期間 |
2013/06/13 (木) ~ 2013/06/21 (金)
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出演 |
稲垣干城、井上美香、瀧腰教寛、立本夏山、邸木夕佳 |
脚本 |
原作:『新編不穏の書、断章』(平凡社)、著者:フェルナンド・ペソア、翻訳:澤田直 |
演出 |
鹿島将介 |
料金(1枚あたり) |
0円 ~ 3,000円
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公式/劇場サイト |
http://www.jyuuryoku-note.com/
※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
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説明 |
街角の異郷《リスボン》————————————————
フェルナンド・ペソアのことを説明しようとすればするほど、まったく違う人物について喋ってしまったような気分になる。彼の言葉の中で気に入った一節を思い返すとき、実はそれは彼自身のものではなくベルナルド・ソアレスだったりアルベルト・カエイロだったり、リカルド・レイスやアルヴァロ・デ・カンポスだったりして、それら全ての言葉が融解した状態で《ペソアのようなもの》として記憶に漂っていることに気づく。ところで、勢いよく人名を連ねてしまったが、これらの名前はペソアの内部において生まれては死んでいった他者——しかもあたかも実在していたかのような経歴のある《異名者》たちである。ペソアではある/が違う存在/でもペソア・・・? さあ、この時点でもう厄介。
幼少期の孤独を慰める友達だった《異名者》は、いつしかペソアの中で文学上における方法論にまで高められる。彼は生涯に70以上もの《異名者》を生み出し、それぞれに独自の思想や価値観を持たせ、語らせた。本来であれば彫琢された一個の像を結ぶべきはずの作家性を、彼は《異名者》の数だけ砕いていく。増えれば増えるほど当のペソア自身の言葉は埋没し無個性になり、まるで現代人に先駆けたかのように「人間の縮小」を体現したペソアに対して、作家論だとか解釈といった眼差しでテクストを読み解くことは難しいんじゃないか。読解の不可能性。ただの古典だと思って迂闊に近づくと痛い目にあう。
増殖し続ける《異名者》たちに囲まれながら、その傍らでポルトガルや首都リスボンの紹介をすることに、若き日のペソアが殆ど運動とまで呼べるほどの情熱を注ごうとしていた事実は興味深い。軽快な口調で綴られたリスボンの観光案内もまた『不穏の書』ではないだろうか。彼であれ《異名者》であれ、《ペソアのようなもの》が漂う場所としての《リスボン》を思考してみる。ヴェンダースの『リスボン物語』みたいに街角あたりでペソアに遭遇できたらいいのだけれど。 鹿島 将介
【フェルナンド・ペソア Fernando António Nogueira Pessoa 1888~1935】 ポルトガルの首都リスボン生まれ。リスボン大学文学部中退。母親の再婚を機に南アフリカのダーバンへ移り、幼少期は英語による教育を受けた。17歳の時にひとりで帰国し、その生涯のほとんどをリスボンで過ごす。祖母の遺産で出版社イビスを設立するも倒産、貿易会社でビジネスレターを書くことによって生計を立てた。1914年3月8日、自身の師と仰ぐことになるアルベルト・カエイロ、共に彼の弟子となるアルヴァロ・デ・カンポス、リカルド・レイスら《異名者》が現れる。同年には《異名者》ベルナルド・ソアレスが『不穏の書』を執筆開始。以降、これらの《異名者》たちとの「幕間劇の虚構」が繰り広げられることになる。一生のうちに生み出した《異名者》は70名を越える。王制から共和制へと革命が起こり様々な権威が失墜していく中、ポルトガルやリスボンを海外に紹介する運動を準備するも頓挫。詩誌『オルフェウ』を創刊するなど、当時の前衛芸術運動の中心として活躍するが、生前はほとんど無名であった。生前刊行にいたったものは英語で書いた詩集三冊と詩集『メンサージェン』(1934年)一作のみ。1935年没。死後、衣装箱一杯の未刊の草稿が発見され、それらは現在も研究・編纂・出版され続けている。 |
その他注意事項 |
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スタッフ |
衣装:富永 美夏 照明:山澤 和幸 音響:堤 裕吏衣 舞台監督:鈴木 拓 宣伝美術:青木 祐輔 制作:永井 彩子 平井 光子 仙台制作協力:小濱 昭博(短距離男道ミサイル) 主催:重力/Note
後援:ポルトガル大使館 Camões, I.P. 日本ポルトガル友好470周年記念事業
協力:アマヤドリ 株式会社 平凡社 短距離男道ミサイル BankART Studio NYK
助成:アーツコミッション・ヨコハマ |
フェルナンド・ペソアのことを説明しようとすればするほど、まったく違う人物について喋ってしまったような気分になる。彼の言葉の中で気に入った一節を思い返すとき、実はそれは彼自身のものではなくベルナルド・ソアレスだったりアルベルト・カエイ...
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