旗森の観てきた!クチコミ一覧

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音楽劇 金鶏 二番花

音楽劇 金鶏 二番花

あやめ十八番

座・高円寺1(東京都)

2025/07/07 (月) ~ 2025/07/13 (日)公演終了

実演鑑賞

昨年夏にたまたま見たこの劇団の夏芝居が、結構好感を持って楽しめたので、もう一度とでかけたら、まぁ、これは散々である。ガラにないことをやるものではない、いう好例である。
よく知らないことを聞きかじりでやるものではないといってもいい。
前回の舞台は東京郊外のその地域では有名な神社の境内にあるお土産団子屋の一家の話である。跡継ぎの話から、稼ぎ時の祭りの工夫まで外からは想像するだけで実際は知らない話が、素朴なホームドラマの笑いと共に並べられ、しかも教訓におちいらず描かれていて、客席も地域の観客も多く、いかにも高円寺の劇場に似合っていた。
今回はテレビ創世記の放送局奮闘記である。放送局となると、国家機関である。名物団子が売り物の神社とはワケが違う。神社なら例えば、神主一家なら、周囲をよく見てドラマを書けばいい。前回はそういう実録ものの良さが出ていた。だが、放送局の主要商品がラジオからテレビにかわる時期となればその周囲は神社の比ではない。歴史が直に物語にはんえいsるからリアリテイのある場所設定をみつけるだけで大事である。それが出来ていない。仕方がないから、周辺図書の使えそうな逸話を探す。沢山でている。これは放送史、これは黒柳徹子、ここは井上ひさし、トよく知られているおなじみエピオードをを並べることになってしまうが、それでは辻褄が合わない。一番具合が悪いのは、テレビの創世記はラジオは既にメディアとして成立していたことである。そこを、創立者苦労物語で作ろうとして者だから話がヘンなことになってしまう。その辺は作者も気がついているようだが、基本知識がないのだから仕方買いそれなのにGHQの放送管理にまで話を拡げるから全く話の収拾が付いていない。もっと話を絞っていかなければ。

ネタバレBOX

もう一つ大ネタがあるなト思い出せないで居たら、夕べ思い出した。「南の島に雪がフル」ラジオで当たり、テレビで当たったが、もうみなわすれている。覚えているのは85才以上。あと10年もすれば、みな忘れているようなエピソードだから誹られることもなかったかも知れないが、こういうことはいつかバレるものである。確か東宝では舞台にもなった。小野田勇作。記憶というものは一つと陸地があると、ぞろぞろ出てくる。
マライア・マーティンの物語

マライア・マーティンの物語

On7

サンモールスタジオ(東京都)

2025/05/17 (土) ~ 2025/05/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

On7らしい、小声で言えばえげつない公演だが、最近珍しくなった熱演・力演・の女優大競演の奮闘公演である。
19世紀初頭のイングランドの田舎の下層農民社会の女たちの物語である。先年も「ウエルキン」という面白い作品を見たが、こちらは純農村社会だから暗黒度も半端でない。大きくは男女差別、社会層差別だか、全く救いがない。そこに絞って、納屋で殺され、埋められて何ヶ月も発見されなかった若い農婦(吉田久美)の生涯の一部始終が死者の語りで語られる。
On7のメンバーに客演の有川まことが一人男優。すべて女優の役をメンバー代わり合って演じる。
いいところ。まず、演出の寺十吾。この人の作品はアイルランドの芝居を幾つか見たが、お得意の暗黒ものである。原題がマライア・マーティンのバラードとなっているように、マライアを巡る被虐・加虐の短いシーンを集めて一本にしている、もう少し明かりが欲しいと思う暗い照明の舞台でギリギリ展開する。幼なじみという五人の女どもの友情や、相互援助や妊娠心得、男どもへの愛情や信頼などはたちまち吹き飛ばされる。テンポはこういう暗い話を粘ることも笑いでごまかすこともなく、ものすごく早い。民藝だったら3時間は越えようかという物語を二時間に納める。押さえるところは上手く押さえていて、陰惨な一本調子の時代物の農村実話を持たせてしまう。それが、この話、今のジェンダー騒ぎや就労問題に繋がっていることも思い出させる。考えてある
次ぎ、俳優陣は競い合って熱演だが、これをオン7でやるというだけで意図は出てしまう。ちょっと作品選択がミエミエだったのが残念。
背景音楽は電子音楽を選曲で使っていて、それはそれで似合っているのだが、せっかくなら作曲して貰ったら?あるいは使えなかったのかも知れないが、見る方は安易さを感じた。
昨晩は満席だったが、後は空席多いとのこと。これが50席の劇場で見られるならお得。

ソファー

ソファー

小松台東

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/10 (土) ~ 2025/05/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

