新ハムレット 公演情報 新ハムレット」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-17件 / 17件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    オープニングから舞台に引き込まれてしまいました。芸術、照明、音響、そして俳優。太宰治のレーゼドラマへのリスペクト溢れる舞台。面白かったぁ!一つの隙もない舞台。見終わった後、太宰治を読んでない人でも、ふと、読んでみたくなる快作でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    太宰治の小説『新ハムレット』を舞台化した本作は、小劇場でありながら大掛かりで完成度の高い舞台美術と照明、そして俳優の演技に魅了される作品となっていた。

    ネタバレBOX

    『新ハムレット』は(小説の冒頭に太宰の言葉で説明されており、それは上演作品の冒頭でも読まれていたが)元々戯曲として描かれたのではなく、しかもシェイクスピアの『ハムレット』とは展開も結末もかなり違っている。したがって、戯曲としてというよりは太宰の小説として楽しむテキストであるが、トレモロはそのことについて明らかに自覚的であった。というのも、俳優は大振りな演技でもって太宰の書いたセリフを演じており、その文体を存分に聞かせるものとなっていたからである。太宰を連想させる人物が舞台上を徘徊していることからも、観客に太宰を常に意識させる造りになっていることは明白である。
    特筆すべきは舞台美術と照明、衣装の美しさである。昭和モダンの雰囲気を醸しつつも完全な昭和時代のリアリズムにはせず、ファンタジーとの折衷的世界が展開されていた。こまばアゴラ劇場は決して広い空間ではないが、実際よりもかなり広いように感じられたことから空間演出の秀逸さが窺えた。
    他方で、なぜ『新ハムレット』を取り上げたのか、という点についてはわからないままだったのが残念だった。すなわち、『ハムレット』でもなく太宰の他のテキストでもなく、なぜ太宰の『新ハムレット』だったのかを観客に納得させるだけのテーマが見えて来なかったのである。確かに太宰の文体は面白いのだが、それは読んでもわかることである。太宰自体が小説であるという点を強調している以上、この点についての演劇側の解釈や応答はそれなりのものでないと説得力がない。空間演出や俳優の演技が豪華であっただけに、もったいない上演だったと言わざるを得ない。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    原作を読んだときの苦悩とバカバカしさが、演じることによって厚みを持った人間としてより深く面白みを感じました。

    ネタバレBOX

    冒頭の転換。薄い膜のむこうに俳優たちの身体が見えている。その生々しさののち、デフォルメしたコミカルな演技・振る舞いが、人々のフィクション性を高めていきます。とくにポローニヤスを演じるたむらみずほさん、クローヂヤスを演じる太田宏さんの、緩急幅の広さが、シェイクスピア『ハムレット』を下敷きにした太宰治のレーゼドラマ『新ハムレット』の舞台上演という幾層もの構造を演劇的な立体にし、ガーツルード(川田小百合さん)やハムレット(松井壮大さん)の抑えた熱も生々しい。オフィリヤ(瀬戸ゆりかさん)とレヤチーズ(清水いつ鹿さん)のシーンはストレートでありながら言外のやりとりも楽しかったです。
    また、語りの男(黒澤多生さん)が登場することでメタフィクションとして成立し、かつ、男以外の個々の役柄に太宰が投影されているように見えてくる…軽やかながらひとつひとつ積み上げていく確実性を見ました。

    抽象的な舞台美術と演出により、演者の目線が変化していく様子により、広くはないアゴラ劇場の空間が伸び縮みしていく。

    後半の展開は太宰独自のもので、おそらく当時の世相も反映されているでしょう。戯曲を丁寧に読み込み立体的かつ躍動感を持って上演する力強い安定感を感じました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    音楽と身体を使って、翻訳劇を独自の技法で作り上げる作劇が特徴であった初期と、戯曲の本質に踏み込んだ緻密な演出スタイルにシフトした中期。そして、それらを経て、今その活動は第三期、「自由に、開いて、場作りを進めるトレモロに突入」と主宰の早坂彩さんは言います。その言葉通り、本作『新ハムレット』はSCOTサマー・シーズン2022と豊岡演劇祭2022で初演、豊岡での滞在制作と利賀山房と出石永楽館での上演を経て、東京と京都の二都市での再演へ。さまざまな場所で上演を重ねることによって、場作りはもちろん作品そのものを広く開いていく果敢な試みが感じられます。

