ミスターが投票した舞台芸術アワード!

2017年度 1-10位と総評
「標〜shirube〜」

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「標〜shirube〜」

劇団桟敷童子

17日、知人・もりちえの所属する劇団桟敷童子の公演『標』を観てきた。最近、数人の団員が退団したのを受けて新しいメンバーに加え、演劇集団円から数名の出演も得て、新生桟敷童子の本格的始動開始第1回公演とも言うべきもの。

舞台は戦争末期から終戦後にかけての寂れた港町。生け贄を捧げると現れるという蜃気楼に死んだ夫などとの再開を夢見る女性7人が、脱走兵で生け贄になるのを承諾した男3人をいざ生け贄にしようとすると、蜃気楼を生むために必要な海風が止まってしまい困惑する一同。そこに脱走兵をを護送していた上官(実は彼も脱走兵)や生け贄行事を止めさせたい港町の人々が加わり、蜃気楼を巡って鬩ぎ合う。やがて、蜃気楼で夫が帰ってきたという女性や、上等兵の拳銃で撃たれて命を落とす女性も出てきて、7人の女性は1人となり生け贄行事も立ち消えに。蜃気楼を呼ぶ神への「ホ~ホ~ホ~。ホッダラホイヨ~」という呪文が耳に残り、最後に舞台全体に広がる紅の風車が目に焼き付く、笑いも起こるが悲しい物語。

見終わって思ったのが、この舞台の発想が、過去の上演作『風撃ち』を主軸に『海猫街』をスパイスとして加えたような印象であったこと。「生け贄」「最後には1人になって待つ女性」というテーマが、作者である東憲司の頭に染みついているようだ。

役者としては、主演ワタリを務めた演劇集団円の朴璐美の演技が秀逸。また、元教師で女7人衆の1人リュウを演じた板垣桃子の演技も良い。男性陣では脱走兵4人が時にはコミカル時には悲しい演技で魅せた。その他の役者達も、手堅い演技でさすが桟敷童子という思い。全18公演ほぼ完売という力はさすがであろう。次回作『翼の卵』も期待したい。

「蝉の詩」

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「蝉の詩」

劇団桟敷童子

4日午後、すみだパークスタジオ倉で上演された劇団桟敷童子公演『蝉の詩』を観た。
始めに書いておくが、今年観た舞台の中で、脚本・演出・役者の3点すべてが充実していた大変優れた舞台であった。

舞台は、元自宅のあった周辺に出来た公園でホームレスを始めた元アイスクリーム屋の蝉への独白、そして子供の頃の回想で始まる。炭鉱から出る石炭運搬を主な仕事としている鍋嶋舟運送一家と、その中心的取引相手とは聞こえは良いが、要は舟運送に仕事を回してくれている土井垣鳴明堂。娘が刺し殺そうとまで思い詰める鍋嶋の親方で通称・鍋六は飲んだくれで金遣いが荒い。将来舟運送が下火になると察した長女・壱穂はトラックを使った陸運、次女の菜緒はアイスクリームが名物の食堂を始める。10代半ばで米兵に犯された過去を持つ三女の輝美は母親の好きだったレコードを聴きながら部屋にこもり、鍋六がどこからか連れ帰ってきた四女の織枝は高校へ進学する。土井垣から受ける仕事でなんとか続く鍋嶋一家。しかし、過労とヒロポンで壱穂は事故死、菜緒は病死、輝美は恋人にレイプされたことを告白した反応に悲観して自殺。すべては鍋六の放蕩三昧が原因とあって怒りの織枝は鍋六を包丁で刺すが、娘を殺人犯に出来ぬと舟に乗って姿を消す。残った織枝。そして土井垣の女社長が取り出した自社製オルゴールから奏でられた音楽は、輝美が愛したレコードの音楽のそれであった。
菜緒から製造法を伝授された織枝はアイスクリーム屋を営むが、結局上手くいかず今は年老いてホームレスとなって故郷に戻ってきたのであった。
苦労が大きく幸せは一瞬という人間の生涯を、蝉の一生に重ね合わせた悲劇の連鎖劇。

