福さんの観てきた!クチコミ一覧

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楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~

燐光群アトリエの会

梅ヶ丘BOX(東京都)

2016/04/27 (水) ~ 2016/05/10 (火)公演終了

満足度★★

女優という生き物は・・・
悲しくも羨ましくもある生き物なんだな、と感じる。
ここで描かれる物語が女優の全てではないことは重々承知の上なのだが、それでも一つのもの悲しさを感じた。

ネタバレBOX

清水邦夫の戯曲の中でも名作と名高く、女優であれば誰もがその物語を欲する「楽屋」。
しかしながら数多ある上演団体の中でも、中々これといった上演に巡り合えないのは、それだけ俳優に繊細な作業が求められるからではないだろうか。
女優であることを諦めきれず、死してなお、この役は自分がいつか、と夢見る悲しい女達。既に役柄の年齢を大きく過ぎてしまってなお、この役柄は自分のものであると自らを奮い立たせる女、役を降ろされてしまってなお、この役は自分のものであると引けない女。
きっとこういった感覚は女優に限らないのだろう。諦めきれない、第一線で動くことのできない自分と向き合えない、認められない。それでも、それをどこかでわかった上で日々を繰り返す。

今回の楽屋はそのもの悲しさへフォーカスが当たっていたように思う。だが一点口惜しさを感じたのは、梅が丘BOXという空間の中での誇張された演技である。
芝居の中で、女優としての衝動を抑えきれずに役柄のセリフを朗々と口に出していくそのエネルギーは必要だったように思うが、それでもそことの落差、一人ひとりの持つ葛藤などはどうしても誇張された演技がフィルターをかけてしまっているように思う。もちろん好みの問題でもあり、観客それぞれの感想は違うだろう。それでも、その空間に適した大きさでの演技を欲するし、俳優個々の持つ繊細さを観たくなってしまう。小さな空間であればあるほど、「楽屋」という作品は捉えどころが異なってくるのだろう。
わかば

わかば

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2016/05/01 (日) ~ 2016/05/09 (月)公演終了

満足度★★★★

偏った人達の偏った愛情
アトリエ春風舎にて75分。
うさぎストライプは何度目かの観劇となるが良作にめぐり合えるのは幸せな経験である。

ネタバレBOX



縛られている男。
舞台が明けて目に飛び込んでくるのは部屋の中、縄で縛られている男だ。
そして男は器用に靴のかかとでPCのキーボードを叩く。だが履いている靴も赤のハイヒールである。
だがそこに悲壮感や特殊な性癖を感じさせるものはなく、何かの事件性があるものではないことがわかる。

帰宅する女。
就職活動中であると思われる女が帰ってくるが縄はそれでも縛られたままだ。女が食事の準備を始めるが出てくる食事もなぜかぬいぐるみ。そしてそれをなにごともなく食べ始める二人。何かを意図しているようにも見えて意図していないようにも見える。そこに観客は意味を見出そうとし、自然と集中力が上がる。

話が進むにつれて二人の関係が義理の兄妹であることがわかる。
いなくなった、妻である女を自分の家で待ち続ける男、そして妻の代わりとして居続けようとする妹。安っぽいドラマであればそこから愛情に発展して物語が・・・となりそうなものではあるがこの物語はそうではない。
男はいなくなった妻を愛し待ち続け、妹はそんな兄に好意を持ち、姉の代わりでもいいからと居続けようとする、そんな二人の日常が少しずつ変わっていく。
ある種の歪んだ愛情と歪んだ関係性でつながる二人の物語は幸せなようにも見えて悲しいようにも見える。この話の中でも大池の演出は光る。
独特の身体性を持たせつつ日常の会話を繰り広げる二人のやりとりは、見ている観客に疑問を投げかけるとともに、やりきれない、内に秘めた感情に抗おうとする人間のあがきのようなものが見えるのだ。