この作家の作品を見るようになって、そろそろ10年か。記憶では松本紀保のプロでジュース作品の{Farewell],同じ頃に「消す」。最初は男女の離婚の話、後者は父親が死んで後日談。今回の作の死後に残された大きなソファーの処理を巡って、どこもあまり上手くいっていない兄弟三人とその連れ合いたち、という人間配置は同じ、人間関係も作者の地元宮崎で、相変わらずだが、地方ものらしさは健在である。だが、10年たてば地方も都会化していて、そこが苦しい。
地方から出てきた作者は今でも一度は「ふるさともの」を書く。今時の若者・竹田ももこも福名里穂も勇んで地方ものを書く。それは多くの作者がこれこそは自分でなければ独自領域の人間像と書いてみるのだが、それだけで一本支えるのは難しい。終わってみれば、地方もの壁を突破できていない結果に終わる。やっぱりチェホフは上手い!ということだろう。
今回の松本作品は、年を食っただけ、道具のソファにまでシバイをさせて手は込んでいるがなんだか弾まない。ドラマを絞ってそこに発見がなくては。ファンで固めって居るのか落着いた客席でほぼ、満席。

そよ風と魔女たちとマクベスと(2025)

そよ風と魔女たちとマクベスと(2025)

フライングシアター自由劇場

すみだパークシアター倉(東京都)

2025/04/25 (金) ~ 2025/05/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

見る前にお勉強と思って読んだ「見たい」も「見てきた」も、實に要を得ていて。おふたりともベテラン投稿家で秀逸である。まぁヘンなマクベスで、概ね、誰がホントは悪いのか?に絞っていくのが今までのマクベス作りのフツーのやり方だが。これは「その風」が悪いというのだから、文句のつけようもない。文句を言えば、一応せきビラを配るのなら配役表は丁寧に!若いマクベスを演じた人も、バンクオーも名前が分からんでは興ざめである。串田和美もそろそろ85近いのではないか、頑張ってなぁ。役者魂が歩いてるようで、ア!そこがマクベスなんだ。

リンス・リピート

リンス・リピート

ホリプロ

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2025/04/17 (木) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

五年程前にアメリカのオフブロードウエイで上演された作品の翻訳上演で、ホリプロもよく掘り出してきた、という作品ではある。日本でも摂食障害はかなりあるようなので、時期も良いと持ったか、あるいは進学ブームの時期に合わせたのか、結構いい演出に寺島、松尾と出演者もそろっている。いつもは客が薄いサザンもほぼほぼ満席である。
アメリカまでオフを観にいくのはとてもフツーの観客にはムリで、とてもお目にかかれない上演だが、これは、米・日では国情が違うからだ。そういうところが、映画では見えない(見過ごしてしまう)演劇の面白いところだ。ホホウ!とトランプ時代(一次)の風俗もの(アメリカのオフにはよくある)としてみるにはいいが、まぁ衝撃作というほどのことはない。タダのオフ。このレベルなら、日本の前衛劇のチェルフィッチュの方が、内容的には遙かに面白いしよくできている。
半端な商業劇場であるサザンのせいもあるかもしれない。芸達者の寺島も、松尾も案配を図りかねている。その点ではいつも感心する演出の稲葉も、この辺にしておこうか、と考えたのではないか。オモテトウラの思惑がいい方には向かわなかった例だが・主演の摂食障害の気配り少女を演じた吉柳は娘らしいところを出していてなかなか良かった。兄役の富本もまずまず。病院の医師の名越が居直るところは今時のアメリカらしいところが出ていて面白かった。


夜の道づれ

夜の道づれ

新国立劇場

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2025/04/15 (火) ~ 2025/04/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

珍しく新国立劇場が満席だった。やっと最後列が二席空いていて見た。最後列に関係者席らしい席が六席空いて、そこに滑り込みで若い女性がきた。結構若い人も少なくなかったが、ほぼ、90歳前後に見える老男女が看護人つきで十数人来ていた。こんなに混んでいるのはここ10年ほど見たことはない。
生前の三好十郎を知っている人もいる年齢だが、この作者、オールド新劇ファンには人気があるが、この作品はあまり人気もなく、見たのは初めてである。いつものことだが、この劇場ではいつものことだが、作品を今上演する意図が分からない。
戦後5年の日本人の精神風景をドキュメントのように作ってみた作品と言うことだろう。今のテレビならNHKの「72時間」である。中年の男が二人、夜更けの甲州街道を最終電車に乗り遅れたのか、中央線沿線の沿って家路につく。行きずりに出会うのはサラリーマン、警官、復員服の男、都会から肥だめで糞尿を運ぶ農夫、娼婦、戦争未亡人。出会いが偶発的二仕組まれてはいるが、計算づくだから、風俗的な興味以上に、深まるはずもなく、時折歩く二人が深刻になったりすると、嘘つけ!という感じになってしまう。まぁそれは、戦後五年という時期を生きてもいない人たちが現場を作っているのだからいくらコツコツやってもそこは仕方がない。見てる方も半数以上生きていないだろう。
丁度この時代を背景にした作品というなら、二三年前に上演された古川健の「帰還不能点」がある。このあたりは作者(三好)の責任ではないが、いまの作家なら、今に時代にこの作品をいかすようにするだろう。それは別にコツコツことやるかどうかと言うことは関係ない。これでは骨董品研究所作品である。

月曜日の教師たち

月曜日の教師たち

Cucumber

ザ・スズナリ(東京都)

