し奥へ入るが、そこに戻ってきた平右衛門は、真実を知った妹のお軽が由良之助の手にかかることを悟りーー

 仁左衛門の由良之助は一力の奥から女中たちに「手の鳴るほうへ」で出てきて目隠しを外されたときの顔に艶があり、平右衛門をいさめるところにその貫目をみせる。遊び疲れて床に就き、程なくしてやってきた力弥とのやり取りで見せる緊迫さ、この二重性こそ由良之助の性根を思わせる鮮やかな切り替えである。二度目の出で床下の九太夫を手にかけ、これまで四十七士が重ねてきた辛苦を語るところは一番の聞かせどころであった。

 七之助のお軽はその美しさ、平右衛門があまりの変わりように驚くところで見せる恥じらいが特に印象に残る。福助のお軽を思い出した。松也の平右衛門とそこまで年齢差がないため勘平の近況を聞き出そうとやっきになるやり取りには実感があるが、平右衛門がお軽を手に掛けようとするくだりは今ひとつ盛り上がらない。むしろ平右衛門から父が死に、最愛の勘平が切腹した事実を打ち明けられたところで見せた意気消沈するくだりに、お軽という女の辿ってきた流転が伝わってきた。

 幕間を挟み討入のを描く十一段目は一通りである。最後に花水橋にやってきたで四十七士たちを菊五郎の服部逸郎が、若々しく音吐朗々とした台詞まわしと大きさで激励している様子を観て溜飲が下がった。

猿若祭二月大歌舞伎

猿若祭二月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2025/02/02 (日) ~ 2025/02/25 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「スケールの大きな『阿古屋琴責』」

 玉三郎が当たり役である阿古屋を東京では7年ぶりに再演した。

ネタバレBOX

 平家の武将景清の行方を詮議するべく庄司重忠(菊之助)と岩永左衛門(種之助)の前に召喚された遊君阿古屋(玉三郎)は、琴、三味線そして胡弓の三曲を弾かせ、その音色に乱れがなければ潔白を証明するという拷問にかける。

 相変わらず花道から出てきた姿はまさに女王の貫禄といったところで見るものを否が応でも源平の合戦の時代へ引き込んでいく大きなスケールである。三曲の演奏も掛け合いの三味線とよく合って惚れ惚れするような聴き応えである。特に最後の胡弓での微細にわたる高音に客席は水をうつかのごとく静まり返っていた。

 菊之助の庄司が手強く、種之助の岩永はおかしみがあって見ごたえのある一幕であった。
KUNIKO PLAYS REICH COMPLETE

KUNIKO PLAYS REICH COMPLETE

NPO法人芸術文化ワークス

横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川県)

2025/02/01 (土) ~ 2025/02/01 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「音の戯れに酔いしれる」

 パーカッション奏者の加藤訓子によるライヒのプロジェクトである。同日2公演で完全演奏となる会の昼の部、加藤のソロパフォーマンスを聴いた。どれもCD化されていない作品であり貴重な機会となった。

ネタバレBOX

 1曲目の「エレクトリック・カウンターポイント」はひとつのフレーズを執拗に繰り返すところに中毒性が生まれる。一瞬バチを落としたもののすぐに立て直したくだりでは思わずハラハラした。

 本来は6台のマリンバで奏でるところを、事前録音に合わせて加藤ひとりで演奏してしまうという「シックス・マリンバズ・カウンターポイント」が2曲目である。同じフレーズが徐々に位相をずらしていくところが聴かせた。

 鉄琴の音が特に印象に残る「ヴァーモント・カウンターポイント」を経ての終曲「ニューヨーク・カウンターポイント」でも音の戯れを大いに堪能した。
令和7年初春文楽公演

令和7年初春文楽公演

日本芸術文化振興会

国立文楽劇場(大阪府)

2025/01/03 (金) ~ 2025/01/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「大顔合わせの『九段目』」

 初春文楽公演第二部は「忠臣蔵」のサイドストーリーである加古川本蔵親子の物語である。

ネタバレBOX

 まずは加古川本蔵の妻戸無瀬(人形:和生/浄瑠璃:靖太夫)と小浪(人形:簑紫郎/浄瑠璃:呂勢太夫)母娘が由良助が暮らす山科へと向かう道中を描く八段目「道行旅路の嫁入り」から。清治ら三味線の合奏に酔いしれると浅葱幕が落とされて、行路の戸無瀬と小浪の姿がパッと舞台に映える。道中で小浪が見せる恥じらいを、簑紫郎と呂勢太夫がうまく見せた。