うさぎストライプの新作は、繊細な心理描写の中でそれでも無意識にあがこうとする愛おしい人間達の物語だ。
全然合わない

全然合わない

艶∞ポリス

OFF OFFシアター(東京都)

2016/02/25 (木) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★

下衆い人間達・・・
まず単純におもしろかった。
登場人物の誰かしらに共感できるかと言われるとそんなこともなく・・・だがこれはある種ののぞき見感覚に捉われるのではないだろうか。
出てくる人間が、よくぞここまで・・・とばかりに下衆な人達だ。そしてそれぞれが持つ価値観は誰とも共有できないままに周りに人達の状況が明かされていく・・・。
作家は何を思ってこれを書きたくなったのだろう・・。怖い物見たさがあるのであれば艶ポリスは通うべきなのかもしれない。。。

蒼

studio salt

神奈川県立青少年センター(神奈川県)

2015/10/22 (木) ~ 2015/10/25 (日)公演終了

満足度★★★★

大人になって受け入れなくてはいけないことなどいくらでもある。
慌ただしさにかまけてつい時間が・・

大人になって受け入れなくてはいけないことなどいくらでもある。
そう感じさせる舞台だった。スタジオソルトは前回の「バルタン」に続き2回目の観劇であるが、今回は前回の激しい緊張感とは全く違った作風となっており、若干の戸惑いを感じるが、調べてみるとスタジオソルトには2本の路線があり、一つは前回のような社会的な事件をモチーフとしたもの、もう一つは比較的ライトな、というと語弊があるかもしれないが日常を切り取るかのような作風があるそう。
今回は後者になるようであるが、私の年代からすると、胸に突き刺さるような話であった。

高校生の頃若気の至りで、風船おじさん(確かに当時話題になっていた)の真似事をして飛ぼうとした男が試みに失敗し長年の意識不明となってしまう。その男が目覚める前と目覚めた後での人々の関係性の変化、男が過去とどう向き合い、前を向けないまでもどう落とし前をつけて人生の一歩を踏み出すか、ということを描く群像劇となっている。
物語はシンプルな印象を受けるが、それでも強く印象に残るのは、やはり話を描く椎名泉水の視点なのではないだろうか。今回は椎名泉水が作・演出、という形となっている。これも前回のバルタンとは違う点だが、これにより俳優に求められることも違うのだろう。前回は舞台上の空気感が印象に残るが、今回は俳優それぞれのイメージのようなものがとても強く印象に残る。結果として若干話の筋が見えにくくなる可能性も否定はできないが、私には充分許容範囲であったように思う。
今回の作品でも感じるのだが、スタジオソルトの作品はある種の普遍性、様々な人が見て共感できる部分がとても多いと思う。それでも一種のエンターテイメントにはならずに人生のほろ苦さをテイストとして残していく。ここがもしかしたらスタジオソルトなのかもしれない。この世界観を理解しきるにはまだもう少し時間がかかりそうだ。

天麩羅男と茶舞屋女/FRIENDSHIP【ご来場ありがとうございました】

天麩羅男と茶舞屋女/FRIENDSHIP【ご来場ありがとうございました】

青春事情

神奈川県立青少年センター(神奈川県)

2015/07/16 (木) ~ 2015/07/19 (日)公演終了

満足度

取り扱う題材はおもしろかったが・・・
<1作目 天麩羅男と茶舞屋女>
時の内閣総理大臣、犬養毅を殺害した5.15事件の裏でもう一つの暗殺計画が企てられていた、それが喜劇俳優のチャールズ・チャップリン暗殺である。そして氷川丸に乗り込んでいたチャップリンとそこに暗殺の命を受けて女中として乗り込んでいた女マリを巡る物語。構想や取り扱う題材としては非常に興味深いものであった。しかしながら物語に入り込めない時間が続いた。
昭和史や歴史物など史実ネタ、というのは非常にドラマチックなりうるがとても扱いに難しいという印象がある。
それはその当時のイメージ、というものがよくありがちな戦争物などに固定され、演じる側や演出する側もそのありがちなイメージから抜けきれないからなのではないだろうか、といつも考える。
今回のもまさしくそれだった。役柄のありがちなイメージを演じる俳優、そしてそれを拭いきれない演出、というのが物語を少しつまらない物に見せていた感じがした。作家の川田唱子の作品は初見だったが、まだ若く、もちろんまだ多くの伸びシロがあるのだろうと思う。そのような意味では今後に期待したい。