2025/04/03 (木) ~ 2025/04/15 (火)公演終了

実演鑑賞

俳優出演も多い劇作家たちに俳優の荒澤守が加わったプロジェクトの公演。作・出演の劇作家の人たちは大御所から中堅で、今更シバイを「あだ花」(劇団名らしい)と照れずとも実力もよく知られている人たちである。真面目に言えば、この作家たちが共同で一つの作品を作っても、たまに息抜きに遊びでやるのはいいが、誰が見てもまとまって一つのいい作品が出来るとは思えない。まぁその通りの出来で、作家たちも舞台慣れしているのでボロは出さないが、かといって俳優よりも面白くもない。まぁ、年末隠し芸大会よりはまし、と言ったところである。こちらも承知で見ているから腹は立たないが、これなら皆さん面白く書ける実力ある作家なんだから、いい本書いてよ。

メリーさんの羊

メリーさんの羊

山の羊舍

小劇場 楽園(東京都)

2025/04/01 (火) ~ 2025/04/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

1984年の作品という「曰く付き」上演をはじめてみた。ここでしか上演しない作品で、その理由はまずは作品の長さが中途半端、一夜芝居には短すぎる1時間5分。組みあわせて一夜にするには、ミステリ劇だからあわせる作品も難しい、この当然の理由にも増して、演出の山下悟が、最初(1884-1989)には中村伸朗、と三谷昇、次は三谷昇、山口真司(2000-2010)とやってきた作品を引き継いでの上演するという、日本演劇界に珍しい繰り返し上演ロンググラン作品で、、今更他の座組でやるのは憚られるという事情もある。そういうライフワーク的な四十年の息の長さはさまざまなところに表れている。まず、殆ど宣伝されていない。私は「当日券あります」を頼りに出かけて前に来ていた客と並んで45分前にチケットを買い自由席の楽園に30分前に入った。ポツポツと客が来る。満席で50の小屋だから空席が多くなると劇場の温度が上がらない。やはり殆ど60才くらいからの老人が主力だが、民藝、こまつ座の他人頼りのダレた老人よりしゃっきりしている。開園時間前にぴったり、50の席が完全に埋まって補助席も出なかった(まぁスペースもないのだが)。これには当日券で適当に行ってみた私はびっくり仰天した。舞台の上と下ののあうんの呼吸。で、スッと始って1時間五分。
日本の演劇シーンも成熟したなぁとつくづく思う公演だった。もちろん下北沢の業界地図真ん真ん中でやっているのだから、この内容なら当然といえなくはないが、ようやく少し暖かくなった春にふさわしい公演であった。今年初参加らしい円のホープ清田智彦が、ここでも着実に点を稼いでリニューアルの成果を来年も見せてくれるだろう。楽しみにしている。

痕、婚、

痕、婚、

温泉ドラゴン

ザ・ポケット(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この素材を、今の段階で芝居にするのはものすごく難しい。
事件は百年前。もう誰も生きていない。時間を移せば、第二次大戦が始まった時に、ペルリ来航を。原爆で敗戦になったときに明治維新を素材にするようなモノ。しかも、この内容を市井劇にしようとしている。市井にいる観客は、直接時代、につながった経験がある。「いずれの御代か」わからぬ話ではない。たしかに今作は、シライケイタ、今までの会社社会モノとは違った力作で,熱が入っているのは、頑張ったね、と言いたいが、やはりこれはもう少し、坂手流の正論一本槍に(と言うと、坂手はこの話に正論以外はありません!と言うだろうが)突進するのではなく、そうでないところに芝居の面白さもある。演劇はそういうやわらかいメディアなのだからそこを踏まえて、テレビドラマや母物映画のような手法も恥ずかしがらずに取り入れないと、正論激突で両者負けになってしまう。
山崎薫という女優は、かつて俳小にかりだされてやった「殺し屋ジョー」で刮目して見たが、今回はホンが今ひとつだったと思う。一つだけ肝心な所で言えば,この家に入るところはギリギリ納得できたが、大詰め近く、夫の背後から(ここの「背後」も疑問。)懐剣を振り上げるところ。こういうところにリアリティを持たせるには、社会も付いてきてくれないと上手くない。
しかし、総体で言えば、シライケイタも、社会派の一翼として古川健に追いついてきた。世間の定型に頼るところがなくなれば、拮抗できる。その為にはこういう、真相、真実はよくわからぬSNSになじむ素材ではなく、人間の本質に迫れる素材から、問題に迫った方がいい。隣国との近親憎悪とはすさまじいモノで、現実アラブとユダヤのモノスゴサを日夜見ている。それを説くのだからのだから、百年前の材料で勝負している場合ではない。 

幽霊

幽霊

ハツビロコウ

シアター711(東京都)