テーマが悲しく重いからであろうか、桟敷童子にしては笑える演技をいつもより多くちりばめて悲しさを和らげていたのは、観客への配慮か、脚本・東の執筆中の心の痛みを和らげるためか。いずれにせよ、それはそれでよい効果を上げていた。
役者としては、鍋六役の佐藤誓、その長女・壱穂役の板垣桃子、土井垣の女社長役のもりちえ、開演前から舞台で演技をしていた老婆(晩年の織枝)役の鈴木めぐみの4人が出色。四女・織枝役の大手忍も好演で会った。
名前は挙げていない他の役者達の熱演も素晴らしかった。
客演役者をも巻き込んでの桟敷童子魂炸裂。よい舞台を見せてもらった。

「うるさくて、うるさくて、耳を塞いでもやはりうるさくて」

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「うるさくて、うるさくて、耳を塞いでもやはりうるさくて」

劇団時間制作

2日午後、中野の劇場MOMOで上演された、劇団時間制作第13回公演『うるさくて、うるさくて、耳を塞いでもやはりうるさくて』を観てきた。過去に知人の役者が数回客演しており、観に行くたびに「難しいテーマをよくここまで舞台として作り込んだなぁ」と感心させられる劇団なので、今回も観に行くことにした。AB2チームが交代で演じている舞台のうち、自分が観たのはBチームの舞台。


一口で内容を言うなら、統合失調症になった人間をめぐり、その周りの人間達の友情や家族愛のせめぎ合いと揺らぎを表していた。

友人どうしてアパートの大家をやっていた2人の女子のうち1人(山下麻子・役名。以下同じ)が恋人との別れがきっかけで統合失調阿庄となり、不可解な行動を取るようになる。それを支えようとする相方の小林佐枝子や2人の友人でアパートの住人でもある証紙の関谷春代。病気になっても麻子を支えようとしていたのは、アパートの住人達も同じ。しかし病状はますます悪化し、近所で通行人が暴行されて意識不明になる事件が起き、麻子が犯人では内科という疑念が人々の心の中に生まれ、麻子の兄は彼女を精神病院に入院させる決心をする。入院に賛成するものと反対するものとの口論、個々の気持ちの葛藤。暴行された被害者の恋人がアパートに弁当を納入してくれている弁当屋とうこともあり、自体はますます複雑に。結末は悲惨さと悲しさあふれるモノで、その直前に語る佐枝子の台詞に考えさせれれた。舞台タイトルは、その時の台詞の一節である。

個人的に、自分の周りにも統合失調症の知人が数人居るので、今回の舞台は他人事とは思えない気持ちで観ていた。むしろ、観ていて気持ちが締め付けられるというか、思いモノとなった。しかし、この難しいテーマを100分という時間に上手く収めた原作・脚本の谷の力にまず感心。縁者では、小林佐枝子役の前田沙耶香と関谷春代役の澤村菜央がなかなかの熱演。それにアパートの住人で関谷の教え子である長道里美役の西田薫子が地味ながら良い演技を魅せていた。

重いテーマで何度も観たいとは思わない舞台ではあったが、完成度としてはここ数回観た時間制作の作品の中ではずば抜けている。息抜きに笑える箇所もあったが、それがなかったら見続けるのはしんどかった。観る者を暗い気持ちにさせながらも舞台に集中させていく手腕の巧さ。恐ろしい劇団である。よい舞台を魅せてもらった。

夜の来訪者と朝の来訪者

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夜の来訪者と朝の来訪者

制作「山口ちはる」プロデュース

8日午後、下北沢のOFF・OFFシアターで上演された『夜の来訪者と朝の来訪者』を観てきた。これは、プリーストリー作、山崎洋平(江古田のガールズ)演出の『夜の来訪者』と、小林光(江古田のガールズ)作・演出の『朝の来訪者』を、各々日時を変えて対として上演しようといく企画である。厳密に言うと、作品内容からは対となる作品では無いらしいのだが、それはともかく、自分はこのうち『夜の来訪者』上演2チームのうち月チームの上演を観た。プログラムによると、この月チームの舞台はシンプルでオーソドックスなものではなく、主演となるグール警部役のカトウクリスによる『夜にクリス来襲』という感じに仕上がった舞台らしいかった。
いずれにしても、「江古田のガールズ」系の舞台は初めてだったので、期待して観に行ったのであった。