 さて、数ある浄瑠璃のなかでも特に難曲として知られる「九段目」に今日では最高の顔ぶれが揃った。まずは歌舞伎ではほとんど上演されることのない「雪転がしの段」で、祇園一力茶屋から太鼓持や仲居らを連れきこしめした体で帰宅した由良助(玉男)が、雪だるまを作って遊ぶ。奥から出てきた妻のお石(一輔)が入れた茶を飲み一子力弥(玉勢)が茶屋の人間たちを返す。そこから由良助が腹の底に隠していた忠義の意思を語る、この変化を玉男と睦太夫の語りがうまく見せる。七段目「祇園一力茶屋の段」の華やかさの余韻とここからの緊張をうまく見せる場面である。

 やがてやってきた戸無瀬と小浪がお石に力弥への縁談を請うものの受け入れられず、思い余った戸無瀬が小浪を大石家の庭で殺そうとする異様な場面となる。ここでは「鳥類でさえ子を思う」の浄瑠璃に和生の戸無瀬がうまくはまって一番の見応えである。お石が祝言を挙げる代わりに加古川本蔵の首を差し出せと戸無瀬に迫る場になって、虚無僧に身をやつした本蔵(勘十郎)が姿を表す。由良助が遊興にふける姿をなじる本蔵をお石が槍で突き刺そうするところ悶着となり、奥から出てきた力弥にわざと腹を突き刺させ、己の本心を告げるまでの巌のような大きさを勘十郎が見せる。今際の際となり奥から出てきた玉男の由良助との邂逅も、今日の人形遣いの重鎮二人の大顔合わせで大いに堪能した。
鏡男・実盛

鏡男・実盛

日本芸術文化振興会

国立能楽堂(東京都)

2025/01/24 (金) ~ 2025/01/24 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「問答が明らかにする武将の未練」 

 加賀の国篠原にやってきた遊行の上人(宝生欣哉)は、里人(茂山逸平)ら地元の人々から、説法の前後に独り言を言っていて不審がられている。上人にだけ見える老人(友枝昭世・前シテ)はかつてこの地で木曽義仲軍に討たれて命を落とした斎藤実盛の逸話を披露し、自分こそその実盛であると告げて姿を消す。夜になり念仏を唱える上人の前に姿を表した実盛の亡霊(友枝昭世・後シテ)は、白髪を黒く染め錦の直垂をまとった出で立ちでその壮絶な最期の様子を再現して闇へと消えていった。

ネタバレBOX

 友枝昭世の老人は、橋掛かりから「紫雲の立って候ふぞや」と本舞台の方を見て合掌する姿が哀切を極める。伴奏のない無音の空間で繰り広げられる上人とのやり取りは緊迫感があり、この二人が対話を重ねるごとに老人が自身の正体を明かすプロセスが明快である。ようやく始まった地謡の「幻となって失せにけり」で揚げ幕のほうへゆきかけるも、一度正面を切ってからゆくというプロセスが、実盛の此岸への未練をあらわしていた。

 後ジテの実盛の幽霊は前ジテから一転した勇壮さで驚くとともに、地謡とともに仏への信仰についての問答に迫力がある。馬上で手塚の太郎に討たれるくだりの勇壮さと嘆きが強く伝わって哀切極まるところであった。

白衛軍 The White Guard

白衛軍 The White Guard

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2024/12/03 (火) ~ 2024/12/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「戦禍に翻弄された三兄妹」

 ミハイル・ブルガーコフが1924年に発表した同名の自伝的小説を、翌々年に『トゥルビン家の日々』と改題しモスクワ芸術座で初演した作品である。今回はオーストラリアの劇作家アンドリュー・アプトンが誂え直し2010年にイギリスのナショナル・シアターで上演した台本の日本初演である。