2025/03/25 (火) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

ハツビロコウは松本光生の主宰で、よく西洋名作を上演する。今回はイプセンの「幽霊」である。あの超大作をどのように上演するかと見てみると、いはば、サワリ集である。元戯曲が時代の風潮にあわせて時間制限の中で終了するように出来ている〔三一致〕だから、かなり強引にカットしても話がつながる。それで1時間45分。登場人物は僅かに五人。セットは一つ。これだけ切ってしまっても話は通じるが、サワリの主張を立てると、登場人物がみな勝手に自分の言い分をのべ立てるような感じになってしまうのはやむを得ない。
この劇団はかつて、チャペックとか、あまりやっていないホンを発掘して欧米諸国の劇をやってきた。面白い路線だが、アイルランド劇に日が当たって、昨今では選択の幅が狭くなっている。だが、まだ北欧、東欧、南欧作品には我が国で見逃されている作品も数多くありそうだ。
役者は、千賀・高田以外は経験も少ない様子だが、ガラは悪くない。若い二人〔田村・岡田〕も、本だけで言えばはまり役である。しかし、上手くなるばっかりがいいとも限らないがナマ必至の演劇は台詞だけはもう少しきちんと決まらないと芝居にならない。小劇場の悩ましいところである。
席数は40ほど、満席になっても赤字必至とみえる舞台作品に、あれこれ言うのは失礼な気がする。


極めてやわらかい道

極めてやわらかい道

ゴーチ・ブラザーズ

本多劇場(東京都)

2025/03/20 (木) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

デビューして間もないころ、松井大悟の劇団の舞台で見た。十年前。下北沢の小劇場だったが、この再演は本多劇場だ。それだけに、大筋は変わっていないが、細かいところに手が入っていて、今風の男優に当てて直したところでは一群の若い「推し」女子客だけがどっと嬌声を上げる。尤も全体の入りはやっと半分というところで、この作者も難しいところにきている。
芝居は一時期はやった引きこもり族の純情愛物語で、外側には自己愛的なセクハラ、パワハラ、暴力が張り付いている。そこは風俗的なのだが、ドラマが10年たつと照準が合わなくなる。
三十近い男たちが純情を寄せるコンビニ女店員の日々の生活をのぞき見して話し合っては自己愛の完結を共有する、というのでは、長持ちがしない。今のご時世ではノゾキは即犯罪でご用になりかねない。その為にボール紙で外から見えないようにのぞきあなをつくる、などという小細工からして嘘っぽい。その思いの描き方が異常、暴力、セクハラと紙一重というところで描かれていたからで、かつては当時の若者風俗として容認されていた。
引きこもり族全盛期にはある種のリアリティはあっただろうが、時代がこの芝居を難しくさせている。
ゴー値ブラザーズの長塚圭史も阿佐スパの時代にはこういう青年期の客気充満の身勝手ドラマで売り出したが、これではどうにもならんと方向転換した。面白い物である。10年たって、再演でみると言うことはあまりないことだが、考えさせられることもある公演だった。

『フォルモサ ! 』

『フォルモサ ! 』

Pカンパニー

吉祥寺シアター(東京都)

2025/03/13 (木) ~ 2025/03/17 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

日本統治時代の台湾の植民地経営が素材である。先にノモンハンを旧新劇の東演が上演していたが、この時代の日本が行った対植民地経営には知られていないことも多い。
今は形を変えているが、帝国主義全盛の時代には世界中で頻発していた事件が素材である。日清戦争で奪った台湾の経営は日本の初めての外地領土経営で、それ以前の中国時代の政権も手がつけられなかった先住民との対立に手を焼く。ドラマは台北からも離れた出先機関の一室が舞台、登場人物は植民地経営の科学的アプローチを求められた人類学者と、経営を司るべく送り込まれた官僚とその家族。原住民の宣撫対策を廻っての対立が、辺地出先機関の二重性を暴露し、関係家族を巻き込んでいく。最近はあまり観ない構造だが、観ている内にこれは「火山灰地」(久保栄)が元ネタだな、ト読めた。
内容は全く違うが、人物配置や進行、テーマが最後に明確にと見えてくるところなど。旧新劇のスタイルを懐かしく思いだした。上演したpカンパニーも、もとは木山事務所が原型だから納得した。木山事務所は新劇外縁の独特の強情派・別役実、山崎正和、末木利文が柱になった制作会社で、今となっては、何でこの三人で組もうとしたのか、ワケ分からんと、言うところだが、アングラ全盛期のウラでずっと活動を続けてきた。先人たちが亡くなってからは化石化していた福田善之を引っ張り込んだりして、ますますワケ分からないが、いまも旧新劇の色合いは残っている。。強情恐るべし。
しかし、この「フォルマサ!」の作家、演出家とは、もう年代は完全に違うから、直接の影響は受けていないだろう。
今は、木山事務所時代の、「世界が消滅する危機意識」から回帰して、先の大戦以前のようなささやかな「領土」問題がクローズアップされている。最後に舞台に出演者が並んで天井に向かって頑張ろーと肩組んで叫んで終り、という劇はさすがに作れないが、問題は山積している
この作品は植民地問題だが、今は男女差別、官民格差、中央地方の乖離、人種問題、と、手堅く細かい今ウケの情報はいくらでもある。作者はそういう問題も巧みに混ぜて見せていく技術に長けている。演出家は舞台の上の人物処理ばかりに腐心していて、上達の跡は見えるが、作者も演出家もこれから向かう方向はあいまいだ。なんとなく、大きな作品が来たときのリハーサルという感じだが、こういう機会で場数を踏めるのは何よりだ
俳優はキャラを上手く出している。主役の人類学者の林次樹、その妻須藤沙耶、青年座から借りてきた松田周、現地の課長、内田龍磨、その妻水野優、皆はまっていて、熱演だが、そこがいかにも五十年前の民藝、文化座で古い。演出が若いからそこは仕方が無いかも知れない。休憩十五分で2時間15分。客席はほぼ4分の1.
それは、本のせいか、演出のせいか、役者のせいか。新劇で刷り込まれた「リアル」な演技は奥が深い。


