満足度★★★
存在論のポリフォニー
異なる人格を使い分けて作品を書いたフェルナンド・ペソアの「異名者」の1人であるベルナルド・ソアレスの『不穏の書』を中心に、断片的な文章の集積が通常の「演技」とは異なるスタイルで語られる作品でした。
川俣正さん作の常設のインスタレーションに囲われた空間の床一面に乱雑に白紙が敷きつめられ、奥に机と椅子、手前左側にマイクと椅子が置かれた中で生成りのアシンメトリーなスーツにグレーのハットを被った5人がモノローグ的にペソアやソアレスのテクストを普通ではないイントネーションやリズムで語る形式で、意外とコミカルな雰囲気がありました。
原作が手記の体裁を取った作品なので、会話シーンはほとんどなく、珍しく会話が現れるオフィスでのシーンが執拗に繰り返されるのが印象に残りました。
始まってすぐに床の上に広げられ、海や川を象徴していた円形のブルーシートが終盤に、「実存しない中心、思念の幾何学によってのみ存在する中心である周囲にこれらのものが回転するこの虚無が私なのだ」(『不穏の書』アティカ版28章)という文章と対応して用いられていたのが強く印象的に残りました。
事前に原作を繰り返し読んでおいたので、台詞は大体把握出来ましたが、台詞回しが特徴的で、テクストと身体表現の繋がりが単純な対応関係となっていない演出だったので、原作が特別難解な文体ではないとはいえ、言葉が伝わらない部分が多くあると思いました。
役者のそれぞれの声のキャラクターが際立っていて、演劇には不向きな残響の多い空間を役者と客席の距離のコントロールによって多彩な声の表現を生み出していたのが素晴らしかったです。
身体表現に関しては、意図したと思われるゆるさとは別種のゆるさが感じられ、もっと緊張感が欲しかったです。
作品としては興味深かったものの、三浦基さん(丁度アフタートークのゲストで来てました)が率いる地点と似た手法があまりにも多くて、釈然としない思いが残りました。