ネタバレBOX

 2度の革命で帝政ロシアが崩壊した翌年の1918年、ウクライナの首都キーウに住む上流階級のロシア系トゥルビン家の三兄妹のアパートには、長兄アレクセイ大佐(大場泰正)が所属する旧ロシア帝国軍である白衛軍の軍人たちが集う。革命後のロシアでは、白衛軍とウクライナ独立を目指すペトリューラ軍、そしてソヴィエト政権樹立を目指すボリシェヴィキ(赤軍)が対立関係にあった。妹のエレーナ(前田亜季)は夫のタリベルク(小林大介)の帰りを待ちながらも、大雪のなか家までたどり着いた大尉ヴィクトル(石橋徹郎)や従兄弟で詩人のラリオン(池岡亮介)らの世話をし、明日からの戦いを前に酒を酌み交わす軍人たちの面倒をみている。末弟で士官候補生のニコライ(村井良大)は戦線への士気が強いが、まだまだ危なかっしいためにアレクセイやエレーナの心配の種だ。白衛軍を支持するゲトマン軍副官のレオニード(上山竜治)はエレーナに思いを寄せていて、ここ最近のタリベルクの行動に不安をいだいているエレーナも悪い気はしてい。ウォッカで乾杯する家の外では時折銃声が鳴り響いている。

 翌日の早朝、ゲトマン軍の宿舎に来たレオニードは、元首のゲトマン(釆澤靖起)が白衛軍に協力していたドイツ軍の斡旋でドイツへ逃亡する現場に立ち会う。戦線が一変し危機的状況に追い詰められる白衛軍たちに、大隊長ボルボトゥン(小林大介)率いるペトリューラの大軍が迫ってくる。はたしてアレクセイやニコライは無事に帰れるのか、そして彼らを待つエレーナにはいかなる運命が待ち受けているのかーー

 ロシアによるウクライナ侵攻を否が応でも想起するこの歴史劇は、いつの時代にも変わらない戦禍に翻弄される人びとを生々しく描き、我々観客の胸を強く打つ。回り舞台と奥行きある舞台機構を存分に使い、冬のキーウのトゥルビン家やゲトマン軍宿舎、ペトリューラ軍の司令室そして凄惨な戦場となる白衛軍の軍事拠点である学校と、場面は目まぐるしく移り変わっていく。トゥルビン家のささやかな歓談やコミカルなやり取りから一転、情け容赦ない戦地の描写は悲惨そのものである。凍傷のため無許可で戦線を離れたコサック兵(前田一世)を無慈悲にも殺害し、ユダヤ人のスパイと疑った靴屋(山森大輔)から靴を強奪するなど、ペトリューラ軍は特に残酷に描かれる。仲間たちや学監のマクシム(大鷹明良)に戦線を離脱するよう説得し、最後まで大佐としての責任を果たそうとしたアレクセイを演じた大場泰正は舞台が大きい。

 戦線で大怪我を負ったニコライは家に帰れたものの、眼の前でアレクセイを殺されたこともあり心に深い傷を負い冒頭の明るい様子は微塵も見せない。芯の強いエレーナが見せる慟哭を、前田亜季が印象深く演じていた。


病室

病室

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2024/12/06 (金) ~ 2024/12/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「会話の反復が紡ぐ生々しい寓話」

ネタバレBOX

 山と畑に囲まれた脳神経外科専門病院の一室に4人の患者が入院している。救急車で搬送されてきた片岡(武谷公雄)を見舞う妻(松本みゆき)と娘のあみ(上田遥)のところへ、車椅子で近寄った同室の佐竹(用松亮)は根掘り葉掘り質問を浴びせ喧しい。2週間で退院できる片岡とは異なり、下肢が麻痺している佐竹はがんも患っているそうだ。佐竹の隣のベッドの小林(渡辺裕也)も片岡一家に興味津々だが、内気な性格のようで佐竹越しに片岡への質問を投げかけて要領を得ない。もう一人の患者である橋本(浅井浩介)はベッドに横たわったままだ。

 劇が進むにつれて患者たちの背景が浮び上がってくる。度重なる発作に見舞われてきた片岡は、家族に促されなければ担当医師(浅井浩介・二役)に治療方針の変更を言い出せないほど物静かだが、息子の広也(重岡漠)に「お前は病気の俺の面倒を見ろ」と言い放っていた。橋本は娘(青柳美希)が夫のもとを離れ幼い子どもを二人連れ帰省していることに戸惑いを隠せない。家族と軋轢のあった小林は娘(上田遥・二役)くらいしか見舞いに来てくれないようだ。他人の事情にズケズケ入り込んでくる佐竹も、泣いてばかりの妻(石黒麻衣)に頭を抱えているようだ。やがて片岡が退院し、佐竹が転院する日がやってくるのだった。

