『ソウル市民』『ソウル市民1919』 公演情報 『ソウル市民』『ソウル市民1919』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★★★

    ブラックユーモアザクザク刺さる

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/12/01 (土)

    舞台は日本植民地下のソウル…文具店を経営する裕福そうな「篠崎一家」宅。

    物語があるでなく… 登場人物が発する主張があるでなく… とりとめもない会話と出来事がひたすら流れていく。しかし… 人々の日常を温かく描写してほっこり…って…感じではない不穏さが潜むのだ。いや、篠崎一家にとっては紛れもなく何のこともない穏やかな日常なのだが… その「普通」が寄って立つ常識… 価値観が決して不変なモノではないことが透けて見える感じかする。

    以降、ネタバレBOXへ

    ネタバレBOX

    【続き】

    簡単に言ってしまえは、… 善良な(つもりの)支配者意識。

    確かに篠崎一家の朝鮮人への振る舞いは…当時としては先進的で善意に溢れているのだが… やはり随所に滲み出るのが優越意識、上から目線、保護者的な自負。

    一方で欧米人に対して「自分達を猿だと思っている」… と差別に不平を漏らす二律背反ぶりなのだ。

    これが…結果を知っている歴史的背景、現代の意識の元でならハッキリと分る差別・支配の構図も… 果たして当事者だったとしても、胸を張ってその問題点を指摘できるだろうか。…そして翻って、今の社会を… 自らの今の在りようにすら疑問を抱かせる。事は国家間の関係に留まらない… 一社会における格差、夫婦・親子・家族内における支配の構図等も…また然りだと思える。ドラマチックで無いが故にとても強度のある「偽りを感じさせない日常描写」で本質に迫ってきた気がした。

    この2作の展開・構成はとても酷似していて、世代や人が入れ替わっても まるで一日千秋の如くなのだが、「ソウル市民1919」では…家の外で高まる三・一運動を重ね合わせることで …より明確に支配者意識を浮き立たせている。それが返って、穏やかだった…先の「ソウル市民」での同じ意識をモヤモヤと炙り出す。穏やかな状況の中に潜み、育まれている危険で差別的な思想を思い返せる仕組みで、通しで観られる機会は貴重でした。
  • 満足度★★★★★

    ソウル市民1919。95分。

    ネタバレBOX

    1919年の京城のとある文房具店。ソウル市民の続編という位置づけらしい。

    三一独立運動のまさにその日で、通りで韓国人が集まって万歳して、噂では日本から独立するというが、当の日本人らはどこ吹く風で陽気に歌ってというとこで終幕する。
    ソウル市民より、作品の枠内で描かれる部分が多いからか、イメージしやすい。徐々に韓国人がいなくなっていき、それでも日本人らは今のままが続くかのような雰囲気でいるサマが、のちの歴史に結びつくようで恐ろしげ。
    こっちももう一度見たかった。
  • 満足度★★★★

    ソウル市民。110分。

    ネタバレBOX

    1909年の漢城のとある文房具店。韓国人の女中を抱えた日本人とそこを訪れるいろんな人々の話。

    作中よりも、その外側の支配ってものに焦点当てた作品。いわゆる静かな演劇で2度見れたらよかったかな。
  • 満足度★★★★

    久々に本拠地アゴラでの青年団本公演である。一番前のベンチ席で観劇。篠崎家の客間(居間?)が目の前にあり臨場感たっぷりだ。
    以前観たときは、最初から舞台に登場する叔父役だった山内健司が凄く印象に残っていたので、今回は太田宏だったのでオッと感じる。その山内健司が主人の宗一郎役で登場した時には感慨ひとしおだった。観客の私も少し齢を取ったわけである。
    まるで篠崎家の一員のような気分で家族の会話や訪れる訪問者との会話に興味津々だ。
    さり気なく無邪気に交わされる朝鮮人たちへの差別意識。

    差別意識は、こんなふうに意識することもなく、ごくごく普通の人の中に染み込んでしまっている。そのことに私は気づくことが出来ているだろうか。

    ネタバレBOX

    娘と女中が話す「朝鮮語では文学は育たない」という暴言を平然と話題にすること。朝鮮人同士の時は日本語じゃなくて母国語で話したらいいと言われ、女中(韓国人俳優が演じている)たちが「私たちの勝手じゃない」と平気な顔で受け流し、心の中で軽蔑し呆れているような場面。
    目の前で見せられると醜悪さが際立ち、いい気なもんだな日本人!って印象を持った。
    宗一郎の三人の子どもたちと今の妻が義理の関係であることやいつも問題を起こし気にかけすぎる息子と合わないこと。その息子が朝鮮人の女中と駆け落ちしたことが分かる終幕場面のあとに、唐突にストップモーションで終わるラストシーン。
  • 満足度★★★★