    原作は太宰治の『新ハムレット』。シェイクスピアの『ハムレット』を題材に取りつつも、太宰自身の新たな視座を含んだ戯曲風の小説です。
    (以下ネタバレBOXへ)

    ネタバレBOX

    劇中ではそのことを太宰治本人と思しき男に語らせる形をとっており、男(黒澤多生)の趣と存在感に観客の耳目を引きつけるオープニングが、まさに劇世界と小説世界のゲートを一つに繋げているようで興味深かったです。作者当人がストーリーテラーのような役割を担うこと自体は真新しくなく、むしろ現代口語演劇のある時代のトレンドとしても多くみられる導入だと思うのですが、本作の大きな特徴は作者の奥にさらにもう一人の作者が存在することです。
    「シェイクスピアの『ハムレット』について色々思うことがあるから、僕が今からなんやかんや言いながら似た小説を書きますからね」
    「戯曲みたいに書いていきますからね!」
    という形で小説が始まる手法は批評的で面白く、さらにそれを舞台化するというのは、マトリョーシカのような入れ子構造を繰り返しながら、太宰がもし存命なら一生続きそうな批評バトルを重ねていくような可笑しみも感じました。
    太宰治は派手で傍迷惑なその生き様から多くの作品のモチーフやモデルにもなってきましたが、個人的にはそのナルシズムが「芸術家としての美点」にではなく、「人間の可笑しみ」に振り切って表現されている作品ほど本質を突いているような気がしていて、本作はまさにそのことを導入から叶えていたと感じます。
    派手におちゃらけるとか、明確に言葉尻を遊ぶだとか、そういった分かりやすい方法ではないにせよ、人間臭さの感じる存在として俳優がそこに立っていたこと、立ち回っていたことに説得力がありました。太宰に見せてあげたかったくらいです。

    他にも俳優陣の表現力の高さに本作の本質が支えられていた瞬間は多くありました。
    ハムレットの悲壮や葛藤が最大限に表出された松井壮大さんの鬼気迫るお芝居も凄まじく、姿は「ハムレット」であるはずなのに、その精神はどこか太宰の「芸術家としての美点」の方のナルシズム的気配を纏っているような感触もありました。もう少し踏み込んで言うと、太宰が魅せられた死への欲求や自己憐憫をハムレットという人物に映写するように声と身体を駆使して体現されているように私には見えて、その加減に舌を巻きました。
    もう一人印象的だったのが、王妃のガーツルードを演じた川田小百合さんでした。川田さんの俳優としての技術力の高さを痛感したのは、自分をモデルとした劇を城内でハムレットらが上演する様子を眺めている時の表情でした。「眺めている」と書きましたが、その様子を実際に眺めてお芝居をしているのではなく、記憶が正しければ、ハムレットらと並列になった状態で表情のみで「眺めている」ことを表現する演出だったのですが、まさに「絶句」の様子を瞳の変化でまざまざと表現されていて、こんなにも静かで激しいお芝居があるものかと驚きました。その激しさの中にもふと太宰の直情さが顔を出すようでもありました。

    以上の理由などから、本作はシェイクスピアの『ハムレット』よりも、さらには『新ハムレット』そのものよりも、「『新ハムレット』における太宰の眼差し」を重んじてつくられた批評性の高い作品であることに面白さがあると感じました。ただ、一つ懸念があるとするならば、私個人が日文学科の太宰治ゼミ専攻であったこと。その影響が本作を、太宰サイドへと強引に誘ってしまっている可能性も少なからずあったとも感じます。

    本作は舞台芸術における風景としても鮮烈なものを残した作品であったと感じます。
    椅子や梯子などの木々を複雑に組み合わせたオブジェ作品のような舞台美術(杉山至)は、ある時は船に、またある時はお城の中に変幻し、劇的な展開を手伝う貴重な装置でもあり、俳優が実際にその上に乗って芝居をすることから直接的な意味合いでは舞台そのものでもあって、本作の支柱として素晴らしい役割を果たしていたと感じました。演劇における忘れられない風景というものは人それぞれにあると思うのですが、本作においてはおそらく多くの人がこのオブジェをセットで思い出すのではないかと感じました。
    「自由に、開いて、場作りを進める」。そんなトレモロの新章、早坂さんの挑戦を今後も楽しみにしています。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「開戦間際の風景」