 効果音やBGMのない静かな空間で展開する何気ない会話の応酬に定評のある劇団普通の作風が、病院の相部屋での人間関係を描く本作では見事にハマっていた。誇張された台詞を極力廃し極めてリアルなやり取りの俳優の芝居とは異なり、舞台面に沿った天井の白枠や簡素なベッド、舞台奥の閉まったままのカーテンなど、美術は極めて抽象性が高い。いわば生々しい寓話ともいうべき独自の作風を成立させていた。ややパターン化しているようには見えたが、言葉の反復と噛み合わない論点がコミュニケーション不全を起こしている様子に会場からは度々微苦笑がこぼれていた。小津映画に出てくる笠智衆のように朴訥とした片岡を演じた武谷公雄、ギョロリとした目で声を張りあげる不躾さと、反面自身の病後や妻の嘆きに心を痛める佐竹を演じた用松亮の芝居が特に印象に残った。青柳美希と石黒麻衣が二役で演じた看護師による介助が芝居の流れを切り替える役割を担っていた。

 他方で登場人物と家庭環境の描写が多く、説明的で散漫になった印象は否定できない。理学療法士の遠藤タケル(重岡漠・二役)と青柳美希演じる看護師の仕事終わりの逢引から、昼間病室で起きた出来事に外部の視点を入れるという企みもあまり効果を上げているようには思えなかった。いっそ病室の描写に絞ることで患者たちの会話から見えてくる病院という社会の仕組みを立ち上げていったほうが広がりがあったように思う。
十二月大歌舞伎

十二月大歌舞伎

松竹

歌舞伎座(東京都)

2024/12/03 (火) ~ 2024/12/26 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「玉三郎の富姫」

 歌舞伎座さよなら公演以来15年ぶりに玉三郎の富姫を目にすることが叶った。相手役の図書之助は近年目覚ましい活躍を見せている團子が演じるということで客席は熱気に溢れている。昨年玉三郎演出で富姫を継承した七之助が亀姫を演じ、他の役もこれまでから幾分か若返り、世代交代を目の当たりにする上演となった。

ネタバレBOX

 客席が暗転すると幕間で披露された田渕俊夫作の緞帳「春秋」の中央に描かれている大きな満月が妖しく光る。唯是震一の電子音楽と相まって客席を鏡花の世界に誘う趣向に驚いていると、いつの間にか折れそうな三日月に変わっていつもの女童たちによる「通りゃんせ」の合唱が聞こえてくる。薄(吉弥)が女童たちに静かにするよう諌めると外の雲行きが悪くなり、やがて福井の夜叉ヶ池から戻ってきたという富姫が登場する。

 玉三郎の富姫は出てきたところやや軽かったが、通りすがりに案山子から取ったという藁蓑を「重くなってきた」と取るあたりからいかにも鏡花ものの異形という風情が出てきてうまいものである。猪苗代からやってきた亀姫とのいつものじゃれ合いは、七之助と息が合って惚れ惚れ見えて、客席からは微苦笑がこぼれるばかりであった。男女蔵の朱の磐坊は亡父左團次を彷彿とさせる手ごわさがあったが、富姫と亀姫が引っ込んでから侍女たちと戯れる場面はもう少し愛嬌がほしい。門之助の舌長姥は武将の生首を舐めるところで「むさや」がやがて「うまや」に変わるあたりがうまい。

 お待ちかね後半の図書之助の出になる。團子の図書之助は明晰な台詞と美しい佇まいがピッタリハマって、警戒していた富姫の「すずしい言葉だね」が生きるいい出来である。今回の収穫は図書之助二度目の出のところで、図書之助が放った鷹を富姫が獲ったことを図書之助が咎めるくだりで、人間界と異界、そして自然界の対立構造がこれまでになく明確になった点である。これは玉三郎と團子の台詞が明らかにした新しい視点であった。

 終盤で追われた図書之助を富姫が獅子頭に匿い、修理(歌昇)率いる侍との戦いのなかで目を刺されて光を失うも、桃六(獅童)がのみで目を開けるところまで一通りである。獅童の桃六はもう少し重厚さを感じたいと思った。
LifeとWork