    「ソウル市民」「ソウル市民1919」の順で連日の観劇。二作とも、ソウル(京城)で文房具を商う篠原家の居間が舞台で、韓国併合前年の1909年のある一日の「日常」、そして十年後の三一独立運動の1919年3月1日当日の(さざ波程しか立たぬ)「日常」を描く。
    青年団にとって「ソウル市民」は1989年の作、所謂現代口語演劇を世に出した記念碑的作品との事で、「1919」は約十年後の2000年だが、姉妹編の趣。10年という歳月がもたらした篠原家の変化より、「変わらなさ」が強調されているのに対応し、芝居の作りのほうも相似形となっている(舞台装置、人物構成、配役も)。
    以前戯曲をどこかで読んだかした時の印象は何だかスカスカで何もなく、生身の役者が演じたら変わるのかな・・そんな印象だったが、確かに俳優が演じるとそれだけで面白い。のではあるが、やはりスカな印象は残った。
    それは平田オリザ作品に共通するある雰囲気(実はあまり好みでない)もあるが、この作品固有の理由もあった。後者について少し言えば、植民地時代の朝鮮半島という舞台で、日本人が現代日本の感覚で存在し、台詞もある程度現代的である、というのはパロディとして成立するが、このテーマを扱うなら当然にあるべき植民地化の主体と客体との間の緊張関係が、この芝居に登場する朝鮮人との関係にはなく、といって日本人側がその関係に無自覚なのだ、という事実では回収しきれず、朝鮮人を演じるのも日本人感覚で良い、という手法が果たして妥当なのか、疑問が湧く。というか感覚的に違和感が否めず、手抜きに見えてしまう。
    現代を設定したドラマにおける現代口語の効果と、この芝居での現代口語の効果は異なる事を示しており、この芝居が打たれた時のインパクトは実はこの時代設定と言語とのギャップにもあったのではないか、などと想像する。そうなると現代口語演劇なる代物は違ったものに見えてくる。

    ネタバレBOX

    現代口語演劇が与えた影響は測り知れない。「本家に及ばない」という言は、現代口語演劇の多士済々の後続たちには当たらない。現代口語には進化と言える必然の原理があって、応用が効いた訳だ。そして平田オリザ作品も今やその一バリエーションという事になる。
    そこで私の個人的感想を言えば、平田作品、特に初期の(今作を典型とする)作品の雰囲気はあまり好みではない。
    平田作品の最大の特徴は、状況設定が極めてドラマティックである事。社会的なテーマに演劇でコミットする態度が明確なのだが、果たしてこれでこのテーマを扱い切れたのか、という思いが残る場合がしばしばある。何等かのテーマが演劇には無くてはならない、と平田氏が考えているかどうかは判らないが(恐らく逆で知的興味の尽きないゆえに題材に困らないのだろうと思うが)、アングラは置くとして、知的領域で競合しそうな新劇の説教臭さに対するアンチテーゼを打ち出した印象を強く与える。そのインパクトは相当なものと想像するが(想像するしかないのだが)、斬新さを人々に与えるのはその時代その瞬間の状況における斬新さなのであって、平田氏の演劇は応用可能な原理としての側面と、アンチテーゼとして切りこんだ側面が同衾していて、今その時代の産物的側面が、不要に見えたり、時代が補っていたものが欠けたため物足りなく感じたりする、という事が程度はともかくあるように思う。再演ものを面白く観たのは「冒険王」くらい(あれは「新・冒険王」だったか・・とすれば新作だ)。一方、このかん出された新作「ニッポンサポートセンター」と「日本文学盛衰史」は面白く観た。感動さえした。
    過去作品も楽しく観てはいるが、私には両者に大きな開きがあり、この差は何だろうと。変化しているのは時代の移り行きに無自覚な自分のほうだろうか、それとも・・。
  • 満足度★★★

    鑑賞日2018/10/31 (水) 19:30

     『ソウル市民1919』を観た。本編から10年後だが、舞台は同じ家の同じ居間。オルガンがあるなど、一部変わっているが、基本的には変わっていない場所で、やはりさまざまな出来事が起きるものの、ある一家の日常が淡々と紡がれる。本編に比べて、「朝鮮」「朝鮮人」という言葉が頻繁に使われ、三・一独立運動の当日という設定なので、支配-非支配の関係に気づきやすいとは言える。