フロイス

フロイス

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2025/03/08 (土) ~ 2025/03/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

いくら教科書に出てくるからと言っても一般には殆ど知られていない中世末期のポルトガル神父フロイス〔風間俊介〕を主人公にした一代記である。キリシタン殉教記では西洋にも認められた派手な殉教物語りがいくつもあるから、井上ひさしもラジオドラマにするときは他に手がなかったのだろう。
ラジオドラマ〔当時の名優揃いである〕は再び聞く機会もないだろうが、往復書簡形式をとったと聞けばなるほどと思う。結局井上自身は舞台劇化はしていない。今回の公演クレジットを見ると、井上ひさしの名は解説には出てくるが、フロイスを主人公にと考えたラジオの企画担当者も出てこない。これなら、元本の膨大なフロイスの「日本史」や「殉教史」を元に、作者が師匠を忖度しないで自由にフロイス傳を書いた方が面白かったのにと思う。全集本でもひっくり返せば、ラジオドラマのテキストは出てくるのではないかと思うが、この舞台で井上ひさしの果たした役割がよく分からない。
いかにもひさし好みの村の若い女〔川床明日香・好演〕や戸次重幸〔日和見の惣五郎〕も抑えめである。井上好みの歴史に手を突っ込んでかき回す面白さがない。演出は材木で囲んだ一杯の抽象セットで時代劇を成立させ、そこでのステージングもそれは見事なものだし、作者もよくまとめたと思うが、まぁここまでと遠慮したところも見える。それが煮え切らない副題に現われている。
二幕で休憩入りで2時間40分。とにかく過不足ない出来なのに、劇場が暖まらないのは素材のせいばかりではない。井上ひさしは死後には主人公が胴切りされて吊り下げられる「薮原検校」のような残酷無比の代表作だってあるではないか。このフロイスこには井上らしい思いっきりの良いドラマがない。そこは、当然、作者が違うからである。忖度ばやりの世相はここにも反映している。なんだか、故人の聖人化で後味は良くなかった。
劇をと言うこまつ座なら、小説の劇化をもっと自由に試みたらどうだろうか。誰がやったとて故人の作品の名声を損なうことはないだろう。

リセット

リセット

文学座

文学座アトリエ(東京都)

2025/03/11 (火) ~ 2025/03/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

チラシの表面に「三月の冷たい朝、消えた息子が立っていた」とコピーが大きく書いてある。ハハァ、これは別役もどきか、と当てをつけて見はじめると、予想は当たり、いかにも中流の夫を亡くした老婦人(赤地まり子)の前に、次々と、自称親族、(息子、妹、その夫、息子の未知の嫁、親族ならぬ不動産屋、老人介護業者)が現われ、老婦人の大好きな夫が残した家からの転居を勧める、これはかなり現実を踏まえているが、家族にドントンはいってくるあたりほぼ、安部公房風、「友達」である。なーんと思っていると、最後はちゃんとミステリ風なオチまで付いていて結局はミステリ劇になる。それはそうだろう、別役風、も安部公房風も、ケラから加藤拓也まで、いろいろな劇作家がやり尽くしている。
しかし、ミステリ風のオチではこのドラマは何も物語らない。所詮ミステリの謎解きに終って、1時間40分面白く見てもで、そうだったの、と言うだけになってしまう。
このドラマの構造ではどこかに、何か別の画期的な工夫がないと、折角の新人作家起用もアトリエらしくなくなってしまうい。
先般、この作者が新宿のトップス上演の劇壇ガルバにかき、この演出家がまとめた作品〔ミネムラさん〕はなかなか面白かった。こちらは無茶ぶりの仕掛けがあって、そこは必ずしも成功とは言えないのだけど、結果、面白かった。この演出家はあまり沢山見ていないからなんとも言えないが、文学座ガールズの中では、手堅く商業作品もまとまられそうな演出家と思った。むしろ無茶ぶりのトップスのような小劇場の方が、演出家も作者のウデの振るいようもあるのではないか。理に落ちてはつまらない。
それにしても、やはり、文学座の役者たちは上手い。久し振りの俳優も出ているがちゃんとアンサンブルがとれていて、過不足なくちゃんと役を拡げている。

幸子というんだほんとはね

幸子というんだほんとはね

はえぎわ

本多劇場(東京都)