LifeとWork

ぺぺぺの会

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2024/11/27 (水) ~ 2024/12/02 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「生きることを考える一人芝居」

 ぺぺぺの会といいへんじによる全6作の一人芝居である。私はCプログラムを鑑賞した。

ネタバレBOX

「play myself by myself」は中島梓織が精神的な疾患を抱えながら演劇にアルバイトに精を出す俳優を演じる。舞台奥には映像で中島が演劇の稽古をしている場面が投射され、舞台上にいる本物の中島がそれにダメ出しをしたり、バイトのしすぎで芝居が荒くなっている映像の中島を叱るという構成になっている。映像と現実の掛け合いが面白いことにくわえ、絶妙な間での台詞の応酬は見応えがった。

 つづく「すべての、ひとりである人の」は舞台上の女性(佐藤鈴奈)が夜にカップラーメンを食べようとして、恋人のことや両親、そして生きるとはいかようかとひとりで問い続ける数分間を描いている。彼女の語りに脈絡があるわけではないが静謐でときに空気を張り裂くかのような大声をあげる様子に思わず惹きつけられる。印象的だったのは客席に背中を向け手で反対の肩を抱きしめるときに垣間見えた語り手の孤独な姿であった。

 二作に共通していたのは日々の暮らしのなかで誰しも感じる生きることの不条理と、それでも生きていかなければならないという達観であったように思う。
脳-BRAIN-

脳-BRAIN-

大駱駝艦

世田谷パブリックシアター(東京都)

2024/11/28 (木) ~ 2024/12/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「静謐で荒々しい舞が描く脳内」


 麿赤兒率いる大駱駝艦の新作は、脳の活動を描くことで人間を、そして現実社会で起きている様々な事象を照射する意欲に満ちている。

ネタバレBOX

 幕が開くと舞台床に人型の線が引かれ、その線に沿って十数本の透明な棒が立っている。棒の先端にある火花のような意匠は脳内の電気信号であろうか。奥に並ぶ17名の白塗り舞踏家が前方へ静かに、のっそりと向かってくると、やがて4組に分かれて棒をひっぱったりして戯れる。麿以外の舞踏家が奥の方にまとまり動く様子は心臓のようにも脳のようにも見えて面白い。

 このつぎに舞踏家がボールを転がして戯れる場面では照明が紫色に変わり、それまでの静的な空間が急に場末のキャバレーのように妖しく映る。ボールを巻いていた紙を剥がすと紐を取り出し首にくくってのたうちまわる。けだし倒錯の美である。

 そのあといきなりの銃声で倒れたダンサーたちはやがて立ち上がり、ボールから剥がした紙を数か所にまとめる。それがまるで瓦礫のように見えて、現在海の向こうで起きている戦争を否が応でも想起した。

 印象的だったのは人型の美術の頭の部分に麿が立ち、指示を仰いで扇や書籍、明かりを持つ舞踏家が動き回っては他の舞踏家に接触するくだりである。この三人は芸道や知識の獲得、そして日々の生活を指し示す灯火の象徴に見えて、麿の人間観がよく出ている場面であった。
峠の我が家

峠の我が家

森崎事務所M&Oplays

本多劇場(東京都)

2024/10/25 (金) ~ 2024/11/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「語られることが隠しているもの」

 なにかを抱えた7人が交わすささいなやりとりから、男女の相克や夢と現実のあわいといった普遍的なテーマが浮かび上がる秀作である。

ネタバレBOX


 行路の途中峠にあるひなびた一軒家に宿を求めやってきたのは、安藤修二(仲野太賀)と兄嫁の静子(池津祥子)である。夏季のみ旅館営業をしているため季節外れのいまはこの二人以外に客はいない。部屋の奥で家の住人や近隣の住民と談笑していた修二だったが、小用で席を立った様子はどことなく憔悴している。修二は峠を越えたところにいる兄に軍服を持っていく途中らしく、そのことで人びとからかけられた言葉に動揺したらしい。彫刻家で道場を主宰している中田代表(豊原功補)は非礼を詫びるが、珍しい訪問者に興味は尽きないようだ。中田の部下の富永次郎(新名基浩)は兵役検査に落ちたコンプレックスからか、修二の持つ軍服に執心している様子である。
 