     太宰治が太平洋戦争開戦間際の1941年7月に発表した初の書き下ろし小説であり、レーゼドラマである。

    ネタバレBOX

     中盤までの大筋はほとんどシェイクスピアの『ハムレット』通りであるが細部が異なる。デンマーク国王のクローヂヤス(太田宏)は先王亡きあと間もなく王妃のガーツルード(川田小百合)と結婚した。そのことを受け王子ハムレット(松井壮大)は義理の父と実母に心の距離ができてしまう。侍従長のポローニヤス(たむらみずほ)の息子レヤチーズ(清水いつ鹿)のように遊学へ出かけることもできず、ポローニヤスの娘で恋人のオフィリヤ(瀬戸ゆりか)との関係もぎくしゃくしている。親友のホレーショー(大間知賢哉)から先王の幽霊が出るという噂を聞いたハムレットは、クローヂヤスに疑念を向ける。

     本作の特異な趣向は、序盤に登場する男(黒澤多生)がナレーターのような役回りで作品を進行している点である。男は原作にある「はしがき」を読み上げて作品解説を加え、作中描かれている内容を要約し観客に伝えてくれる。男が初登場時の人物の名前や役柄を読み上げたとき、ティンカの音とともに和洋折衷の衣装を身にまとった人物に光が指し、顔を上げる演出が『忠臣蔵』の「大序」のようで面白い。このように物語の語り部として作者つまり太宰自身を舞台に上げたことでメタフィクションとしての趣が強くなっている。木製の足場で組まれた舞台機構を回転させながらその近辺で物語が進行するというのもこの傾向に拍車をかけた。上演するには長すぎる部分を男の語りで端的に済ませたことで観やすくなったという利点があり、作品が書かれた1941年の時代状況を踏まえたうえで鑑賞するという意識もまた持ちやすくなった。

     また、たむらみずほ演じるポローニヤスの存在も本作の興味深い趣向である。作中ではハムレットにけしかけ王殺しの劇中劇に加わり、怒りを買ったクローヂヤスに思いの丈を述べたあと殺されてしまうという役回りである。これだけだとただの悲劇の登場人物だが、侍従長というよりは田舎侍のような風体、ガニ股でコミカルな動きでこの役を演じたことで、あたかも道化のようにももう一人の狂言まわしのようにも見えて面白い。

     幕切れは戦争が始まりレヤチーズの乗った船が沈んだ知らせを聞き、自傷行為に走るハムレットのもとへガーツルードの入水自殺の報が入るという、太宰独自のものである。中盤まで登場していた語りの男はいつの間にか消えて、太宰そのひとが投影されているかのようなハムレットの嘆きが耳に残る。開戦と同時に訪れるカオスは作品が書かれた時代、そして現代と二重写しになっていて見応えがあった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    実は太宰をしっかりと読んだことはないですが、シェイクスピアの中ではハムレットが一番好きなので、楽しみにしていました。
    原作を知っていたからこそ楽しめる部分が沢山あり、満足な観劇でした。
    舞台装置は抽象的だったが、俳優たちがしっかり馴染んでいて、観づらさは全くなくよく作用していたように思います。
    アゴラ劇場最後だと思って観に行ったこともありましたが、アゴラ劇場以外でも今後も観てみたいと思いました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/03/27 (水) 14:00

    事前に青空文庫で「はしがき」を読んで臨んだので太宰による「あの人物/設定なら自分だったらこうする」的な二次創作(=薄い本?(爆))として観てあれこれ得心。
    先入観もあってかいかにも日本的で太宰らしい(いや、そんなに太宰作品に接した訳ではないが)気がする。
    また、その感覚は紋付やインバネスコートに山高帽という古き日本を思わせる衣裳による部分も少なからずあるな。そしてその衣裳がそれでなくとも的確な配役に更なる説得力を持たせて印象的。
    更にシンプルながら造形美を感じさせ盆のように回る装置もセンスが良くて好き♪