2025/02/26 (水) ~ 2025/03/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

下北沢演劇祭の本拠劇場らしい本多劇場でのはえぎわの公演。このノゾエ征爾主宰の劇団も25周年だという。舞台も、本多劇場の裸舞台から、劇場紹介のツアーが始まるという発端で始まる。劇場から町へ、さらにそこに生きる人々のスケッチへと進み、今貴方は幸せですかという問いへ。今この演劇祭を開催している人と時代を生き生きと見せてしまう。ノゾエ征爾にこのような洒落た趣向があるとは思っていなかったが、ノゾエも50才、どんな趣向のドラマもやってきたし、その中で自分の領域をしっかり確保してきた人だけにいかにも周年イベントにふさわしい出来になった。
見ていて、随分昔になるが、この劇場が出来たばかりの頃、ここで夢の遊民社が上演した「小指の思い出」を思い出した。1983年。まもなく五十年になる。小指の思い出のラスト、魔女として捉えられ焚刑に処せられる粕羽聖子のもとにあつまった「妄想の少年」の子供たちに野田の演じる聖子は火刑台の上からいう。「あなた方はやがて、この世界を蘇らせる。あなた方の走る先に新たな妄想の子供たちが待っている!」
野田からノゾエへの距離は今では遠い。かつての社会劇とははっきり一線を画し、いわゆわゆるドキュドラとも、インタビュードラマとも違う新しいタッチで、今演劇祭を開催している人と時代を生き生きと見せてしまう。分断と差別の中に生きる町に住む人と家族たちのスケッチがもう少し整理さていれば快調だっただろうが、次々と、イラストレーターが舞台に持ち出された白いカンバスに背景を描き続けていく中で進んでいく。ノゾエ征爾にこのような洒落た趣向があるとは思っていなかった年の功だ。周年イベントにふさわしい作品を担える存在になった。蓬莱と並んで中核と言えるかも知れない。
野田からノゾエへの距離は今では遠いと思われているが、それほどのこともないのではないか、人間が手作りする演劇の歩みは早くはない。幸子という現代の妄想に作者が、幸せの種はそこここにあると説く(主演。高田聖子)、この演劇祭に託した時代への思いは、このドラマにあるように親子が手を離せなくなるようなものであろう。1時間55分。本多を埋め切るまでにはならなかったがノゾエとしてはまとまりもいい舞台になった。

ズベズダ

ズベズダ

パラドックス定数

ザ・ポケット(東京都)

2025/02/20 (木) ~ 2025/03/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

この{ズべズダ」は青年座公演で21年に見ている、素材は二次大戦のナチの技術者争奪戦の米ソ秘話がその後の両国の宇宙開発に現在にまでも影を落としていくハナシだ。思わず耳をそばだてるような秘話に巧み盛るのは上手い野木萌葱が青年座に書いた本で、よく知らない世界と言うこともあって面白かった。今回は全体をさらに詳しく全編三部にして一挙上演と言う。全6時間半と聞いて、長くなったのなら後半だろうと当てをつけて第三部を見た。今回は作者自身の劇団パラドックス定数に小劇場ではよく見る俳優を集めての公演である。
これがかなり当てが外れた。
青年座版の内容は今回では一部、二部になっているらしく、第三部のパラドックス版はアメリカが月面到着に成功した後の取り残されたソ連科学者の内部抗争が軸になっている。従って、第一部で特に面白かった、米ソという異国にいわば拉致されたドイツ科学者たちとソ連の科学者との、科学の発展と成果をかけた米ソ対立、と言うこのストーリーの面白く、おいしいクライマックスは、はじまってすぐ、慌ただしく決着が付いて、第三部の中身はほとんどがその後の後始末になっていて、すっぱり落ちていて意気あがらない。ソ連が負けたのは社会体制にも原因はあるわけで、先の青年座版では当時我々にもおなじみだった米ソのリーダーたちも少しは登場してハナシが面白くなったのにそこもない(ワンシーンだけフルシチョフが出てくる)。次第に追い詰められていくソビエトと、その先端を任された科学者たちの苦悩は、ソビエト型国家予算の取り合いでしか描けないから、小国になった我が国の予算審議のようなチマチマしたよくあるハナシになってしまう。青年座版にあった米ソの情報合戦も科学的成果も勝負が一方的に付いてしまった後では発展させようもない。また、いいネタでもあるドイツ拉致科学者が三部では全く描かれなかった。
出演者たちの背景も役柄もはっきり設定されていなくて、ドラマのシーンとしては物足りない。つまり、アメリカにスパイに出かけるというのと、喰うためにNASAに転職するというのでは分けが違う。
青年座版では宇宙を思わせる抽象舞台で何もかも会話で処理していて、それが上手くいった。テキパキした出し入れもロケット発射も、照明も音響も頑張って効果を上げていた。3時間ほどある長尺だったが飽きずに見られた。三部では、アメリカの月到着のシーンがあるのに、そこへ至るまでの経過もふくめかなり速いスピードで事実報告のような進行になっていて、そこも疑問だ。そこのソ連側への衝撃が上手く描かれていないと、後が持たない。
三部のパラドックス版は(1,2部は見ていないから分からないが)そこもかなり不利だったとおもう。作者はこの話はどうしてもかきたかったと劇場パンフでは熱弁を振るっているので、是非改訂版を頑張って、もう少し大きい劇場でせめて、トラムや、あうるすぽっと(天井の高い小屋)でやって欲しいものだ。また、科学をドラマに中で大きな比重を置くのはこの作者の魅力だが、そこも今回は薄味で残念だった。総体でいうと、この第三部は折角の異色の企画のしめどころなのに、青年座が俳優も演出もでがたくまとめる方向で成功したのに比べると、作者、演出両立で時間もまとめる時間も足りなかったのではないかと思う。