 応接スペースで交わされる会話のなかから、少しずつ登場人物たちの背景が立ち上がってくる。この家に暮らす佐伯斗紀(二階堂ふみ)は、失踪した姉の悠子に焦がれていた正継(柄本時生)と結婚しており、悠子が飼っていたスジバという名の亀を飼っている。斗紀は甲斐甲斐しく正継を世話し、修二や中田たちにもにこやかに接するが、時折寂しそうな顔をしている。部屋の奥にいる正継の父・稔(岩松了)は中田や富永がこの家に入り浸ることを許したがために、彼らが増長する様子を斗紀や正継は忌々しく感じているようである。行き詰まった感のある斗紀は作り話を聞かせては妄想の世界に入り浸っている。玄関に飾られた熊退治の銃や時折聞こえる銃声、ヘビがスジバを狙って侵入したところを稔が杖で叩いたときにできた床の傷など、この家に刻まれた不穏さが頭をもたげはじめるなか、次第に惹かれ合う斗紀と修二だったが……

 チェーホフの『かもめ』を下敷きにしたであろう本作は、雄弁でときに理性的な登場人物たちの会話の向こう側で決して語られないことを観客に想像させる仕掛けが随所に施されている。スマートフォンはおろか電話やテレビも出てこない時代設定はいつなのか、どのような戦争が起きたのかといった、そもそもの前提を自問した観客は少なくなかっただろう。それに、いつもは屈託のない正継が時折ボールペンで亀のスジバ(ロシア語で「運命」や「宿命」を意味するとあとで知った)をつっついたり、水質検査という名目で熊よけの銃を持参して出かける様子であるとか、大量の薬品を使って抑えようとしている病もちの静子が負っていることなど、それぞれの登場人物の背景に私は幾度となく思いを馳せた。

 俳優は皆健闘しており、特にクセの強い富永を演じた新名基浩が、静子の持つ軍用水筒を取り上げ、返してほしければ軍服を着せろと、無理やりな論理で迫るところが秀逸であった。斗紀を演じた二階堂ふみによるヘビの逸話も、季節の移り変わりを入れ込んだ秀逸なセリフがやや誇張された台詞回しに合って、さながらテネシー・ウィリアムズ作品に出てくる女性のように美しくも妖しい魅力を醸し出していた。数回ある暗転前に挟まれるピアノの旋律が心地よく、人物の心情に寄り添うように微妙に変化する照明も作品に多大な貢献をしていた。詩的なセリフは奔放なイメージの飛躍を起こしていて、私を含め満場の客席にどれだけ伝わったか、作り手の意図をどれだけ汲み取れたのかは不安が残るが、味読の歓びに満ちた良作であった。
声

PANCETTA

ザ・スズナリ(東京都)

2024/10/10 (木) ~ 2024/10/12 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「声が紡ぐ三つの物語」

 三名の出演者(佐藤竜、吉澤尚吾、一宮周平)が何役も兼ね、加藤亜祐美がピアノをメインにピアニカやボーカルなどさまざまな音で三つの情景を紡いでいく音楽劇である。

ネタバレBOX

 まずは美声院なる店で声を調整する習慣のある世界が舞台である。ある朝部長の声が急にハイトーンになったことで社員たちは色めき立つ。気になる女性の好みに合わせて声を整えるという設定が面白い。

 つぎはある父子が登場する。父(吉澤尚吾)は赤ん坊のコエタ(佐藤竜)を険しい表情で優しくあやすといったことをしていたため、成長したコエタは若かりし頃の竹中直人のように泣きながら笑うといったような芸で人気を博す。しかしコエタを見捨て父は去っていくのだった――爆笑のあとにほろ苦い余韻を残す物語である。

 ラストは2023年に金沢で行われた「百万石演劇大合戦」で発表され観客最多得票を獲得した「アしクサ」である。男(一宮周平)は学生時代の親友(吉澤尚吾)を自宅に招き入れるが、親友への恋心をうちに秘めている。佐藤演じるロボットの「アしクサ」はそれを声で聞き分けて気を遣う。

 物語の合間に入るショートショートも面白い。他の出演者に支えられて一宮が体を逆さにした状態で発生したり、人物のオノマトペをすべて声で表現するなど趣向が凝った公演であった。

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