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    原作を知らないのが
    ただただお恥ずかしい限りなのだが、
    美術も衣装もオシャレだったし、
    抽象的な美術の使い方が凄く上手だった。

    何より俳優さんが達者‼️
    個人的に感嘆したのは、クローヂヤス役の
    太田さんと、ポローニアス役のたむらさん。
    特にたむらさんのお父さんは「目から鱗‼️」
    でした。女性は、女性のままでもお父さんに
    なれるのだなぁ(びっくり)

    観る前に原作を読む余裕があると
    作品は倍楽しめたと思います。
    (そこは自分に対して残念です)

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    観劇歴は長くありませんが、これまで観た中でも最高の舞台の一つでした。

  • 実演鑑賞

    現代にこのような形で舞台に起こした試みがよかった。特に舞台美術は印象的だ

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    太宰治の原作が青空文庫で読めるとは事前にきいていて、でもw最初だけ齧ったところで観劇。ハムレットは何度か観たことがあるけれど、この作品への予備知識はほぼ持たずでの観劇だった。

    ネタバレBOX

    始まりから惹きつけられる。冒頭の男の語り口が観る側を太宰の紡ぐ視座に導き、中に招き入れられ、そこには既知のシェイクスピアの世界を型紙にしつつ新たな質感の物語が解けだし、自然に新たにその顛末を追いかける。名シーンたちの語られ方がかなり違って感じられたり、既知の人物間の関係のメリハリが滅失していたり、新たな距離で描かれていたり、でもそれが違和感とならずにとても親しみやすく感じられることに繋がれていく。照明にも、回り舞台が編む場面の移ろいの美しさにも目を奪われ、これまでに観たものとは違う人物たちの見せ所に繋がれて、ボリューム感がありつつ時間があっという間だった。

    冒頭からの語り口に染められたとはいえ、前半はやっぱり昔ながらのハムレットとの比較で観ていた。でも気が付けば、この世界が醸すというか、なんだろ、シェイクスピアの筋立てに対峙するのではなく、ハムレットの世界を受け取る自然体のようなものに浸された感じがする。新たなハムレットの世界の満ち方だとも思った。

    これはもう一度観たいなぁ。俳優たちにしっかりと世界を渡されていてなんだけど、過去の記憶に縛られず、舞台にあるものをその語り口のままにもう一度味わいたい気がする。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    いや~これは面白い。オリジナルのハムレットのあらすじは大体知っていて、太宰の作品は読んだことがないけど、かなり改変されてますね。違いが楽しめます。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/03/28 (木) 19:30

    初見のユニットかと思っていたら、トレモロは過去に観たことがあった。太宰治によるハムレットの翻案の上演だが面白い。97分。
     太宰の「ハムレット」は登場人物や大筋は同じだが、細かい筋がいろいろと違っていて、それはそれで面白い。演出・役者陣が時間をかけて丁寧に作っただけあって、舞台美術の巧みさも合わせて見応えある舞台になっていたと思う。ただし、どうして太宰はこのような展開にしたのかは、ちょっとよく分からないなぁ。初見のユニットかと思ったが、早坂が主宰するトレモロは2011年に『8人の女』を観ていたのであった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/03/27 (水) 19:30

    価格4,000円

    「新ハムレット」 

    結果からいうと、かなり面白く楽しめた!
    ただ観劇中は何に惹かれてるのか?どうして面白いろいのかハッキリせず、むしろ面白さのワケを理解しようとしていた感があった。佳境を迎えようやく置くべき視点を理解出来てきて、大詰めの台詞で腑に落ちた...という事はしっかりのめり込んで観ていたという事でした!

    詳細は控えるが、興味深いキャラクターからの視点というか心中がクローズアップされている事で作品のリアルさを楽しめた気がする。
    そして物語り冒頭の、はしがきの口述でレーゼドラマであるという一節にあらためて頷けました。
    予習をせずに観た事と巧みな台詞回しで、会話劇のつもりで聴こうとしていた事で少し戸惑いが起きていた気がする。結果的にはその詩的モノローグの様な言葉のやり取りがとてもしっくりと来た。