話は複雑なようで単純。家族と娘の婚約者とで内祝いをしていた街の実力者の家に、1人の警部が尋ねてくる。なんでも、若い女性が薬を飲んで自殺した件に関して、一家に聴きたいことがあるという。最初は見知らぬ女性だと思っていた自殺者が、実は内祝いをしていた父親の会社の元従業員であり、娘の行きつけの洋服屋の店員であり、婚約者の元同棲相手であり、母親が議長を務めている「援助を必要とする女性へ援助する委員会」で援助を拒否した相手であり、一家の息子の子供を妊娠していたことが順次明らかになる。しかし、警部の帰った後、父親は警察へ、婚約者は病院に事実確認を行い、該当する警部や自殺者が居ないことを知り、一同その夜に明らかになったことを無かったことにしようと思い始める。しかし、そこに一本の電話が。若い女性が自殺し、その件に関して話を聞きたいので刑事を差し向けるという。一同、ぎょっとして顔を見合わせる。

プログラムにあったように、主役・グール警部の存在感が大きい。これは、演じていたカトウクリスの役者としての力に依るところ大だろう。次いで好演だったのが、、娘を演じた山口栞。好演というか熱演だったのが、父親役の真心。客から笑いも泣きも引き出さないにもかかわらず、客の目、いや神経を舞台に釘付けにしたことは、芝居原典とも言える形態のこの舞台全体のレベルの高さを物語っていた。客席に空席があったことが残炎。こういう舞台は是非観てもらいたい。

腰巻おぼろ 妖鯨篇

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腰巻おぼろ 妖鯨篇

新宿梁山泊

19日、新宿花園神社境内特設紫テントで上演された、新宿梁山泊第60回公演『腰巻きおぼろー妖鯨篇』を観てきた。

唐十郎作、金守珍演出という、アングラ色の濃い舞台となることは予想済み。


舞台は、捕鯨船のモリ撃ち破里夫の遺品のゴム長靴を、彼の彼女(妻?)であるおぼろに渡すため、彼女を探し、探し当ててからは一緒に生活を営むようになったガマという少年の波瀾万丈な生き様に、元船長であり今は占い師の千里眼やヤクザなどが絡み合ってくる複雑というかドタバタ的というか、かといって物語の中心線は崩れない不思議な作品だった。

主演のおぼろを演じた水嶋カンナ、ガマを演じた申大樹の熱演が光っていたが、大鶴義丹や大久保鷹の存在感、6人の女達の活躍が印象的でもあった。
終演間際では、恒例の水を使った演出(6人の女たちは人魚となり、おぼろは海に入っていくというもの)はなかなかの盛り上がりよう。
いやぁ、この団体の舞台感想は、本当に書きにくい。あまりにも内容がてんこ盛りで、どこをどう取り上げてよいのか混乱してしまうからだ。
笑いの要素も交え、休憩を挟んだ3時間30分の大作にどっぷりと見入った夜であった。

普通

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普通

劇団時間制作

2日午後、新宿のサンモールスタジオで上演中の劇団時間制作第14回公演『普通』のBチーム公演を観に行った。この劇団は毎回考えさせされるテーマを選んで上演するので欠かさず観るようになった団体。今回、Bチームには知人の高坂汐里が出演している。

先にも触れたが、この劇団の上演演目のテーマは毎回重く、それを観客に見せていく過程も重い。これだけ重いと普通は観たくなくなってくるのだが、それが不思議と舞台の進行に観客はのめり込んでいき涙を流す。いやぁ、これは凄い事なのだ。脚本の谷、恐るべし。
今回のテーマも普通。その普通というテーマを浮かび上がらせるために使ったのが、姉弟妹の高木3兄弟の末娘が殺され、時効まであとわずかという状況設定。残された姉弟にとって、今現在、そして時効後、普通の生活は訪れるのだろうか。母親のやっていたスナック虹の従業員たちにとっての普通とは? 店出入りの酒屋で実は殺人犯の普通とは? 高木弟が周りの人々に問い詰める「教えてくれよ、普通って何なんだよ!」という言葉が、観る者の心に突き刺さる。
知人・高坂はスナック虹の雑用係役で出演。彼女の存在が舞台進行上に果たす役割が若干曖昧だったのが残念。これは、役者力と言うより脚本側の問題だろう。
演じ手としては、いつも張り切りすぎて空回り気味の田名瀬偉年(高木弟役)が今回は秀逸だったし、フォンチー(高木姉役)、高木弟の恋人でスナック虹従業員橋爪役の武井麻紀、酒屋で犯人役の熊野隆宏の熱演が目を引いた。

