演劇

イヨネスコ「授業」フェスティバル参加公演

利賀演出家コンクール2007優秀演出家賞受賞作純粋再演

演劇

イヨネスコ「授業」フェスティバル参加公演

イヨネスコ「授業」

利賀演出家コンクール2007優秀演出家賞受賞作純粋再演

実演鑑賞

長堀博物館◎プロデュース

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2012/05/11 (金) ~ 2012/05/13 (日) 公演終了

上演時間:

公式サイト: http://www.geocities.jp/kagurara2000/jugyo

※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
「2011年5月!! 長堀博士演出バージョンのイヨネスコ作『授業』が帰ってきます!!」


長堀博士演出バージョンの『授業』は、2004年に「利賀演出家コンクール」で優秀演出家賞を受賞し、その後、同年「BeSeTo演劇祭(早稲田開催)」や2005年の「IKACHI国際舞台芸術祭(山口県伊...

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公演詳細

期間 2012/05/11 (金) ~ 2012/05/13 (日)
劇場 神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)
出演 久堂秀明、杉村誠子、高橋杏奈、長尾美代子(風花水月)
脚本 イヨネスコ
演出 長堀博士
料金(1枚あたり) 2,200円 ~ 6,800円
【発売日】2012/04/22
前売/予約2500円、学生前売/学生予約2200円、
当日2800円、学生当日2500円、
フェス通し券6800円、フェス通し学生券5800円
公式/劇場サイト

http://www.geocities.jp/kagurara2000/jugyo

※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。
タイムテーブル
説明 「2011年5月!! 長堀博士演出バージョンのイヨネスコ作『授業』が帰ってきます!!」


長堀博士演出バージョンの『授業』は、2004年に「利賀演出家コンクール」で優秀演出家賞を受賞し、その後、同年「BeSeTo演劇祭(早稲田開催)」や2005年の「IKACHI国際舞台芸術祭(山口県伊陸市)」を巡演してきた、自他共に認める長堀博士の代表作です。不条理劇の「不条理」を、その奇々怪々さ?を損なうことなく、現実社会の「理不尽さ」に置き換え、単に「その作品」を観る以上の奥行きのある「世界」を想像させることに成功させた、長堀博士にとっても「特に」お勧めしたい自信作です。初演当時にすでに完成させた作品にて、年月を経て、初演当時とは出演者の半分が変わる今回においても、初演時の演出のまま、同じ様式美、同じポテンシャルにて再演します。もしお時間がありましたら、ぜひぜひ足をお運びください。ここ数年で一番お勧めする公演がこの公演です!!


◆◆◆イヨネスコ「授業」長堀演出作品へのお誘い


日々、お疲れ様です。今年から「楽園王」を休止させて「長堀博物館」という個人名義の活動に入っている長堀です。こんにちは。今回は自分の、自他共に認める代表作にして自信作の「授業」について解説を書いてみようと思い、キーボードに向かっています。フェイスブックで少し前に書いて公開した文章から。


「授業」という作品は、「不条理喜劇」として書かれた作品で、イヨネスコの「椅子」や「禿の女歌手」と並んだ代表的な作品です。僕が「利賀演出家コンクール」で「優秀演出家賞」をいただいたのが2004年、その同じ年の同コンクールでは、この同じ「授業」という作品の、別々のカンパニーが上演した公演それぞれが4公演も同時受賞するという異例の結果に終わりました。その後の「利賀演劇人コンクール」でも、やはり「授業」が優秀賞に輝いていて、近年の日本で、すごく様々な人の栄光に貢献する運命にある作品、と言っても良いのではないかと思います。また、評価された上演が多いということは、同じ戯曲でありながら、印象や手応えが違う作品のバリエーションがすごくたくさんある、ということ、つまり多様性のある作品だと言ってもいいとも考えています。


その物語は、「不条理」劇ですから、あまり大きな意味を持ちません。(ここから5行は、あらすじ) 第一幕では、教授のところに女生徒が博士号を取りたいと授業を受けに来るところから始まり、まさに不条理な原因によって最後には女生徒が殺されます。短い第二幕では、教授と女中との会話で、そんな殺害が一日に40人ほども、毎日毎日繰り返されているいる事実が知らされます。そんな不条理によって、しかし「喜劇的な」会話劇として成立した戯曲だと言って良いでしょう。


ところで、僕の演出作品は基本的に「悲劇」です。それは、戯曲がどんなテイストで書いてあれ、明るいものであれ、舞台上は「悲劇」として描かれる、ということなんです。僕の考えでは、実は「悲劇」も「喜劇」も同じものです。それは、それを受け取る側との距離感で決まる、という風に考えます。例えばそこに、ある事件や事故や失敗や、時に悪意、があるとします。それは、その事件から距離がある人から見れば単なる笑い話、喜劇にしか映りません。誰かの失恋を想像してみれば分かりやすいですね。ですか? しかし周囲から見てどんなに面白可笑しい出来事も、その事件との距離が近い人、家族や友人、そして当事者から見れば、まさに悲劇でしかありません。身近な家族の離婚や自分の失恋を考えてみれば分かりやすいでしょうか。僕は、とにかく「当事者の視点で描く」ということを大切に考えていますので、すべて、どうしても悲劇的な描き方になってしまうわけです。