    複数回観たくなる中毒性のある良作でした。

    最後に俳優陣の高いスキルと、研ぎ澄まされた演出や舞台美術をはじめとするスタッフクリエーションに心からの拍手を送ります。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    演出の勝ったステージ、という意味では予想の範囲であった。戯曲に対し「揺さぶり」の要素は配役、と言えるか。濃茶に塗った木製の床几、椅子、梯子等を組み合わせ、絡ませた杉山至氏のオブジェ風装置を中央に、劇展開させる。見終えて一等最初に素朴に思った事は、太宰治の「新ハムレット」を知った上で観るのが良いかも、という事だ。(ネットの青空文庫に上っている。)
    この作品が、原作ハムレットをどの程度、どんな角度で翻案した作品なのか(またはタイトルを借りた全く違う代物か)を知らずに観ると、途中までは沙翁の「ハムレット」とどう違うのかが分からない。細かな台詞回しはともかく、叔父クローディアスの反応を見て疑惑から確信に至る寸劇をやるのが旅芸人でなくポローニアスら友人だったり、、オフィーリアでなく母が溺れ死んだり、最後の「死」の順序が違う(ここで母が池に身を投げる)等とあるが、もしこれらを広い意味で「演出」の範疇だと説明されたとしても、意図(作り手の欲求)が想像されれば、チケット代返せとまで怒る観客はいないだろう。
    ただ、「なぜそう変えたのか」。それは「新ハムレット」を上演する事のエクスキューズでもあるが、そこから演劇の「謎」は始まっており「謎解き」が要請されているとすれば、その問題の深掘りは私の目には見出せず、太宰作の認知された一作品を「かく料理した」にとどまった。
    小説「新ハムレット」の序文的な文章で太宰治が「この作品は」と解説を施しており、戯曲の形式を取った一つの小説と思ってほしい、という趣旨を述べている。舞台ではこの部分を「男」が本を片手に読み、やがて本編へと誘うのだが、男が読む間オブジェを覆うシートの中で俳優らが蠢き、「待てない」のか、装置からはみ出して来る、という演出があって、最後は彼らがコート、帽子、靴等を持って来て文豪の衣裳を男にまとわせ、拍手で褒めちぎって体よく退場させた(体よく、というニュアンスをもっと感じたかったが)後は、男は登場しない。
    テキストに忠実に、とは演出の一つの有り方ではあるが、地の文で書かれたこの序文の箇所は、演出がむしろ「このたび、なぜ『新ハムレット』か」を(はったりでも良いので)押し出す部分ではなかったか、と素朴に思った。
    (芸術作品全てが、あるいは芸術を扱う・語る場合にも、「今なぜ」は常に潜在的に問われる問いだと思っている。「演劇は謎かけの謎解き」理論からすると、上演を決めた時点で謎かけがある。天賦人権論と相容れぬ狭量なこだわりかも知れぬが。。)

    ネタバレBOX

    渋い意見を続けてしまうが・・
    公演序盤ゆえか、と思わなくもなかった点が、ある意味主役であるクローディアスの造形。いわゆる悪役だが、今回俳優はその風貌を活用して役を演じていた。ただ台詞が馴染んでいないのをおっとっととカバーするのに「悪役らしさ」を押し出せる太田宏氏の持ち技を繰り出していた印象(少々意地悪か..)。
    忠臣蔵を吉良家の目線から描く作品があるように、「ハムレット」をクローディアス目線で描くと云う要素があったのか、無かったのか・・。原作を読んで書くのが妥当にも思うが、・・つまりそこがぼんやり霞んでいた。
    シンパシーを幾許かでも寄せる役柄を演じるならもっと違ったあり方があり得たろうし、憎らしい存在に徹するなら、またもっと別なアプローチがあった気がする。
    公演も後半になれば違った劇風景が見えて来るのかも・・と言っても観る事は能わず、いつか配信等あればぜひ、と願望だけ書いておこう。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    トレモロ公演は未見であったが、太宰治の「新ハムレット」を分かり易く 楽しめる作品に仕上げていた。原作を先に読むか、読んでから観るか、そんなことは問題ではない。この公演を観るだけでも原作の面白さは解る。自分は読まずに観劇し、翌日 急いで読んだ実感として言える。当日パンフによれば「原稿用紙に二百枚、五時間の大作」とあるから、勿論 テキレジはしている。