<2作目 FRIENDSHIP>
当団体も私は初見だった。単純におもしろかった、というのが感想だが、一つどうしても引っかかってしまうのが、そもそもこれは氷川丸を題材とした作品を2つ、という企画であったはずなのに、この青春事情の作品は正直、氷川丸じゃなくても、クイーンエリザベスでも、それこそ飛行機でも宇宙船でもなんでも成り立つ作品だったのではないか、というところである。氷川丸じゃなくては成立しない作品、というものだったのであればもう少し違った感想が持てたのかもしれない。しかし、2つの作品を並べた時のバランス、という意味では好ましい流れだったのではないか、とも思える。

彼らの敵

彼らの敵

ミナモザ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2015/07/25 (土) ~ 2015/08/04 (火)公演終了

満足度★★★★★

全てが高いクオリティ
アゴラ劇場にて 120分

地面に月が映っているように見える。
一見幻想的にも見えるシンプルな舞台装置には、よく見ると客席から見て右手にテント、左手にデスクと、
場面転換の多さが予想されるものが置いてある。


そして私は開演と同時に舞台上にくぎ付けになった。
目まぐるしく変わる場面、そしてそれをシンプルな明かりや役者の身体で見せていく構成。
演劇の楽しみというのはまさしくこういうものではないだろうか、というのが大きな感想である。

しかしそれだけでは120分も見せられるものではない。
とにかく演じている俳優陣が良かった。
そして瀬戸山美咲の切り取るメディアや社会の一部というのは、とても他人事とは思えないような臨場感を感じさせてくれる。
1991年に実際に起きたパキスタンでの邦人拉致、それに伴うマスメディアを、フリーライターである服部貴康を中心として描いた物語である。
ストーリーとしては拉致されてから解放までの経過と、その後のメディア対応や服部の葛藤を、現在と過去に分けて進めていく構成だ。

私は正直、社会情勢やメディアとはどういうものか、といった知識に疎い。しかしながら、メディアとは何か、どうあるべきなのかを考えさせられてしまう。
もちろんそこにはきっと私の知りえない環境や社会があり、理想論ばかり言えないのが現実なのだろう。それでも今の現状とどう向き合うべきなのか、社会とどう折り合いをつけていくべきなのか、といった身近な問題にまで落とし込んでくれるような舞台だった。


実際に取材されていないのに取材をしたかのように書き連ねる雑誌社。その影響で拉致解放後の服部達は、一方的な情報を得ただけの人間から多くの迫害を受ける。
実際に雑誌社に訂正文書の掲載を求めても訂正を認めない。そしてマスメディアに失望する友人、生活の中で自分を押し隠し雑誌社でのフリーカメラマンとして働く服部。
そこには、ジャーナリズム精神を言い訳に自身の生活を守るためだけに写真を撮り続ける現実がある。

きっとこういうことは実際にいくらでもある。どんな企業でも大なり小なりあることなのではないだろうか。そんなことを考えた。
上演中、何度も胸を掻きむしりたくなるような気持ちにさせられた。

それはジャーナリズムへの理想と現実、その中でも折り合いをつけられる者、去る者、割り切った考え方を出来る者、自分を偽れる者、多くの人間がおり、それを
演じる俳優陣が見事に演じ分けていたからではないだろうか。
本当に見事な舞台だと思った。是非こういう舞台が世に増えることを願ってやまない。