愛と正義

愛と正義

KAAT神奈川芸術劇場

KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

2025/02/21 (金) ~ 2025/03/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

才人才に溺れたか。KAATは、東京の公立劇場と違って、創造者の勝手を許すところがあって、それはそれで成果もあり、失敗もありだったが、これは難しすぎる。
愛と正義が氾濫して始末に負えないのが現状ではないかという見立ては今面白いテーマではあるが、それを見せるのに、この手はないだろう、と思う。一つ、愛も正義も抽象的なもので、しも人間的だから五人の登場人物に仮託するのには無理がある。しかも、共に人間関係で発露されるものだから、舞台を見る方もすっきり解釈できないシーンが多い。。出来なくてもよいように作っていることは窺えるが、それは観客には課題が大きすぎる。この形で出来るテーマはせいぜい「ディグディグフレーミング」で試みたSNSまでだろう。
舞台は、進行を司る「ハナシ」に成ると、途端に渋滞する。歌舞伎だと、實は、となって前に進むが、これは渋滞のままで終わりになってしまう。結局何が何だか分からない。
部分的には、劇場お得意の移動カートを引き回す舞台装置や、ここは黒田の振付だな、と思うダンスのシーンなどもあるが、まとまりが良くない。2時間30分もある(繰り返しも多い)と、終バスに乗れない客も数多くあったろうと思う。

不思議の国のマーヤ

不思議の国のマーヤ

ティーファクトリー

吉祥寺シアター(東京都)

2025/02/15 (土) ~ 2025/02/24 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

舞台の上がいつも整理されていて、とにかくサマになっているのは川村毅の舞台の特色で、それを素材やテーマに即してさまざまに見せてくれる。今回はテーマが多様化時代の異文化との遭遇である。日頃日本からは遠いインド文明との遭遇を、演劇とダンス{舞踊}を使って解きほぐす。解かれるのは「西欧や日本ともまた違う何でもあり」の「多様性の豊かな異文化・インド」である。テーマとしては面白いが、インドを説くのはちょっとやってみました、と言うのでは歯が立たない。かつて日本人でインド文化に取り組んださまざまの文化人がいて、伝記も残っているが、みな、辛うじて一端をかじりましたという程度に終わっている{ように感じる}。これぞという交流も仏教ぐらいか。日本の対極にあってエネルギーの量が違う。
この舞台も、大きくホリゾントに張った、スクリーンにガンジス川のステールが映し出され、それが主人公{マーヤ・酒井美来}の父が残した写真の作品で、そこからマーヤの異文化探索の旅が始まり、様々なインド舞踊が{主に群舞}が繰り広げられる。写真の選択も並べ方も、群舞への入りも振付
{中村蓉}もきれいにきまっていき、見ている間は気持よく珍しいインド文化をみてしまうが、さて、多様化時代の文化接触や交流がこれで進んでいくのか、何か成果がありそうだ、とは見えなかった。奥が深そうに見える、やっぱりインドは対極だな、と感じた。1時間半。

ポルノグラフィ PORNOGRAPHY/レイジ RAGE

ポルノグラフィ PORNOGRAPHY/レイジ RAGE

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2025/02/15 (土) ~ 2025/03/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

英国現代演劇の作家の同じキャストで二作連続公演。共に群衆劇でロンドンの今を描いている。舞台は「ポルノグラフィー」が2005年のロンドンオリンピック反対運動でテロが起きた日、「レイジ」は2015年暮れ。新年を迎えるまで。長い。計3時間20分。
前者が市民が混乱する中、個人とその周囲の数少ない人間関係が描かれ、後者は大晦日の風景の中での社会関係の花果の人々が描かれている。イギリス経験が豊富とは言えないが、いかにもイギリスの市民風景の中でヨーロッパに住む人々の現代の心情風景が多角的に描かれていて、始めて見る作家ながら、うまいものだと、感心させられる。まずは作家の旨さ。
前半の作品のスジはテロで犠牲になった56名の死者を呼び起こすようなスケッチだが、軸にセックスを置いて、そこへ現代社会のいらだちを反映させている。エプロンステージのような凹型の裸ステージを置いて、そこで出演者が次々と主に「語る」。一つのエピソードの出演は一人か二人解きに4人になることもあるが、それぞれ話は独立している。語るヒトの生活も違う。そこをつなぐのはロンドン地下鉄、トラムで、ロンドンの主要駅が次々に出てきて、そこでロンドンの生活感を担保するあたり上手い。まさかそれで日本の上演を世田谷線のホーム続きにあるトラムにしたわけでもないだろうが、そんなしゃれっ気もありそうな気がしてしまう。
演出は桐山知也。始めて見る若い演出家だが、前編をノーセットの閉鎖的な舞台に、後半は劇場中幕を上げて高さのある天井を生かして階段セットを4階まで作り、さらに客席までも使って市街劇の感じを上手く出している。後半のスジを運ぶのは中年のタキシー運転手と、酔っ払って車内でゲロを吐いた客の女。酒場で暴れて警官三人に抑えこまれる若い男。それを見ている孤独な初老の女。その騒ぎが起きる広場には穴があって、そこは未来に通じているらしい。こういうありがちな話の閉め方もうまいものでリアリティを崩さない。この演出家、前編、後編をきっちり分けてみせる手数も若いに似合わず上手い。これからか、ちょっと次も見て見たい。俳優はそれぞれいろいろな役柄を演じることになるが、半分以上は若手の芸達者がでているので長丁場も安心して見ていられる。
スタッフでは、音響が良かった。音楽がない分現実感を抽象音を巧みに選んで作品のリズムも作っていた。まぁこの劇場もよくできていると言うこともあるのだが。
イギリス演劇の底力がよく出た作品だ。