以下、「授業」を私見にて。さて、もともとこの「授業」での女生徒の死は、決して悲劇で語られるようなリアルな重い死ではありません。西洋的なブラックユーモア、と言ってよいものでしょう。ここでの死は一つの、言わば「記号」でしかない。しかし僕は、台詞などを変えることなく、ただこの舞台の場所を「戦場」にすることで、ガラリとその手触りを変貌させます。正確には、ある紛争地域での、捕虜収容所、という設定です。アメリカ軍かしら?と想像させる部分があります。そして、そんなことから戯曲には想定されていない「当事者の視点」を取り戻させます。僕が選択するお芝居の表現は、この「不条理劇」が求めるところの、無機質な記号的なもののままです。決してリアルな印象のものではない、(例えば泣きの芝居なんて入れてません、ちょっとポップですらあります)、それでも、場所の再設定だけで、観る者の想像力がどうしても悲劇として捉えてしまう。・・・ああ、実は、お芝居と言うのは舞台の上で上演したものだけのことを言うのではないのですね、お客さんの頭の中で「起こる」ことも含め、それ全部が舞台演劇なのです。僕は、実はこの上演作にそんな仕掛けを施しました。そんなことへの象徴として、だから簡素な舞台装置の中で、でも「ナイフ」だけは重厚感のある、本当に殺傷能力の高いものを使用したりしています。今、当時のを倉庫で探しているのですが、見つからなくって…


ところで、今「ナイフ」の話をしましたが、この翻訳劇には「ナイフ」という台詞が何度も何度も出てきます。フランス語ではcouteau.つまり、カッターですね。実は翻訳の際に、損なわれてしまったことに、この「ナイフ」という台詞があると思っています。原語のままcouteau. couteau.…と繰り返して言うと、それがカッコウ鳥が鳴いているように聞こえる、ということが、この戯曲の重要な側面だからです。「カッコウ」「カッコウ」って間抜けとも言える鳥真似をしながら、最後には女生徒を殺めてしまう…、そのことが、戯曲上とても重要で、少なくとも僕の演出上では損なってはならない重要な点であると考えました。つまり、僕の上演作上では、翻訳からは離れて、「ナイフ」は「カッコウ」に置き換えられてます。


僕にとっては、いつでも、意味よりも音の方が大事であることが多いという作品を上演してきています。それは、僕の採用する「台詞(戯曲)=詩」って考えから来るものです。日本の文学の中で、単に黙読だけでは本来の面白さ(文学的な価値)を味わえない文学があると考えました。それが、詩と戯曲の二つです。そして、詩をまず考えると、詩にとって重要なのは、実は意味よりもその技巧です。古文で勉強した短歌などを考えるとすごく分かりますね。今の、ロックやポップミュージックの詩の世界も、優れているものは総じて、実はその意味よりも音を大事にしていることが分かります。ミスチルの詩の内容は時に感動的で素晴らしいけど、でも、語られている内容よりもまず音を大事にしないと成立しないことを、桜井さんは分かって作詞しています(たぶん)。 詩とは、まず優先して言葉の技巧や音なんです。意味や内容は後から付いてくるものなんです。…それは、文学で同じポジションであるところの「戯曲文学」にも当てはめて良いことだと僕は考えました。まず、耳から入ってくる直接的な音の水準を優先して上げること、それが演劇作品にはとても大事なことだと考えます。そんなことを考えると、「ナイフ」が「カッコウ」になることは、そりゃ僕にとっては当然の選択になると分かるかと思います。


そんな風にして、この上演作は、熟考して熟考して、手をかけ時間をかけ制作した作品になりました。まだこの手紙には書ききれない仕掛けが沢山あります。賞をいただいてからも、何度か演劇祭などで上演し、その度に稽古し直して、豊かに育ててきました。今回、すごく久しぶりに上演することになり、半分の出演者は今の新しい俳優になったけど、それでも「演出は変わりません」。僕にとっては、最初に稽古し始めて作った流れの、それらの良いところを継承した上演になることに、何のためらいもありません。幸い今回、ちょっと難しい僕の大変な演出を成立させる良い俳優に恵まれました。ですので、年月の問題でゼロから稽古し直していますが、今回の上演は純粋な再演と言って良いものになります。要するに、自信作です。上記したように過去には評価もされました。自信を持ってお勧めいたします。是非ご覧になっていただきたく、こうして長いお手紙となりました。どうかよろしくお願いいたします。観劇をご検討ください。

長堀博物館◎プロデュース 演出家 長堀博士

5月13日(金)~15日(日)@神楽坂ディプラッツ
13日(金)7時/14日(土)3時と7時/15日(日)3時(全4ステージ)
イヨネスコ「授業」フェスティバル参加作品
*フェスでは、10のカンパニーがそれぞれの「授業」を上演します。詳しくは、
ディプラッツのホームページにて。長堀作品は札幌の「風蝕異人街」との二本立てです。
その他注意事項 2作品の上演順は、1番目に風蝕異人街、2番目に僕ら、長堀博物館◎プロデュースです。
スタッフ 舞台監督 田中新一、音響 齋藤瑠美子、照明 こしばきこう+長堀博士 美術 長堀博士 

[情報提供] 2012/04/22 07:54 by 楽園王

[最終更新] 2012/12/12 17:04 by 長堀博士

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この公演に携わっているメンバー2

長堀博士

長堀博士(0)

役者・俳優 脚本 演出 美術 照明 制作

楽園王時代の名作です。

楽園王

楽園王(0)

脚本 演出 美術 照明 音響 舞台監督 制作

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