    公演の面白さは、独特の舞台美術と役者陣の熱演であろう。勿論、原作の面白さを十二分に引き出した早坂 彩 女史の演出力、その巧さは言うまでもない。この作品を観たいと思ったのは、トレモロが未見であったこと そして「こまばアゴラ劇場」が最後だということ。この劇場の構造を上手く使い、妖しい雰囲気が漂う中で「長編戯曲風小説(レーゼドラマ)を、軽快にかつ濃密に描いた一幕劇」、まさに謳い文句通りの珠玉作。
    (上演時間1時間40分 途中休憩なし)㊟ネタバレ

    ネタバレBOX

    舞台美術は、上演前は紗幕に覆われていたが、始まってみれば長い縁台のような板に形の異なる椅子や梯子状のようなものが脇に取り付けられ、和箪笥や本棚も見える。実はこれ回転し、城内や帆船に見立て情景を作り出す。板の下には蔦が巻き付いており、板や蔦といった自然 温もりを感じさせる。下手には、天井からペットボトルを切り開いて繋ぎ合わせたようなオブジェが吊るされている(アフタートーク:青☆組 吉田小夏女史との対談の中で、<柳>と説明していた)。この真下の床面を開け、階下と行き来する。また下からの照明がオブジェに反射し 青白く妖しげな雰囲気を醸し出す。

    登場人物はシェイクスピアのハムレットと同じだが、衣裳が奇抜というか統一性がない。洋服の上に着物を羽織ったり、足元は足袋や草履であったり革靴、スニーカーといったもの。なんとなく情緒不安定な人物が立ち上がっているような感じだ。そして この外見が人物の性格というか気質・気性を表しているよう。また 男役を女優が演じる、例えばボローニアス(たむらみずほ サン)やレアチーズ(清水いつ鹿 サン)、自分を父親と言ってみたり、オフィリア(瀬戸ゆりか サン)から兄さんと呼ばれたりしている。そこに長編戯曲風小説とは違う、人が演じる 演劇という創作の奇知が活かされているようだ。

    梗概は、シェイクスピアの「ハムレット」を準えているが、全体として原作者 太宰治の姿が朧げに立ち上がってくるようだ。長板の端を客席側に向け、その先端にハムレット(松井壮大サン)が座る。そして長台詞の独白は、太宰の別作品 例えば「人間失格」のように自己の弱さ軽薄さを嘆くようにも聞こえる。この心情を吐露させるような描き方(演出)が実に巧い。

    気になるのが、説明にある「太平洋戦争開戦の直前・1941年初夏、太宰治はシェイクスピア『ハムレット』の翻案(パロディ)を書きあげた。登場人物たちの懸命で滑稽な生き方は、2024年に生きる私たちにどのように響くのか」という一文である。冒頭、男(黒澤多生サン)が原作の<はしがき>を<ト書き>のように読み上げるところから始まる。その中で昭和16年と言い、劇が始まると 王妃ガーツルード(川田小百合サン)だったと思うが、改めて西暦1941年と言う。しかし原作には、その台詞はない。そして原作も劇も終盤に王クローディアス(太田宏サン)が「戦争がはじまりました」 そして帆船が燃え、レアチーズが死んだと。海外では 今だに戦争紛争の火種は尽きることがない。パロディの中に、そんな社会性(警鐘)を潜ませているよう。

    照明は、全体的に薄暗く 人物が登場するとスポット的に照らし出す。音楽は劇中 朗読劇の場面でホレーショー(大間知賢哉サン)などが、小太鼓や銅鑼など和楽器を用いて演奏する。それが 何となくリズミカルで妙に台詞と合っており心地が良い。そして物語が進むにつれ、役者陣の演技 特に声圧が増し物語へ集中させる。表層的には滑稽洒脱であるが、その内容は色々な意味で現代性を帯びており奥が深い。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 満足度★★★★★

    太宰治(小説家)が、こんなパロディーみたいな内容を書いていたこと自体驚いた😲‼️
    驚いた反面、ハムレットを知らない人は楽しめないだろウナ〰️と思った
    (ま、そんな人は観ないだろうけど…)
    内容はとても良かった‼️本作との違いも楽しみながら、あっという間だった
    個人的には、照明も良かったです
    もう一度観てみたくなる一作でした❗

このページのQRコードです。

拡大