  • 満足度★★★

    鑑賞日2018/10/30 (火) 14:30

     『ソウル市民』を観た。平田オリザの代表作の一つで何回も再演されているそうだが、個人的には初見。日韓併合前年のソウルの、とある家族の居間のみで展開される芝居。いろいろな出来事が起きるが、大事件というわけではなく、淡々と日常が展開される、平田の「静かな演劇」の典型とも言えるだろうか。支配-非支配の関係に思いを及ぼすべきなのだろうが、残念ながら、それが見えるだけの観劇眼は私にはなかったとしか言いようがない。

  • 満足度★★★★

    『ソウル市民』観劇

    ネタバレBOX

    1909年、日韓併合の一年前。漢城で文房具店を経営する篠崎家の一日を描いた話。

    朝鮮人を下に見る、当時の当然の雰囲気が素直に表現されていました。

    『ソウル市民1919』の方が面白かったです。お相撲さんが逃げるのは分かります。単にどうでもいい意味不明な出来事として描いただけなのでしょうが、本作で手品師がいなくなるという事象は、日常の中に非日常を描かなければならないという強迫観念に因るものとしか思えませんでした。
  • 満足度★★★

    ■『ソウル市民1919』鑑賞/約105分■
    不条理劇的展開に妙味があり、正編よりは面白く鑑賞できた。

  • 満足度★★

    ■『ソウル市民』鑑賞/約95分■
    話が散漫で求心力を欠き、劇に対して前のめりになれず、約90分の上演時間が体感的には2時間以上に感じられた。加えて、力業による大味なギャグが目立ち、その点もつらかった。

  • 満足度★★★★

    ネタバレ

    ネタバレBOX

    青年団の『ソウル市民』と『ソウル市民1919』を観劇。

    再演である。

    『ソウル市民』
    1909年、韓国は日本による植民地が進んでいる。
    そこで文具店を営んでいる篠崎家の家では、韓国人をお手伝いさんとして
    数人雇っているほど、豊かな生活を送っている。
    そんな篠崎家では、様々な客人の来訪、息子や娘の将来、何もしていない書生たちが日がな一日、平和な日々を送っているのである……。

    『ソウル市民1919』
    1919年の韓国では、日本の植民地支配からの脱却の為に、抵抗運動が盛んである。だがそんな事すら知らない篠崎家では、何かのお祭りかと勘違いをしているようである。
    そして3月1日、篠崎家で働いている韓国人のお手伝いさんが、急にいなくなってしまうのだが、篠崎家はこれまた日がな一日、平和な日々を送っているのである……。

    人が人を支配している恐ろしい様子を描いている。
    だが描かれるのは、支配している側からのみ描いていて、全く支配すらしていることすら感じない、想像力の欠如の人たちの日常だ。
    それを口語演出で描いているからか、その恐怖を観客が掴み取ることの難易度の高い芝居になっているが、それを掴まなければ登場人物と同じように、観客自身が想像力欠如の人間になってしまうのである。

    30年前に、現代口語演劇が幕を開けた、初めての芝居である。

  • 満足度★★★★★

    『ソウル市民1919』観劇

    ネタバレBOX

    1919年3月1日、三・一独立運動が起こった日の、京城篠崎家の文具店として戦略を練ったり、父の病気や妹の再婚話などでごちゃごちゃしたりするどこにでもありそうな日常と、興行で呼び寄せたお相撲さんが訪ねて来たという特別な日でもあるその一日を描いた話。

    朝鮮人が道に溢れていると見聞きしても、その当日には何が起こっているのか分からないのは当然のことですが、お相撲さんの面白い非日常性とこちらの不気味な非日常性が相まって素晴らしいエンタテインメントになっていました。とても面白かったです!

    それにしても、京城で商売していて、誰もハングルが読めない、覚えようともしてこなかった現実にも日本人と朝鮮人の立場の違いが鮮明に現れていました。
  • 満足度★★★★★

    『ソウル市民』は20数年ぶりに再見、『ソウル市民1919』は初見。考えてみると、平田オリザさんの作品も久しぶりでした。『ソウル市民1919』も観たかったので、アゴラ劇場で両方やってくれてちょうどよかったです。

    ネタバレBOX

    『ソウル市民』は、日常の風景の中での人種差別がさらりと描かれていて、初見時に感銘を受けた作品。観客席に向かって後ろ向きでの演技、ストーリー的に中途半端な感じの終わり方は、今観てみると違和感がありませんでした。
    政治や教育、家庭環境などにより、無自覚に持つ差別意識が客観的に描かれていくのを観ながら、SNSなどで散見される現在の露骨なヘイトのことを考えずにはいられませんでした。

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