教育

教育

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2025/02/07 (金) ~ 2025/02/15 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

田中千禾夫はとりつきにくい作家だ。見た作品で覚えているのは子供の頃見た「おふくろ」と義理で見た「マリアの首」の二作くらいで、後期の前衛的な作品は、台詞や、と書がそれぞれ役になっているシバイとか、将棋の駒というのもあったかなぁ、亡くなった後に確か全集も出ていると思うが、そういう作品は忘却の彼方である。「教育」も題名からしてその手の普通人には難しい作品かと思って出かけたが、それはとんだ先走りの失礼で、さすが、一時代を築いた劇作家のいい作品だった。パンフによると、田中千禾夫は戦後、俳優座の劇作家の軸になって、千田是也とともに劇団を支えたとされていて、「教育」は昭和29年の作品。今取り壊そうかと言われている現在の俳優座劇場ビルが出来る前に同じ場所にあった元の俳優座劇場の爲に、と書かれた作品である。以前のこの劇場は初めて俳優座も劇場が持てたのでいろいろ面白い企画があって、劇場が建った後は毎週日曜の夜にやる「日曜劇場」という企画があった。そこでは小品の短編から喜劇などいろいろ見た、と言っても六十年も前の一夜だから殆ど覚えていない。三島雅夫が主演した作品があって、いつも映画で見る敵役の俳優が難しい役をこなしていてびっくりした。六本木交差点を縦横に走っていた都電で淋しい辻の(信じないだろうけど、夜になると足音も聞こえそうなホントに寂しい通りだった)昔話のだが、旧劇場から今の劇場へ行く間に学生から社会人になった年代の者にすれば。まさにこの作品が捧げられた劇場は「教育」になったのだった。公演は満席で最後のⅢ席の一つに滑り込んだ。これもご縁である・

ネタバレBOX

田中千禾夫は若い家から演劇作家の第一人者のようになったが、もともと、偏屈人だからヘン話は沢山ある。鴻上の作風を嫌って生前は鴻上の岸田賞にいつも反対して、長く岸田賞を何度も候補になりながら受賞しなかった有名な話があるが、聞けば、そうだろうな、だろうな、と思ってしまう。「教育」は堅苦しいタイトルだが、女が女になっていく(と書いただけでセクハラになりそうなご時世だが、ここはそう書くしかない)過程を父親という男性、社会で出会う男性との交渉から描いた作品である。場面設定がまるでイプセンか?と言うようなヨーロッパの金持ちの家に設定してあり役名も西欧風、それに漢字の当て字をしていたりしてスタイリッシュである。登場人物は月に一度、島から金を届けに来るだけの老地主の父親(加藤佳男)とその妻(瑞木和加子)、娘に椎名慧都。娘が、勤めている病院の医師(野々村貴之)、それに女中(稀乃)の五人。夫婦の間は冷めていてお互い勝手に生きていて、それにも飽き果てている。この環境で父の男は娘が実子かどうか分からぬがどうする?と娘を教育し、病院の先生は男はどうかね?と、娘のレゾンデートル(田中センセイに習って、ちょっとフランス語を使ってみた)を問う。この時代の新劇の本はこういう風に西欧の戯曲を勉強したんだな、とよくわかる作品である。とにかく、どちらかというと今となればつまらない内容なのに、台詞の組み方などはさすが!さーすが!で今時こんな台詞が書ける人はいないだろう、と思う。俳優陣も台詞に付いていくのに苦労しているがそこはここも俳優座、さーすが!だが、そんなに堅くなるシバイでもないよ、という感じでもある。で、女中役の稀乃が一番得をしている。
田中千禾夫は真面目な顔をして結構エッチだったと言うことはどこかで読んだことがあるし、妻の田中澄江に「夫の始末」という家庭内暴露されたこともあり、名誉毀損にもならないと思うが、なかなか奥の深い昭和の劇作家だったと思う。

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