バルタン

バルタン

studio salt

神奈川県立青少年センター(神奈川県)

2015/05/14 (木) ~ 2015/05/17 (日)公演終了

満足度★★★★

独特の世界観と筆致
「バルタン」神奈川県立青少年センター 多目的プラザ 70分

ワークショップの成果発表というのが大元のコンセプトのようだが、これはその成果発表のレベルではなく、番外公演と銘打つ気持ちもわかる。

会場に入るなり目につく机と椅子。そして美しい照明。
この作られた空間が美しくもあり、ある種異様な雰囲気を感じさせもする。
非常にシンプルな舞台装置なのに物凄く丁寧に世界観を作っている印象だった。

照明が付くとそこには何かを作っている男たちが数名。
男たちの関係性は見え隠れするものの物語の本筋が見えてこない。
しかしながらそれをずっと見ていられたのは役者の集中力と細かな演出のなせるわざなのではないだろうか。
感情の機微やそこに至る過程を緻密に見せていたように思う。


一人の男を煽るように話をしていく4人の男。そこから、この空間が捕えられている者達によって構成されていることがわかる。
そしてこの不透明な異様さは唐突に表れた二人の女子高生によって明かされる。男たちが捕えられ、逃げられなくなっていること。
この場を支配しているのが女子高生であること。
そして女子高生の機嫌によって「バルタンゲーム」が行われ、それに負けたものは死を迎えなくてはならない。
そこから逃げ出せないがそれでも生きていたい男たち、死を与える立場だが、同時にそこに少しの疑問を抱く女子高生。
この大枠の2つのラインから外の世界を見せていくことはなく、あくまでこれを個人の問題として落とし込んでいるような印象を受ける。
近年でのイスラムの問題等に絡めていると感じる。

私がとても好ましく思ったのは、この状況説明や関係性を殊更に語るようなことをしていない脚本に対してだ。
役者、演出家は想像力を最大限に駆使せねばならず、なおかつ本の意図も組んでいかなくてはならない。
とても大変な作業を強いられることになるが、それを表現できた時、フィクションでありながら強いリアリティを感じさせる作品が出来上がるのではないだろうか。

私は当団体は初見であるが、作家 椎名泉水の描く世界観というものをより深く理解したい、という衝動に駆られた。
社会的なテーマを扱いながらも、ある種の虚構性を持った世界として描こうという姿勢が好きだった。
そして驚くのは当日パンフレットの文章だ。舞台を見たあとにもう一度読み返すとその世界観がしっかりと伝わってくる。
もちろんすべてが100点の舞台など存在するはずもなく、全てが素晴らしいというわけではない。
個人的にはあとほんの少しだけ、結末に向かう各々の関係性が見られる部分があってもよかったとは思うが、これは本当に私の好みでしかない。
この世界観を野暮ったく語りすぎることで作品の精度が落ちることは間違いなく、そのバランスが非常に難しい脚本であると感じた。

こういった少し重めのテーマを扱う作家は個人的には大好きだ。恐らく今後も通う団体になるだろう。きっと私は椎名泉水の世界観の片鱗しか見ていない。

パンクドランカー

パンクドランカー

神奈川県演劇連盟

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2015/04/29 (水) ~ 2015/05/02 (土)公演終了

満足度★★★

メロコアとはまた違う・・・。
神奈川県演劇連盟プロデュース TAK IN KAAT
「パンクドランカー」
作・緑慎一郎 演出:笹浦陽大 神奈川県芸術劇場 120分


