満足度★★★★
鑑賞日2016/03/06 (日)
アゴラで観た時の完成度の高さを凌駕する凄さ。場面場面での演者のキレが増していて震えた。5人全員が凄かった。ここまで押し上げることが出来る谷演出も凄まじい。
満足度★★★★
面白かった
前回よりも体調も良かったので、暗闇にも負けず、最後まで観劇できました。
哲学的な内容なんでしょうが、会話聞いているだけで、単純に面白かったです。
空間的には、前回のアゴラよりも、より立体的な客席な作りだったので、見え方も平面じゃ無い分、いろんなところが観えて楽しめました。
男だけのお芝居だけど、見応え十分でした。
満足度★★★
また再演される日を楽しみに
昨年のこまばアゴラ劇場に続いて2回目の観劇ですが、今回も哲学的な事はあまり理解出来ず…、というよりも、はっきり言って解りませんでした。
哨戒塔に登る志願者がいるのに隊長は何故くじ引きを強いるのかもよく解らなかったです。しかし、役者さんたちは皆熱演で、圧倒されました。
いつかまた再演される日までには、戯曲などを読んで勉強しておきます。
満足度★★★★
ことば
開演時間が5分ほど過ぎて、客席に静寂が訪れて少し経ち、いきなり始まったと思ったら前説で。それにも驚いたけど。ランプを使った演出や結構長い暗闇の中での演技、空間の使い方。世界観が凄く良かったです。言葉遊び的な、何気ない会話のやり取りの中での笑い。面白かったです。机やイスが壊れないか役者さん達が怪我しないか、心配になるくらい役者さん達が激しかったです。
満足度★★★★★
観てきた!!!!!!
凄かったです。最初から最後まで作品の世界観にどっぷりと浸ってきました。
一番印象に残ったのは、やっぱり暗闇の場面。
思わず息をするのもためらわれるような静寂。
真っ暗闇の中感じられる、息づかい、足音。そして閃光、爆音。
圧倒的な臨場感に痺れました。
この臨場感は後日映像で観たとしても絶対に感じる事が出来ないと思います。
劇場に足を運んで生で観てこその作品。舞台の醍醐味ですね。
論理学、物理学のくだり、掛け合いも楽しかった。
禅問答のようでもあったけど、言っていること自体はそんなに難しい話ではなかったと思う(多分…)
個人的な好みを言えば、笑いは一切必要なかったかなと思いました。
わざとらしい笑いでは無かったので気にはなるほどではないですが。
満足度★★★★★
五感と想像力を刺激されました
ツイッターの評判と、
やたら長いタイトルに興味をひかれて観劇を決めました。
最前列で観劇。
足元ぎりぎりまで役者が来るというので(実際そうだった)、
リーフレットごと鞄をスタッフに預けてしまったため、
登場人物の名前もさっぱりわからないままに観劇。
それでも何の不自由もありませんでした。
1時間50分程度、
閉塞感のある空間でありながら
同時に距離や時間を超えて無限の広がりも感じられるという
まさに演劇の醍醐味を楽しめました。
同時に、迫真の演技の役者さんたちを観て
「本当にこれはセリフなのだろうか、お芝居なのだろうか」
とも思ってしまいました…!
満足度★★★★★
生。
テアトル・ド・アナール「従軍中のウィトゲンシュタインが(略)凱旋東京公演@SPACE雑遊
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン古河耕史さん
ヘルマン・スタイナー榊原毅さん
カミル・フリードリッヒ・ガリウス大原研二さん
ベルナルド・クント小沢道成さん
ミヒャエル・グルーム/デイヴィッド・ピンセント本折智史さん
生きていた。
昨年も、観劇している舞台ではあったが、今日、時間を経て、観たら、より、
5人が目の前で「自分の言葉を話し、息をし、熱をもって、生きていた」と感じた。
劇中の5人が、生き生きと、より、生身感を感じさせていた。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン役の古河耕史さん。
眼が、違っていた。
何故だろう。確かに昨年観た時も、素晴らしかったが
今回雑游で観た眼の力が数段あがっていたように感じられた。
ある種、「狂気」。凡人には、一瞬、身を引いてしまう
そのオーラが増長されていた。
ヘルマン・スタイナー役の榊原毅さん。
隊長の劇中での空気を変えてくれる役柄に幾度ともなく
救われた。
カミル・フリードリッヒ・ガリウス役の大原研二さん。
昨年、観た時もとても、切なく、辛い、観ていて、誰かが
救ってくれないだろうかと祈っていた。
だから、最後のカミルの死が訪れると、観ている自分も自然と神に祈りを捧げてしまっていた。
ベルナルド・クント役の小沢道成さん。
昨年観た時は「光り」だと思った。
「希望」があの戦場において、とても、明確に描かれていたから。
ミヒャエル・グルーム/デイヴィッド・ピンセント役の本折智史さん。
二役の今作は、本当に力量が無いと演じる事が難しいと思った。
「静」と「動」の演技。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインにとっての、「光り」だったデイヴィッド・ピンセントの時の柔らかな包み込むような演技は、素敵だった。
「演劇」らしい「演劇」だと、今一度観劇して、感じた。
「演劇」は「作り物」なのか?
そうではないと、強く、思えた。
台詞という言葉が、演技という動きが、あの薄暗い空間を確かに、切り取っていた。
面白い。
昨年、他の方に感想は?と聞かれ「演劇だ!」と答えたのが思い出される。
演劇だからこそ、あの空間が、あの匂いが、あの音が、あの暗闇が、あの光が、生まれるのだなと。便利な世の中の今。
あえて、足を運ぶ意味があると改めて感じだ舞台だった。
そして、雑感。
ふと、今回は受付順の入場だった理由はあの場所だからなのかと考えた。
前回はチケットに整理番号があった。
新宿の往来がある街中のSPACE雑游だから、あえて、意図的にしたのか。
行列が出来ていたら、「なんだ?」って知らない人も興味湧く。
満足度★★★★
神は死んだ
ニーチェじゃないけど。
神は死んだ、とか昼寝してるんじゃねーの、とか。
こういうセリフがほぼ全員から飛び出すことにビックリ。
キリスト教圏においてそういうの、しかも現代ならまだしも近現代において。
それだけの絶望。
戦時下においての。そういうのが凄く痛々しかった。
神はいる。
でもいない現実。
・・・でもいると信じたい!
でもいない・・・いると証明出来ない。
でもいる。いる。でも証明出来ない。
証明できなくても確かに存在するものはある。
ある?
その葛藤は学がある者、ない者、敬虔なキリスト教徒、そんなに敬虔ではないキリスト教徒、皆同じ。
本当に面白いくらいみんな同じなの。
哲学者も絵描きも荒くれ者も。
どれだけ素直にそれを表に出すかの違いはあるけど。
誰かに祈りたい。助けてほしい。
でも助けてくれない。それがわかってる。
それでも祈りたい。
ううん、そんなの、無駄だ。
本当に無駄?
誰もがずっと葛藤してる。
そしてなんだかんだで哲学馬鹿にしてるカミル含め全員で哲学してる(笑)
演出も相まってなんだか凄くビリビリきた。
人間による人間らしいお芝居、そんな感じ。
右の頬打たれて左の頬をされるがままに差し出さないのねって。
葛藤して葛藤してもがいてる。
人間らしいお話。
満足度★★★★
空間と言葉の圧倒的パワー。
正直理解はできてない。でもものすごいパワーに圧倒された。面白かった。
まず入って「へー!」ってなって、前説で「へー!」ってなって。
空間や小道具、照明の使い方。全てに「へー!」って思いながら観てた。また違う角度から観てみたくなる