この劇団、欠かさず観たい。脚本の谷、もう少し洗練された脚本が書けるようになれば、鶴屋南北賞も夢では無いだろう。

民宿チャーチの熱い夜15

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民宿チャーチの熱い夜15

デッドストックユニオン

毎年夏と言えば、恒例となったデッドストックユニオンの『民宿チャーチの熱い夜』。などと偉そうなことから書き始めたが、今年で15回目を迎えるこの公演を初めて観たのは知人の役者が出た昨年のでありました(苦笑)。

教会を改装して営業している沖縄の民宿チャーチ。今回は、その民宿の名物従業員・インド人のチャダを取材にきた地方のテレビ局のスタッフ達と,チャダを師匠と呼ぶ若者と、チャダを含む民宿の関係者達の心の触れ合いを2時間15分にまとめた舞台。テレビ的に過激な内容を密かに画策するテレビクルー達と、親友のいじめを見て見ぬ振りをして結果として自殺に追いやったと思い込み、基地反対沖縄独立を傍観しているだけだはなく実力行使をすべきという若者の心の葛藤がおりなすドタバタに、チャドの勘違いが拍車をかける。

笑えるし、しんみりさせるシーンもあるのだが、半紙の展開が結末が、昨年観た14の時に似ている。どうも、回数を重ねるとシリーズ公演は構成内容が似通ってくるようだ。
前半の密度の薄さに「この先大丈夫?」と思ったのだが、後半に行くにつれて内容が濃くなってきてホッとした。特に、テレビクルー登場以降が展開にメリハリが付いて良かった。
チャダを師匠と呼ぶ若者の心のわだかまりを解き放つ結末がちょっと薄味だったのが、物足りなく感じた最大の理由も。

売春捜査官

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売春捜査官

稲村梓プロデュース

サンモールスタジオで上演された、稲村梓プロデュースのつかこうへい作『売春捜査官』を観てきた。声優であり女優である稲村梓はこの作品を「心の支え」としており、既に何度か上演していることを今回初めて知った。つかの作品のいくつかは非シス人という劇団で観ることが常だったのだが、今回の稲村の舞台を演出したのがその非シス人で演出を手がける間天憑であったことと、まだこの作品を舞台として観たことが無かったのが今回出かけようと思った直接の理由であった。


作品としては有名であり、改めて粗筋を書く必要もあるまいが、大雑把に書くなら、女なのに木村伝兵衛(稲村梓)という名の部長刑事と彼女の下に八王子から転任してきた熊田刑事(内谷正文)、ホモの戸田刑事(村手龍太)の3人が、熱海で起こった山口アイコという女性の殺人事件の謎を犯人大山(渡辺敬介)を回して解いていく。特に、前半の刑事室での刑事達のドタバタと、後半刑事役と犯人役が演ずる事件の再現シーンの対比がこの作品の見所であろう。ちなみに、今回の舞台では稲村の演ずる木村部長刑事以外はダブルキャストであり、自分が観たのはKチームであった。

演出的にはウィキペディアでも「大音量の「白鳥の湖」をBGMに木村が電話でがなりたてるオープニングや、新任の刑事に渡す書類を地面にわざと落とし、木村が「拾ってください」というやり取り、木村が成長した犯人を花束で何度も打ち据えるシーンなど、この作品の名物となっている部分は、形は変わりつつも、どのバージョンにも数多く残っている。」と指摘されている部分はそれを踏襲していた。しかしながら、実は全体で2時間ほどの上演の中でスタート30分ほどは演出の質というか役者の集中力というのが散漫で、これはどうなるかと心配しながら観ていたのも事実。しかし、舞台後半の事件再現シーンに入ってからの役者の緊張感が一変しように素晴らしい台詞のやりとりに観る者の神経が研ぎ澄まされた。そのきっかけは恐らく役者・村手の力であり、それに応じて好演を見せた主演・稲村のなせる技だろう。良い舞台を見せてもらった。

手を握る事すらできない

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手を握る事すらできない

劇団時間制作

16日、大塚の萬劇場で上演された劇団時間制作第十五回公演『手を握ることすらできない』を観てきた。例によって、オールダブルキャストの公演で、自分が観たのはAチームの平日割引日であった。

プログラムの記載によると、今回のテーマは「居場所」ということらしいが、これではちょっとわかりにくい。何の居場所というかというと、高校におけるいじめを受けている生徒の居場所、それを知ってもどうすることも出来ない教師の場所、そして、いじめる側の生徒の居場所。