劇場に入った瞬間に高揚していく自分を感じる。舞台上にあるのはよくある?居酒屋風のセットと、そしてそこに存在感を放つライブ会場(厳密に言うとライブの舞台面)。
冒頭の演奏シーンから役者の躍動感を持った演技が繰り広げられる。
青春群像劇、神奈川では珍しくガッチリとしたエンターテイメント性を感じるお芝居。
エンターテイメント性を感じさせるお芝居、というのは定義も広く、私も自分の中での定義付けとして難しく感じるが、この「パンクドランカー」は質の高いエンターテイメントの作品として成立していたように感じる。
今回のネタは30代の半ばを過ぎた大人が中心で、当然音楽もその年代のものとなる。私も、少し上ではあるがその年代のパンクロックと言う音楽にハマっていた人間なので違和感はない。当時のメロコアブームの中で立ち上げたバンドの一つ、というのは納得のいく設定ではある。

ネタバレBOX

物語は15年前から始まる。4人の若者が実際のバンドを見た所から「自分達もやりたい!」という特に大きな志もないままにバンド(パンチドランカー)を始める。特に大きな理由がない、という安易さがその年代の若者の持つエネルギーの無尽蔵さを感じるのだが、当然それは終息も簡単で、ありがちなバンド内メンバーのケンカ、という理由がバンドを終えた理由だ。

そして時間は変わり2014年。
元メンバーが働く居酒屋に当時のメンバーやライバルバンドだったメンバーが集まることで物語は進んでいく。パンチドランカーのメンバーの一人(マサト)がバンドの解散ライブを行いたい、と言い始めるが、メンバーの一人、バクはそれに難色を示す。
一瞬の再結成をしたいと言い出したメンバーには子供がおり、自分は足に骨肉腫が発生していることを告白する。それを知ったバクを含め周りのメンバーは再結成を決意して最後にライブを行う、というのが大きな筋である。
しかしながらこのような群像劇を行うにはとても緻密な部分に目を光らせていかないといけない、と私は思っている。なぜなら、よくテレビや映画で見る青春物の類型的な演技で雰囲気だけが成立してしまう可能性が高いからだ。
その為、いくつかの違和感を感じた部分はあった。ただし、これはあくまで私の一感想であるのでこれが気にならないという人ももちろん多くいるだろうと思う。
居酒屋に集まったマサトは自分の事情は隠し、他のメンバー(アキ)がもう病気で長くないと嘘をつき、解散ライブを行おうと話し出す。その後、アキは元気に居酒屋に入ってくるのだが、他のメンバーはアキが病気であることを信じている、という場面がある。このチグハグさはおもしろいのだが、そうなると少し合点がいかない部分がある。再結成を反対しているが事情を聴いた上で葛藤しているバクはアキに対して「昔のことを謝ったら再結成してやってもいい」という言い方をするのだ。非常に好戦的な物言いで当然ながらケンカとなるのだが、アキの事情を知った上でそれを言うのだろうか?だとしたら事情を知ってまでアキを憎むバクのモチベーションはなんなのだろうか、という部分が気になってくる。しかも、当時のことを謝れ、といったのは自分の好きだった女性をアキが奪ってしまったことだったのだ。そしてその女性は久しぶりにでも会えたりする関係性でもある、という。そうなるとそこまでバンドの再結成を断り続ける、ということに若干のご都合主義を感じてしまう。
とはいえ、ここは演出、本の解釈や役者の表現次第で解消できる部分ではあると思う。

また、これは私の好みなのだが、既に社会に身を置き、もう一度青春をやり直したい、という芝居としては役者の年齢層が若干若すぎるように思う。バンドメンバーが全員20代中盤に見えてしまい、むしろ、高校時代の演技が合いすぎて、そこから時間が経過してから変わってしまったこと、それぞれのバンドに対する思いや葛藤が見えにくくなってしまった部分はあった。
これから~2015version~

これから~2015version~

アンティークス

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2015/03/06 (金) ~ 2015/03/08 (日)公演終了

満足度

伏線の回収が・・
阿佐ヶ谷アートスペースプロット 100分。

人が生き方を変えられる時、それは自分の過去と他者からの想いを知ったときなのかもしれない。
アンティークスの作品は常に希望が描かれる。そしてそれと共に筆者が感じるアンティークスの特徴は「ファンタジーと現実との境界」である。
それを非常にシンプルなセットや音楽で見せることで観客に優しく物語を送り届ける。それがコアな観客層を捉えて離さない要因であると筆者は考える。

ネタバレBOX

舞台の中央には円形のベンチのようなものとその円の真ん中に六角形の支柱兼テーブルが据えられており、その上には雑多に物が置かれている。
とある一室に女の子(以下、しのぶ)が帰ってくるところから物語は始まる。
まだ若い年齢ながら人生への疲弊を漂わせるその姿、一人部屋を見回す、サボテンに話しかける、ふとした動作の一つ一つが観客を物語へと引き込んでいく。そしてある一本のビデオテープをデッキへ押し込む。しかし点かないビデオテープを尻目にしのぶは横になり目を閉じる。すると次の瞬間に母親とのこれまでの日常が始まるが何かが違う。同時にしのぶは部屋の中でふとした人物に目を留める。そこには全身真っ黒のもじもじ君のような子が佇んでいる。2014年秋に上演された「かなたから」に登場した、あの「ケケケ」である。そしてここで筆者はいくつかの期待感を抱く。「このケケケが一体どのような理由で登場したのか」、「どの筋の伏線となっているのか」といった部分である。
このケケケの存在によりなぜか過去に飛ばされたしのぶはそこでしのぶを生む前の独身時代の母と出会う。そしてそこでも、なぜ過去に来たのかという理由は明かされず、ケケケの二人と母、そしてしのぶは共同生活を始めるのである。
共同生活を営むうち、母が付き合っていた男性の子を妊娠するが、母は男性に別れを告げる。
実は母は眠り病の奇形種であり、あと数年で意識がなくなるというのだ。それを知った瞬間にしのぶの時間はまた飛んでいく。ここで筆者はようやく気付く。「これはしのぶの意識内ではないだろうか」とすれば全く持って理由のわからないケケケの存在や過去に飛ぶ理由も辛うじて説明がつく。そして次の瞬間にはしのぶは過去のみを見続けることとなる。このあたりから物語は難解な方向へ向かっていく。意識内であるのであれば、しのぶ自身の周辺の過去をしのぶがわかるはずがない。しかし過去にタイムスリップしているのであれば今度はケケケの存在や過去を見せられる理由、ケケケ達がそれを見せたい理由の想像がつきにくいのだ。

母がしのぶへと綴り続けるビデオレター、事情を知らないしのぶが他愛ないことで母を責める姿。それを笑顔で受け止める母。しのぶはこれまでの自分の人生を悔いるように過去を見つめ返していく。

全てを知った時、しのぶは初めて目を覚ます。そこは病室であり、母のそばである。しのぶが初めて母への感謝を口に出した時、母の意識が・・・というところで物語は終わりを迎える。

アンティークスの作品はなぜか伏線が回収されないことが多く、また難解な解釈を求められる状況が多いが、これにより混沌とした世界の中で美しく輝くある種の人間の普遍性を感じるのも事実である。
今回の作品でいえば、ケケケがしのぶの元に登場し、父・妹に成り代わった理由、しのぶが過去に飛ぶ理由、しのぶが一体どうして病室で目を覚ましたのか、といったことは全く語られていない。また、作中にしのぶの親友なる人物との出会いやエピソードが非常に丁寧に描かれるのだが、この親友のエピソードはその後何にも繋がらないのである。

しかしながら演じる側の俳優達と演出との非常に蜜な信頼関係が感じ取れるのはこういった難解な世界観を表現していく中では非常に大きなことである。アンティークスの、まるで一つずつ謎を解いていくかのような、見る側の想像力を試されるような作品に出会えるということは自身の観劇人生において非常に稀有な時間であり、演劇の多様さや自由さを感じられる貴重な瞬間である。

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