劇舞台は、とある高校のクラス(劇ではD組という設定)。このクラスではある女学生がターゲットになっているいじめが存在する。そのいじめをなんとかしたいクラス担任教師だが、過去にその対応を誤り生徒同士の殺人・自殺未遂事件を起こしており、どう手を付けて良いか分からない。そこに熱血感あふれる女性教育実習生がやってきていじめの存在を知り、担任教師や生徒と対峙するが、教頭を筆頭とする学校側の対応、モンスターペアレントの存在などが壁となって、いじめに目をつむるほか無い状況に。
その現在から、舞台は殺人・自殺未遂の起こった過去に遡り、いじめの実態(いじめの対象がたやすく入れ替わることや、中学と高校でのいじめる側といじめられる側の立場の逆転現象)などがつづられていく。
実は、自分は元教師でありこうしたいじめの実態に直面した経験があったので、舞台を観ていて過去の自分に引き戻され、普通なら泣けるシーンでも学校や教師の対応に怒りと慟哭に突き上げられ、悶々とした気持ちで舞台を見続けた。正直言って、観ているのが辛い。しかし、客観的に考えれば、それはこの脚本の出来の巧さにも繋がるのであった。

役者側では、過去のシーンに登場するいじめられ役の楠世蓮、彼女を殺すことになる同級生役の佐々木道成、クラス担当教師役の静恵一が核となるしっかりとした演技を魅せていた。特に佐々木の演技はややオーバーな部分もあったが秀逸。教師役が軽く感じられたのが難点と言えば難点だが、実際今の教員のいじめにたいする態度はこんなもんだろうなぁと思わせる好演とも受け取れる。

よい舞台を見せてもらった。

メロン農家の罠

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メロン農家の罠

桃尻犬

18日午後、下北沢のOFF・OFFシアターで上演された桃尻犬冬の公演『メロン農家の罠』の千穐楽を観に行った。これは、知人の役者・嶋谷佳恵が出演していた関係からである。
これまで幾つも舞台を観てきたが、この舞台のようにインパクトのあるタイトルとフライヤーのデザインは初めて。どちらかというとコメディー的な内容なのかと思ったのだが、確かに笑える場面も数々あったが、本質的にはかなりシリアスな内容であり、上演時間95分が短く感じられた秀作の舞台であった。

話の中心は、幼くして両親を亡くした1男2女の兄弟が営むメロン農家・安喰一家。まぁ、次女は小五の設定なので実際には農業に従事しているわけではないが、この次女・乃愛琉(ノエルと読ませる)が舞台の重要な存在となる。10年間もメロンを盗まれている安喰一家には、中国人従業員・劉がいて、毎年メロン泥棒退治の仕掛けを作っている。安喰家の長女・美津子を好く近所の山岸は結局は結婚することになるが、美津子は堀淵という一家と付き合いのある男性と浮気もしてる複雑状況。安喰家の大黒柱・怜音(レオンと読ませる)は、人の良い実直な男で、いや実直すぎて合コンでも相手ができない。そんな一家に嵐を巻き起こすのが次女の乃愛琉。万引きし、その理由の本音を兄にぶつけ、兄も本音を吐露する。結局、一家三人の本音のぶつかり合いでギスギスしたことになるが、メロン泥棒が捕まり(仕掛けで目に怪我をさせてしまうが…)、次女がメロン畑にガソリンをまいて燃やしてしまうという行動を通じて、一家に絆が戻ってくる。
本音のぶつけ合いシーンは時に絶叫ありのかなりシリアスなもので、観ていて心が締め付けられたり…。所々で織り込まれた笑いのシーンがその緊張感をほぐしてくれる。
役者としては、難しい次女役の徳橋みのりの演技が秀逸。長男役の森崎健吾と長女役の嶋谷佳恵の熱演も光る。

脇役として、乃愛琉が万引きをするCDショップの夫婦も登場して、舞台に緩やかな風を注ぎ込んでいた。


舞台を大小2面に分けて進行させる演出は、小劇場の舞台の使い方としては上手かった。脚本も変な小細工を使わず正面から勝負を挑んでいて気に入った。この桃尻犬という劇団(ユニット?)、なかなかの実力とみた、次回作も観てみたい。

総評

劇団桟敷童子と時間制作の健闘が目立った2017年。総じて同じようなテーマを複数の劇団が取り上げる傾向も強くなってきた感があり、今後は役者以上に脚本家の力量が問われるようになってくりと思う。

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